『Fighter meets a Knight』




1999年、3月3日。

「いいデスね。掃除の邪魔デスから、暫く外に出てて下サイ」

義姉の小杉ヨーコにそう言われた来須は、はじめての熊本の街を、あてど なく歩いていた。
彼と小杉は、あの一族から、ある密命を受けていた。
「来たるべき時に備えて、同じ隊に入る一族の姫君を守護せよ」と。
あの一族が、『アリス』を竜に化けさせる為だけに作った、『ウサギ』 という名のスケープゴートに、来須は、ほんの少しだけ思いを馳せる。
立場上、その存在たちに直接の介入は出来ないが、彼は、自分の出来うる 範囲で、姫君のサポートをする決意を固めつつあった。
その時。

「民間人は、直ちに付近の避難所へ急行せよ!」

突如、街の外灯に取り付けられたスピーカーから、幻獣の襲来を告げる 警報と、ウォードレスに身を包んだ学兵の声が上がった。
来須は、道急ぐ人たちとは反対側の通路に身体を向けると、そのまま 駆け出した。
人類の敵をこの目で確かめる必要と、例え生身であっても、自分には戦う 意志があったからだ。

吹き飛んできた学兵の腕から、アサルトライフルを拝借した来須は、瓦礫 をすり抜けて、ビルの合間から小型幻獣を狙った。
屈強の戦士によって放たれた弾丸は、照準を狂う事無く、ゴブリンリの身 体に突き刺さり、耳をつんざくような奇声が轟く。
のた打ち回るその幻獣に、止めを刺そうと、来須がアサルトを構え直した 瞬間。

「──!」
来須と幻獣との間に、突如、ひとつの赤い影が躍り出た。
来須が、その正体を確認する暇もなく、赤い影は、左手に何かを携えながら、 ゴブリンに突進していく。
何て無謀な真似を、と来須がアサルトのトリガーを引きかけた時。

「もらったあああっ!」

………女性にしては、あまりにも凛々しすぎる裂帛と同時に、某大リーガ ーも真っ青な左の振り子打法が、ゴブリンの急所をジャストミートした。
「………」
目を凝らして、事の成り行きを見守っていた来須は、赤い影と、幻獣を屠 った武器を確認した途端、軽い眩暈に襲われた。
赤い影の正体は、年若い少女であった。
戦場には似合わぬ真っ赤なドレスと、それ以上に似合わない…つーか、 何かを間違えているとしか思えないほど、銀色に光り輝く釘バット が、来須の網膜に悪夢のように焼き付けられる。
耐久力を絶たれて、消失していく幻獣に背を向けながら、少女が、来須のも とへ歩いてきた。

「そなたのお陰で、早く仕留める事が出来た。礼を言うぞ」

ニッコリと微笑みながら、少女は来須に話しかけてくる。
外灯の僅かな光明の下で細められたヘイゼルの瞳に、来須は一瞬だ け目を奪われたが、続いて彼女の肩に担がれた釘バットと、そこに無数に取り 付けられた釘に加えて、べっとりとこびりついた何やら物騒な残骸に、瞬時 に現実に戻された。
「………ああ」
数秒の沈黙の後、来須は短く答えると、帽子を被り直す。
「私は、正式な入隊は明日からなのだが…街がこのような有様なのに、ホテ ルのパーティルームなどで、くすぶっている訳にはいかぬからな」
口元にシニカルな笑みを浮かべていたが、路地の向こうから、人の足音と、 誰かを探しているような声が聞こえてくると、少女は来須から視線を外した。

「……すまぬが、私はここから逃げる事にする。その内に、私を探している 者たちが、やって来るかも知れぬが…くれぐれも他言は無用だぞ」
「…」
「──良いな?」

無言の来須に向き直ると、少女は眉を顰めながら、釘バットを彼の胸元に 突きつける。
来須は、思わず固唾を飲み込むと、やがて小さく頷いた。


翌日の早朝。
小杉と共に学校に訪れた来須は、整備用のハンガーで待っているという、芝村の 姫君の所へ挨拶に出掛けた。
授業が始まれば、彼女と同じクラスである来須は、必然と顔を合わせる ので、早朝の登校を渋っていたのだが、
「ソレでは、イケマセン」
という、義姉の有無を言わさぬ決断で、同行する羽目となったのである。

