翌日。
小隊長室の掲示板には、思わぬ辞令が貼り出されていた。

“辞令  次の者を以下の部署に変更する。”
瀬戸口隆之   3番機パイロット
若宮 康光    オペレーター
芝村  舞     スカウト

「何ですか、こいつは……」
「───ちょっと待ってくれよ」
「……」
言葉は違えども、ほぼ同じ感想を漏らすふたりの男と、無言で辞令を 眺める少女がいた。
とても通常では考えられない人事であった。いくら部署の仕事が可能な 技能を所持しているとはいえ、体力勝負の若宮がサポート役に、誘導能 力を高く評価されている瀬戸口が逆の立場になるなど、ミスマッチにも 程がある。
そして何よりも、

「何なのさ、これ!複座型はパイロットの相性が第一なんだよ。たった 一回の出撃で配置換えなんて、どういう事!?」
何の前触れもなく士魂号のパートナーを変えられた速水が、彼にしては 珍しく憤然と声を荒げていた。
「…新井木。お前まさか……」
速水を宥めながら、滝川は何か思い当たる節があるのか、プレハブ2階の ベランダからこちらの様子を窺っている新井木を見上げる。
「───ボ、ボク知らないからね?第一、ボクにはそんな一度に3人も配 置換え出来るほど、発言力ないんだから!」
そう捲し立てると、新井木は逃げるように教室の中へ引っ込んでしまう。
「…これは参ったな」
舞は腕を組みかえると、ぽつりと小さく声を漏らした。


「……やってくれるわよね。空き部署を作らないように、技能所持者 をトレードするなんて」
外の様子を一瞥すると、小隊長室では、表情を険しくさせた原がデスク で頬杖を付く善行に視線を移す。
「とにかく、こんな人事は無茶苦茶だわ。早く元の状態に戻さないと」
「そうですね」
「のんびり言ってる場合じゃないでしょ。何か起こってからじゃ遅いの よ!早く上官に陳情するなり何なりしたらどうなの!?」
「あなたと同じです。私も、準竜師と連絡が取れません」
「…そんな……」
善行の返事に、原は愕然と表情を強張らせる。

あの時。茜の陰謀ともいえる配置換えを元に戻そうと、原は放課後に 再び小隊長室を訪れ、通信機に手を伸ばした。
だが画面に現れたのは、準竜師の不在を告げる副官のウイチタ・更紗 の姿だった。
仕方がないので一日待って、先程もう一度通信を試みたが、やはり結果 は同じだった。

「…考えましたね。それで変異体(イレギュラー)を始末出来れば、一 石二鳥という訳ですか……」
「何ですって?」
原の声に、善行は自分の思考がつい口をついて出た事に気付く。
「…ただの独り言です。とにかく、連絡が付かないのは仕方のない事 です。こちらはこちらで、出来る限りの事をしましょう」
「判ってるわよ。でも……」
「芝村さんが心配ですか?」
「え……」
続けられた言葉に、原が絶句する。
「この頃、随分物腰が柔らかくなりましたね。昔のあなたを思い出し ましたよ」
「───やめてちょうだい、今更」
大げさに肩を竦めると、原は善行の言葉尻を切った。
「私は、小隊の戦力バランスを心配しているだけよ。何だか速水くん も気が立ってるみたいだし……」
「───確かに、複座型は操縦者同士の相性が重要ですからね」
彼女の態度に、善行は眼鏡の奥でそっと瞳を細める。
「しゃくだけど、頼むわよ。あの準竜師と話が出来そうなのは、今の 所あなただけなんだから」
原はそう言うと踵を返し、小隊長室を後にする。
「……話だけなら、出来るのですがね」
静寂が漂う部屋の中で、善行はぽつりと呟いた。


