『プールサイド・ちょっと本気な青のひと息』



『自然休戦期』という名の夏休み。

休戦期前とは違い、完全に幻獣の出現しない現在は、5121小隊の学兵 たちも、普通の少年少女として(註:一部を除く)、束の間の休日 を満喫していた。
もっとも、完全休養という訳にはいかず、毎週決められた日には、持 ち場の作業や訓練の為に、学校を訪れなければならない。
そして、もうひとつ。


「芝村さん。…あ、丁度いいわ。来須くんもそこにいたのね」

グラウンド外れで、白兵訓練の筈がいつの間にか、ルール無用のガチン コ勝負にまで発展していたふたりの前に、若宮を従えた原が、ファイルを 片手にやって来た。
「…何の用だ?」
「何、じゃないわよ。あなたたちだけよ。夏休みの課題『奉仕活動』の、 報告も実習もしてないのは」
手を止めて振り返る舞に、原は些か呆れたように肩を竦める。

『奉仕活動』とは、18歳未満の青少年を対象に、教育課程において義務 付けられている、校外実習のひとつである。
毎年長期休暇などを利用して、学生を社会に触れさせる事を目的に行わ れていたものだが、幻獣の猛攻が厳しくなってきた現在では、自然休戦 期の1日のみに、短縮されている。
いわゆる典型的な『夏休みの宿題』であるこの活動は、学兵ではなく学生とし ての生活を満喫出来るのもあってか、そこそこ好評の課題となっている。


「幾らあなたが芝村家のお姫様とはいえ、ちゃんと義務付けられてい るんですからね。貴方の相棒さんは、休戦期に入った直後に済ませて たわよ」
「え?舞、君まだやってなかったの?」
いつの間に来たのか、お昼の手作りサンドイッチを片手に、速水が話の輪の 中に入ってきた。
「速水…貴様さては、夏休みに入ったと同時に、きっちり宿題 をやり始めていたタイプであろう」
「…別に、僕の性格と君が奉仕活動やってないのは、関係ないじゃない」
筋違いの不平を聞いて、速水は苦笑しながらサンドイッチを彼女に手渡す。
「ウフフ。速水サンは、ワタシと一緒ニ奉仕活動ヘ行きましたデース」
来須に紅茶を渡しながら、更に小杉も加わってきた。
「…何処へ出かけた?」
「隣町の託児園デース。ワタシ、子供達ニ絵本読んだり、速水サンと一 緒にお菓子作りマシタ」
「……なるほど。それなりの適所適材という訳だな」
サンドイッチをパクつきながら、舞は、原から渡されたプリントに目を通した。
そこには、『奉仕活動』の実習場所のリストが、ひととおり挙げられていた。
「この中に、私に見合う実習場所があると良いのだが」
「…あれ?どうしてこの施設の横には『5121小隊不許可』って、書いてある んだろう?」
「……言わずと知れた事だ。その施設の名前を読んでみろ」
舞と頬を寄せ合うようにして、書類を覗き込んでいる速水に、些か物騒な視線 を送りつつ、来須が答える。
その言葉を聞いた速水は、改めて書類に目を通し、そして納得の表情を浮かべた。
「…あはは。何となく判るような気がするね」
『子供野球教室』『バッティングセンター』など、芝村の末姫の伝家の宝刀 とニアピン・ニアミスする施設には、ひとつ残らず『5121小隊出禁』の注意 書きがあったのだ。

