「うわあああぁっ!」

自分の悲鳴で、速水は目を醒ます。
ここに連れて来られてから、何度悪夢を見たか判らない。それは決 まって、自分が小隊のメンバーたちをその手に掛け、舞に侮蔑の眼 差しを向けられる夢であった。

「……」
目尻にこびりついた涙の跡を、速水はしゃくり上げながら拭おうと したが、両手が不自由な事に気付き、それを諦める。
もう、眠るのが怖かった。
夢の中で見せ付けられる凄惨な光景に、度重なる疲労も手伝って、 速水の気力は限界に来ていた。
「お願い…もうやめて……」
誰に言うでもなく、速水は力無く懇願の呟きを漏らした。すっかり 腫れ上がった瞼を備え付けの鏡に映し出す。
「……?」
眼前に垣間見えた青白いものに、速水は不審気に顔を上げる。
数秒待って、その青いものが己の前髪である事に気付くと、その美 貌が恐怖と戦慄に引きつった。
「ぁ…ああぁ……!」
鏡の向こうの速水が、強張った表情で自分を見つめ返してくる。
度重なる精神的苦痛で、染料の落ちた速水の髪は、不自然なま での青色を覗かせていたのである。

『いい気なものだな』

不意に、鏡の向こうの速水がこちらの速水に語りかけてくる。
次第にその姿は、速水とは異なる少年へと変化していった。
「…君は!」
少年の姿を確認すると、速水は愕然と目を見開く。
『僕の存在をその手で無理矢理隠匿した結果がこれか…いや、僕 だけじゃなく、僕の父や母も…何もかも』
「──仕方なかったんだ…!僕は…僕が生きていく為には、こうす るしか……」
『違う。君は、誰でも良かったんだ。自分の身勝手なエゴの為だけに、 僕たちをはじめとする、一体どれだけの人間を手に掛けたんだ?』
鏡の向こうの少年の瞳が、怯えた小動物のような速水の姿を糾弾す るように見つめ返してくる。
「───!?」
鏡の向こうから、少年がすり抜けて速水の前に近付いてきた。
速水と同じ小隊の制服に身を包んだ、しかし、速水とは全く異なる風 貌を持つ少年の姿が。
「許して…お願い……許してぇ!」
恐怖に顔を引きつらせながら、速水は絶叫を放った。


先程小隊長室で調べた地図と、善行から貰ったファイルを頼りに、舞・ 瀬戸口・来須・小杉の4人は、今では廃屋となっている施設の探索を 行っていた。
「……距離にしても、せいぜいこの程度だったか。もっと、遠くに あるもんだと思ってたけど」
口調は変わらなかったが、瀬戸口の表情は、いつになく引き締まって いた。

市街地から数キロ離れた場所に、「それ」は存在していた。
『危険につき立ち入り禁止』と看板が立てられ、バリケードが築かれた 入口を、一行は反対側の建物の影から静かに見つめる。

「あんな寂しいトコロで、速水サンはひとりでいるのデショウカ」
手を組みながら、小杉はその大きな瞳を苦しそうに細める。
「多目的結晶さえ使えれば、こっちから坊やに脱出の手引きも出来る っていうのに……」
「───そんな事をすれば気付かれる。逆上した犯人が、速水に危害を 加える可能性もあるぞ」
「判ってるってーの!それが出来れば苦労はしない、って言いたかった だけだよ!」
来須の指摘に瀬戸口は声を荒げたが、舞に制されて、口をつぐんだ。

「……」

舞は、いつものクセで己の親指と人差し指を、顎と頬にあてたまま、建 物の様子を窺っていた。その美貌に彩りを添えるヘイゼルの瞳が、いつ にない警戒色を帯びている。
「舞サン…大丈夫デスカ?」
大柄な身体を屈めて、小杉が舞の様子を覗き込んでくる。
優しい女守護者の視線に気付いた舞は、つと顔を上げると、「すまぬ、 考え事をしていた」と短く答えた。
顔から指を離しながら、舞は暫く口の中で、何やらモゴモゴと呟いてい たが、おもむろに立ち上がると、腰に差した2本の小太刀にそっと手 を重ねた。

