翌朝。

来須は、士魂号の眠るハンガーに到着すると、無言で3番機のハッチを空けた。
ご多分に漏れず、中から毛布にくるまった舞が滑り落ちてくる。
地面に落下する前に、来須は舞の身体を受け止めると、「朝だ」と短く声を 掛けた。
「…あれほど家に帰るか、せめて詰所で眠れと言っているだろう」
半ば呆れながら、来須は舞をたしなめた。一応姫君の守護者としては、迎え に行く場所が屋敷でも学兵用宿舎でもなく、士魂号の中というのは、正直言 って勘弁して欲しい。
「……速水を待っていたのだ。結局現れずじまいだったがな」
髪の乱れを整えながら、舞はひとつ欠伸をする。
「…昨日は、早退したのかも知れんぞ」
「あやつが人との約束を、何の理由もなく反故にするなど考えられん。仮に 都合が悪くなったとしても、必ず誰かに伝言を残す筈だ」

屋上で別れてから、舞は速水に会う事はなかった。
午後の授業で見かけなかったので、少し気になってはいたのだが、それでも 約束をしたので、放課後になれば来るだろうと高を括っていた。
ところが、勤務時間が終了しても、速水は姿を現さなかった。何か特別な用 事でも出来たのかと、滝川や瀬戸口に尋ねてみたが、彼らも何も聞いていな いと言っていた。

「教室に行けば、会えるのではないか?」
「それなら良いのだが……」
舞は、凛々しい曲線を描いた眉を顰めると、腕を組んだ。するとそこへ、素っ 頓狂な少女の声がハンガーいっぱいに響き渡る。
「た〜いへ〜ん!大ニュース、大ニュースなんだってばぁっ!」
弾丸のように現れたのは、整備兵の新井木勇美であった。舞と来須の姿を見つ けると、
「あっ、来須せんぱぁーい!」
いつもよりワントーンは高い声で、その小さな身体を来須の大きな胸に押し 付けた。
「……何が大変なのだ?」
舞に尋ねられて、新井木は邪魔者を咎めるような視線を向けてきたが、やがて 来須から離れると、次のように言った。
「そうそう。突然なんだけど…速水くんが、この小隊を出て行く事になったん だって」
「速水が!?」
新井木の言葉に、舞と来須は声を揃えて驚愕した。


新井木に連れられてプレハブ校舎前まで来た舞と来須は、小隊長室にできた 小さな人だかりを見つけた。
その一番後ろで中の様子を窺っている、褐色の美女の姿を認めると、舞は小走 りに近づいた。
「小杉。一体何があったのだ?」
「あ、舞サン。来須クンも」
舞の質問に、小杉は人だかりの真ん中を指差した。
そこには隊長の善行と、教官の本田に坂上。そして、見た事のない痩せぎすの 男が、善行たちに頭を下げていた。

「本当に、この度は突然な事で……」
「いえ…我々としては残念ですが、そういう事情なら仕方ありません」
教師たちの言葉に、男はか細い声で挨拶を繰り返しながら、何度も頭を下げ ていた。

「…あの男は誰だ」
声をひそめて、来須は小杉に尋ねた。
「速水サンの親戚の叔父さんだそうデス。何でも、ご両親をなくした速水サン と養子縁組の手続きをしたとかデ、実家のある岡山に戻る事になったそうデス。 それで速水サンも、向こうの小隊に転属するって……」
「速水の姿が見えないが…」
男を目で追いながら、今度は舞が小杉に尋ねる。
「今朝、一番の列車で先に向かったそうデス。あのヒトの話では、速水サンが 『みんなの顔を見ると、別れが辛くなるから』って、言ってたソウデスけど……」
口ではそう言うものの、小杉は、男に不審な目を向けていた。そして、それは 彼女だけではなく他のクラスメイトたちも同じであった。
全員が、速水の叔父と名乗る男に、違和感を抱いていたのである。

「…胸の奥がざわつくのよ。あのひと、あっちゃんのおじさんじゃないような 気がするのよ」
「ののちゃん?」

小杉の隣で、瀬戸口と、彼に肩車をされたののみの声がした。
「…どうした?ののみ」
舞は傍まで歩み寄ると、ののみを見上げた。
「まいちゃん、たいへんなのよ。このままじゃ、あっちゃんが危ない目にあう ような気がするのよ」
「どういう事だ?」
「えっと、よくわかんないんだけど…とにかくあのひとは、嫌な感じがするの。 あのひとは、あっちゃんのおじさんなんかじゃないのよ」
「……」
男と舞を交互に見ながら、ののみは必死で言葉を紡ぐ。だが、上手く説明できない ようで、やがて「うーん」と小さく唸ると、瀬戸口の髪に顔を埋めてしまった。
「瀬戸口。そなたはどう思う?」
舞は腕を組み直すと、ののみをあやしている瀬戸口に声を掛けた。
「俺も…何か変な気がする。善行のダンナが言うには、すでに岡山への転属届は 受理されていたそうだが、昨日までのぼうやの様子からは、とてもそんな風には 見えなかったぞ」
瀬戸口に続いて、小杉も同意の声を上げた。
「ワタシもそう思いマス。もし本当に速水サンが熊本を離れるとしたら、必ず ワタシたちにお別れを言う筈デス」
「同感だ。それに…あいつは、お前に黙って出て行くような男じゃない」
帽子を被り直しながら、来須は舞を見た。
舞は、人差し指と親指で自分の頬と顎を挟むと、暫くの間思考を巡らせていたが、 やがて何を思い付いたのか、群集を掻き分けて善行たちの前まで足を進めた。
呆気に取られる善行や本田たちをよそに、舞は男の目の前に立つ。