ハンガーのテントをめくりながら、小杉はキョロキョロと頭を動かすと、士魂 号を見つめている少女の背中を発見した。
「舞サン」
小杉の呼びかけに気付いた少女が、ゆっくりと振り向く。
「!」
その姿に、来須は思わず声を上げようとしたが、少女の目配せに、慌てて口を 噤む。
「そなたたちが、私の守護者となる物好きたちか」
躍動感に満ちたヘイゼルの瞳を輝かせながら、舞と呼ばれた少女が、ふたりに 近付いてきた。
「ハイ。ワタシは小杉ヨーコ。コッチは、義弟の来須銀河デス」
事情を知らない小杉は、舞に軽く頭を下げると、自己紹介をする。
「堅苦しい挨拶はいらぬ。そして、そなたたちも、私に律儀に付き 合う事はないぞ」
「…何故デスカ?」
思いも寄らぬ主(あるじ)の言葉に、小杉は目を丸くさせる。
「所詮、私は『存在』を作り上げる為だけの、運命の歯車だ。計画さえなけれ ば、 『今、もっともサクっと殺っちゃいたい実験動物ナンバー1』にエント リーされている。そのような先のない主に仕えた所で、そなたたちには、何の 得にもならぬと思うが」

さらりと告げられた、危険極まりない言葉の爆弾に、小杉と来須は、咄嗟に 返す言葉が見つからなかった。
何も知らない、と思っていたこの姫君には、果たしてどのくらいの力が秘め られているというのか。
舞のヘイゼルの瞳に、小杉は、かつて愛していたある人物が重なるのを、不 思議な気持ちで見つめていた。

「俺たちが仕えるのは、お前だ。お前がここにいる限り、俺たちは従い続け る。それだけの事だ」

不毛な沈黙を、男の低い声が破った。
帽子の奥から覗いた青い澄み切った瞳に、舞は唇の端を吊り上げる。
「……前言撤回だ。どうやらそなたたちは、超ド級の物好きらしい」
そうやって忍び笑いを漏らしながら、舞は面白そうにふたりの守護者を見 返した。

「そういえば…そなたたち、一応軍に提出する書類は、用意してあるか? 形式上とはいえ、面倒な事にならぬ為にも、必要なものだぞ」
「──ハイ、ここにありマース」

舞の質問を受けて、小杉は、懐から書類の入ったクリアケースを取り出した。
渡された書類に、何となく目を通していた舞だったが、その内に、来須の顔と 書類を代わる代わる見比べていった。
「……?」
あからさまな不審の目に、来須が訝しげな顔をしていると、

「なめんなー!お前みたいな、怪しさ大爆発な14歳(ただし、もうすぐ15歳)な んざ、見た事ないわーっ!」

ゴッ!


「NOー!」
グシャリ、と書類を握りつぶしながら放った舞の怒号のコンマ数秒後、鈍い音に 次いで、小杉の悲痛な叫び声がハンガーの内部を反響しまくった。
「仮ニモ、自分のマスターに向かって、 『脊髄反射でフリッカージャブ』を、カウ ンターで食らわす馬鹿ガ、何処ノ世界ニいるデスカー!?」
義弟の狼藉に、小杉はヒステリックに叫びながら、来須のみぞおちに肘鉄を叩き 込んだ。
「舞サン、舞サン!シッカリするデス!生きてマスか!?」
来須の一撃によって地面に昏倒した舞に、小杉は必死に呼びかける。
舞は、暫くの間微動だにしなかったが、やがて、弾かれたように身体を起こすと、 来須の腕を掴んできた。
「!?」
思わぬ少女の反応に、来須は一瞬身体を引きかけたが、意外なほどに力強い舞の 手に、なすがままとなる。
どのような罵詈雑言を浴びせられるか、と覚悟をしていたが、この風変わりの 主の行動は、来須の予想をはるかに飛び越えていた。

