『HEARTの気持ち・2』
挿絵:霧風 要(敬称略)



ある気持ちよく晴れた昼下がり。
「起立!礼!」
日直の号令で、午後の授業が始められた。教卓についた坂上が、ホント に見えてんだかどうかはさておいて、サングラス越しに学兵たちを見 回す。
「皆さん。お昼休みは有意義に過ごせましたか?それでは、これから 午後の授業を……」

みしっ。

足元から、何やら不気味な音が聞こえてきた。
「…今、何か聞こえなかった?」
「そういえば……」
一番前の席に腰掛けた滝川と速水のふたりが囁き合う。
その刹那、

ばきばきばきっ!

「うわああっ!?」
「キャーッ!」
激しい地鳴りとクラスメイトたちの悲鳴が入り乱れる中、1組側のプ レハブを支える柱が、ばっきりと折れた。


「どうですか?」
「…ダメですね。完璧に支柱がイカれています」
折れた柱を確認する為に、坂上は整備員詰所の床板を剥がすと、そこ から潜り込み、ライトを点けて中の様子を覗いた。
事態を聞いて駆けつけて来た本田に、坂上は短く説明する。
「オラ、お前ら!先生にばっかやらせてないで手伝え!今日の授 業は、予定を変更して校舎の修繕だ」
教師たちの様子を遠巻きに見ていた1組の生徒たちは、担任の声で はたと我に返った。
「判りました。それではみなさん、手分けして作業を開始しましょうか」
「はいっ!」
善行は眼鏡を掛け直すと、一同にてきぱきと指示を与え始めた。
「若宮くんと来須くん、瀬戸口くんは、裏庭の資材を運んできて下さい」
「うむっ!」
「…ああ」
「──俺もか?力仕事はなぁ…」
「加藤さんは、業者に報告と新しい資材の発注をお願いします」
「がってん承知や」
「速水くんと滝川くんは、女子校の工具室から修繕に必要な道具 を借りてきてくれますか?」
「判りました」
「うぃーっす」
「残りの皆さんは、私と一緒に詰所の整頓です。石津さん、作業の 邪魔にならないよう、移動させる備品を教えて下さい」
「判った…わ……」
「はーい!ののみ、お手伝いしまーす!」
「皆さんで手分けして、頑張りましょう」
「…ふむ」
舞台を戦場から学校に変えても、実戦班である1組のチームワー クは健在であった。


「見えますか、先輩?」
「……もう少し、灯りを右にずらしてくれ」

坂上に代わって床下に入った来須は、床上から滝川の照らすライ トを頼りに、柱の折れた箇所を確認していた。
「頭打たないように気をつけろよー」
本田に言われるまでもなく、来須は器用にその身を屈めながら、修繕 に必要な箇所の点検を続ける。
「…どうだ?」
「支柱に使われていた柱の内の二本が、完全に折れ曲がっている」
若宮に問いに、来須は無表情に答える。
「と、いう事は…それに代わる新たな支柱をこさえる必要があります ね。箇所が箇所だけに、正確に寸法を測ってからにしましょうか」
善行の呟きを聞いて、石津が詰所の道具箱から、裁縫用のメジャーを 取り出した。
「来須、私が計測をしようか?大柄なそなたが床下にいるよりは、私 の方が何かと小回りがきくと思うのだが」
石津からメジャーを受け取った舞は、床穴の傍まで足を進めると、下 にいる来須に声を掛ける。
だが、
「……女の出る幕ではない」
些か不器用な言葉を操りながら、来須は舞の申し出を辞退した。
いくら彼女が、すべてにおいてほぼエキスパートを誇る人物だと知って いても、大切な主(あるじ)に、暗い床下での作業をさせる訳にはいか なかったからである。
素っ気無い守護者の返答に、舞はその形の良い眉を不機嫌に歪めた。
思わず、手にしたメジャーを握り締める。
「ぎんちゃん、『だんじょさべつ』はめーなのよ」
「おいおい、もうちょっと言い方ってモンがあるだろうが」
「ちょっと、来須先輩!舞を侮辱するような物言いは、僕が許さない からね!」
途端に、三種類の男女の声が、床下の来須に向かって浴びせられた。
来須は帽子を被り直すと、黙って作業を続ける。
舞は、握り締めたメジャーを手の中で二、三度弄ぶと、床穴の下へとそ の身を躍らせた。音も立てずに来須の背後に回ると、チキチキとメジ ャーを伸ばす。
「…舞?上にいろと言っただろ……」
舞の気配に気付いた来須が、眉を顰めて振り返ろうとした矢先。

