放課後のグラウンドで、ふたつの影がせわしなく動いていた。
「大丈夫ですか?」
「遠慮はいらぬ。思い切り来い!」
夕闇の中で、剛毅な男の声と、それに勝るとも劣らない凛々しい 少女の声が聞こえてくる。
声の持ち主を確認する必要はなかった。
若宮と舞のふたりが、素手で戦闘訓練を行っていたのである。


「ほー…」
まるで熟練の武道家のような手合わせに、遠巻きに眺めていた瀬戸 口は、ヒュウと口笛を鳴らした。
己の腕力を最大限に利用して、相手をねじ伏せようとする若宮と、そ れを僅かな隙を見てかわし、また時には正面から受け止める舞。
それは、かつて間近で体験した事のある演舞を思わせる動きであった。

「いやー、ふたりとも絵になるなぁ。…そう思わないか?」
瀬戸口は首を動かすと、プレハブの影から様子を窺っている小さな影 に話し掛けた。
「折角だから、もっと間近で見てみろよ。そんなコソコソしてないで さ」
「……」
渋面を作りながら、茜は瀬戸口の前に足を進めた。
「…どうせなら、もっとふんぞり返っていればいいだろう。陰謀をめ ぐらせた本人にしては、随分と肝っ玉が小さいんじゃないのか?」
「……何も知らないくせに、判ったような口をきくな」
からかうような瀬戸口の言葉を遮るように、茜は噛み付くように声を出す。
「あいつは…あいつらは、僕から大切なものを奪ったんだ……」
茜の脳裏に忌まわしい記憶が甦る。突如自分から父や母、すべてを引き 裂いたあの一族。幼い茜にとってその事実は、あまりにも衝撃的過ぎた のだ。

「…奪ったのは、あいつじゃないだろう。あの一族はともかく、彼女は 無関係だ」
「うるさい!芝村の名を語る以上は、あの女も同罪だ!」
茜の叫びは突風にかき消された。瀬戸口は、幼い少年の横顔を一瞥する と、再びグラウンドの若宮と舞に視線を戻す。
「……ま、いいけどね。果たして、そう簡単にいくかね?」
「何だと?」
あくまでもマイペースな瀬戸口に、茜は訝しげに顔をしかめる。
「──俺には、あいつがそんな簡単に死ぬようなタマには見えないが ね」
「…士魂号のGにも耐えられないヤツだ。それに、パイロットとスカウ トは違う」
「さいですか」
その時。瀬戸口と茜のに、激しく地を着く音が聞こえてきた。
見ると、尻餅をついた若宮を、舞が静かに見下ろしていた。
「いやー、参った参った!流石ですね」
「そんな事はない。勝率は五分五分だった」
小さく安堵の息を吐くと、舞は若宮の手を引いて立ち上がらせる。
「───ほほぉ」
「…フン」
面白そうに口元を綻ばせる瀬戸口とは対照的に、茜は不愉快極ま りないといったように鼻を鳴らすと、足早にグラウンドを後に した。


若宮との組み手を終えた舞は、そのまま彼と一緒に裏庭まで出か けると、オペレーターの仕事を手伝っていた。
「…やすちゃん、まいちゃん。今日は、ののみがやるから帰って もいいのよ。ふたりとも、訓練のあとで疲れてるでしょ?」
計器から顔を上げたののみが、舞と若宮を見つめてきた。
「そうはいきません。あくまでも訓練は訓練、仕事は仕事です」
「若宮に無理を言って訓練に誘ったのは私だ。私には、彼の仕事を 手伝う義務がある」

モニタに視線を走らせると、舞は暗号解読の為の新たなプログラミ ングをした。若宮は、必死にマニュアルと睨めっこでののみの
バックアップに努めている。
「おっ、いたいた。芝村、ちょっといいか?」
舞が、モニタとキーボードを代わる代わる見ていると、指揮車の横 をすり抜けながら、瀬戸口が現れた。
「あっ、たかちゃんだー」
「どうかしたか?」
嬉しそうに瀬戸口に飛びつくののみとは対照的に、舞は至極平静な 声で彼に問い返す。
「士魂号のマッチングで、判らない所が出てきたんだ。速水の坊や は、来須と一緒にスカウトの仕事を手伝ってていないし、悪いがち ょっと見てくれないか?」
片手でその色素の薄い髪をかき上げると、瀬戸口は困ったように苦 笑する。
「判った。任せるがいい」
舞は頷くと、指揮車から身体を起こした。
「こっちの心配は、しなくてもだいじょーぶなのよ」
「あとは私たちにお任せ下さい。ごゆっくり」
ののみと若宮にそう声を掛けられながら、ふたりはハンガー2階へ 向かった。


