■デビルヘアー・エンゼルヘアー■
挿絵:あちし(敬称略)



土曜日の夜。

「ココに食べ物とかドリンクとか、置いときマスからネ」
ガサガサと音を立てながら、小杉が、テーブルの上に買い物の袋を開ける。
「まったく…たまにハ、自分で必要なものくらい揃えてくれなければ、困り マスよ?」
「……」
来須の部屋には、必要最低限のもの以外何もない。
学兵用の宿舎は男女別々なので、現在小杉と来須は、離れた場所で生活をし ているが、度々世話焼きの義姉が、説教ついでに食料や生活用品を置いてい くので、特に困るという事はなかった。

「ソレデハ、ワタシ帰りマス。これから、舞サンと約束があるのデス」
いそいそと荷物をまとめると、小杉は玄関で靴を履く。
「チャ〜オ、来須クン。また月曜日に会いまショウ」
義姉の声と、ドアの閉まる音を背に受けながら、来須はテーブルに山積み にされた買い物の品々を見つめる。
「…?」
食料その他に紛れて、何やら見慣れぬプラスチック容器に気付いた来須は、 テーブルまで歩み寄ると、手を伸ばしてそれを取った。
「……」
容器のラベルを確認した来須は、その正体が、小杉の忘れ物である事を理 解した。
買い物好きの彼女は、いつも義弟に渡す物の倍以上は、自分用の品物を購 入しているのである。
追いかけて彼女に返そうか、とも思ったが、ウィークデイの疲れを癒したい、 という欲求が、それに勝っていた。
本当に必要なものなら、後で小杉から連絡が来るだろうし、月曜日になれ ば、学校で顔を合わせるのだから、その時に返却すれば良い。

そう思い直した来須は、小さな欠伸をひとつすると、早々にベッドに潜り 込んだ。


明けて、日曜日。
「来須!滝川からビデオを借りてきたんだが、一緒に見ないか?」

まるで、寝込みを襲わんばかりの勢いで、若宮が部屋のドアを叩いてきた。
この同僚が、自分を訪ねてくるのはよくある事だが、休日の午前9時に、大声 で人を起こすのは、勘弁して欲しいと内心で思っている。
それでも、来須はドアのロックを外すと、若宮を部屋に入れた。
勝手知った顔で中に進む若宮の背中を、眠い目を擦りつつ追いながら、 ビデオデッキのある部屋まで移動すると、テープをセットする若宮を尻目に、 寝なおすつもりで部屋のソファに身体を横たえる。
ところが。
「…!」
画面に現れた、悲鳴を上げながら化け物から逃げ惑うヒロインに、来須は弾 かれたように起き上がった。
「──そんな顔をするな。オレの部屋のビデオ、調子が悪いんだ。それに、夜に 見るよりは怖くはないぞ」
唇の端を釣り上げて笑う若宮を、来須は恨みがましく見つめ返す。
自分が、ホラーやお化けの類を苦手とするのを知っていながら、時折この同僚 は、子供じみた悪戯を仕掛けてくるのだ。
眠気の一気に醒めた来須は、おずおずとソファから下りると、若宮の背後に近 付いた。
彼のシャツの裾を軽く掴んで、その広い背中に顔を寄せる。隙間からこっそり とテレビ画面を覗っては、首を引っ込めるという動作を繰り返す。
「怖いなら、ずっとオレの傍にいろ。なんだったら、抱きついていてもいいぞ?」
相変わらずの来須の様子に、若宮は含み笑いを漏らしながら声を掛けた。
来須は首を振ると、若宮の肩越しに再び顔を出した。だが、途端にテレビのスピ ーカーから聴こえてきた断末魔に、慌てたようにしがみつく。
プッと噴き出された息に、来須は照れ隠しに若宮の髪を引っ張った。男性にあ りがちな硬質な毛を暫し手の中で弄ぶ。
「……」
その時、ふと脳裏にあるものが掠めた。柔らかい自分とは違う、若宮の 髪質を確かめている内に、来須の中である欲求が沸き上がってきた。
これ以上、苦手ジャンルのビデオ鑑賞をするのに嫌気が差していたのもあり、 その想いは、益々明確なものとなっていく。
「──お、おい?」
何かに突き動かされた来須は、訝しげにこちらを見つめてくる若宮の手を取 って立ち上がらせると、バスルームへ向かった。


若宮を風呂場へ放り込んだ来須は、自分も上半身だけ裸になると、シャンプーの容 器を片手に、浴室の扉を開けた。
「…来須。オレは、朝風呂の習慣はないのだが……」
湯船から不平を漏らしてくる若宮の頭を取ると、浴槽の縁の部分に載せて、固定 させた。
「おい!いきなり何を…って、わぷっ!」
喚く若宮を無視しながら、来須はシャワーのコックを捻って、彼の頭に湯をかけ る。
程よく髪が湿るのを確認すると、容器のキャップを開けて、中からシャンプー液 を搾り出した。手の中で軽く揉むと、若宮の髪に擦り付ける。
床に膝を着いた来須は、頭皮から毛先にかけて、シャンプー剤を染み込ませるよ うに手を動かしていた。
かしょかしょ、と泡を立てながらマッサージをするように、若宮の髪を洗い続け ていく。
「……あのー…来須さん…?」
「痒い所はないか」
「あー…耳の裏側あたりかな……」

のんびりとした呟きに応えるように、来須の手が若宮の耳の後ろに回った。
文字通り『痒い所に手の届く』指の動きに、若宮はすっかりいい気分で、 来須の行為に身を任せていく。
行動の意図は判らぬが、たまにはこんな和やかな雰囲気も悪くはない。
時折耳元で尋ねてくる声と、優しく触れてくる指に、いつしか心地良い眠りへと 導かれていった。


