芝村の姫君の篭絡に失敗した翌日。

速水は、何処かもやもやした気持ちで学校に向かった。昨日のショックがまだ 尾を引いているのか、その足取りはやや重い。

「よっ、バンビちゃん。何朝からしけた顔してるんだ?」

突然、背後から細身の優男が抱きついてきた。瀬戸口隆之。5121小隊のオペ レーターにして、自称「愛の伝道師」である。
「もー、やめて下さいよ朝から」
「何だ?じゃあ、夜なら良い訳か?」
「そうじゃなくて……」
言葉を交わしながら、速水は知らず知らずのうちにこの瀬戸口という男の ペースに巻き込まれていくのを感じていた。
「おーい!」
横断歩道の向こうから、速水たちの姿を見つけた滝川が、息を切らせながら こちらに駆けてきた。
彼を見ていると、「本当に世の中には裏表のない正直な人間がいるのだな」と、 速水は素直に感心してしまう。
「お早う、速水。それに瀬戸口師匠」
「よぉ、滝川。お前、無事に戦車技能取ったんだってな。良かったな」
「おう、昨日芝村と訓練しまくったからな。あいつ、はじめはイヤな奴だと 思ったけど、何だかんだいって、俺が技能取るまでずっと付き合ってくれた んだ。後で会ったら、お礼言わないとな……」
鼻の下をこすりながら、滝川はへへ、と照れくさそうに笑った。

「………」

そんな滝川を、速水は気付かれないように小さく睨む。
そして、おもむろに口を開くと、
「その必要はないんじゃない?彼女の事だから、『そんな事を言う暇があった ら、死なないように努めるのだな』とか一喝されちゃうのがオチだよ」
「…そーかあ?」
「そうだよ」
怪訝そうな様子の滝川に、速水は僅かに声を大きくして言い募る。
「それよりも僕は、滝川が幻獣を倒してエースパイロットになる方が、何よ りのお礼だと思うけど」
「……そっか。それもそうだな」
単純に納得してしまった滝川に、速水は小さく息を吐く。
その横では、何かを知っているような顔で、瀬戸口が面白そうにふたりを眺 めていた。


やがて3人は、尚敬高校の正門に到着した。正面玄関を抜けて中に入ると、 見覚えのある後姿を目撃する。

「───噂をすれば、何とやら…だな」

言いながら瀬戸口は、校舎裏を颯爽と歩く舞と、お揃いのハッピを身に纏 った女子高の生徒たちを代わる代わる見た。
「あ、来たわよ」
「ホントだわ」
「みんな、いい?せーの、」
女子特有の黄色い声で囁き合う彼女たちに、瀬戸口はほくそえむ。
「…やれやれ。朝っぱらからこんな歓迎をされちゃ、授業をすっぽかして デートに行きたくなっちゃうじゃないか」
わざとらしく髪をかき上げて、女生徒たちの歓迎に応えようと、足を進めた。
だが、

「───芝村さーん!」

続いて聴こえてきた名前に、自称『愛の伝道師』は、前方に大きくつんの めった。
「……?」
思わぬ呼び声を聞いて、舞は何事かと振り返る。正面から舞の姿を認めた 女生徒たちは、更に声を張り上げた。
「…な、何なのだ?」
「芝村さん!私たち、貴方の私設ファンクラブです!」
「今日もとっても素敵ですね!」
「頑張って下さい!」
再度歓声を送る少女たちに、舞は些か困惑したような顔で首をひねる。
その横では、
「───納得いかん!」
いたくプライドを傷付けられた瀬戸口が、悔し紛れに声を荒げていた。


舞が着席しようとすると、机の中から夥しい数の手紙が零れ落ちてきた。
舞は落ちた手紙の束を拾い上げると、ひとつずつ目を通す。その内容の殆どは、 『貴方となら禁断の恋も怖くありません』『どうか私の○○になって下さい』
といった熱烈な恋文ばかりであった。

「妙な世の中になったものですなぁ…」
舞の様子を遠巻きに見ながら、若宮は言葉を紡ぐ。
「…どうしてあいつが俺よりモテるんだ……こんなマメな男、そうそういない ぞ。俺の何処があいつに劣っているというんだ」
ラブレターの数でも負けてしまった『愛の伝道師』は、ショックを抑えきれ ない声でげっそりと呟いた。
「貴方のは『マメ』ではなくて、単なる『節操なし』というのですよ。それに、 芝村さんは女性ですよ。女性と張り合って何をやっているのですか?」
瀬戸口の背後から、壬生屋が辛辣な棘を刺してきた。それを聞いて、瀬戸口は ムッとした顔で振り返る。
「───ほぉー…そいじゃ、その『節操なし』に相手にされないあんたは、 なんなんだい?」
「誰が貴方のような人と!だったら、まだ幻獣とデートをしていた方がまし ですわ!」
「片道切符のデートか」
「……なんですって!?」
声を震わせながら、壬生屋が迷刀「鬼しばき」に手を掛ける。しかし、幸か不幸 かHRの予鈴が鳴った。同時に教師の本田が入ってきたので、ふたりの対決は 中断される。
「おー!おめーら、今日も楽しく元気に訓練に励めよ!」
威勢の良い本田の掛け声で、今日も訓練の時間が始まった。