「…二手に分かれよう。瀬戸口、すまぬが私についてきてくれぬか。 小杉と来須は、ここで待機していてくれ」
「──え、俺?」

舞の提案に、瀬戸口は思わず自分を指差しながら語尾を上げた。
傍らにいた来須も、訝しげな視線を舞に向けている。
「ちょっと待ってクダサイ。ふたりだけで行くなんて、いくら何でも 無茶デス」
「大丈夫だ。先程善行から貰った地図は正確なようだし、何もわざわ ざ総出で押しかける必要などない。…それに、」
口元に笑みを浮かべて小杉を制すと、舞はヘイゼルの瞳を曇らせる。
「万が一…私がしくじった時に、守護者であるそなたたちまで関与し ている必要はない」
そう言うと、舞は懐から和紙に墨で「陳情書」と綴られた手紙を、来 須に手渡した。
「……?」
「翌朝になっても私が戻ってこなかった時は、その書を我が従兄に渡 してくれ。騒動の原因は、あくまでも私ひとりの暴挙によるものであ り、そなたたちには一切関わりがないという証拠だ」
達筆な書面を手に、来須は顔を横に向けて小杉を見る。
自分の視線に気付いた小杉が力強く頷いたのを確認すると、来須の手 は、舞の陳情書を破り捨てた。
「な……」
「見くびらないで貰おうか」
四散する和紙の切れ端を宙に舞わせながら、来須は低く呟く。
「俺たちの主(あるじ)は、『芝村』ではない」
「──ソウデス、舞サン。ワタシたちのマスターは、あなたデス」
ふたりの守護者の言葉に、舞の表情が一瞬揺れた。
「まったく…不器用な奴らだな。主が私でなければ、芝村とはいえ 比較的平穏な生活が送れたものを」
努めて感情を隠すと、舞はぶっきらぼうな返事を返す。
「そなたたちの心意気は、確かに受け取った。…だが、まずは私と瀬 戸口で様子を見てくる。あの建物は意外と狭い。長身のそなたたち よりも、私のような小柄な者の方が偵察には向いている」
舞は来須と小杉を見上げると、小さく微笑む。
「ある程度中の様子が判ったら、一度連絡をする。その時は、速水の 救出に手を貸して欲しい」
「…判りマシタ。デモ、気を付けて下サイ」
小杉の言葉に頷くと、舞は瀬戸口と共に建物の中へと消えていった。


裏口から建物の内部に侵入した舞と瀬戸口は、周囲を警戒しながら、 過去に実験体を収容していた病棟を探索していた。
電源が落ちているのか、まだ太陽が空を照らしている時間であるに も関わらず、その内部は暗く、鬱葱とした雰囲気を醸し出していた。

「───そろそろ聞かせてもらおうか」

壁に背をもたれさせながら、瀬戸口が小声で舞に尋ねてくる。
「何をだ」
「お前さんが、単なるタッパ(身長)だけで俺を選ぶ筈がないからな。 本当の理由は何だ?」
「……感じないか?『ここ』を取り巻く異様な気配を」
逆に舞にそう問い返されて、瀬戸口は神経を研ぎ澄ますと、建物を流 れる「気」を読み取る。
否や、
「───バカな…これじゃまるで……」
微かに感じる人の気配と、それ以上に否が応にも伝わってくる異形の感覚。
瀬戸口は弾かれたように顔を上げると、その甘いマスクをこれ以上ないと いうほど強張らせた。
「ここは、一筋縄ではいかぬ……これが、そなたを選んだ理由だ」
周囲の気配を覗いながら、舞は己の腰に差された小太刀の感触を確かめる。

「歪んでしまった人の心は、こうまで禍々しいものになるのだな…おそら く『やつら』は、速水をかどわかした男が生み出した妄想…いや、狂想 ……といった所か」
「───『やつら』?」

瀬戸口の質問に、舞は顎で壁の向こうを指す。
見ると、数体の人影のようなものが、揺らめきながらこちらに近付い てきていた。
警備の人間にしては妙に緩慢な動作だな、と訝しがる瀬戸口の瞳は、 次の瞬間、驚愕に見開かれる。
ただの人影かと思っていたものは、その全身におぞましいほどの異形 の物の怪が取り付いていたのである。
それは普段、舞たちが戦場で対峙する幻獣とはまた違った、「あしき ゆめ」そのものであった。
舞と瀬戸口の姿を確認した物の怪たちは、それまでとは比べ物にな らぬほど俊敏な動作で、手に出現させた鋭利な刃を投げ付けてきた。
舞は腰から小太刀を抜くと、目の前にかざした。キン、と音を立てて、 数本の刃が宙に翻る。
「──大義の為にまかり通る。…さがれ」
悠然と歩を進めながら、舞は異形の者たちに言い放つ。
だが、言葉が通じていないのか、あるいは侵入者の提案を拒否してい るのか、人の姿を借りた物の怪たちは、目の前の小柄な少女を排除せ んと、襲撃の体制を取った。
「避けろ、芝村!来るぞ!」
瀬戸口の呼び掛けに舞は答えない。両の小太刀を構えたまま、異形の 者たちを睨みつける。
物の怪の一体が、まさに舞の胸元をえぐろうとしたその時。
「キシャアアアッ!」
つんざくような奇声が、瀬戸口の鼓膜を刺激した。突然の出来事に、 瀬戸口は舞の方へと頭を動かす。
舞は一歩も動かずに立ち竦んでいた。見ると、彼女の前に覆い被さる ように肉薄していた物の怪が、ズルズルと崩れ落ちていく。
「芝村…?」
無言の舞に、瀬戸口は不審な視線を送る。足元でしゅうしゅうと消失 していく物の怪をよそに、舞はボソリと地を這うような低い声で呟 いた。

