「おお、ご両人。今日も仲睦まじげで結構な事だな」

朝。ヨーコと共に学校に訪れた来須は、プレハブの階段で出会った舞に、 冷やかし交じりの声を掛けられた。
舞の言葉を聞いて、ヨーコは少し照れくさそうに微笑んだが、来須は何処か 不機嫌そうに横を向いた。
舞は、自分とヨーコの仲を勘違いしている。来須は、諸々の事情で彼女と一 緒に暮らしているが、彼にとってヨーコという女性は、頼りになる義姉で あり、家族のような存在であった。───もっとも、それ以上の感情はな い。
来須の態度に舞は少しだけ首を傾げたが、やがて小さく手を上げると、階 段を上がって教室の中へ消えていった。
来須もまた、教室へ向かおうと足を動かす。
だがその時、

『201v1、201v1、全兵員は現時点をもって作業を放棄、速やかに教室に集 合せよ。繰り返す……』
スピーカーから、幻獣の襲来を告げる警報が響いた。


舞は、ウォードレスに包まれた手足をひとつひとつ確かめるように動かし た。自分にとって締め付けが激しい強化人工筋肉に、身体をどうにかなじ ませる。
『まずは、試してみなくてはな。この身体が、一体どこまで持ちこたえら れるのか…』
相棒の速水と士魂号3番機に乗り込んだ舞は、計器を確認しながら、ふと 眼下に視線を動かした。
そこでは、スカウト用のウォードレスを身に纏った来須が、若宮と一緒に 武装の確認をしていた。
「………」
己の口元を僅かに綻ばせると、舞はヘッドセットを装着し、士魂号のシ ステムを起動した。左手の多目的結晶をコクピッドのソケットに接続し、 士魂号に意識を渡す。すると、眼前に「グリフ」と呼ばれる、本来なら昏 睡境界面で僅かな合間しか見る事の出来ない映像が広がった。
半ば夢心地のような意識の中で、舞はその風景を眺めていた。永劫の星空。 広大な銀河が、あまたの星を輝かせている。

『銀河……か』

不意に、舞の脳裏にあの夜の出来事がよみがえる。
あの時。咄嗟に駆け寄って受け止めたあの男は、流星のように輝いて見え た。
青い瞳に黄金の髪。それは、まるで御伽噺に登場する、何処かの星からや って来た王子様を思わせた。
まさか、その男と同じ戦場を駆ける日が現実に訪れようとは………
「───いかん。連想ゲームをしてどうする。…まったく、私もヤキが回 ったか」
舞はぼそりと独り愚痴ると、意識をヘッドセットのゴーグルに戻した。


「───見えてきたよ」
前席から、相棒である速水の声がした。建物の向こう側から、シュミレーシ ョンのバルーンではない、幻獣の軍勢が現れた。数にして約20体。
『幻獣のデータを送信するのよ』
指揮車から、オペレーターであるののみの通信が入ってきた。
『気を付けて欲しいのは、3体いるゴルゴーンなのよ。あとは、そんなに 強い幻獣じゃないからだいじょうぶ。がんばって、死んだらめーなのよ』
幼いながら、懸命に呼びかけてくる彼女の声は、学兵たちを奮い立たせた。
続いて、瀬戸口の声も入ってくる。
『…ま、そういうこった。オフィス街のここは、ビルの密集地帯だ。建 物を利用した戦い方が理想的だが、迂闊に鉢合わせすると接近戦にもつ れ込んじまうから、注意が必要だぜ』
『──判りました』
『おっしゃ、いくぜ!』
オペレータからの通信を聞いて、機動力に優れた壬生屋と滝川の士魂号が、 ビルの合間をぬって、敵陣に向かっていった。
「…舞。3番機はジャンプでビルを越えながら行くよ。Gが来るから気を付 けてね」
「是非もない」
そう答えると、舞はオペレーターから入手した敵の情報を分析した。

