何日ぶりかの青空が、熊本の街を見下ろしていた。

「………」
その青空を見上げながら、舞はひとり屋上に立ち竦んでいた。


数日間続いた激戦の末、5121小隊は、態勢の立て直しを余儀なくされた。
先日の出撃で、壬生屋の士魂号とスカウトのレールガンが、幻獣に破壊されて しまったのである。
士魂号は予備の機体と交換、レールガンは、到着まで暫く時間がかかるという ので、先に新しいウォードレスの調整が行われていた。
多少の戦力ダウンは仕方がないが、戦死者を出すよりはましである。
年若い学兵たちは、それでもそんな風に割り切って、戦力の補強に努めなくては ならなかった。


速水は、ここ2、3日舞と話をしていなかった。
喧嘩をしている訳ではない。速水どころか、仲の良いののみすらも、声を掛け られずにいた。
というのも、先日の出撃以来、何処か舞の機嫌が悪いのである。あまり授業に も出ず、ぼんやりとプレハブの屋上で、空を見上げてばかりいる。
速水や瀬戸口をはじめ、一部の生徒たちは、その理由を知っていた。
この学校に来てから舞が知り合った女子校の戦車兵が、先日の戦闘で戦死し たからである。
最前線の街での学兵の戦死など、そう珍しい事ではないが、その少女の死は、 舞の心に何らかの傷を残したようであった。


「たしかあのコだよな…こないだ、芝村と遊びに出掛けてたのは」
昼休み。速水と瀬戸口、ののみの3人は、教室で昼食を取っていた。
空になった弁当箱を片付けながら、瀬戸口が話を切り出してくる。

小隊発足後。女子校の生徒たちの間では、ある人物の噂が持ちきりであった。
ひとりは、言わずと知れた『愛の伝道師』瀬戸口隆之。
そして、もうひとりは何と舞であったのだ。机の中に手紙が入っているのは 勿論、普通は男子生徒にしか付かない筈の親衛隊が、舞に黄色い声援を送 っていた事もある。
その中のひとりが、例の少女であった。仕事の終わった夜の校舎外れで、半ば 強引に遊びに行く約束をさせられた舞は、面食らいながらもそれに同意した。

「あの時のまいちゃん、カッコよかったよねぇ。じょしこうのおねえさんも、 とってもうれしそうだったのよ」
瀬戸口の言葉を聞いて、ののみも話に加わった。タコさんウインナーをフォ ークで掴むと、速水を見る。
「……そうだったね」
ののみから僅かに視線を反らすと、速水は小さく応じた。

少女が戦死する前の日曜日。速水は、校門前に私服姿で人を待つ舞が気にな って、声を掛けた。

「この私と『デェト』がしたいなど、世の中にはとんだ物好きがいるとは思わ ぬか?」

そう言って舞は笑っていたが(「自分で言ってりゃ世話ねぇだろ」と、瀬戸口は 突っ込んでいたが)、精一杯めかし込んで現れた少女を見て、速水は、少しだけ 彼女が羨ましいと思った。
何故なら、自分には絶対に真似が出来ないからである。自分には少女のように、 何の打算も目論みもなく、純粋に舞に近づく事が出来ないからである。

あの日。友軍兵士として出撃していた少女は、砲弾の雨を掻い潜り、自分の戦 車を操っていた。
ところが、増援部隊として現れたキメラのレーザーに、コクピッドを直撃されて しまったのである。
どうにか幻獣を撤退に追い込んだ後、戦場掃除(戦闘終了後、死者の収容や行方 不明者の捜索を行う事)をしていた来須から、舞に通信が届いた。
「瀕死の学兵が、お前の名を呼んでいる」と。
報せを受けた舞は、士魂号から降りると、一目散に少女の元へと駆けていった。
そして、彼女の死を看取った後、来須と共に戻ってきた。
舞は、怒りとも哀しみともつかない表情をしていた。汚れた顔を拭いながら、 それでもしっかりとした足取りで帰ってきた。
「何かあったのですか」と尋ねる善行に、「顔見知りに、最期の別れをしてきた」 とだけ告げると、そのまま皆から顔を背けるように行ってしまった。