士魂号の挙動プログラムを開きながら、舞はパイロットの身体能力値 のデータを確認する。
「思ったのだが……瀬戸口。そなたなら士魂号の調整くらい、ひとり でも容易に出来るのではないか?」
「───あんまり、いじめないでくれよ。それに、俺は複座型の操縦 は初めてなんだ。ひとりで戦うのとは訳が違う」
「…そういうものなのか」

勝手知ったる様子で、舞は速水と瀬戸口のデータを士魂号のプログ ラムに入力した。
瀬戸口は、気丈な彼女の横顔と、複座型の士魂号を交互に眺めた。
「やはりこの士魂号は、お前に一番相応しいな」
「?」
瀬戸口の言葉に、舞は僅かに表情を変える。
「正式名称騎魂号…『The Spirit of Knight』。騎士の心。誰より もお前さんらしい乗り物だ」
「───何が言いたい」
「つまりだな」
よっ、と反動をつけながら、瀬戸口は舞の前に移動する。
「この機体を操れるのは、坊やとお前さんしかいないって事だよ」
「…ご大層な筋書きを作ってくれた、『連中』の思惑通りにな」
「それだけじゃないさ」
うんざりと答える舞に、瀬戸口はなおも詰め寄る。
「確かに、戦車技能を持っていれば士魂号に乗る事は出来る。…だが、 それだけじゃ駄目なんだ。この異形の侍を操るというのは、コイツの 事を本当に知っているヤツだけが可能なんだよ」
淡い色合いを放つ紫の瞳が、舞のヘイゼルの瞳を捉える。舞の網膜に、 いつになく真剣な表情の瀬戸口が焼き付けられた。
「だから…俺は飽くまで、お前がパイロットに戻ってくるまでのピン チヒッターだ。この士魂号の主ではない。…それを忘れるな」
「…だと良いな」
自嘲めいた笑みを浮かべると、舞は再び士魂号のデータに視線を戻し た。
「───やれやれ。これでもう少し、可愛げがあれば言う事なしなん だがなぁ」
大げさに肩を竦めてみせると、瀬戸口はいつもの飄々とした顔でぼや いた。
「私が可愛くて、喜ぶ人間などいる筈がなかろう」
目を丸くさせながら、舞は瀬戸口に言葉を返す。
「……お前さん、ホント自分の事に無頓着だね。坊やも来須も、お前 さんの為に一生懸命だってのに」
「何故、来須と速水が私の為に?」
真剣な表情で尋ねてくる舞に、瀬戸口が深くため息を吐こうと口を開 きかけた時。
幻獣の襲来を告げるv1警報が、ハンガーの中にこだました。


新しく入手した『久遠 戦闘工兵型』のウォードレスに身を包んだ舞 は、補給車のコンテナで、装備の確認する。
来須は、舞の装備品を見て僅かに眉根を寄せた。
「…そんな軽装で行くのか」
そう来須が尋ねるのも無理はない。舞の携えた武器らしいものといえ ば、腰に刺さった二振りの小太刀に、ポケットに装備された煙幕手榴 弾2つに手榴弾1つだけだったのである。
「───これで充分だ」
だが、舞は腰から己の小太刀を取り出すと、至極平静な声で答えた。
この小太刀は、彼女が芝村から特別に取り寄せたという専用の武器だ と聞いた事がある。
「だが、士魂号での戦いとは違う。それを置いていけとは言わんが、 せめて何か銃器も持っていけ」
舞の実力を疑う訳ではなかったが、今回出撃する戦区には、中型幻獣 のミノタウロスやゴルゴーンも、数体確認されているのだ。
士魂号でさえも苦戦する敵を、己の身だけで対峙するには、あまりに も力が乏しすぎる。
僅かに語気を強めながら、来須は舞に忠告した。
「……出来ればそうしたいのだがな」
声のトーンを落とすと、舞は来須の肩に担がれた機関砲に手を置く。
「……?」
「───『そなたたちの』武器は、私には重すぎる」
「!」
舞は、眉を下げると苦笑した。小声で囁いてきた彼女の返事に、来須 は以前岩田に言われていた事を思い出した。

