指揮車のパネルに映った敵軍の規模に、善行は僅かに眉を動かす。 「──ねぇ、いいんちょ。まいちゃん…だいじょうぶかなぁ?」 そんな善行の隣では、ののみが不安そうな面持ちで見つめてくる。 「……きっと、大丈夫ですよ」 根拠のない言葉だが、それでも善行はののみを安心させる為に笑顔を 作りながら返事をした。 「ほんとうに?」 「ええ。その為にも、バッチリ誘導を頼みますよ」 「───まかせてなのよ!やすちゃんも一緒にがんばろーね」 元気なののみの呼びかけに、若宮は薄く笑みを浮かべながら頷く。 だが、幻獣の規模を映し出すパネルに視線を走らせると、その毅然 とした眉を顰めた。 『…今日の戦闘はただ事ではすまない』 それは、幾多の戦場を直に体験している彼だからこそ判る、戦士とし ての「勘」であった。 『舞、頼むから無茶はしないでよ。今日の君は、士魂号に乗っている 訳じゃないんだから』 何度目かの速水からの通信が、舞のスピーカーに入ってくる。 「…これから戦うという人間に、無茶も何もないであろう」 軍用トラックに揺られながら、舞は苦笑すると、マイク越しに速水に 応えた。 「そなた、それ程までに私の事が信用できぬのか?」 『そういう訳じゃないけど……』 「第一、同乗している瀬戸口に失礼だぞ。今は、ヤツがそなたの相棒 であろう?」 『──それでも、僕にとってのパートナーは君だけだから』 穏やかではあるがはっきりとした速水の声が、舞の鼓膜を刺激した。 『…瀬戸口くんには悪いけど、僕は君以外のパートナーなんて認めない。 この士魂号を操るには、僕と君のふたりでなきゃダメなんだ』 「速水……」 純粋なまでの想いに、舞は複雑な表情をした。 嬉しくない訳がない。彼の言葉はとても有難いものだった。 だが、変異体(イレギュラー)である自分には、速水の言葉を額面ど おりに受け取る事が出来なかったのである。 彼の言葉は、彼の意志によるものなのか。あるいは、『連中』の予測 という名の思惑に、踊らされているだけなのか…… 「私は…そなたの言葉を信じて良いのか……?」 『──何?』 つい口をついて出た言葉を飲み込むと、舞は自嘲気味に首を横に振る。 「いや…何でもない。そなたの気持ちは確かに受け取った。だが、今 は遠くにいる相棒よりも、近くの瀬戸口と共に敵を叩け」 『…判ったよ。舞も、気を付けてね』 「大丈夫だ。私にも来須という相棒がいる」 『───でも、所詮即席の相棒でしょ』 何故だか少し不機嫌そうな応答を最後に、速水の通信が切れた。 「……戦闘中にせわしない奴だな」 舞の視線の先で、来須が顔だけこちらを向きながら低く呟く。 「──まあ、そう言うな。私を気遣っての事だろう。きっと、頼りない 私がもどかしいのだろうな」 「……それは、違うと思うぞ」 「そうか?」 さして興味のないような声を出すと、舞は指揮車からの情報に耳を傾け た。敵軍の密集地までの距離と、その規模を把握すると、微妙に口元を 歪める。 「…これは、ちょっとしたものだな」 「……ああ」 「だが、やるしかあるまい?」 スピーカー越しの善行の声と、コンテナが開くと同時に、舞と来須は立 ち上がった。 「……とことん、逆らい続けてやろうではないか」 「…?」 舞の呟きに、来須は眉根を寄せる。 「あの男をこの手で討つまでは…私は決して死なぬ」 「舞…?」 来須の呼びかけに、舞は顔を上げると僅かに首を巡らせて彼の方を向く。 次の瞬間、来須は自分の背筋がゾクリと総毛立つのを覚えた。 彼女のヘイゼルの瞳は、いつもとはまるで違った色を帯びていたからだ。 まるで、人間としての感情の全てを失くした様な冷たい視線が、食い入る ように来須の青い瞳に注がれる。 「……いつか『ヤツ』に伝えておけ。私は『運命』に逆らうと。貴様の思い 通りにはならぬ、とな」 「──!」 様々な思惑を含んだ科白に、来須は唇を硬く引き結ぶ。 舞は、そんな来須を無感動に一瞥すると、彼を置いてひとり戦場へと 舞い降りた。 『ああ…!』 ヘッドセットの裏で、壬生屋は思わず目を伏せる。 それまで自分の前を駆けていた友軍のスカウトが、キメラのレーザーに、 ウォードレスごと全身を貫かれたのである。 戦場に於いて、人が死ぬのは当たり前の事である。 もしかしたら、今倒れた兵士の代わりに、自分が幻獣の手によって朽ち果て ていたかも知れないのだ。 