『奏鳴曲〜ソナタ〜』



夜の校舎裏を歩いていた舞は、女子校の音楽室の窓が一枚、開けっ 放しになっているのを発見した。
「……戸締りを忘れたようだな」
短く呟いて、舞は左手の多目的結晶を露出させると、一瞬にして4階の 音楽室まで移動する。
大抵の音楽室は、防音の為に窓が二重構造になっている。
舞は窓の傍まで歩み寄ると、内側の窓の鍵を開けた。そして、開けっ放 しになっていた外側の窓を閉じて鍵をかけると、再度内側の窓を閉める。
「これでよし」
小さく頷くと、他に戸締りの怠りはないかと辺りを見回す。他の窓やド アの確認する舞の瞳に、黒板の前に佇むグランドピアノが映った。

「…ピアノか」

舞はピアノに近づくと、蓋に手をかける。鍵が掛かっていなかったよ うで、(グランドは、鍵掛かってるとまず開かないからなあ…アップ ライトなら、下敷き一枚ありゃ開くんだけど。 作者は子供時代、この手を使って友達と教会のピアノをこじ開けたもので す……後でこっぴどく修道士さんに叱られました) 目の前にきちんと手入れをされた鍵盤が現れる。
「見事なものだ。この学校の教師は、よほど音楽を愛していると見た」
舞は、その形よい指で鍵盤をひとつ叩いた。ポーンと澄んだ音が、夜 の音楽室に響き渡る。
「……」
舞はピアノの椅子に腰掛けると、先程戸締りをした窓から外を見た。
夜空に浮かんでいるのは、群雲に紛れたふたつの月。
「青い月」と呼ばれるかつての月が、人類に災いをもたらす「黒い月」 の影で、弱々しく光を放っていた。
「――月…」
視線をピアノに戻した舞の前では、ある音楽家の胸像が、何処か寂し げに佇んでいる。
舞は口元に小さく笑みを浮かべると、その指を鍵盤の上に踊らせた。


「…何か、聴こえまセンでシタか?」
女子校の廊下を歩いていた小杉は、一緒に歩くののみに声を掛けた。
「ほんとだー。よーこちゃん、上のほーからきこえるのよ。ピアノの 音みたいだね」
ふたりは立ち止まると、耳をすませて音を確認する。
静かな夜の校舎を、澄んだ鍵盤の音が優しく包んでいるようであった。
「よっ、どうしたんだ?」
「あ、たかちゃんにあっちゃんだー」
プレハブと校舎を結ぶ渡り廊下から、速水と瀬戸口が歩いてきた。
「ののちゃん、どうしたの?」
駆けてきたののみの頭を撫ぜながら、速水はののみに尋ねる。
「あのね、この上でピアノの音がするのよ」
「ピアノ?」
「こんな時間に、誰ガ弾いているのデショウ?」
「さあな。女子校の作業時間も、もう終わっている筈だし…」
小杉の質問を聞いて、瀬戸口は顎に手を当ててポーズを取る。
「これは…ひょっとするとアレか?お約束だけど、『学校の怪談』 とか」
「えー?幽霊さんが、ピアノを弾いてるのぉ?」
瀬戸口の返事にののみが歓声を上げた。
「すごいや。戦車学校にも、『夜の音楽室で鳴り出すピアノ』があ ったんだね」
小さく手を叩きながら、速水は無邪気にはしゃいでいる。戦闘続きの 毎日だからか、このような些細な出来事にも素直に感動しているよ うだ。
「ねーねー、これからみんなで音楽室に行ってみよーよぉ。ののみ、 幽霊さんとお話ししたーい」
「賛成デス。みんなデ『肝試し』デスね」
ののみの提案に、小杉も嬉しそうに同意する。

「肝試しですか…フフフフ。イイ、それは凄くイィ!」

何処から沸いて出たのか、身体を恍惚にくねらせながら、岩田がロ ビーからやってきた。
「おーい、皆集まって何してるんだ?」
続いて、正面グラウンドでの仕事を終えた若宮と来須も現れる。
「これから、音楽室に『肝試し』に行くのよ」
「…何だそれは」
「いわゆる度胸試しというヤツだ。ホントは、夏にやるのが一番 なんだけどな」
「ホーンデッドハウスに行くようなものデスよ」
小杉の意味ありげな視線に、何故か来須は横を向いて帽子を被り 直した。
「何だか随分大人数になっちまったが…ま、いいか。それじゃ、 みんなで『戦車学校の怪談』とやらに出発だ」
「さんせーい!」
瀬戸口の声に、若干1名を除く全員が賛同の声を上げた。


