5121小隊の制服を身に付けた見知らぬ少年に、来須は帽子の影で瞳を 不審気に細めた。
「…お前は誰だ」
明らかにこの世のものではない少年の姿に、来須は低い声で尋ねる。
だが、少年は来須の質問には答えず、逆に話を切り出してきた。
「ここに入ってきたふたりなら、あっちへ行ったよ。君と逆方向」
「…ふたり?」
「君の仲間でしょう?やたらめったら強い女の子と、随分と若作り なおじいさん」
続けられた言葉に、来須は僅かに瞳孔を開く。
「…判るのか?」
「案内するよ……大丈夫、僕はただの幽霊。君をどうこうするな んて、出来ないよ」
「……」

少年の誘導に、来須は黙って後をついて行く。
確かに彼の言うとおり、実体を持たないこの少年では、来須に危害 を加える真似など不可能であろう。
だが。少年の姿に、来須は何処か胸の奥に引っかかるものを感じた。
何故彼は、自分たちの小隊の制服を着ているのだろうか。

「──まだ、信じられない?」

先導するように歩いていた少年は、振り返ると来須に尋ねてきた。
「…いや」
短く答える来須に、少年は小さく笑う。小隊の制服を着ている所為 か、その笑顔に来須は妙な既視感を覚える。
「……僕も今更、どうするつもりもないけどね」
再び来須から背を向けると、少年は独り言を呟く。
「ただ、折角のシチュエーションだから、アイツにひと泡吹かせて やりたいって気持ちは少しあるかな」
「『アイツ』?」
「…こっちの事。さ、行こうか。このまま下りていけば、目的地へ 辿り着く事が出来るよ。……だから、そんなに構えなくてもいい って。何しろ、さっきからあのふたりが散々暴れているから」
周囲を警戒している来須に、少年は苦笑しながら説明する。
実体と幽体の奇妙な取り合わせは、舞たちの後を追うべく、建物の 中を進んでいった。


利き手に握られた舞の小太刀が、またひとつの物の怪を屠る。
一方では、舞の太刀を借りた瀬戸口が、彼女と背中合わせになるよ うにして、華麗な立ち回りを演じている。
その姿は、かつて「舞踏」と呼ばれた人物に相応しい、無駄のない 動きであった。
フロア一帯の敵を全て倒した舞は、小さく息を吐く。
「しかし…怖ろしいまでの切れ味だな。扱いを間違えたら、自分の 手をやっちまいそうだ」
口元を歪めながら、瀬戸口が舞から借りた小太刀を見つめる。
「ムダに振り回すな。これは斬る為の武器ではない」
「そうなのか?」
「この太刀は、相手の急所を突くように出来ている」
太刀をくるりと一回転させると、舞は薄く微笑んだ。
「……私には、そなたたち『第6世代』の武器は満足に扱えぬ。軟弱 者の考え付いた苦肉の策、という所だな」

舞は、本来オリジナル・ヒューマンに属するものである。
瀬戸口たち『第6世代』が何気なく装着しているウォードレスも、彼 女は壮絶なまでの鍛錬の末に、漸く身に纏う事が出来る。
小隊の仲間たちと比べて、明らかに肉体的にも能力的にも劣っている 筈の舞は、彼女自身の努力によって、「あの一族」から与えられ た以上の力を身に付けているのだ。

「…本気で言ってるのなら、相当な嫌味だぜ。それ」
「私は、事実を述べたまでだ」
肩を竦めてみせる瀬戸口を一瞥すると、舞は再び足を進める。
「それにしても…『連中』も、慈悲深いのか、単なる面倒臭がりなのか、 いくら計画の為とはいえ、よく私のような化け物を飼い慣らせているものだ」
「…?」
「……『あの男』の命令なのか、それともこの化け物を本気で『アリス』 にぶつける気なのか…ならば、いっその事私を楽にしてくれても良い ものを……」
「芝村…?」
自嘲な笑みを浮かべた舞を、瀬戸口は眉を顰めた。
訝しげな視線に気付いた舞は、ほんの少しだけ慌てたように表情を引き 締めると、
「──ただの愚痴だ。気にするな。…さあ、速水を探しに行くぞ」
努めて声のトーンを上げながら、先導するように足を速めた。
折りたたみ式の小太刀を、懐にしまうと、瀬戸口の前を歩き続ける。
そんな彼女の背中に、何故か瀬戸口はあるはずのない、一対の『青い』翼 を見たような気がした。