「うーむ…私の行きたい所には、すべて出禁と書いてあるし…どうしろというのだ」
その原因が自分にあるとは露ほどにも思わず、右の親指と人差し指で、顎と頬を 挟む。
益々照りつけてくる真夏の太陽に、次第に舞の思考回路は麻痺してきた。
「……お。もうここでいい。これに決めた。出禁の表示もついてないし、今の季節に ピッタリではないか」
「何処にしたの?」
原の問いに、舞は無言で、書類の一番下に記されていた施設を指す。
その場所を確認した来須は、思わず帽子の下で瞳孔を開いた。
「判ったわ。先方には私から連絡しとくから、早速明日向かっ てくれる?」
「是非もない」
「俺も行こう」
続いて聞こえてきた来須の声に、原は面白そうな顔をする。
「……あらそぉ?…ま、いいんじゃない?来須くんもそこにするのね?」
「ああ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!来須先輩、まさかそれが狙いじゃない でしょうね!?」
「違う。俺も未だ、奉仕活動をしていないからだ。それに、俺には 従者として主(あるじ)の供をする義務がある」
「嘘だ!怪しい、絶対に怪しい!」
「変な勘ぐりはよせ」

わめく相棒と、鬱陶しそうにそれをかわす従者を尻目に、舞は明日の準備を する為に、小杉を連れて引き上げていく。

『熊本城下プールの監視及び整備』
それが、彼女の決めた奉仕活動の実習先であった。


翌日。
「芝村舞さんと、来須銀河くんだね。今日は1日、よろしく頼むよ」
「判った。任せるがいい」
施設の所長に挨拶を済ませると、さっそくふたりは実習に取り掛かった。
来須はプール周辺の清掃を、そして舞は監視員として監視台に向かう。

「ふたりとも、真面目に活動しているようですね。いや、結構」
「でも、水着じゃないのは、どうもロマンチックに欠けるわよね」
「その方がいいよ。僕だって見た事ない舞の水着姿を、来須先輩なんかに 見られてたまるもんか!」
一方、大人用プールの一角では、何やらあやしい集団が、彼らの様子を窺っていた。
パラソルの下で、日焼け止めを塗りつつ若宮から渡されたドリンクを飲む原と、 麦藁帽子にアロハに短パン姿の善行は、妙に慣れた仕草で、舞たちの行動を逐 一チェックし始め、プール客に紛れながら、速水は来須そっちのけで、監視台 に腰掛ける舞の姿を、オペラグラス越しに眺めていた。
「ああ、舞…その短パンから除いた太ももと、女の子にしては寂しい凹凸が、 今日もステキだよ……」
とても美少年のものとは思えない科白を、速水はうっとりと呟いた。


「そこの同伴者!水の中で破廉恥な行為は控えぬか!」
「こら、小学生!飛び込みは禁止だぞ!泳ぐ前の準備体操はどうした!?」
少女にしては、妙に威厳に満ちた声が、施設内では一番広い家族用大プ ール一帯に響き渡る。
「まったく…校外実習とはいえ、プールに来て水に入れないというのは、どう したものか」
ため息をひとつ吐くと、舞は手にしたメガホンを椅子の上に置いた。
片手で汗を拭いながら空を仰ぐと、休戦期前に見ていたどす黒い色とは打って変 わって澄み渡った青が、視界一杯に広がってくる。
「……空とは、こんなに美しいものだったのか」
この紺碧の空が、『あの男』に続いているものだという事に、些か腹も立つが、 たまにはこういうのも悪くはない、と思った。
「…『青』か……」
『青』といえば、はるか彼方にいる『あの男』とは別の青の持ち主が、今の彼女 の周囲には存在する。
果たしてそれは偶然か、運命か。
そして、自分の中に入り込んでくる『青』の持ち主たちに、奇妙な心地よさを 感じてしまうのは……
「交代しようか。来須くんと一緒に休憩に行っといで」
監視台の下からかけられた声に、舞は思考を中断させた。
「結構大変でしょう?ちょっとだけなら、今から泳いでも構わないよ」
「…気持ちだけ受け取っておこう。実習とはいえ、今日の私たちは客ではない」
職員の好意に、舞は微笑みながら首を振ると、監視台の梯子を下り始める。
すると、いつの間に来ていたのか、来須が手を差し出してきた。
「少し、焼けたのではないか?」
「…ずっと太陽の下にいたからな」
来須の手を借りて地面に降り立った舞は、小さく礼を言うと、彼を置いて売店へ 向かった。
「炎天下で作業をしていたのだ。今日は、紅茶よりもこちらの方が良いだろう」
やがて、戻ってきた舞の両手には、ふたつのスポーツドリンクが抱えられていた。
主(あるじ)の気遣いに、来須は短く謝辞を述べるとそれを受け取る。
プールなので、トレードマークの帽子を被っていない彼の瞳の『青』を間近に見て、 舞は己のヘイゼルの瞳を細めた。