「……?」

舞は、自分の首筋に嫌な汗が流れてくるのを覚えた。コントロールパネル に視線を走らせる一方で、異様なまでの興奮と闘争心が、自分の中で暴れ 回る。
『───クッ!』
舞は、それを無理矢理自分の理性で封じ込めた。意識を計器に戻すと、 敵の行動を予測しながら、自機にとって一番有利なポジションを計算す る。
「…速水。2ブロック先のビルから射撃を開始しろ。敵陣から突出してい るナーガとゴブリンを片付ける」
「それよりも、先にゴルゴーンに狙いを付けた方が良くない?壬生屋と 滝川もいるんだし、雑魚はふたりに任せても……」
ウォードレスを着用した時に吸入した薬のせいか、速水もいつもより好 戦的になっていた。確かに彼の言う事も一理あるが、無理をしていらぬ 損害を出す訳にはいかない。
「───目の前の敵も片付けられないで、大物を狙うなどと考えるな。 これは、訓練ではない」
舞は、あえてきつい口調でぴしゃりと言い捨てた。
速水は、一瞬だけムッと顔をしかめたが、口には出さずにそのまま舞の 言うとおりにした。ジャイアントアサルトの照準を合わせると、慎重に 狙いを付ける。
「ナーガ、ゴブリン…共に射程内に入った。撃て!」
「いけぇー!」
舞と速水の操る3番機は射撃を開始した。銃声が轟き、幻獣が苦悶の叫び 声を上げる。一撃でゴブリンを倒した3番機は、続く連射でナーガも仕 留めた。
そのまま器用にビルの谷間を飛び越えると、先に幻獣と戦闘を繰り広げ ていた壬生屋たちに合流すべく、歩を進めた。


来須は、若宮と共に小型幻獣の掃討に当たっていた。機関砲を構えると、 弾丸を発射する。
「……」
来須の脳裏に、ふと初めて舞に会った夜の事が浮かんだ。
『───いずれ、何処かの戦場で会えるやも知れんな』
決して自惚れていた訳ではない。だが、自分を助けた少女の瞳は、思わず 来須が目を見張るほどの強さを秘めていた。
あの夜から、彼女の事が頭から離れない。恋や愛とか単純なものではなく、 来須の中の全てが舞を求めていた。

「……お前は覚えているか?」
弾倉を交換しながら、来須は小さく呟いた。


「さっさとくたばりやがれ!」
「滅びなさい!」
建物の死角をついて、滝川はアサルトの2丁拳銃で、幻獣に傷を負わせて いた。
壬生屋も、超硬度大太刀の二刀流で幻獣を斬り捨てる。
「やっと合流できたね」
パネルのマーカーを確認しながら、速水が後席の舞を振り返る。
舞と速水の士魂号は、ビルを挟んで敵軍の密集地帯に到着していた。
「滝川も壬生屋も頑張ってるね。さて、僕たちも負けてられないよ。 ミサイルの用意をして!」
「…ちょっと待て。その前にやる事がある」
「え?」
出鼻をくじかれた速水をよそに、舞は通信機のスイッチを入れた。
「こちら3番機。今から対レーザーの煙幕を展開、後にミサイル掃射に 入る。…壬生屋」
『──はい?』
思わぬ名指しの声に、壬生屋は語尾を上げながら返答した。
「敵軍の撤退線付近に、ゴルゴーンが孤立している。そちらに向か ってくれ」
『……貴女にそんな命令をされる覚えは、ありませんけれど』
通信機越しでも棘のあるのが判るほど、苦々しい壬生屋の声が返って きた。だが、舞は構わずに通信を続ける。
「足の遅い3番機では、こちらの奇襲に気付かれてしまう。滝川のアサ ルトでは決定力に欠けるし、そなたの1番機の機動力と攻撃力ならば、 敵に合流される前に仕留める事が可能だ」
『………』
「あの幻獣と一騎打ちが出来るのは、そなただけだ。頼む」
『一騎打ち…ですか。良い言葉ですよね……』
舞の言葉を、壬生屋は自分の舌で反芻させた。不意に緩んでしまった 口元に気が付くと、あわてて頭を振る。
『判りました。ここは譲りましょう……ただし!あくまでも戦闘を有 利に進める為ですよ!貴女の言う事を聞いた訳ではありませんからね』
「それでも構わん。感謝する」
通信が切れる間もなく、1番機は方向を転換すると、敵陣を飛び越えて いった。
士魂号の名に相応しく、現代に甦った異形のサムライは、ビルの向こう の敵将へと一直線に駆けていく。
『…やるな、お姫様。壬生屋のお嬢さん、口ではああ言ってたけどや る気満々だったぜ』
指揮車の通信機から、瀬戸口が話し掛けてきた。続いて、善行の声 も聞こえてくる。
『まったく…貴女という人は。私が言いたかった事を、他愛もなく やってのけましたね』
「───当然であろう?私は芝村だ」
不敵な笑みを浮かべながら、舞は何処かおどけた口調で返す。
士魂号に新たな挙動プログラムを入力しながら、舞は速水に声を 掛けた。
「速水」
「何?」
「…待たせたな。我々も行くぞ」
「……うん!」
舞の声に、速水は元気良く答える。眼前に幻獣の群生が広がって いたが、気分が高揚している為か、不思議と恐怖はなかった。