「何故、食わない?」
「…この状態で、這いつくばる様にして食えって?」

椅子の下に置かれた食器を、速水は足で蹴り飛ばすと顔を背けた。
酒のビンを片手に、男は面白そうに速水を眺めている。
「いいザマだな。かつて、自分が陥れた筈の人間から、しっぺ返しを喰らう 気分はどうだ?」
そう揶揄されて、速水は悔しそうに唇を噛んだ。
男は、酒を煽りながら、一歩足を進めて速水の前に立つ。
何ともいえない臭気が周囲に漂い、速水は露骨に顔を顰めた。
「虫も殺さぬような顔で、一体何人もの人間をその手に掛けてきたんだ? 俺をはじめとする研究所のスタッフ、施設内の患者……ああ、お前が騙って いるその名の持ち主も……」
「──言うな!」
否や、弾かれたような叫びが、男の舌を止めた。怒りだけでない、何処か怯 えたような速水の目を見て、男は面白そうに表情を歪めた。
「…まるで、ここにいた時とは雲泥の差だな。何が、お前をそこまで変えた のだ?」
含み笑いを漏らしながら、男の手が速水の顎を掴むと、半ば無理矢理引き寄 せる。
「…今更、人間のフリをした所で、お前の何が変わるというのだ?」
「…僕は…僕は……」
「所詮、お前はあの一族と同じ血に塗れた人間だ。無駄な足掻きはよせ…」
下卑た笑いを続けながら、男は震える速水の唇に、薄汚い自分のそれを重ね てきた。


「あ」
少年の呟きに、来須は思わず足を止めた。
「何だ」
「……誰か来た。悪いけど、僕は隠れてるよ」
そう言うと、それまで朧気ながらも人の姿をしていた少年は、瞬時に小さな 光へと変わると、来須の背に隠れるように移動した。
それから数秒の後、突如凄まじいまでに俊敏な動作で、人影が来須に襲い掛か ってきた。
「!?」
殺意にも似た感覚に、来須は身構えると、拳を握りこむ。
だが、
「…舞!」
小太刀を手に、まさに来須に肉迫せんとした影の正体に気付くと、来須は牽制 するように、主(あるじ)の名を呼んだ。
すると、来須の声に気付いたのか、舞は殺気を解くと、太刀を収めて来須の前 に着地する。
ポニーテイルが解けたのか、長い髪をかき上げながら、舞は、まるで凍りつく ような冷たい一瞥を来須にくれていたが、
「そなたか……すまぬ。間違えた」
咄嗟に視線を反らせながら、短く謝罪をした。
「おーい、芝村待てよ…って、なんだ、来須じゃないか」
舞の態度に、来須が動揺する暇もなく、廊下の向こうから瀬戸口が小走りに近 付いてきた。
何処か不自然なふたりの様子を、瀬戸口の紫色の瞳が訝しげに見比べている。
「お姫さんが、いきなり武器を引っ提げながら突進してったから、どんな強敵 が潜んでるかと思いきや……お前さん、外で待ってたんじゃなかったのか?」
「──瀬戸口…違うのだ。私が、神経過敏になっていただけだ。少し考え れば、こやつである事くらい、理解できた筈なのに……」
瀬戸口の問いに、来須がどう答えようか悩んでいると、すかさず舞が助け舟を 出した。
「そなたもすまなかったな、来須。私の早とちりで驚かせてしまって」
「……」
下手くそな作り笑いに、来須は答える事も出来ず、帽子を被り直す。

何となく、理由は想像できた。
何故、舞が殺意も剥き出しに、自分に向かってきたのか。

『すまぬ、間違えた』

……おそらく、変異体(イレギュラー)としての、研ぎ澄まされた感覚が、来須の 中に潜む『モノ』を、異様なまでに感じ取っていたのだろう。
誰と、と尋ねるまでもなく、彼女が向けていた矛先の人物を思い出しながら、来 須は途端に痛み出した胸を、懸命に堪えた。

その時。
3人の間に訪れた沈黙を、激しい物音が破った。


縛られたまま、椅子を倒された速水は、リノリウムの床に引っくり返った。
受け身を取る事も出来ずに叩き付けられたので、鈍い痛みが全身を襲う。
血が付着した口元を拭いながら、男は忌々しげに速水を見下ろすと、力任せに彼 の太腿を踏みつけた。
「…ガキがいい気になりやがって」
「汚らわしい手で、僕に触るな」
「言ったな。俺の手が汚れているなら、お前の手は何だというのだ?」
鼻先で笑いながら足をどけると、男はその身を屈めて、自分の靴跡が残る速水の 足を撫で擦った。
背筋を這い上がる悪寒に、速水は悲鳴を上げる。
「やめろ!離せ!」
「つれないな。……『あの時』は、お前の方から誘ってきたのではなかったの か?」
「やだーっ!」
動けない身体で、速水は必死に抵抗する。
だが、それもむなしく男の手がスラックスに伸びた瞬間、速水は恐怖と嫌悪に 顔が引きつった。
涙でぼやけた視界で、懸命に愛しい人の名を叫ぶ。
「舞…助けて!舞ーっ!」
「……好きなだけ喚け。ここには誰も来ん」

「──それはどうかな?」


病室に突如響いた声に、ふたりは、弾かれたように振り返った。



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