『青の夜』



ハンガーでの作業を終えた舞は、速水や壬生屋たちに別れを告げると、 ひとり裏庭を歩いていた。
整備テントの蒸し暑さから開放された所為か、夜の風が心地良く舞の 髪を揺らす。
「舞サン」
そう声を掛けられて舞が顔を上げると、ハンガーの左側の階段から小 杉が下りてきた。
「小杉」
「お疲れ様デス。お帰りデスか?」
「そうだ。…だが、護衛は無用だ。ひとりで帰れる」
その大柄な肢体と同じくおおらかな性格の守護者に、舞は目を細める。
「そうデスか…実は、整備の方はこれから残業があるのデス。大丈夫 ダト思いマスガ、気を付けてお帰り下サイ」
「うむ。そなたも根を詰めすぎぬようにな」
「ハイ。判りマシタ」
小杉の優しい笑顔に見送られながら、舞は家路を目指して歩き始めた。


校門を出た所で、舞はある人物の後ろ姿を目撃した。
「あれは…」
深く被られた白い帽子の男が、今町公園への道を進んでいる。
「……来須」
男の名前を、舞はそっと呟く。

来須はこの小隊でスカウトとして共に戦場を駆ける仲間であり、小杉と同じく、 芝村から招聘された守護者でもある。
小隊の初日に、舞は彼の義姉に当たる小杉から紹介をされたが、実を言うと、 舞はそれより前に、既に来須と顔を合わせていた。
パーティ会場を抜け出した舞が、幻獣との戦闘で傷ついた来須を手当てした のである。
高みから落下した来須を受け止めた自分を、呆然と見つめてきた青い瞳は、 何処までも澄み切っていた。

『何て綺麗な瞳をしているのだろう』

舞は、心からそう思わずにはいられなかった。
その夜は、あてのない再会の約束を交わしたが、翌朝、芝村の世話人から 渡された守護者の名前と写真を確認した時は、
「『存在』を作り上げる為だけの傀儡である私に、随分と粋な計らいをす るものがいるのだな」と思った。

──どうやら運命というものは、つくづく悪戯をけしかけるのが好き らしい。

離れた場所から来須の後をつけながら、舞はその形良い眉根を寄せた。 一体自分は何をしているのだ、と。
こんな事をしている間にも、小杉はきっとハンガーで汗だくになりながら、 舞の機体の整備をしているのだろう。
『すまぬ、小杉。…だが、これはあくまで尾行だ。芝村であるこの私に、 横恋慕の趣味などないからな』
舞は心の中で彼女に詫びると、極力気配を殺しながら足を進めた。


今町公園に到着した来須は、うんていの辺りまで移動すると、帽子を 被り直した。
舞は、公園入口から様子を窺う。来須の背中を見つめていたヘイゼル の瞳が、次の瞬間小さく見開かれた。
幾多の青白い小さな光が、来須の周囲を取り巻いていたのだ。
それらはまるで、来須に寄り添うように、彼の身体を包み込む。
来須は、自分の周りを漂う青い光をひとつ手に取るようにすると、 そのまま夜空にかざした。
光は、彼の手の中で暫し名残惜しそうにしていたが、やがて天に昇 っていった。

「……」

その幻想的な光景に、舞は胸が高鳴るのを覚えた。
例えようのない感動に、全身が打ちひしがれる。青の光を空に帰す来 須の姿は、形容する言葉が見つからないほど美しかった。
だが………
舞は来須から視線を外すと、そっと俯いた。
『何て美しい…だが……』
心の中で呟くと、舞は目を伏せる。気を抜くとこみ上げてきそうな感 情をどうにか押し込めると、ぐっ、と歯を食いしばった。


───どれくらいそうしていたのだろう。
気が付くと、目の前にこちらを無言で見下ろす来須がいた。
「…どうした」
短く声を掛けられて、舞はつと顔を上げる。
「すまぬ。邪魔をするつもりはなかったのだが」
努めて無感動な表情を作ると、舞は来須に謝罪した。気配を殺していた 筈の自分は、いつの間にか心の隙を見せていたらしい。
「…お前には、これが見えるのか」
掌に青白い光をひとつ載せながら、来須が尋ねてくる。舞は小さく頷 いた。
「……この光は想いだ。死してなお俺を守り、『青』に尽くす、数多の 願いだ」
淡々と語る来須と青い光を、舞は目を細めながら見据える。
「いつか、俺もこの光になるだろう」
そう言うと、来須はまたひとつ光を夜空に掲げる。光はまるで来須との 別れを惜しむかのように、彼の周りをひと回りすると、ゆっくりと空に帰 っていった。
「…綺麗な青だな。だが……とても哀しい青だ」
天に吸い込まれた光を追いながら、舞は口を開いた。そして、来須に向 き直ると表情を曇らせる。