『──彼女は、我々とは違うのです』
岩田の細工したプラシーボ(偽薬)によって、舞は以前のような副作 用に悩まされる事はなくなったが、それでも自分たちとは、根本的な 身体の作りが違うのだ。
失念していたとはいえ、来須は己の迂闊さを呪った。
上手い言葉が見つからずに、来須が顎に手をやっていると、

「いよいよ出陣だな。気分はどうですか?十翼長」

わざとらしく敬語を混ぜながら、茜がふたりの前に現れた。
「お陰で絶好調だ。そなたのはからいに感謝しなくてはな」
ヘイゼルの瞳を細めながら、舞は真っ直ぐ茜を見返す。
「……そうかよ。ま、簡単に死なれちゃ面白くないしな」
不躾な言葉に来須が茜を軽く睨む。舞は、そんな来須を手で制すと、 腰から1本の小太刀を茜に放り投げた。
「……!?」
刃が折り畳まれているので、怪我の心配は無用だが、突然飛んでき た武器に、茜は僅かに狼狽しながら両手でキャッチする。
「──い、いきなり何だよ!」
「ひとつだけ、頼みがある」
舞は茜に向き直ると、口を開いた。
「もしも、私が朽ち果てた時には、その太刀を戦場から持って帰っ て欲しい」
「…?」
舞の言葉に、茜は思わず手の中の小太刀を凝視する。
「遺品の回収…ってヤツか?」
「そうだ。魂が消えて抜け殻となった私の屍など、幻獣どもにくれ てやれ。…だが、それだけは頼む」
舞の真摯な瞳に、茜は自分の心が僅かに揺れるのを感じた。
自分から何もかも奪った芝村一族。そして今、目の前にいるその一 族の末姫と呼ばれる少女。
だが、茜の目には、この少女があの一族とは何か異質のものを持 っているように見えた。
『コイツは…“あいつら”とは違う……?』
何故か判らないが、直感のようなものが、茜の中で警告を鳴らせていた。
「バカな真似はよせ」と。「この少女を死なせてはいけない」と。
「あ…」
何か声を掛けようと思ったが、茜の舌は上手く回らなかった。
そうしている内に、2回目の警報が鳴り響く。来須は、茜の手から舞の 小太刀を取ると、彼女に手渡した。


「──お前が、」
「…ん?」
シートに腰掛けながら、来須は言葉を紡ぐ。
「万が一、お前が倒れたとしたら…俺が、お前の身体を持って帰る」
「そんなに気にしなくとも大丈夫だ。私は、未だ死ぬ訳にはいかぬか らな」
「『万が一』の場合に、だ」
「……私は、随分と忠実な従者を持ったものだな」
不器用な彼の気遣いに、舞は口元を好意的に綻ばせる。
「だが、先程も言ったがその必要はない。それよりも、こいつを頼む」
来須から渡された小太刀を持ち上げると、舞は目を閉じた。小太刀の 柄に巻き付けられた赤い組紐と、更にその先端にぶら下がった金銀ふ たつの小さな鈴が揺れ、リン…と涼やかな音を立てる。
「そんなに、この武器が大切なのか」
舞の小太刀を一瞥すると、来須は舞の瞳を見つめた。
「───この太刀は、私の生命よりも重い」
少しの迷いもない舞の返事に、来須は思わず閉口する。
何故なら、来須が手にした舞の小太刀は、驚くほど軽かったか らである。
『その太刀よりも、お前の生命は軽いというのか』
不意に訪れた悪寒に、来須は僅かに背筋を震わせる。
それは、これからの戦いに臨む『武者震い』とは、まるで異な るものであった。


新たな警報が、来須と舞の耳元に届く。

それぞれの思惑を他所に、小隊は戦場に向かっていた。

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