「……君は?」
突然の来訪者に、男は不審な顔をする。
「…私は、速水くんと同じ部署で戦車のパイロットをしている者です。本当は、 直接速水くんに挨拶をしたかったのですが……」
新参の女子学兵のふりをしながら、舞は男に会釈をして見せた。声色もそれらしく 作っているので、傍から見れば、とてもあの芝村一族の人間とは思えないだろう。
「…そうですか。厚志くんが、お世話になったようですね」
舞の言葉を聞いて、男は態度を柔らかくすると、舞に会釈を返した。
舞は男の手を取ると、わざと詰め寄るように上目遣いに男を見つめる。
「どうか…速水くんによろしくお伝え下さい」
「え、ええ…判りました」
唇を噛み締めて表情を曇らせた舞に、流石に男も掴まれた手を邪険に振り払わ なかった。舞の手がゆっくりと離れるまで、そのまま好きにさせていた。
やがて、舞は悲しそうな顔で俯くと、男の前から走り去る。
「……アカデミー賞もんだぜ」
周囲にいた全員の気持ちを、瀬戸口が心底呆れた声で代弁した。


速水の叔父と名乗る男が学校から去った後。
取りあえず、いつものように午前の授業が行われた。
1組の教室の前列では、主のいない机が奇妙な空間を作っていた。その隣に坐 る滝川も、何処か落ち着きがなくそわそわしている。
無感動に本田の話を聞く舞の頭に、小さい塊がぶつかった。手に取ると、折り 畳まれた手紙が入っていた。
僅かに顔を動かして後ろを見ると、瀬戸口が小さく手を振っている。
舞は手紙を広げると、中身を確認する。

『お前、さっき何をやっていたんだ?』

舞は、ノートの一番後ろのページを破ると、シャーペンを動かして返事を書いた。
そして、器用に紙風船の形を作ると、本田が黒板を向いた隙に、後ろを振り返 って瀬戸口に投げ付ける。
魅力以外の数値の全てが4ケタという、驚異的な能力の持ち主である舞の 放った紙風船は、絶妙なコントロールで瀬戸口の額を直撃した。
小気味良い音が教室に響いたが、瀬戸口は辛うじて悲鳴を飲み込んだ。
「おのれー…俺の自慢の顔を……」
舞の背中を睨みながら、瀬戸口は自分を襲った紙風船を解体する。
そこには達筆な文字で、『昼休みまで待て』と書いてあった。


授業終了のチャイムと同時に、善行・舞・瀬戸口・来須は小隊隊長室に集 合した。少し遅れて、2組の小杉もやってくる。
「善行のダンナ。本当に坊やは、岡山に転属したんですか?」
単刀直入な瀬戸口の問いに、善行は丸眼鏡を押さえながら、渋い表情を作った。
「……正直な所、判りません。私も、今朝になって急に言われたものですから」
「はあ?なんだよそりゃ?」
思わず階級を忘れて、瀬戸口はぼやいた。だが、善行は気にせず話を続けた。
「…たしかに、速水くんの転属届と、親戚の方の養子縁組に関する書類には、 役所と上官のサインがしてありました。それに資料によると、彼の本籍は岡山 にあるようですし、形式の上では疑いようもありません」
「見せてくれ」
隊長室の机の書類を、舞は取り上げた。彼女にとっては見慣れた人物でもある 上官のサインが押されていた。
「…『速水厚志。1984年10月4日岡山県生まれ。5歳の頃、父親の仕事の都合で 熊本に移住。中学在学中に、交通事故で両親が死亡。その後、徴兵により戦車 学校へ転属、5121小隊に配属』……か」
「プロフィールを見る限りデハ、正当ダとしかいえませんネ」
「───それが真実ならな」
小杉の呟きに、来須は低い声で応じた。
「…気に入らないな。都合が良すぎる」
舞が持っていた速水の履歴書をひったくると、瀬戸口は胡散臭そうにそれを見 つめる。ふと、何かを思い出したように顔を上げると、舞に向き直った。
「そうだ…芝村。お前さん、さっき一体何をやってたんだ?」
「ああ、あれか?あれはだな…」
言いながら、舞は横目で小隊長室の窓に視線を走らせる。
すると、突然奇妙な白衣を身に纏った男が、身体を滑り込ませてきた。