「───84.5センチメートル」

伸ばされたメジャーが、来須の腰回りを一周すると、努めて無機質な舞 の声が、来須の鼓膜を刺激した。
「……!?」
突然の出来事に、来須は身体を硬直させた。首を巡らすと、自分の尻 に回ったメジャーを呆然と見つめる。
「そなた…男にしては、意外と腰周りが豊かなのだな。その手の皆様が 大喜びする事確実だぞ」
メジャーを元に戻しながら、舞はわざとらしく両の拳を口元に当てて、 含み笑いを浮かべてきた。
「……」
あまりにも馬鹿馬鹿しい姫君の戯れに、来須は一気に身体中に脱力感 が襲ってくるのを覚えた。思わず地べたにぺたりと坐り込みながら、 舞の方は見ないで後ろ手にメジャーを受け取ると、黙々と柱の計測 をする。

「ふえぇ。ぎんちゃんって、おしりがおっきぃのぉ?」
床穴を覗き込みながら、ののみが自分の身体を支えてくれている瀬戸 口に、無邪気な質問をする。
「うーん…来須は、元々身体がデカイっつーのもあるんだけど…男にし ては、やっぱり大きい方かな」
「男でも、84.5センチとか言われると、何だかちょっぴりときめいち ゃわない?」 (←ないない:作者註)
「変な言い方すんなよ!例えおケツが85センチあっても、先輩がカッコ イイのは、変わりないんだからな!」
「増えてる…わ……よ……」
「来須……お前そんなに腰回りあったのか……?」

詰所の床から聞こえてくる小隊メンバーの声に、来須はいつもより深く 帽子を下げると、極力無表情を決め込んで、舞と共に作業を続けた。



2時間後。
「皆さん、本当にお疲れ様でした」
柱を交換・補強して床板を塞ぐと、1組のメンバーは、善行の言葉に小さ く歓声を上げて応えた。
「よし!ご褒美として、俺が皆にジュースを奢ってやる。ホラ、これで 好きなモンを買って来い。釣りはお駄賃だ」
「はいな!毎度、おおきにー!」
本田から金を渡された加藤は、壬生屋を連れて、売店まで足取りも軽や かに向かっていった。
「…今日は、本当にご苦労様でしたね。工具は私と本田先生で戻しに行 きますから、皆さんは放課後までゆっくり休んでいて下さい」
僅かに微笑みながら、坂上は工具箱を担ぐと、本田と共に詰め所を後 にした。
「やれやれ、どうにか無事に終わって何よりだな」
そう言うと、舞は小さく声を出しながら、両腕を上げて伸びをする。

その時。
チキチキ、と何処かで聞いたような音と、背後に何やら気配を感じた舞 が振り返ろうとすると。

「───79.7センチメートル」

しゅるっ、と胸元にメジャーが回ったかと思いきや、不気味な程冷静 な来須の声が聞こえてきた。
思いもよらぬ光景に、小隊のメンバーが、一斉にこちらを振り返る。
「な…な…なな……」
あまりの事に、腕を下ろすのも忘れて、舞は口をパクパクと動かしていた。
ヘイゼルの瞳を一杯に見開いた舞に、来須は憮然とした表情で言葉を
続ける。
「……このサイトの『主人公紹介』に出ていたお前のプロフィール」
「…うっ……」
「俺の記憶に間違いがなければ、確か80センチと出ていたような気が するぞ」

「……たったの0.3センチくらい、いいではないかーっ!」

メジャーを使った「寡黙で屈強のスカウト」と「電脳の騎士」の極めて低 レベルな争いに、一同は固唾を呑んで見守っている。
舞は、思わず胸元を隠しながら、来須の青い瞳を睨みつけていたが、
やがてじわり、と目尻に涙を滲ませると、

「どうせ私の胸は、来須の尻より薄いのだーっ!」
「…だから、何故そこで俺の尻を引き合いに出すんだ!」


うわああああ、と魂の絶叫と共に、小隊一男らしい(註:褒め言葉)泣き っぷりを晒しながら、傷心の姫君は、詰め所を飛び出していってしまった。
残された姫君の胸よりも豊かな腰周りの持ち主 である来須は、呆然と立ち竦みながら、野次馬たちの小言を聞 く羽目になる。

「ぎんちゃん!また胸の事でまいちゃんを泣かせたのよ!」
「来須先輩!やっていい事と悪い事があるっていうの、判ってる!?」
「壬生屋さんがいなかったのが、せめてもの救いでしたね……」
「よっ、女泣かせ。いくら相手が芝村でも、泣かせちゃダメだぞ♪」

───この時来須が、「泣きたいのは、俺の方だ」と言わなかったのは、 充分賞賛に値するべき事であっただろう。


一方、その頃の舞は。

「…何かあったのでしょうか?」
「さあ…何や『触らぬ神に何とやら』ちゅー、感じやねぇ……」
買い出しに来ていた壬生屋と加藤、そして僅かに顔を背けて他人の フリを決め込んでいる、売店のおねーさんをよそに。

「いつか…いつかサバ読まなくても、立派に80の大台に のってみせるんだから……」

閉店間際のカウンターでは、いつの間に 拉致して拾ってきたのか、 ブータを背負った芝村の姫君が、完全泣きベソ状態のまま、本日2 本目の牛乳を飲んでいた。


>>BACK