猛禽のように闇から舞い降りてきた影は、手にした二振りの小太刀で、 手負いの幻獣の身体を突いた。
消失していく幻獣に見向きもせず、ウォードレス に身を包んだ少女は、己の手の中で、愛用の武器をくるり、と一回転させた。

『ここは任せろ。「お前」は、友軍の援護に行け』

通信機越しに、いつもよりも硬質な舞の声が聞こえてくる。
自分たちの乗った士魂号に視線を向けてくる姿に、速水は暫しの沈黙 の後で、ぎこちなく「了解」と呟いた。
だが舞は、そんな相棒の返事に何の関心も示さずに背を向けると、リテルゴ ルロケットで、再び上空へと消えていった。
らしからぬ少女の反応に、速水はヘッドセットの下で、僅かに表情を曇らせる。
「どうした、坊や。行くぞ」
そんな速水を見透かしてか、後席の瀬戸口が彼を促してきた。
「う、うん…舞…どうして僕に応えてくれなかったんだろう……」
ほんの少しだけ拗ねたような声色に、瀬戸口は一瞬だけ目を細めたが、直ぐに 口元を引き締めると、士魂号に新たなプログラムを入力する。
「……お前さんに、言ったんじゃないからだよ」
「え?」
「芝村なら、お前さんに話しかける時には、必ず名前で呼ぶだろう?」
「……じゃあ、誰に言ったの?」
速水の質問に、瀬戸口は先程の舞を思い出す。
ヘッドセットの奥で揺らめいていた彼女のヘイゼルの瞳は、まるでかつて の己を髣髴とさせる程、冷たい光を放っていたのだ。
そして、彼女の呼びかけた相手は、「連中」の手によってお膳立てされた 「パートーナー」でなければ、そして自分でもなかった。
舞の呼びかけた相手とは……

「──『コイツ』に向かって言ったんだよ」

自分たちパイロットを操る、異形の侍のコクピッドを一瞥すると、瀬戸口は速 水の反応を待たずに、別の場所へと移動を開始した。


「……し、芝村機、ゴルゴーンを撃墜……」

即席オペレーターの声が上ずっているのは、決して慣れぬ部署故の緊 張からではない事に、善行は嫌になるくらい理解していた。
驚くのも無理はない。
いくら深手を負っていたとはいえ、士魂号ですら苦戦を強いられる 中型幻獣を、モニタの向こうに見える少女は、いともた易くその急所を捉え、 仕留めたのである。
「まいちゃん…強いのよ……まるで、おとーさんみたい……」
仄かに頬を紅潮させながら、善行の隣に行儀よく腰掛けたののみが、ため息 を漏らす。
何気ない幼女の呟きだったが、今の舞がそれを聞いたら、ただではすまなか っただろう、と善行は思った。
何故なら、舞にとって「父親に似ている」という言葉は、彼女のもっとも嫌 悪している事だからである。
そして何よりも、純真無垢な幼子の『愛する者』は、舞にとっては『倒すべ き敵』以外の何者でもなかったからだ。


奇声を上げながら突進してくるゴブリンをかわすと、来須は手にした機関砲 の引き金に手を掛けた。
いくら人間とそれ程変わらぬ大きさとはいえ、相手は怪物である。
一瞬の隙が命取りとなる事は、これまでの戦いの中で経験済みであった。
容赦なく銃弾を叩きつけられたゴブリンは、絶命すると地に倒れ伏す。
それを尻目に、来須は、スターライトスコープの先に捉えた新たな 幻獣へと意識を移した。
機関砲の熱を敏感に察知したのか、その長い胴体をくねらせながら近づいてき た幻獣の持つ17の瞳が、一斉に来須に向けられる。

その禍々しい瞳の正体が、生ける者を一瞬にして屍と化すレーザー砲である 事など、戦いに身を置く者でなければ気付かないだろう。
人間のデスマスクをその頭部に模(かたど)り、不気味なまでに微笑んでい るその幻獣に気を取られていては、たちまち光線の餌食となってしまう。
来須は身体を反転させると、建物の影に身を躍らせた。
それから半拍遅れて、ナーガのレーザーが、来須のいた場所を名残惜しげに なぎ払う。
「……正攻法では勝てんな」
小さく呟くと、来須は機関砲を構え直して、己の意識を建物の僅かな隙間か ら見えるナーガに集中させた。
来須の気配を感じたナーガが、ゆっくりと接近を始めていたが、構わずに神経 のすべてを、一撃に集中させる。
今まさにナーガの頭部が、建物の隙間に入り込まんとした矢先。
「…っ!」
短い裂帛と共に、機関砲の銃口から砲弾がほとばしった。
頭部にまともに攻撃を食らったナーガは、その笑みを複雑なものへと変えていく。
だが、それでも完全には削り取れなかったのか、ナーガは己の長い首をもた げると、来須の身体を殴りつけてきた。
攻撃にすべてを集中させていた来須は、ろくな防御も出来ずに後方へ吹っ飛ばされる。
態勢を立て直す間もなく、ナーガの怒りに満ちた瞳が、至近距離に迫ってきた。
ある種の覚悟を決めながら、来須は身を構える。