「頼むから外さんでくれぬか……私を繋いでいる鎖を!」

それは、今まで聞いた事がないほど低く、硬質な声であった。
そんな舞の声に呼応するように、今度は数体の物の怪たちが、一斉に 飛び掛ってくる。

刹那、舞の周囲を漂っていた「気」が爆発した。


「───!?」
突如、建物の向こうから感じた「気」の昂りに、来須は帽子の影でそ の目を見開いた。
『バカな…何故この「気」が…?』
彼の知る限り、強大な能力を誇る男に限りなく近い「気」が、来須の 全身を刺激する。
ありえない。このような絶大な「気」の持ち主が現れるなど。
『自分がこの世界にいる限り起こり得ない』現象に、来須は内心で狼 狽した。
「───あ、来須クン!?何処に行くデスか!?」
「奴らを追う。ここで待っていろ!」
小杉への返事もそこそこに、来須は立ち上がると、自分もまた建物の 中へと駆けていった。


舞の小太刀が振り上げられたかと思うと、物の怪たちの身体は、彼 女の服にも触れる事が出来ずに分断される。
「───外さんでくれ、と言った筈だ……」
霧散していく物の怪たちの成れの果てを、舞は無感動に見下ろしていた。
いつもとはまるで違った彼女のヘイゼルの瞳に、瀬戸口は背筋が寒くな るのを覚える。
「な……?」
まるで研ぎ澄まされたような冷たい視線に、瀬戸口は戦慄した。
何故なら、目の前の少女の瞳の険しさは、かつての自分そのものであった からだ。
先程の気の高まりで解けてしまった髪をかき上げながら、舞は後方で こちらの様子を窺っている別の物の怪たちを、面倒臭そうに見やる。
その姿は、いつもの「芝村の姫君」と呼ばれる彼女のものではなかった。
まるで、何かの制御でも解かれたような、まさにあの一族から脅威の対 象とされている『変異体(イレギュラー)』が、瀬戸口の傍で佇んでい たのである。

この世界の『決戦存在』を生み出す為のスケープゴートが、突然変異を 起こしたと聞かされた時、瀬戸口は別段気にも留めなかった。
竜のエサは、何も彼女だけではないのだから、例え失敗したとしても、 他の実験体を頼ればすむ事であったからだ。
しかし、「エサ」である筈の存在が、その「竜」すらも凌ぐ力を身に付 けていたとしたら。

『これが…「連中」の言っていた諸刃の剣か。イレギュラー……間違い ない、コイツは正しくあの男の娘だ……!』
ありえない筈の仮定が、目の前に現れた事に、瀬戸口は何故か驚愕する よりも、ある種の興奮を覚えていた。
そして、喉の奥で低く笑うと、自分もまた一歩足を踏み出して、美醜 二種類の化物が対峙する戦場へと躍り出る。
「イレギュラー、」
顔を上げると、瀬戸口は少女のもうひとつの名前を口にする。
「お前の小太刀を一本貸せ」
「…どういう風の吹き回しだ?」
「ひとりよりも、ふたりの方が効率が良い。それだけの事だ」
「『年寄りの冷や水』は、身体に毒だぞ」
小さく笑いながら、舞は逆手に握られていた小太刀を瀬戸口に渡し た。
「この身体は、現役そのものだ。忘れないで貰おうか」
「せいぜい、息切れを起こさぬようにな」
小太刀を握り締めながら、ふたりは異形の物の怪に向き直る。


(絵師:霧風 要)

「遅れを取るなよ、若造…」
「──そちらこそ。つまづくなよ……ご老体」
かつて「舞踏」と言われた男と、変異体と呼ばれる「騎士」は、ま るで舞でも舞うかのように、物の怪たちに斬りかかっていった。


舞たちが開けていった裏口から、来須もまたその大柄な身体を建 物の中に滑り込ませる。
周囲を漂う幾ばくかの青い光を尻目に、来須はふたりの後を追いか けた。途中、何か争ったような形跡があったが、先程のような強大 な「気」は、もう微塵も感じ取る事が出来なかった。
「……」
来須は落胆の色を隠せなかったが、舞たちと合流するのが最優先だ と思い直すと、ふたりの気配を探ろうと、精神を集中させる。
すると、

「そっちじゃないよ」

来須の背後から、少年の声が聞こえてきた。予期せぬ出来事に、来 須は警戒しながら振り返る。
そこには、5121小隊の制服を身に纏った見知らぬ少年が、何処か朧 気な様子で佇んでいた。

    

 
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