来須にタオルを手渡され、若宮は、水分の含んだままの髪を乱暴に拭った。
ガシガシと擦り続けていると、バスローブ姿の来須が、ドライヤーのスイッチを 入れてきた。熱風に煽られて、若宮の髪が乾かされていく。
「……?」
己の髪を滑っていく指の感触に、僅かな違和感を覚えた若宮は、訝しげに眉根 を寄せた。
洗い立てというのもあるが、果たして自分の髪は、ここまで柔らかかったであ ろうか。
熱気で曇ったままの鏡を見つめながら、若宮が洗面所の椅子に腰掛けていると。

「来須クーン!ちょっとイイデスカー!?」

インターホンの音もそこそこに、陽気なラテン美女の呼びかけが、玄関ホールに 響いた。
聞き慣れた声に来須が顔を上げるのもそこそこに、彼の義姉が洗面所の扉を開け て、中に入ってくる。
「ワタシ、昨日忘れ物したと思うのデスガ、知りマセンカ…って、OH!若宮クン じゃないデスカ」
「あ、これはヨーコさん。お邪魔しています」
腰にタオルを巻いただけの間抜けな姿で、若宮は小杉に会釈した。
「…ふたりとも、朝っぱらからオフロに入っていたのデスカ……ん?」
若宮の格好にも別段気にした風でもなく、何とはなしに視線を動かした小杉は、 浴室の中に自分の探しているものを見つけて、声を上げた。
「──NO!何でワタシのシャンプーが、ココにあるのデスカーっ!?」
濡れる床も構わずに、浴室に足を踏み入れた小杉は、ケースの中に収納されてい たシャンプーの容器を手に取る。
「来須クン!コレは、ただのシャンプーではナイのデスヨ!ワタシが自分用に って、やっと手に入れたモノなのに……」
容器のラベルを見せながら、憤然と来須に詰め寄った小杉だったが、思わぬ事 態に、ふたりを止めようと椅子から立ち上がった若宮の姿が目に入ると、次の 瞬間、それまでの怒りの顔が奇妙なそれへと歪んだ。



「……」
「──何か、仰りたい事でもあるのですか?」
「いいえ。別に……」

翌日の小隊司令室。
デスクに腰掛けた善行は、目の前に立つ若宮に視線をやる度に、綻びそうにな る口元を、懸命に堪えていた。
意識すまい、と思えば思うほど、彼の頭が気になって仕方がない。
「…以上です。あとは頼みましたよ、十翼長」
「は。それでは失礼致します」
書類を受け取った若宮が司令室を退室するのを確認すると、
「ぷーっ!くっくっく……」
今まで我慢していた、全ての感情をぶちまけるように表情を歪めると、 盛大な息と共に、デスク に顔を突っ伏した。


小隊のメンバーは勿論、道行く人が皆、自分の頭を見ながら笑い声を立ててい る。
「おい。参考までに尋ねるが、オレの頭は今、どうなってる?」
「……」

      光ってますか、天使の輪。

憮然としながら質問する若宮を尻目に、来須はただ黙って隣を歩き続ける。
昨日、来須が若宮に使ったシャンプーは、小杉が自分の為に購入した強力なクセ 毛用のシャンプーであった。
「何デワタシにはあまり効かなくテ、若宮クンはここまでサラサラになるの デスカ?」と、笑っているのか怒っているのか、今ひとつ良く判らない表情で 小杉がコメントしていたとおり、普段の彼を象徴する『デビルヘアー』が、見 る影もないものに変化しているのである。
朝の日差しを受けて、『天使の輪』と呼ばれる髪の艶が、ムダに光沢をたたえ ながら若宮の髪を照らしていた。

「……小杉の話では、効果は一日二日で消えるらしい。それに、髪型が変わ ったくらいで、お前の全てが変わる訳でもあるまい?」
帽子の鍔を僅かにずらすと、来須はいつもと変わらぬ口調で答えた。
「変わる原因を作ったのは誰だ」
「…俺も、ここまで効き目が現れるとは思わなかった」
不機嫌そうに返事をする若宮に、来須は小さく「すまない」と頭を下げ てくる。
その態度に、若宮はくしゃり、と妙に柔らかくなった髪をかき上げたが、ふと ある事に思い当たると、再度来須を振り返った。
「…おい」
「……?」
「オレは今日、一度もお前の顔を見ていないのは、気のせいか?」
毎朝、若宮は来須と挨拶を交わす時、必ず彼の青い瞳を見つめていた。
帽子を被っていてもいなくても、来須は、その日のはじめに若宮と会う時は、 若宮と視線を交し合っているのだが……

突然来須は、若宮の追及を逃れるように、帽子を深く被り直した。
そのまま離れようとした身体を、若宮の腕が、逃すまいと抱き込んだ。
強引に壁際に押し付けると、帽子に隠れた来須の顔をじっと見つめてくる。
「…今、お前の顔がどうなってるのか、この帽子を取って確かめてもい いか?」
「……」


不気味なほど穏やかな問い掛けに、来須は無言で首を横に振った。

【追記】
この度、狂喜乱舞する程、すんばらしすぎる挿絵を頂戴いたしました。
「グダグダ言わずに掲載させろやオラァ」 「サイトに載せても よろしいですか?」との、小石川の図々しい申し出に快諾して下さった(?) あちし様に、魂の底から感謝です。
なお、「他にもイラストが見たい!」という方は、ご相方の姉貴様が管理されている
こちらのサイト まで。お二方のパワー溢れるイラスト・漫画が拝めます。お薦めです。



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