「あら、何だかいいカンジじゃない」
「ちょっとー!ふたりとも近づき過ぎー!」
「いやいや。拳から始まる友情はありますが、果たして恋というものは…」
プールサイドの金網にもたれて休憩を取るふたりに、例の少年少女(?)の集団は、 思い思いのコメントを述べていた。
「夏は、人を大胆にさせるって言うけど…くっそー!こうなりゃ僕も、プールの 実習にしとくんだったーっ!」
もはや、『ぽややんな美少年』とは完全にかけ離れた言葉を叫ぶと、速水はガシガシと 頭を掻き毟る。
「あなたと来須くんとでは、完全にキャラもポジションも違うでしょう。それこそ 『適所適材』で、あなたに相応しいアプローチをした方が、良いと思いますが」
諭すような善行の言葉に、「それは判ってるけど〜」と、頬を膨らませた速水を見て、 若宮は小さく笑ったが、不意に空に立ち込めた雲を見て、眉を顰めた。
「…こりゃ、ひと雨来るかもしれんな」


若宮の予感が的中し、空を取り巻く暗雲は、やがて雷雨となってプール全体を襲い 掛かった。
激しい雨粒に、客達は声を上げて避難を始める。
『通り雨だと思われますが、安全の為に、皆様一旦プールから上がって下さい』
職員のアナウンスを背に、休憩を終えた舞と来須も、客の誘導にあたった。
ダイビング用のプールに向かった所で、舞は、見覚えのある小学生の集団に出会った。
「アナウンスが聴こえなかったのか?それに、そこのプールは深い。そ なたたちでは無理だ」
「──お姉ちゃん!助けて!」
「…何があった?」
雨だけが原因ではない、子供達の濡れた顔を見て、舞は少々厳しい声で質す。
「友達が…さっき、ダイビングプールに飛び込んで…そのまま…上がってこな……」
言い終らない内に、舞はTシャツと短パンを脱ぎ捨てて水着となると、子供を捜すべ くプールの中へ飛び込んだ。
僅かな水飛沫だけを残して、舞の身体は水の底へと吸い込まれていく。
「──舞!」
「…これは、ただ事ではありませんな」
「怪我人が上がってきたら、応急手当をしないと。誰か、救急箱!」
来須や、事態の異常に気付いた善行たちも、そのプールへと急行した。

目を凝らしながら、舞は子供の姿を捜し続ける。
悪天候に加えて、他のプールよりも水深があるので、益々視界が狭まっていたが、 人の生命が危険に晒されているという事実が、彼女の正義感に火をつけていた。
やがて、弱々しくもがきながら水中を漂っている、小さな人影を見つけると、舞は 背後からその身体を抱き上げた。
「ぁ…?」
「もう大丈夫だぞ」
子供を安心させる為に、舞は優しく微笑むと浮上する。
「舞!」
水面から顔を見せた主(あるじ)に、来須はやや硬い声で呼びかける。
「子供は無事だ。手当てを頼む」
「判ったわ」
原の返答に頷くと、舞は子供を支えながら、プールサイドまで立ち泳ぎで 近付いた。
腕を伸ばしてきた若宮に、子供の身体を預けた直後。
「…くっ!?」
突然、攣れたような痛みを脚に感じた舞は、次の瞬間、まるで引き摺られ るように、水の中へ沈み込んだ。
「舞?…舞!?」
速水の叫びも空しく、舞の身体は、まるで錘のように落ちていく。
自由の利かなくなった脚を、舞は懸命に戻そうとしたが、その前に息が続かず、 苦し紛れに気泡を吐き出すと、次第に意識が淀んでいくのを覚えた。