「フフフフ。やっと、私の出番のようですね」
「岩田。今日も、中々歌舞いた出で立ちだな」
「そうでしょう。3時間掛けてメイクした甲斐があったというものですよ」

2組の整備士岩田裕は、舞の言葉に気を良くしたのか、その場でくるりとタ ーンをしてみせた。
アホなギャグに生命をかける男と、かつてそのアホの発明品(自爆装置)の被 験者となった女は、すっかり意気投合したようである。
「…ふたりとも、さっさと本題に入ってくれませんか」
襲ってきた頭痛を抑えながら、善行は話を切り出してきた。
「フフフフ。判りました。さっき芝村さんはですねぇ、あの男にコレを取り付 けていたのですよぉ」
岩田が大げさな身振りで、白衣のポケットから小さなビニール袋を取り出した。
中で、透明のフィルムに包まれた極小の粒が、青白い光を放っている。
「…岩田特製の、超小型発信機だ。男のはめていた腕時計に忍ばせておいた。 私の端末を使えば、やつの足取りを辿ることが出来る。これで、おのずと速水 にも繋がる筈だ」
「私の芸術的作品が、思わぬ所で役に立ちましたねぇ。ああ…私は私の才能が 怖い……はうぁ!」
恍惚のポーズを取りながら盛大に吐血した岩田を余所に、舞は、自分専用の
ロッカーからノートパソコンを取り出すと、発信機の反応地帯を捜索し始めた。
「芝村さん」
端末を操る舞に、善行は声を掛けた。
「何だ?委員長」
「そのような旧式の端末を扱うよりも、多目的結晶でアクセスをした方が、 効率が良いのではないのですか?」
「…それではダメだ。連中に情報が漏れてしまう。少々手間はかかるが、これ なら不意に、予期せぬデータを入手してもバレる確率は少ないだろう……何 せヤツらは、私がこんな骨董品を所有しているなど考えてはおらぬからな」

舞の口から出た『連中』という言葉が、誰の事を指しているのか、善行は即座 に理解した。
芝村一族の末姫。だが、姫とは名ばかりのこの少女は、己の運命と真っ向から 闘い続けていた。
自分や他人の可能性を信じ、芝村として利用できるものは利用し、時にはその 芝村すらも欺いた行動を起こす。
その姿は、かつて善行が接触した事のある「あの男」を彷彿とさせていた。
───もっとも、舞が聞いたら、憤然とそれを否定するだろうが。

「何か光ってマス!」
液晶画面に青い光が点灯し、動き始めた。小杉が声を上げて端末を覗き込む。
「やはりな。ヤツは、熊本から出ておらぬ」
移動する青い点滅を追いながら、舞は小さく呟く。
「…となると、ぼうやもまだ熊本の何処かにいる可能性があるな。場所の特 定は出来ないのか?」
瀬戸口は、身を乗り出すようにして端末の画面を見た。無意識に舞の両肩に 自分の手を置く。
その様子を少し遠くから眺めていた来須は、僅かに眉を吊り上げた。
「今やっている。待つがいい」
瀬戸口の要望に応えるように、舞はてきぱきと情報の処理に取り掛かる。通常 の倍以上のスピードで、鮮やかにキーボードを叩き続けた。

「みんな集まって、なにしてるの?」

その時。小隊長室のドアから、ののみがひょっこりと姿を現した。
「東原さん。頭の痛いのは治まりましたか?」
「うん…じゃない、はい。いいんちょ。ののみ、もうだいじょうぶだよ」
善行の問い掛けに、ののみはニッコリと笑って頷いた。トコトコと歩み寄ると、 善行の机を借りて、端末を操作する舞の机に近づいた。
「まいちゃん、かっこいいなあ。まるで、おとーさんみたい……」
ののみは、舞の横顔をウットリと見つめていたが、その内に端末に興味が沸 いたのか、瀬戸口の脇から顔を出して、画面に視線を移し始めた。
「…ヤツの動きが止まった。何処だ?ここは……」
検索を繰り返しながら、舞は目を細めて画面を凝視する。
「おかしいデスね。点滅しているトコロだけ、地図や標識が何も出てきま センよ」
「…何か軍に関する施設があるのかも知れぬ。この端末は、旧型の上に一般家庭 用だからな…購入したのも、新市街の中古屋だし」
先代の機器を操る故の障害に、舞は顔をしかめる。
「周辺の地図を拡げてみますか。表示された箇所を繋ぎ合わせれば、何か判る かも知れません」
善行の提案で、再び捜査が続けられた。舞と小杉は周辺の割り出しを、瀬戸口と 来須は、善行が用意した熊本市街の大地図にチェックを入れて、しらみつぶし に探し続ける。

「…あれぇ?」

忙しく動く舞たちの様子を、ののみは大人しく見つめていたが、端末と地図を 見比べると、突然声を上げた。
「ののみ…ここ知ってるよ」
のんびりとした声に、舞たちは一斉に振り返る。
「本当かい!?」
「うん。だって……」
小さく首を傾げると、ののみは自分を見下ろす瀬戸口に向き直る。
「──だって、ののみはここにいた事があるから。ここでののみは、じんこー ちょーのーりょくの実験をしていたのよ」
幼い少女の無邪気な言葉は、全員をその場に凍り付かせた。



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