職員室からくすねてきた鍵をじゃら付かせながら、瀬戸口はのの みの手を引いて、誰もいない夜の校舎を進んでいた。
その後ろには、相変わらず身体をくねらせながら足を動かしている 岩田と、少し遅れて速水と小杉が、しんがりをつとめる若宮と来須 が続く。

音楽室って、どこにありましたっけ?」
瀬戸口から回されてきたキャンディをひとつ受け取りながら、速 水は背後の若宮に声を掛けた。
「たしか、この校舎の4階だろ?…ま、防音の関係上、大抵の学 校は最上階に音楽室を作るものだがな」
「……それならば、さっさと向かったらどうだ」
憮然とした声で、来須が言葉を返した。深く被られた帽子で表情 は読み取れないが、何故だか不機嫌な風にも見える。
「お前さん、判ってないね。そんなせっかちに目的地にたどり着 いた所で、面白くもなんともないじゃないか」
手を頭の後ろに組みながら、瀬戸口は口元を緩めた。
「それに、『急がば回れ』っつー諺もある。戦闘じゃない時くらい、 こうしてのんびりとだな……」
その時、青白い物体が瀬戸口の目の前を横切った。

「おっ!?」

思わず声を上げると、瀬戸口は数歩下がって物体に視線をやる。
暫くして、それが外から迷い込んできた蛾の一種である事が判 ると、笑い声を上げた。
「…虫さんだったね」
「なーんだ、つまんないの」
「デモ、ちょっとドキドキしました」
「虫だけに、こいつは無視…ですね。フフフ、素晴らしイィ!」
ののみ、速水、小杉、岩田は、それぞれにコメントを述べると、瀬 戸口の後に続いた。
ところが。

「来須…どうした?」
「……」
若宮は、自分の左腕にしっかりと絡まった来須の両腕を、呆然と見つめる。
若宮の声で我に返ったのか、来須は顔を上げると、何処か慌てたよ うに腕を放した。
「…ほほぉー……」
「な…何だ……」
らしくない来須の態度に、若宮はわざと意地悪な目つきをしてみせる。 どうやら、この寡黙で屈強なスカウトと呼び名も高い自分の相棒は、 意外な事に「お化け」の類が駄目らしい。
『そういえば、ヨーコさんが先程からこちらをチラチラ見ていた が…そういう事だったのか』
意味ありげな若宮の視線に、来須は困ったように目線を反らすと、帽 子を被り直した。
「若宮のダンナ、どうした?」
「───いや、何でもない。それより、先を急ぐとしよう。あまり ぐずぐずしていると、見回りの教師たちに見つかるおそれもあるし な」
「…それもそうだな。じゃ、この先の階段から音楽室まで直進す るか」
若宮の言葉を聞いて、瀬戸口は進路を変更すべく、廊下の手前に ある階段へと足を進めた。
その背中を追いながら、若宮は来須にウインクする。
来須は些か照れくさそうな顔をすると、若宮だけに辛うじて聴こえ るほど小さな声で「すまん」と囁いた。


4階までの階段を上り終えると、一向は、音楽室から鍵盤楽器の 澄んだ音をはっきりと聴く事が出来た。
「きれーな音…」
ののみはうっとりとピアノの音色に耳を傾けた。
「こんなに綺麗な音なら、幽霊が弾いてても怖くないよね」
「更に美人なら言う事なしだな。…どれ」
速水の言葉に頷きながら、瀬戸口は音楽室の扉の小窓から中 を窺う。
「……」
「…たかちゃん、どうしたの?ゆーれいさん見えた?」
ののみの問い掛けに、瀬戸口は黙って皆を小窓に誘導する。
皆で中を覗いて(ののみは小杉にだっこされた状態で)みると、 そこでは意外な人物がピアノを演奏していた。
「…舞だ」
一行は、芝村の姫君が、月の光に照らされながらピアノを演奏 している姿を発見した。
「ほんとだー。まいちゃんがピアノ弾いてるー。じょうずだ ねぇ」
「何の曲デショウ?美しい音色ですネ」
「フフフフ。これは、ベートーベンの『月光ソナタ』ですよ」
小杉の疑問に岩田は簡潔に答えると、文字通りふたつの月光に 照らされてピアノを奏でる舞に目を細める。
「……中々洒落た真似をする。その音色は、そなたの願いその ものだな」
「どうしました?岩田さん」
「───はっ!?今、私の中で電波が飛んでいたようですね」
岩田は速水の声に大げさにターンを決めると、扉から離れた。
入れ替わるように若宮と、お化けではない事が判ったので、それ まで若宮の上着を掴んでいた手を離した来須が、その長身を屈め ながら舞の姿を見つめる。
「…俺は軍楽以外のものは良く判らぬが……美しいものだな」
言葉のない音の旋律が、若宮の耳と胸に染み込んでいく。
「……ああ」
若宮の感想を聞きながら、来須もまた、帽子の影で僅かに目を細 めた。