「……いい『右』だ。そなたなら…世界を……」

夥しい流血をしながら、それでも口角を笑顔の形にさせながら、不敵に微笑む 舞の姿に、何故だか来須は、己の胸に何かが突き刺さるのを感じる。
再び地面に突っ伏す舞を余所に、来須は(明らかに間違っている)鼓動の高 鳴りに、いつの間にか帽子の奥で、僅かに頬を染めていた。


その夜。
学兵用宿舎の、来須の部屋に押しかけてきた小杉は、義弟を床に正座させると、 自分も同じように坐りながら、懇々と説教を始めた。

「イイデスカ。アナタの力は、化け物レベルなのデスヨ?それを事もあろ うに、自分のマスターをタコ殴りにするとは、何を考えているのデスカ!?」
「……一発しか殴ってない」
「口答えは、許しまセーン!」

来須の反論に、小杉は更に語気を強めると、聞き分けのない義弟の太腿をバシ リと叩く。
欧米人特有の白い肌に義姉の手形がくっきり残ったが、来須は何も言わずに 、そのまま坐り続けていた。


一方その頃。

「はじめての小隊は、如何でございましたか?」

窓から星を見上げている舞に、更紗が紅茶を差し出してきた。
舞は、更紗の方を見ずに受け取った後で、喉を潤すと、ふたりの守護者を脳 裏に浮かべる。
「──中々のパンチを持っている。お陰で、退屈せずにすみそうだ」
「…はぁ?」
いつもより、若干鼻声の舞の返事に、不審に思って、窓ガラス越しに彼女 の姿を確認した更紗は……次の瞬間、急激に立ちくらみを起こしそう になった。

「……私もまだまだ、だな。誰かの事を思うだけで、このように息苦しく なってしまうなど」
「あの…舞様」
「何だ?」
「畏れながら、申し上げます。血が止まったのならば、『それ』はお取り になった方がよろしいのでは……」

アルカイックスマイルを、その美貌に張り付かせながら、しみじみと呟く 芝村の末姫を余所に、更紗は、 彼女の両の鼻孔に詰められたティッシュのこよりを、呆れきった 表情で指摘した。


───それからさらに3時間後。

「……『今日の所は、これくらいで勘弁してやる』デース………」

ゼイゼイ、と肩で息をしながら、小杉は来須を見据える。
「……」
一方の来須は、相変わらず無言のままだったが、長時間坐りっ放しでの 説教タイムに、流石に疲弊の色を隠せないでいた。
小杉は、もう一度来須をひと睨みすると、自分の部屋に戻ろうと立ち上が ろうとしたが、

「わひゃっ!?」

慣れない人間が、長時間正座をし続けた後に、待っているものといえば、 説明の必要もないであろう。
言葉に出来ないほどの足の痺れに、小杉はガクリと膝を折ると、だらしな くも床にボテっと引っくり返る。
「…大丈夫か」
「……ソレハ、コッチの台詞デース!」
自分を見下ろす来須に、小杉はずりずりと床を這いながら、彼の背後に 回ると、先程から半ば硬直したままの義弟の足の裏を、思い切り突いた。
「───ッ!?」
瞬間、日本語とは異なる言語で、小さく悲鳴を上げながら、来須の身体が バタリと横倒しになる。
「…今度カラは、『正座用椅子』を用意しておくデース……」
「……だから、何故正座をする必要が………」
「──シャーラップ!」

結局。止まらない脚部の痙攣に、ふたりの バカ守護者たちは、一晩中、姉弟揃って仲良く床で 悶絶していたという。


───こんな話が、続く訳ないです。(切実)


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