その時。
来須の前に、新たな影が立ちはだかった。
狩りの邪魔をしてきた無粋な闖入者に、ナーガが意識を向ける間もなく、影から放た れた手榴弾型の閃光弾が、まばゆい光を放つ。
「──!」
咄嗟に顔を背けたが、それでも視界を奪われた来須は、低く呻くと数歩後ずさる。
次いで、耳をつんざくような悲鳴のようなものが、前方で轟いた。
漸く戻り始めた視力を駆使して、周囲を確認する来須のスコープに映ったものは。
「……」
不気味な笑顔を貼り付かせたまま、頭部を奇妙な方向へ捻じ曲げられた、幻獣の成れ の果てであった。


刃に付いた粘着質の汚れを拭うと、舞は、ビルの屋上から地上を見下ろした。
果敢に太刀をふるって敵を切り刻む1番機と、ヒットアンドアウェイで、巧 みな戦闘を展開する2番機の活躍により、戦況はこちら側に傾いていた。
だが。
幻獣の猛攻に、なす術もなく散っていった命もあった。
舞が戦場を駆け抜けている間にも、何度友軍兵士たちの最期の言葉を耳にしたか、数知 れない。
士魂号ではなく、歩兵としての視線から目の当たりにした惨状に、舞の心は哀しみと憤 りに支配されていた。
助けられなかった自分の不甲斐なさに。
そして、

『これが…貴様の望んだ世界だというのか…貴様らの思惑の中で踊らされ、奪われた 命も、すべて予測の範疇だとでもいうのか……!』

ヘッドセットの中で、舞はぎり、と歯を鳴らした。
戦争において、多少の犠牲はつきものだ、と判ってはいるものの、その元凶ともい うべき『存在』を知る立場としては、何も知らずに戦わされ、そして果てていく人々 を、不憫に思わずにはいられない。
「…ならば、私は戦おう。この世界を守る為に。そして…私という存在を作り上げて しまった『連中』への清算をする為に」
眼下に、新たな幻獣を確認した舞は、己のヘイゼルの瞳をすう、と細めると、携えて いた2本の小太刀を、右手に持ち替える。
そして、暗雲立ち込める空を仰ぐと、軽く息を吸い込んだ。


アサルトと太刀の攻撃で、速水と瀬戸口の3番機は、またひとつ幻獣を死に追いやった。
「数ブロック先に、敵の密集地帯がある。移動を始めるぞ」
「判ったよ。そろそろ、ミサイルの準備も始めないとね」
臨時に組んだコンビとはいえ、ふたりの息はそれなりに合っていた。
流石オペレーターともいうべき、瀬戸口の的確な分析と指示に、速水は普段とはまた 違ったやり易さを感じていた。
だが、それでも、自分の中にしこりのように残る、舞へのこだわりに、速水は僅かに 眉根を寄せる。
瀬戸口に申し訳ないとは思いつつも、彼の中では、舞という少女の存在が絶対的なも のとなっているのだ。
彼女の視線を感じたい。
彼女の姿を、間近で見つめていた。
そして、彼女の声が聞きたい。
声が───

「……?」
鼓膜を揺さぶる歌声に、速水は思わず顔を上げた。
どんなに遠くから聞いていても、その声を間違える筈がない。
「舞…?」
「…歌、か……?」
瀬戸口も気付いたのか、スピーカ越しに聞こえてきた歌声に、目を見張る。
決して大きいとはいえないアカペラが、だがそれでも戦場にいるすべてのものの 感覚を刺激した。


その心は 闇を払う銀の剣
絶望と悲しみの海から生まれでて
戦友たちの作った血の池で 涙で編んだ鎖を引き
悲しみで鍛えられた軍刀を振るう
どこかのだれかの未来のために 地に希望を
天に夢を取り戻そう
わたしは そう 戦うために生まれてきた

 

舞の歌声に、速水の心は感激に打ち震えた。
『突撃行軍歌(ガンパレード・マーチ)』。
聴くものの心を高揚させ、敵味方共に撤退を拒否し、最後まで戦う力を持つ。
こちら側に戦況が傾いた今が、幻獣を全滅させる絶好の機会である。
おそらく舞は、それを狙ったのだ、と速水は思った。
「ふふ…舞もあわてん坊だね。歌詞、間違えてるよ。『わたしは』じゃな くて『われらは』なのに」
それでも、内心の嬉しさを隠し切れずに、速水から笑みが零れた。
だが、そんな速水の後ろにいた瀬戸口は、渋面を隠せずにいた。
彼の心もまた、震えていた。
だが、それは決して、少年のような好意的な感想からではなかった。
「違うよ」
歌声をBGMに、瀬戸口はぼそりと返す。
「…なに?」
「アイツは、本当にああ唄ったんだ」

少女の歌の意図に気付いた瀬戸口は、今にも泣き出しそうな程、表情を歪めた。


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