「……?」
今まで見た事のない舞の表情に、来須は僅かに瞳孔を開く。
「そなたは、そのような光にはなるな。そなたの纏うその青は、あまり にも哀しすぎる」
舞は一歩足を進めると、光とよく似た来須の青い瞳を見つめた。
「光となって誰かを守るなどと、そのような陳腐な考えはやめよ。そな たはそれで良いかも知れぬが、そなたを失った者たちの『想い』は、ど うなる?」
言いながら、舞はやるせない想いに身を持て余していた。
何を馬鹿な事を言っているのだと。芝村ともあろう者が、彼の伴侶がい ないのを良い事に、この男によからぬ感情をぶつけているだけではない のか。
心の何処かで、冷静な自分がそのような警告を囁いていたが、一度回り だした舞の舌は、止まる事が出来なかった。
「そなたを失った者たちの『想い』を、光となったそなたは受け止める 事が出来るのか?それとも、光となったそなたを受け止めろと言うのか !?光を抱き締める事など出来ぬのだぞ!私の……!」
言いかけて、舞ははっと我に返った。ヘイゼルの瞳の先に、不審気に こちらを見つめ返してくる青い瞳が映る。
舞は、内心で己の失態を呪った。慌てて吹き零れた感情を抑えると、

「……私も含めた、そなたを想う人間の手は、空いてしまうのだぞ…」

ぎこちない笑みを張り付かせながら、舞は低く呟いた。
来須は、何も言わずに舞を見つめていた。


舞のヘイゼルの瞳と、来須の青い瞳は、ずっと互いを見詰め合って いた。
何を言うでもなく、また相手に何を求めるでもなく。
不意に、来須の手が舞の肩口へと伸ばされるのを見て、舞は思わず後ろに 下がった。
きっと、いつもらしからぬ自分を気遣ってくれたのだろう。だが、舞は来 須の厚意を受ける事は出来なかった。
今、彼の手を取ってしまったら、自分は何を言ってしまうか判らない。
それは来須にも、そして彼の想い人にも無礼にあたる事であった。

「……すまぬ。些か、喋りすぎたようだ。芝村ともあろう者が、己の感情 ひとつ満足に操れぬとは、私もまだまだという事だな」

気を取り直したように顔を上げると、舞は口元に笑みを浮かべた。
ひとつ伸びをすると、踵を返す。
「…もう、遅い。家まで送ろう」
舞の背中に、来須の声が届いた。だが、舞は首を横に振ると、
「ひとりで大丈夫だ。…それより、学校で小杉が残業をしている。そろそ ろ終わる頃であろう。迎えにいってやれ」
「舞…」
「今宵、私が言った事は忘れるがいい。…また明日会おう」
自分の名を呼ぶ来須を振り切るかのように、舞は多目的結晶を露出させる と、瞬間移動をした。


自宅に帰り着いた舞は、私服に着替えると、ベランダから夜空を見上げた。 天を彩るあまたの星が、優しく舞を見下ろしている。
「…まるで、そなたの瞳に見つめられているようだな」
彼の瞳は、この夜空の星そのものだ、と舞は思った。
誇り高き戦士と共に戦場を駆ける事が出来る自分は、なんて幸せなのだろ うか。
いつ果てるとも知れない自分の人生の中に彼がいる。その彼と一緒に戦い、 時には喜びを分かち合い、また時には笑い合える仲間として、自分は存在 する事が出来る。……それで、充分であった。

「…舞。そなたは芝村だ。余計な想いは胸に秘めるがいい。それよりも、 そなたの想う大切な者の為に戦い続けよ」

拳を握り締めながら、舞は強く自分自身に言い聞かせた。
そして、決して告げてはならない感情を胸に秘めると、星空に誓いを立て る。


  ────この想いは、地獄まで持っていく事にしよう、と。



ホントは、このイベントは恋人になんなきゃ起こらないのですが、まあ、笑って見逃して 下さると有難いです。
テーマは「舞から見た来須」だったのですが、こりゃもー「芝村さんから見た来須」以外 の何ものでもないですね。(苦笑)
自分で言うのもなんですが、本当にこのふたり、じれったいとしか言いようがありません。 (来須も誤解を解いてないし)
「地獄まで持っていく」というのは、普通の人の「墓場まで持っていく」と同じ意味です。
ウチの彼女は「芝村には墓標などないから、きっと地獄の方が相応しいのだろうな」と考 えております。
本当は、誰よりも互いの事を気にかけているのに…そう思うと、ちょっと切ないかも知れ ませんね。



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