1999年3月4日。

「あなたが来須銀河さんですね」
義姉の小杉ヨーコから少し遅れて、来須は学校に到着した。
彼女は、今日から自分たちの雇い主でもある芝村一族の姫君に、挨拶 をする必要があると言っていたが、学校に行けば会えるのだから、と 来須はヨーコに同行しなかったのである。
バスから降りると、ひとりの若い女性が来須を出迎えた。副担任の芳 野春香と名乗ったその女性は、ひととおり挨拶を済ませると、来須を 校舎へと案内する。
女子戦車学校に間借りをした、まるでバラックのようなプレハブ校舎。
これが、来須の所属する5121独立駆逐戦車小隊であった。


昨夜、若干不自由になった片足を動かしながら宿舎に戻ってきた来須は、 ヨーコに散々説教をされながら、改めて治療を受けた。
「…デモ、この程度の怪我で済んで良かったデス。もしも又その人に会 えた時には、きちんとお礼ヲ言うのデスヨ」
来須が遭遇した出来事を掻い摘んで説明すると、ヨーコは「この街に、 そんなサムライがいたのですか」と、瞳を輝かせていた。
今の状況を考えると、昨夜の少女と再び会うのは難しい事ではあるが、 来須は義姉の言葉に同意した。
会えるものならば、もう一度会って礼を言いたい。
そして、彼女の事を色々知りたいという純粋な興味が、彼の中に芽生え ていたのである。


芳野に校舎内やハンガーの場所を教えてもらいながら、来須は最後に自 分の教室まで連れてこられた。
「ここが、あなたの教室です。隣の2組には、整備兵の皆さんがいます。 あなたの1組は、あなたと同じ実戦班の学兵で構成されています」
来須が教室の一番後ろの席に着くと、程なくしてやたらと派手な女教師が、 マシンガンを片手に現れた。
「本田節子」というごく平凡な名前に反して、その言動は凄まじい以外 の何物でもなかった。
1組の生徒全員が、本田からマシンガンの洗礼を受けた後、生徒たちの自 己紹介が始まった。
5121小隊の司令にして、学校では委員長も務める善行忠孝。オペレーター にして、自称美少年の瀬戸口隆之。滝川陽平、加藤祭…と次々自己紹介 がなされていく。必要以上に喋る事の苦手な来須にとっては、あまり心 地良いものではない。
士魂号1番機パイロットである、和装の少女壬生屋未央の自己紹介が終 わると、来須の前に坐っていた女生徒がすっと立ち上がった。
高い位置で結ばれたポニーテイルが、その反動で僅かに揺れる。
女生徒は、小さく息を吸うと次のように言った。

「舞だ。芝村をやっている」

それまで、何処か気だるげに話を聞いていた来須は、その声を聞いて弾か れたように顔を上げた。思わず前方の女生徒の背中を凝視する。
昨夜の華美なドレス姿とは打って変わった、小隊の制服を身に纏い、背中 まで伸ばされていた黒髪は、色気の欠片もない白いヘアゴムで束ねられて いる。
だが、その小柄な身体から醸し出される雰囲気と、そして忘れるにはあま りにも印象が強すぎる凛とした声は、紛れもなく昨夜の少女のものであ った。
『こいつが……』
守護の対象である芝村の姫君が、まさか昨夜自分を助けたあの少女だ ったとは。
隠し切れない衝撃に、来須は帽子の下で目を数回瞬かせた。

「…いけ好かないな。俺は真面目じゃないかもしれないが、味方殺しと同 じクラスになる程落ちぶれちゃいないぞ」

端正な顔を歪ませながら、瀬戸口が、嫌悪感もあらわに舞と名乗った少女 を睨み付けた。
「我が一族は、我が一族の敵しか殺さぬ」
「…ったく、戦場以外にも、こんな気の抜けない輩と一緒に机を並べなき ゃならんとはな」
「───諦めろ。私も我慢をしているのだ」
鋭利な視線も意に介さず、舞は平然と言葉を綴った。その不敵な態度に、 瀬戸口は尚も雑言を吐こうとしたが、善行に止められる。
「──許して欲しいですね、芝村さん」
「許そう、委員長。誤解されるのも、我らの責務のうちだ」
善行と会話をする舞に、クラスメイトの大半が、ひそひそと互いに囁き始 めていた。
『味方殺しの芝村』『あの一族の末姫』…いずれも、素晴らしく悪い評判 ばかりである。

「おめーら!おしゃべりなら休み時間にしろ!」
本田が再びマシンガンを構えると、教室は水を打ったように静まり返った。
それを聞いて、舞は無言で席に着く。
だが椅子に坐る直前に、舞は顔を僅かに動かして、来須の方を見た。そし て、一瞬だけ表情を和らげると、小さくウインクをする。
「…!」
来須がリアクションを返す間もなく、舞は元の表情に戻ると、再び来須か ら背を向けた。


「…驚いたぞ。まさか、こんなに早くそなたと再会できようとは」
「……俺もだ」
昼休み。クラスメイトたちが昼食を取りに方々へ出掛けていく中、来須と 舞のふたりは、腰掛けたままの状態で、静かに再会の挨拶を交わしていた。
こちらを見つめる舞のヘイゼルの瞳が、嬉しそうに細められる。
「傷の具合はどうだ?」
視線を少し落とすと、舞は小声で来須に尋ねてきた。白い包帯に覆われた 足は、もう殆ど痛みはない。それでも、傷口が完全に塞がるまでは保護し ておけと、ヨーコに言われている。
「異常はない。応急処置が早かったからだと言われた。お前のお陰だな」
「そうか。それは良かった」
舞は満足そうに微笑むと、来須に右手を差し出した。
「改めて自己紹介をする。私は舞。芝村舞だ」
「…来須銀河だ」
来須は口元を僅かに綻ばせると、その手を軽く握り返した。
「銀河に陽子…星の申し子に太陽の娘、といったところか。私の傍に星も 太陽もついているとは、心強い事だ」
「───何故、それを?」
舞の言葉を聞いて、来須は片方の眉を吊り上げた。
「小杉は、今朝早く私の所へ挨拶に来た。…優しい良い女だな。そしてそ なたたちは、我が一族に招聘されし者たちだ。昨夜、従兄からそのように 聞いていた。私を守護する者だとな」
訝しがる来須をよそに、舞は言葉を続ける。
「…だが、そなたたちは好きにするがいい。所詮私は『存在』とやらを育て 上げる為の、運命の歯車だ。そのような茶番に、そなたたちが付き合う必要 などない」

まるで、今日の朝食のメニューでも説明するかのように、舞は己に課せられ た宿命を、さらりと言ってのけた。その表情には、自暴自棄も絶望の影もな く、いっそ清々しくすら感じられる。

「お前は…何処まで知っている?」
十数秒の沈黙の後。来須は重い口を開くと、舞に問いかける。
「さて…な。ただ、私は見てみたいのだ」
来須の質問に、舞は片手で頭を掻きながら、軽く口元を歪める。
「…?」
「自分も含めた…人間の可能性というものをな」
そう言って肩を竦めると、舞は小さく息を吐きながら立ち上がった。
「───とにかく、私はこれから私の出来る事をするだけだ。ついて来い。 そなたが私の守護者というのなら、早速命ずる事がある」
「何だ」
凛とした彼女の背中に、来須は再度問いかける。
「…昼食だ。『腹が減っては戦が出来ぬ』というであろう?」
そう答えると、舞は悪戯っぽく笑った。

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