意識の朦朧とした舞の口から、来須は信じられない名を聞いた。
「………」
果たして彼女は、幻に向かって語ったのか。それとも……

「───おや、やっと見つけました。こんな所にいたのですねぇ」

来須が思案にくれる間もなく、何処か緊張感に欠けた男の声が背後から した。振り返ると、2組の整備員である岩田裕が、踊りながら歩み寄 ってくる。
「岩田…」
「まずは詰所にレッツゴーです。いつまでも姫君を、このような所に置 いておくのはしのびなイィ」
言うが早いが、岩田は気絶した舞の身体を抱えると、己の左手から多目 的結晶を露出させ、そのまま瞬間移動をした。数秒遅れて来須もそれに 続く。
誰もいない詰所に移動を終えると、既に岩田が舞を仮眠用のベッドに 寝かせていた。「戸締りをして下さい」と言われて、来須はドアの鍵 をかける。

「有難うございます。真夜中ですが、誰かが入ってこないとも限りま せんからね」
「───岩田」
「判っています。聞きたい事があるのでしょう?…順を追って説明しま しょうか。あなたには知らせておいた方が良いでしょうから」

いつものおどけた口調とは打って変わった低い声で、岩田は眠る舞の 傍に腰掛けた。
「…それにしても大した精神力だ。よく戦闘中、暴走もせずに自我を 保てたものですね」
「?」
「彼女は…舞さんは、我々第6世代とはまったく異なる類の人間です。 ……本来ならとうの昔に絶滅したといわれる、オリジナル・ヒューマ ンに属する者」
「───バカな…!」
岩田の言葉に、来須は愕然とする。乱れた舞の前髪を整えながら、 岩田は説明を続けた。
「彼女があれほどの能力を所持しているのは、芝村から与えられたもの と、彼女自身の壮絶なまでの訓練の賜物です。我々以外の世代が纏えば 全身の骨を砕かれるウォードレスも、彼女は己を高める事によって、装 着を可能にした。誰もが羨む姫君の力は、涙ぐましいまでの努力の結晶 なのです」
「………」
「───だが、戦闘用の興奮剤は、流石の彼女も相当こたえたようです ね。私も、もっと早く気付けば良かったのですが……まぁ、吐き出す事 によって殆ど薬は抜けていましたから、このまま暫く休ませておけば大 丈夫だと思います。今後の戦いでは、私が彼女にプラシーボ(偽薬)を 処方する事にしますよ」
「……そうか」
そう言うと、岩田は舞の前髪から手を離した。来須は小さく相槌を打つ と、帽子を被り直す。

───信じられなかった。
かつて自分を力強く受け止めた彼女が、実は自分よりもずっとやわな人 間だったとは。
身体的にも能力的にも、自分たちとは明らかに劣る素質であった彼女は、 一体どれ程までに過酷な鍛錬を積んできたというのか。

「来須くん」
来須の思考を、低く硬質な岩田の声が止めた。
「何だ」
「…彼女から『イレギュラー』という言葉を聞いた事はありますか?」
「──いや」
聞き慣れぬ単語に、来須は眉をひそめる。
「そうですか……もしかしたら、その内に彼女の口からあなたに伝えら れるかも知れませんね」
「……それは何だ」
意味ありげに口元を歪める岩田に、来須はやや強い口調で尋ねた。
「残念ながら、私からはお話し出来ません。あなたが舞さんから直接聞 いて下さい。……念の為に言いますが、『訊く』ではありませんよぉ」
「……ぅ…」
その時。ベッドからか細いが舞の声がした。
来須と岩田は振り返ると、同時に安堵の息を漏らす。
「さて…すみませんが、3分ほど席を外してくれますか?私は、今から 彼女とお話があります。守護者であるあなたがいると、彼女はどうして も無理をするでしょうから」
「お願いします」と付け加えられて、来須は仕方なく詰所の扉にその大 柄な身体を預けた。暫くして、岩田が踊りながら出てくる。
「フフフ、お待たせしました。舞さんが、あなたとお話をしたいそうで す」
すっかり元の調子に戻った岩田と入れ替えに、来須は再び詰所の扉に手 を掛けた。