『空は…暗いままか。やはり…真の空の青を拝むなど、私には大それた 事だったのか……』
水底からぼんやりと見える空を、舞は不思議な気持ちで見つめ続ける。
冷え固まってきた身体をどうする事も出来ず、舞はそのまま意識を手放そう としたが、不意に全身を包み込むような感覚に気が付いた。
次いで、唇に優しく力強い温もりを覚え、閉じかけていたヘイゼルの瞳を見開く。
「…?」
「しっかりしろ」
視界に映った『青』の瞳に、舞の鼓動は一瞬跳ね上がる。
舞の身体を抱えながら、来須は水底から浮かび上がった。
「舞!」
よろけるようにして地面に下りた舞に、速水が抱きついて来た。
「速水…?どうしてここに…」
「そんなのいいから!良かった…本当に良かったよ〜!」
事態を飲み込めていない舞に構わず、速水は何度もしゃくり上げる。
そんな速水の身体を受け止めながら、舞は、ちらりと視線を動かすと、 何処か憮然とした来須の姿を眺めた。
「…何だ」
「いや…」
問い掛けられた言葉に、舞は首を振ると、身体を起こそうとした。
だが、脚の痙攣が治っていなかったのか、立ち上がりきれずに大きく姿勢を 崩す。
「──無理をするな。お前も、手当ての必要がある。行くぞ」
その時、素早い動きで、来須の腕が舞の身体を受け止める。
隣で喚いている速水を余所に、来須は彼女を背負うと、そのまま救護室に向 かって歩き始めた。


「…来須。先刻の事だが…そなた、私を助けた時に何をした?」
雨も上がり、西日を受けながら、舞はやや歯切れの悪い調子で、自分を背 負う男に問う。
来須は、暫し沈黙を通した後で、口を開いた。
「プールの底で…お前を見つけた。意識を失っているようだったので、人工 呼吸を……」
「……したのか?」
驚愕したような主(あるじ)の声を聞いて、来須は一瞬言葉を切る。
「……しようとしたが…その直後に、お前は目を醒ました」
先程よりも長い沈黙を置いてからの返答に、舞は、来須に気付かれないよう に口元を綻ばせると、あの時吹き込まれた吐息を思い出すように、 指で己の唇をそっと撫ぜる。
やがて救護室に到着すると、所長が、手を振りながら寄って来た。
「良かったよ!大丈夫だったかい!?」
「うむ。いらぬ心配をかけた。許すがいい……そなたも」
「気にするな。主(あるじ)を護るのは、従者の役目だ」
低い声で告げられた返答に、舞は小さく首を縦に振る。
所長に促されるように救護室へ向かおうとした所で、舞は一旦足 を止めると、救護室の壁に背を預けている来須に駆け寄った。
何事か、と首を巡らせてこちらを見る来須に、舞はヘイゼルの瞳を曰くあ りげに細めて、短く呟く。

「──意気地なしめ

再び背を向けた舞が、救護室へと姿を消した後、来須は反射的に唇を 指でなぞった。

それは、まるで愛しい者の感触を、確かめるかのように。


『来須×舞プールデート・速水+奥様戦隊のオプションつき』というリクエ ストだったのに、まだこのふたり付き合ってないじゃん…(おまけに、リクエス ト頂いたのが、プール似合い過ぎの季節だったのに、今は一体何月だよ;)待たせ に待たせた挙げ句、カップルじゃない話にしてしまって、申し訳ありません;
ラブラブなふたりも好きなのですが、個人的にはこういったチラリズム 萌え微妙な関係の方が心惹かれたりします。


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