速水は、舞の背中を追おうとしたが、来須に止められた。
「今は放っておけ」
まるで何かを知っているような物言いに、速水はムッとした。思わず来須を睨 んだが、瀬戸口やののみに呼ばれたので、その場は引き下がる事にした。

「あんな可憐な女の子が、死んじゃうなんてな…はかないもんだよな」
窓枠にもたれながら、瀬戸口が苦々しげに呟いた。そして、今日も舞がひとり で佇んでいる屋上の方角を見つめる。
「ん?」
ふと、瀬戸口の視線が止まった。窓越しに、目の前を大きな影が通り過ぎたの である。
「…来須だ」
新たな瀬戸口の呟きに、速水とののみも窓側に移動した。
相変わらず帽子に隠れて、その表情は読み取れないが、来須の脚は、舞のいる 屋上へと向かっていた。
「……」
得体の知れない苛立ちに、速水は心の中で顔を顰めた。
彼と小杉が、芝村一族の命により、舞の守護者として行動しているのは、事前 の調査で知っているが、どうもこの頃、速水の目には、彼が主従関係だけで舞 の傍にいるようには思えないからである。
『…守護者は大人しく、守護者やってりゃいいんだよ』
苛立ちの正体に気付かない速水は、来須の背中を忌々しそうに凝視する。
「…おいおい。そんなに気になるなら、ぼうやも芝村の所に行ったらどうだ?」
「───え?」
瀬戸口の声に、速水は我に返った。
「俺が芝村だったら、筋骨隆々の来須よりも、美少年のぼうやに慰められた 方が嬉しいけどな」
「……そうだといいんだけどね」
速水は苦笑しながら、それでも教室の扉を開けると、屋上に向かった。


『普通にしていてくれ。そなたは、その方が美しいのだから』
聞き慣れていた言葉の筈なのに、舞からその科白を言われた時、何故だか速水 は、自分の鼓動が速くなるのを覚えた。
計画の為に誑し込まなければならない相手から、逆に口説き文句ともいえる言 葉を投げ掛けられてしまったのである。
そして、それを聞いた速水は、不覚にも胸を躍らせてしまった。

『この僕が…たかが女の子ひとりに心を奪われかけている?……そんなバカな』
自分の思考に慌てて首を振ると、速水は屋上に繋がる少々危なっかしい階段を 上る。
程なく屋上に到着すると、空瓶ケースを椅子代わりに腰掛けた、舞と来須のふ たりを見つけた。
「ま……」
「───舞」
舞を呼ぼうとした速水の声は、来須の言葉にかき消された。
普段寡黙な男の低い声が、自分よりも馴染んだ調子で、舞の名を紡いでいた。
「…ひとりくらいは、損得なしに彼女の死を悲しんでもいいと思うぞ」
「来須?」
「確かにお前は強い。…だが、お前は哀しみを堪えすぎる」
訝しむ舞をよそに、来須は続ける。

あの時、瀕死の少女に舞は懸命に呼び掛けていた。
やがて少女の生命が消えた後、来須は舞の様子に、思わず息を呑んだ。
舞の端正な顔は、涙と鼻水で汚れていた。漏れそうになる声を懸命に堪えなが ら、救えなかった生命をどうしようもない程悲しんでいた。
舞が涙を拭いて立ち上がるまで、来須はずっと見ない振りを続けていた。
………見てはいけない気がしたのである。