「…ぅ……」

一方の舞は、先程から止まらない頭痛にヘッドセットの中で顔をしか めていた。
『…耐えろ、耐えるんだ!』
自分の精神力を総動員させながら、舞は必死に自分に言い聞かせる。
ミサイルの発射を終え、地区一帯の幻獣が全滅しても、彼女の悪寒は 治まらなかった。


その日の戦闘は大勝に終わった。大した損害もなく、初陣にしては中々 の成績に、学兵たちは歓声を上げた。
「勝ったんですね、私たち」
「やったよな!」
士魂号から降りた壬生屋と滝川は、満面の笑みを浮かべる。続いて3番機 から降りてきた速水を見つけると、滝川が興奮冷めやらぬ様子で話し掛 けてきた。
「速水ー!お疲れ!」
「お疲れ様」
速水はそう言うと、滝川に笑みを返す。
「───そういえば、芝村は?」
「……さっき、足早に出て行っちゃったんだ。何かあったのかなぁ」
「大方、トイレじゃねぇの?あいつも一応女なんだから、余計な追及は野 暮ってモンだぜ」
「セクハラですよ、滝川くん」
滝川の揶揄に、壬生屋がすかさず釘を刺す。
そのまま3人は暫く話し込んでいたが、舞は戻ってこなかった。

「う…うぅ…げほ……っ」
誰もいない深夜の女子トイレの洗面台に、舞は半ば突っ伏すようにその 身を預けていた。
小隊の仲間の目を避けるように女子トイレまで駆け込んでから、舞は激 しく嘔吐を繰り返していた。胃液まで吐き尽くしても、悪寒と頭痛が止 む気配は一向に訪れない。
『これが…彼らと私の決定的な違いか……私に…この薬は……!』
ウォードレス着用時に注入された、戦闘用に開発された一種の興奮剤。
第6世代である彼らの為だけに作られたその薬は、舞にとっては劇薬以外 の何物でもなかった。
異様に渇いた口の中をすすごうと、舞は震える手で蛇口を捻ると水を出 す。だがそれを口に運ぶ前に、何度目かの吐き気が襲った。苦痛の呻きを 漏らすと、洗面台に新たな吐瀉物を撒き散らす。
『私は…負けぬ…負ける訳にはいかぬ…たとえ…そなたが相手でも……!』
ゼイゼイと荒い息を繰り返しながら、舞は新たに襲ってきた頭痛を懸命に 堪えていた。

同僚の若宮と別れた来須は、舞の姿がどこにもいない事に気が付いた。
他のパイロットたちに聞いても彼女の行方は判らず、何となく気になって 校舎内を歩いていると、廊下から微かだが苦悶の声が聞こえてきた。
「──?」
声のした方向に足を進めた来須は、女子トイレの入口に無造作に伸ばされ た2本の脚を見つめた。
何事かと歩を急がせると、来須は信じられないものを発見した。
「……舞!」
そこでは、洗面台に上半身をもたれさせた芝村の姫君が、力なく横たわ っていた。いつもの生気にあふれた顔は見違えるほど青ざめ、高く結わ れたポニーテイルは、すっかり乱れてしまっている。
「どうした!しっかりしろ、舞!」
来須は舞の身体を起こすと、殆ど意識のない彼女の名を呼んだ。
数回名前を呼び続けると、やがて、舞がゆっくりと目を開けた。焦点の 合わないヘイゼルの瞳が来須を見止めると、喉の奥から振り絞るような 声を出す。
「……み…?」
「──何?」
「…た……が…み……?」
舞の口からその名を聞いた来須は、言葉を失った。

>>BACK     >>NEXT