しかし、自分の手の届かぬ所で人の生命が奪われる事に、壬生屋は自分 の胸がきりきりと締め付けられるのを覚えた。 これ以上、『人間』が傷付けられるのを見つめ続けるのは耐えられない。 「私は…わたしは……」 自分と自分の中のもうひとりの『誰か』が、声なき悲鳴を上げていると、 『ぼさっとしてんじゃないぞ』 「──!?」 不意に受信機に届いた男の声に、壬生屋は顔を上げた。 『お前さんの重装甲は、飾りものか?悲しんでいる暇があったら、そのム ダにバカデカい太刀でも振り回せ。まだその方が効率的だ』 「……何ですって!?」 3番機から聞こえてくる瀬戸口の声に、壬生屋は声を荒げた。 昂ぶる感情に、それまで彼女を支配していた悲哀の念が、一気に払拭され る。 『後悔するのは、戦いが終わってからでも出来るだろう。まったく、これ だから突っ込むしか能のない「馬鹿者お嬢さん」は……』 速水の制止も聞かずに、瀬戸口はなおも流暢に雑言を繰り返す。 だが、 「───お黙りなさい。私が馬鹿者なら、あなたは『化け物』でしょう」 落ち着きを取り戻したのか、不気味なほど平静な壬生屋の声が、瀬戸 口の舌を止めた。 壬生屋は、挙動プログラムを入力し直すと、士魂号の手に握られた太 刀を、勢い良く振り上げた。 持ち主の手を離れた大太刀は、建物の合間を縫って、一直線に前方の幻獣へ と吸い込まれていく。 壬生屋の投射された太刀は、友軍兵士を倒したキメラと、そのすぐ傍ら のゴルゴーンを巻き込んで、深々とその身体を刺し貫く。 「……仇は取りましたよ」 崩れ落ちるキメラを尻目に、壬生屋はきりりと口元を引きしめた。 速水と瀬戸口の3番機は、壬生屋から少し遅れて並走していた。 「やれば出来るじゃないか。ったく、世話の焼ける……」 1番機のマーカーを見つめながら、瀬戸口は口元を微妙に歪めた。 「いつも思うんだけど…瀬戸口くん、どうしてキミは壬生屋さんにだけつ らくあたるの?」 「え?」 虚を突いた速水の質問に、瀬戸口は思わず口を噤む。 「不思議なんだよね。女の子には優しい筈のキミが、彼女にだけはああ いう態度を取る事が」 「……」 速水の言葉に、瀬戸口は気付かれないように表情を曇らせる。 ───判らないのだ。何故自分は壬生屋に対して辛辣な態度を取るのか。 他の女性にはない、自分の心の奥底を引っ掻き回されるような感覚が、 壬生屋を前にすると沸き起こってくるのである。 はるか昔、瀬戸口が今の身体に寄生するずっと前から、欲しくてたまらな かった愛しい女(ひと)。 ここに来て、ようやくそれを手に入れる事が出来た筈なのに、黒髪の和服 の少女を前にすると、今の自分が酷く欺瞞に満ちたものであるのを、心 の何処かで思い知らされるのだ。 それを認めたくない心と、その原因である壬生屋を疎ましく思う心が、瀬 戸口を今のような行動に走らせているのかも知れない。 ……だが、正確な答えは当の瀬戸口にも見つける事が出来ないでいた。 「…お喋りは後だ」 3番機の後ろに幻獣の反応を感じた瀬戸口は、アサルトの照準を確認す る。 「ちょっと待ってよ、瀬戸口くん。銃器よりもまずは士魂号の向きを変え ないと。ええっと、TWGで……」 「──不要だ」 「え?」 速水の疑問に答える事無く、瀬戸口は、コントローラパネルに自分の指を 走らせる。 「瀬戸口くん…?」 「教えてやる。覚えろよ」 言うと同時に、瀬戸口の命令を受けた3番機は、軸足から弧を描くとその 身を180度転回させた。それまで彼らの背後にいた筈の幻獣は、異形の 侍の思わぬ旋回行動に、反応する事も出来ないまま、浴びせられた銃弾 に大きく体勢を崩した。 「……凄い」 一分の隙のない士魂号の動きを目の当たりにした速水は、素直に感嘆の ため息を漏らす。 「油断は禁物だぞ。まだ、息がある。もう一発当てておく必要が……」 だが、 「…何だろう…上空に熱反応……?」 パネルが示した新たなマーカーに、速水が声を上げるのも束の間。 建物の屋上から舞い降りた影が、傷付いた幻獣の身体を手にした小太刀 で切り裂いた。断末魔のような声を上げながら、やがてその幻獣は 消失していく。 「な……」 ウォードレスに身を包んだ、小さな影の正体に、速水と瀬戸口のふたり は声を揃えて驚愕した。 |