「───少なくとも俺達の…俺の前では、気を遣わなくても良い」
「……」
淡々とした、だが重みのある言葉に、舞は表情を揺らめかせた。来須から視線 を外すと、下を向く。
そのまま数回瞬きをすると、やがて舞はゆっくりと顔を上げた。目じりに僅か に滲んだ水分が、真昼の陽光に照らされて小さく輝く。
次の瞬間、来須もそして速水も言葉を失った。
今にも泣き出しそうな顔のまま、舞はニッコリと笑ったのである。
それは、いつもの自信に満ち溢れた彼女の笑顔とは、全く違ったものであった。
悲哀の感情の全てを押し込めた、本当に優しく、そして哀しい笑顔だった。
「…そなたの気遣いは、とても嬉しかった。…だが、私は泣かぬ」
「舞……」
「泣いて死者が甦るというのならば、私はいくらでも泣いてみせる。喉が破れ て血を吐こうが叫び続ける。身体中の水分を、全て涙に変えてみせる。…だが、 どんなに泣いた所で……死者は決して帰ってはこない」
舞は立ち上がると、晴れ渡った空を見上げてもう一度言った。
「──だから、私は泣かぬ。それよりも、死んでいった者達の仇を取る。生き ている者達を、この手で守り続ける。それが……私の選択だ」
「……」
来須は帽子を被り直すと、自分もまた立ち上がった。
「すまぬな。私は、意地っ張りで不器用な人間なのだ」
来須を振り返りながら、舞は苦笑する。
「───違う。お前は不器用な女だ」
「?」
来須の返事に、舞は今度は目を丸くさせる。
「…そなたが、男女差別をするような人間には見えぬが……別に、どちら でも良いではないか」
「女でいてくれ。…俺が困る」
「は?」
思わぬ言葉に、舞は声のトーンを上げた。来須の青い瞳が、舞のヘイゼル の瞳を見つめている。
まるで、その青に吸い込まれるような気がした舞は、来須から逃げるように 横を向いた。すると、その視線の先で立ち竦んでいる速水と目が合った。

「──速水」
「あ…」

声を掛けられた速水は、少し気まずそうに会釈をする。
「ゴ、ゴメン。立ち聞きするつもりなんてなかったんだ。何だか、声掛けづら くって……」
「…どうやら私は、そなたにまでいらぬ心配をさせてしまったようだな。もう 大丈夫だ。この数日間、本当にすまなかった」
「あ、ううん。元気になったんなら、良かったよ」
舞の謝罪に、速水は慌てて手を振る。
「そうだ。これからハンガーに行かぬか?久々にそなたと一緒に、士魂号のマ ッチングをしようと思うのだが」
「あ…ええと……」

願ってもない舞の提案であったが、何故だか速水は素直に喜べなかった。
先程までの一部始終を見ていた速水は、自分が来須から逃れる為の単なる手 段のような気になったからである。
勿論、舞がそんな事をするような人間には思えないが、今の速水の中では、舞の 誘いを受ける事より、来須への苛立ちの方が勝っていたのである。
「…悪いけど、僕ちょっと今用があるんだ。放課後に付き合う事にするよ」
「そうか。ならば、私ひとりで行くとしよう。また仕事時間にな」
「うん」
速水の返事に頷くと、舞はいつもの颯爽とした足取りで、プレハブの屋上を 後にした。
残された速水と来須のふたりは、そのまま暫くの間、無言で立ち尽くす。

「───言っておくけど」

速水が来須を上目遣いに見つめてきた。その顔には、いつもの柔らかな面影は なく、鋭利な刃物のような鋭い視線が研ぎ澄まされていた。
「君達の…君の助けなんかいらないんだよ。舞は『お姫様』じゃなくて、『騎 士様』なんだから。…役不足の人間が守護者ぶっても、みっともないだけだと 思うけどね」
はっきり言って負け惜しみであった。自分はこの男のようには舞に近づけない。
この男のように、親しげに彼女の名を呼ぶ事は出来ない。
それでも、速水は来須に何か言わずにはいられなかったのである。
自分に向けられたあからさまな嫌悪の態度に、来須は少しだけ表情を歪めたが、 それも束の間の事で、やがて踵を返すと、速水を残して屋上から姿を消した。


「…僕、一体何やってんだろ」
屋上の階段をとぼとぼと下りながら、速水は力なく呟いた。
昼休み終了の予鈴が鳴ったが、速水は教室に戻る気がしなかった。誰にも 見つからないように校外に出ると、その足で今町公園に向かう。
小さなベンチに腰を下ろすと、改めて速水は大きな息を吐いた。