外の様子に気付かない舞は、無心で鍵盤を叩く。
嬰ハ短調の荘厳なメロディが、部屋の空間を一杯に満たしていた。
やがて、舞の奏でる音に呼応するように、窓の外では黒い月に 隠れた青い月が、かつての光を思い出したかのように、ひとき わ強く輝いていた。
「…たかちゃん?」
ふと、ののみはドアから離れて立つ瀬戸口の様子が、おかしな 事に気付いた。
瀬戸口は、片手で自分の顔を覆っていた。何故だか判らないが、 舞のピアノを聴いている内に、己の紫色の瞳から涙がこぼれて きたのである。

『…思い出したよ。あの頃の月は、本当に綺麗だった……』

ののみに気付かれないように涙を拭うと、瀬戸口は、「なんで もないよ」と笑いかけた。
「…星たちガ騒いでイマス。自分たちも輝きタイと。舞サンの 弾くピアノの音に、応えヨウとしているデス」
小杉は手を組むと、うっとりと宙を見上げる。
そこにいる誰もが、舞の奏でるピアノの音に酔いしれていた。


最後の音符を弾き終わると、舞はゆっくりと鍵盤から手を離した。
数秒の残響の後、音が完全に止まる。
「………」
舞はピアノの蓋を閉めると、椅子から立ち上がった。そして、 視線を動かすと、先程の音楽家の胸像と再び目が合った。
それまで寂しそうだった胸像の人物は、自分の作品を奏でた舞に 気を良くしたのか、先程よりも表情が柔らかくなっているように も見えた。
舞は、口元を微かにほころばせると、人差し指を胸像に近づ けながら、小さく囁いた。

「───そなたのソナタ」


………数秒の沈黙の後。
周囲の空気が2、3度低くなったような気がした。舞は指を 引っ込めると、
「……ひねりも何もなかったな」
自嘲気味に呟くと、そそくさと音楽室を後にしようとした。
引き戸を開けて、廊下に足を踏み出す。すると、
「……!?」
舞の足元に、突然何かがぶつかった。見ると、恍惚の表情を浮か べた岩田が、大量吐血をしながら横転していた。
「───い、岩田!?」
慌てて駆け寄る舞のヘイゼルの瞳には、続いて異様なものが 映った。
ドアにもたれるように突っ伏した速水、文字通り廊下に引っくり 返っている若宮。脱力仕切って壁と仲良くなった瀬戸口に、床に 尻餅をついた来須。
「…どうしたお前らーっ!?」
「あ、まいちゃん」
舞の姿を見て、ののみが嬉しそうに近寄ってきた。続いて小杉も やってくる。
「皆サン、突然こけてしまったのデス」
「ねー。ののみ、びっくりしちゃったのよ」
呑気に言葉を交わす小杉とののみのふたりをよそに、舞は懸命に 瀕死(?)の男たちに声を掛けた。

「速水!瀬戸口!若宮に来須!岩田…は多分大丈夫だろうから ……しっかりしろ!一体誰にやられた!?」
『───あんただよ、あんた!』

口には出さなかったが、男性陣の誰もが同じ感想を胸に抱く。
それから数秒待って、グランドピアノの傍らで鎮座していた ベートーベンの胸像が、ぐらりと斜めに傾いた。



すべては、「駄洒落スキー」な管理者のせいです。
途中までちょっとノスタルジックにシリアス決め込んでいたのに、この一言で もう台無し。
ウチの来須先輩がお化けが苦手というのは、完全にオリジナル。精霊や人の想い など、自分の理解の範疇にあるものは平気なんだけど、いわゆる「お化け屋敷」 のような人工の類はダメ。
でも本音を言うと、ただ単に若宮に腕を絡ませた来須が書きたかっただけ…ゲ フンゲフン(汗)。
───噂では、この設定を用いた「邪な話」を企んでるとか、 いないとか(笑)


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