「茜くん。ちょっと話があるんだけど」
2組の教室に訪れた速水は、席で本を読んでいる金髪の小柄な美少年の前 で足を進めた。
「…何の用だよ」
表情の硬い速水を面倒臭そうに一瞥すると、茜は再び手元の本に視線を 戻した。
「アレ……君の仕業だね?」
「何が」
「あの配置換えを陳情したのは」
速水はいつもとは若干低い声で、茜に詰問する。茜は本を閉じると、
「そうだよ。でも、そんな風に言われるのは心外だな。僕は、彼女の為 を思ってやったのに」
わざとらしくため息を吐くと、茜は伏目がちに速水を見返した。
「何だって?」
「先日の戦闘で、彼女がGにやられたのは知ってるだろう?戦闘能力の高 い彼女を戦力から外すのは、僕たちだって惜しい。だから、Gにやられな くてもすむような部署に変えてあげただけだよ」
飄々とした態度で、茜は憤慨する速水を軽くいなす物言いをする。
「話は終わり?じゃあ、もう行ってくれよ。僕は君の下らない話に付き 合っている暇はないんでね」
立ち竦む速水をあからさまに無視すると、茜は再び読みかけの本に目を 走らせた。
拳を握り締めながら、速水が大股に一歩踏み出そうとした時。

「それでは、私を相手にする時間はどうだ?」

凛とした声に、速水と茜は弾かれたように振り返った。
「そなたが、それほどまでに私の事を考えてくれていたとはな」
相変わらずの様子で両手に腰を当てると、舞は苦笑混じりに茜を見下 ろす。
舞の姿を認めるや否や、茜はその碧眼をまるで猫のように警戒の色に 染め上げた。
「……フン。お前に相応しい場所にしてやっただけさ。血に塗れて幻 獣と戦うなんて、いかにもお前ら一族にピッタリじゃないか」
速水に見せていた余裕も、舞の前では明白なまでにその美貌を嫌悪に 歪めている。
「───そうか。私は、随分と仲間思いの人間に担がれたものだな」
そんな視線を意にも介さず、舞は軽く腰を屈めると、まるで毛を逆立 てた猫のような茜に顔を近づけた。
碧色の瞳とヘイゼルの瞳が、しばし交錯する。
「……っ」
先に目を反らせたのは茜だった。舞の静かだが剛毅な光を放つ視線に、 耐えられなくなったらしい。
「それでは、私が幻獣に倒された時にはそなたが仇を取ってくれるか」
「な……」
舞は上体を起こすと、茜の横顔を面白そうに眺めた。
「ああ、すまぬ。そなたには無理だ。……子供には、スカウトのウォー ドレスなど着れぬからな」
「──!」
舞の揶揄に、茜は顔どころか全身まで真っ赤にさせる。
「速水、そろそろ失礼するとしよう。どうやら彼は、私たちの下らぬ話 を聞いている暇はないらしい」
あまりの怒りに言葉を失っている茜を無視すると、舞は速水を伴って 教室の扉に手を掛ける。
暫くして、日本語以外の少年の金切り声がふたりの背にぶつけられた。


突然の人事異動に、一時はアタフタとしていた小隊だったが、司令の善行 や副長の原の指示で、次第に元の調子を取り戻していった。
未だ納得いかない様子の速水を気遣いながら、瀬戸口はハンガーで士魂号 の調整にあたり、仕事場所を裏庭に変えた若宮は、ののみや他の技能修得 者たちと、懸命に作業に当たっていた。

そして舞は。
来須と共に、黙々と訓練メニューをこなしていた。
だだっ広いグラウンドで、その小柄な身体を無駄なく動かしている。
自分の後ろを走る舞の呼吸は、少しも乱れていなかった。決して楽ではな いスカウトの戦闘訓練も、彼女はそつなくやってのける。
これが本当に、あの夜自分の腕の中で倒れた少女だろうか。
そして、岩田が話していた『変異体(イレギュラー)』の意味とは。
「……?」
突然足を止めた来須に、舞は訝しそうに動きを止めた。
こちらを振り向いた来須に、舞は不思議そうな顔をする。
「……大丈夫なのか」
「──何がだ?」
押し殺したような声に、舞は眉を寄せながら来須を見上げた。
「お前は、この間倒れたばかりだろう。熱心なのは良いが、程々にした 方がいい」
「私の事なら心配いらぬ。先日は少々参っていただけだ」
「しかし…」
「そなた、さては岩田に何か吹き込まれたな?」
見透かしたような舞の言葉に、来須は横を向く。
嘘の下手な彼の態度に、舞は小さく苦笑した。
「……安心しろ。私は簡単には死なぬ」
何処までも穏やかな彼女の瞳に、来須は不意に胸が高鳴るのを覚えた。
「私は芝村だ。その私が、そう易々とやられたりすると思うか?」
「舞……」
「大丈夫だ。だから、そなたもつまらぬ事で気を揉むのはよせ」
舞は、瞳をアーモンドの形に細めると、来須の胸を軽く叩いた。
そして、来須の脇をすり抜けると、再び鍛錬を続けようと足を踏み出す。