この小隊に潜り込んでからというもの、速水の計画は狂いっぱなしであった。
舞の事もあるが、それ以上に、自分が今の環境に驚くほど馴染んでしまって いるのである。
はじめは、計画の一環として小隊の仲間たちと過ごしていた速水だったが、 ふと気が付くと、そのような状況を心地良いとまで思っている時があるのだ。

「僕はあいつらの…みんなの事を信じ始めている…?お人よしを演じている うちに、本当にそうなっちゃったのかな?」
速水の頭の中で、舞の言葉がよみがえる。
『そなたは今ここにいて、私たちと共に戦い、そして生きている。…それで 充分ではないのか?』
「舞…」
力強く、優しい舞。彼女に見つめられると、何故だか速水は息苦しくなる。
学校生活でも、戦場でも、最近彼女の事が頭から離れない。
舞が気になるのは、彼女が計画の標的だからだ、と言い聞かせていたが、もう そのような言い訳は、速水の心には通用しそうになかった。
屋上で舞が来須とふたりでいた時。確かに速水は来須に嫉妬していたのである。
姫君を近付けまいとする『守護者』にではなく、彼女に近づくひとりの『男』 として。
つい最近までの自分には、とても考えられない事である。
普通の人間として振舞っている自分を、どうしてこんなに自然に感じる事が出 来るのだろうか。
「……帰ろう。やりたい事をする為には、まずは生き残らなくちゃね」
悩むのはいつでも出来る。それより今は、自分の居場所を安定させる為にも、 一介の学兵としてやらなければいけない事がある。
速水はそう思い直すと、ベンチから立ち上がった。

先程とは幾分軽い足取りで、速水は元来た道を歩いていた。
午後の授業はとっくに始まっているが、手の空いている教師に連れて行って 貰えば、ペナルティを食らわずにすむ。
学校に到着した速水は、今度は堂々と校舎内を歩いてプレハブに向かった。
ところが、坂上や本田はおろか、副担任の芳野にも会う事が出来なかった。
仕方がないので、そのまま女子校の廊下を抜けて、プレハブまで足を進める。
すると、小隊長室から微かに電話の呼出音が聞こえてきた。
「…?」
昼休みや勤務中なら、事務官の加藤が応対しているが、流石の彼女も今は 授業中である。放っておいても構わないが、幻獣が増えだした最近の戦況 が戦況だけに、緊急連絡の可能性もある。
速水は隊長室のデスクに向かうと、受話器を取り上げた。
「はい、こちら5121小隊です」
加藤ほどの演技は無理だったが、速水は努めて営業用ヴォイスで応えた。
『…そちらに速水厚志くんという人は?』
受話器から、男の声が速水の名前を尋ねてきた。思わぬ指名に、速水は内心 で訝しがる。
「速水厚志は、僕ですけど…」
それでも速水が返事をすると、今度は受話器から忍び笑いが響いてきた。
『……随分と、ヒラの学兵が板についている声だな。大した化けっぷり じゃないか。…え?ブルー・ヘクサのキイクニ』
「────!?」
続けて男が語った単語に、速水は全身が総毛立つのを覚えた。受話器を持 つ手が、小刻みに震えだす。
「…お前は誰だ」
速水の声色が変わった。クラスメイトたちの前では絶対に使わない鋭利な 声で、受話器の向こうに詰問する。
『ご挨拶だな。自分がその手に掛けた相手を、忘れたのか?』
「何だと?」
『俺は死神だよ。お前に復讐する為に、地獄から甦ってきたのさ』
「ふざけるな!」
飄々とした男の態度に、速水は思わず声を荒げた。
『ふざけてなどいないさ。…何なら、確かめてみるか?俺は、お前の近くに いる……この看板は、尚敬…高校と読むのか?』
速水は受話器を叩き付けると、小隊長室を飛び出した。校舎裏を駆け抜けて、 一気に校門まで辿り着く。

「!」

すると、そこには携帯電話を持ったコート姿の男が立っていた。速水の姿を 確認すると、面白そうに口元を綻ばせる。
「───そんな…バカな……お前は!?」
「久しぶりだな。会いたかったぞ…キイクニ」
正面に立つ男を見て、速水は愕然と目を見開く。

男は、嗄れた声でもう一度笑ってみせた。



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