昼休み。
舞は売店でレターセットを購入すると、他のクラスメイトたちが数名で集ま って昼食を取る中、教室でひとり弁当を片手に、手紙の返事を書いていた。
右手で箸を操りながら、左手は器用にペンを走らせている。
「───君は、両利きなの?」
そこへ、机ごと舞の隣に移動すると、手作りのサンドイッチを携えた速水がや ってきた。舞は、一度だけ速水をちらりと見ると、すぐに視線を戻して黙々と 作業を続ける。
速水は、サンドイッチを食べながら、再度舞に話し掛けた。
「ねえ、舞…」
「…私の利き手は左だ」
手作りの玉子焼きを口に放り込みながら、舞は先程の速水の質問に答えた。
「…多目的結晶があるのに?珍しいね」
「幼少の頃に、右手の骨を砕いてしまった事がある。それ以来、左の方を多く 用いるようになってしまった」
顔は上げずに、舞は淡々と言葉を返す。やがて、最後の手紙の差出人への返事 を書き終えると、封筒に入れて、軽く糊付けをした。その量の多さに、速水は 目を丸くする。
「随分あるね…本当に全部に返事を書いたの?」
「何ゆえ私にこのようなものを寄越したのか、その本意は良く判らぬが、彼女 たちの手紙には、一生懸命書いた跡が見られていた。彼女たちの想いには応 えてやる事は出来ぬが、それでもやはり、きちんとした返事を書いてやらな ければならぬだろう」
至極真面目な顔でそう言うと、舞は手紙の束をトントンとまとめた。
そして、思い出したように顔を上げると、
「…ところで、そなたはどうしてこんな所にいるのだ?」
「え?」
「昼休みは限られているのだ。私の観察などと暇な事をしているよりも、他の 連中と昼食を取った方が良いと思うのだが」
そう言って舞は席を立つと、手紙の束を持って教室を後にする。

「……一緒に食べてたって思わないの?この状況見て」

取り残された速水は、思わずいつもの笑顔も忘れてぼやいた。


2日後。
ついに5121小隊に初陣の日が来た。

「緊張するなぁ…」
この度晴れて2番機のパイロットになった滝川は、慣れないコクピッドの中で 胸を躍らせていた。
「大丈夫、訓練と同じですよ…多分」
パイロットの中では年長者に当たる壬生屋が、そんな滝川を励まそうと通信機 越しに声をかける。だが、そんな彼女の声もまた、実戦を前に緊張しているの か僅かに震えを帯びていた。
「舞、いよいよだね。調子はどお?」
3番機の後部座席で計器の確認をする舞に、速水はいつもの調子で声を掛けて みた。
「───芝村に調子などない。覚えておくのだな」
顔を上げて短く答えると、舞は視線を士魂号の計器に戻した。
速水は、思わず心の中で顔をしかめたが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「…冷たいな。君は、僕の事が嫌いなの?」
わざと拗ねたような声を作って、速水は再度舞との会話を試みる。速水の質問に、 舞は再びこちらを見つめてきた。
ヘイゼルの力強い瞳が、しばしの間速水の美貌を捉えていたが、
「そなたは私の相棒だ。それ以上でも、それ以下でもない」
やはり、先程と全く同じ口調で答えた。答えられた方は、「…つまんないの」と 不平を漏らす。

『…なんなんだよこのコ。それって、僕にぜんぜん興味がないって事?』

速水は内心焦っていた。今まで自分を前にしてこのような反応を示した人間は、 かつて存在しなかったからである。

今まで生き抜いていくために、必死で磨いてきた処世術である。
笑顔ひとつで、大抵の女や男は、自分に夢中になる事も知っている。
それなのに、この芝村の姫君は、どのような手を尽くしても、自分と必要最低限 の接触しか持とうとしないのである。
嫌われているのならまだ手の打ち様もあるのだがそうでもなさそうだし、また好 かれているという訳でもない。
自分の手管に一向に反応の素振りを見せない舞に、速水はある種の苛立ちを
覚え始めていた。

「───ねえ、舞。僕に出来る事はない?君の為なら、僕は何でもするよ」
「……何故、そなたはそこまで私に関わろうとするのだ?」
なおも食い下がる速水に、舞は少しだけ目を丸くさせた。僅かに語尾を上げて問い 返しながら、三たび速水に視線を移した。
「前にも言ったでしょ。君の事が知りたいって」
言いながら、速水は日曜日に軽くあしらわれてしまったあの出来事を思い出して いた。
いつもならば、確実に女を陥落させていた速水の自信を、舞はものの見事に覆して くれたのである。
『───今までのようにはいかない』
小隊の他の女生徒や、巷あふれる普通の女のように扱う事は不可能だと悟った 速水は、とことん情けない男に徹する事にした。
そうやって、少しずつでも良いから舞の関心を引こうと考えていたのである。
「……」
舞は無言で速水を見詰めていたが、おもむろに口を開くと、次のように言った。
「それならば…一度でいい。そなたの笑顔を私に見せてくれぬか?」
「…そんなのでいいの?じゃあ……はい」
意外な提案に速水は拍子抜けしたが、それでも気を取り直すと、極上の笑顔を舞 に向けてみせた。
だが、
「違う」
普通の人間ならば、心を奪われずにはいられない微笑を、舞はちらりと一瞥した だけで、首を横に振った。
「え?」
「私が見たいのは、そなたの心の底からの笑顔だ」
「────!」
その瞬間、速水の顔はこれ以上ないという程強張った。顔色を失った口元は硬く 引き結ばれ、無意識に目付きも鋭くなる。

『……こいつ!』

速水は、自分の背筋が寒くなるのを覚えた。緊張と恐怖の中間のような感覚が、 全身を支配する。
あまりの衝撃に、取り繕うことも忘れて心の中で本音が出た。
「時間だ。行くぞ」
豹変した速水に目もくれず、舞はヘッドセットを装着すると、士魂号の挙動プロ グラムに入力を開始した。速水もまた、出撃中である事を思い出すと、動揺を 隠しつつ戦闘態勢に入る。


速水の危惧は的中した。

純粋培養と聞いていた芝村の姫君は、自分の処世術など、とっくに見抜いて いたのである。


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