「───つまらぬ事ではない」

その時、舞の背中に来須の声が響いた。
いつもより若干音量の大きな、そして、彼にしては珍しく僅かに感情を揺 らめかせた低い声が、舞の鼓膜を刺激する。
「来須…?」
「そんな事はない」
語尾を強めて、来須はもう一度舞に呼びかける。彼の言葉に、舞は足を止 めると、自分より頭ひとつ分高い男を見つめる。
「………」
帽子の影から、青い眼差しが舞を捉えている。
思わず舞の中で、彼の逞しい胸に縋り付きたくなる衝動が襲った。
だが。
舞は寸での所で踏み止まった。芝村らしかぬ行動を起こしかけた自分を 内心で諫めると、
「もう一度言う。私なら大丈夫だ。それより、これから戦闘ではそなた とコンビを組む事になるのだな。よろしく頼むぞ」
自信に満ちた表情を浮かべると、舞は来須に向かって微笑んだ。


「…どうあっても、彼女を戦わせる気ですね」

深夜。
誰もいない小隊長室で、善行は一般にはまず知られていない特別回線に 繋ぐと、モニタの向こうで薄笑いを浮かべている男を一瞥した。
「狙いは、変異体(イレギュラー)の合理的な抹殺ですか?確かに 戦死であれば、形式上では何も文句が言えませんからね」
『───善行家の男よ。そなたも仮に我が一族の系列にあるならば、 もう少し広い了見を持ってはどうだ?』
手を顔の前で組みながら、男は──芝村準竜師は口元を歪めた。
「彼女は、我が小隊に必要な戦力です。こんな所でみすみす死なせ る訳にはいかないのですが」
語気を強めながら、善行は張り詰めた空間の中、眼鏡の奥に隠れた 瞳を重圧に耐えるように細める。
『機研の女だけではなく、今度は我が従妹までも囲うつもりか? そなたにそれほどの腕も度量もあるとは、到底思えぬが』
嘲るような笑い声が、受話器から聴こえてくる。
「…それでは、あなたのしている事は何ですか?」
報復を覚悟で、善行は屹と顔を上げた。モニタ越しに互いの視線が かち合う。
『…あれはそう簡単には死なん。一度、イレギュラーと呼ばれる女の 生身での戦いを拝むのも、一興であろう』
「──とんだ酔狂ですね」
苦々しく呟くと、善行は一方的に切られたモニタの画面を忌々しげに 睨み据えた。


「まだ、いらしたのですか?」
司令室の灯りに気付いた更紗は、何処かけだるそうに椅子に腰掛ける 勝吏の傍まで歩み寄った。
「───『アレ』の様子はどうだ?」
窓の外を見つめたまま、勝吏は更紗に尋ねる。
「…学校での訓練と仕事を終えた後、普通に帰宅されましたが」
「そうか。引き続き、監視を続けろ」
「はっ」
「いつぞやのように、へまをしないようにな」
「───御意」
以前、更紗は監視中に舞に逃げられた経歴を持つ。笑いを含みながら それを蒸し返す勝吏に内心で顔を顰めると、それでも表面上は何も出 さずに司令室から退出した。

再びひとりになった勝吏は、椅子の背凭れに身体を預けると、先程自 分に食って掛かった弱者の言葉を思い出す。
「──そなたに、何が判る」
三白眼を僅かに細めると、勝吏は己の従妹にあたる少女のヘイゼルの瞳 を頭に思い浮かべる。
「いっそ、この程度で死んでくれるのなら、我々もまだ苦労はせん よ……」
そう独り愚痴る彼の声は、人間臭さに溢れていた。

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