「──来須」
ヘイゼルの瞳を細めて、舞は来須を出迎えた。ベッドから上半身を起こ して、こちらを真っ直ぐ見つめてくる。
「本当にすまなかった。そなたにも迷惑を掛けたようだな」
「…そんな事は、気にしなくていい」
良く通る伸びやかな声が、来須の耳に届く。だが、今までの彼女の状態 を知っているだけに、その声は却って痛々しい。
「まったく、この私ともあろう者が士魂号のGに悪酔いするとは…パイ ロット失格だな」
「……?」
舞の嘘に、来須は訝しげに瞳を細める。
「流石に私も、初陣で緊張していたようだ。終わって気が緩んだ途端、 一気に来てしまってな……私はそなたに粗相をしなかったか?」
「……ない」
「そうか。それなら良かった」
心底安堵した表情で、舞は小さく微笑んだ。
「そなたも、今日はご苦労だったな。私の事はもう良いから、早く家に 帰るがいい。…小杉が心配しているぞ」
「……っ!」
何処までも自分を気遣う舞に耐え切れなくなった来須は、踵を返すと、大 股に詰所を後にした。
背後から舞の声が聞こえたような気がしたが、それを振り切るように足を 動かし続けていた。


「…芝村って、戦闘の後Gにやられたんだってね。……ったく、バッカじ ゃないの?パイロットのクセに乗り物酔いするなんて」
昼休みの食堂兼調理場で、新井木が容赦ない毒舌を披露していた。
「大体、主従関係だか何だか知らないけど、ボクの来須先輩をこき使うだ なんて、許せなーい!」
「…いつ、先輩がお前のものになったんだよ」
やきそばパンをほおばりながら、滝川が抗議の声を上げた。
「…るっさいな、バカゴーグル!とにかくボクは、断固芝村と対決する んだからね!」
「───どうやってですか?控え目に見ても、あなたと芝村さんとじゃ実 力的にも数値的にも、かなりの差がありますが」
弁当箱を片付けながら、善行がそれとなく新井木をたしなめる。
「ふ、ふーんだ!ボクだって、やる時はやるんだから!」
善行委員長の眼光に、新井木は僅かに身を竦ませたが、すぐに立ち直ると、 昼食の片付けもそこそこに小隊長室へと向かった。

「パイロットから引きずり下ろして無職にしてやれば、芝村もえらそーな 事は出来なくなる筈。よーし……」
通信機の前に腰掛けると、新井木は舌なめずりしながらスイッチに手を伸 ばす。しかし、

「…何をしているの?」
年上の女性の声が、新井木の動きを止めた。びくりと振り返ると、腕を組 んだ原が、彼女の背後に立っていた。
「下らない陳情なら、やめなさい。ろくな事にならないわ」
非難めいた原の視線をかわすと、新井木はわざとその丸い目を伏せて 言い返す。
「…ふーん。とても、ついこの間まで誰かさんをいじめていた人の言葉と は思えませーん。やっぱ借りがあるから、芝村に味方をするんですか ぁ?」
「───私は『小隊』の味方よ。彼女は貴重な戦力だわ。その彼女を遊ば せておく訳にはいかないの」
新井木の嫌味に動じる事無く、原は新井木を見下ろす。静かに、だが糾弾 する強い視線に、新井木は僅かにたじろいだ。
「だったら、遊ばせなきゃいいんじゃないですか?」
すると、小隊長室のドアから小さな人影が現れた。
「───どういう事?」
原は振り返ると、その人影を見た。絹のような金髪の少年は、悠然とした 足取りで中に進むと、新井木をどかせて通信機の前に坐る。
「…彼女にピッタリの職業があるじゃないですか、百翼長。この部署なら 乗り物酔いの心配もないし、戦力の低下もない」
喉の奥で笑いながら、少年は自分の髪を掻き上げる。
「茜くん。あなた……」
「───ただし、『生きてたら』の話だけど」

通信機のスイッチを入れながら、茜はその幼い顔には似合わないほどの、 残忍な笑みを浮かべた。

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