『休日(中編)』
挿絵:霧風 要(敬称略)



新市街に到着した舞と瀬戸口は、一件の雑貨店に入った。
「ちょっと、サングラスを見たいんだ。いいかな?」
「構わぬぞ。私も適当に何か見ている事にする」
舞はそう答えると、瀬戸口から少し離れて、女の子向けのアクセサリーの 棚を覗いた。普段訪れない所だけに、見るもの全てが、舞にとって新鮮に 感じられるものばかりである。
「このリボンは、ののみに似合いそうだな。この髪飾り…和装の壬生屋に もしっくりいくかも知れぬ。……あそこのバンダナは森に……」
自分を対象としていないのが、いかにも彼女らしい。クラスメートたちの 顔を思い浮かべては、「誰にどれが似合うか」などと、舞はひとりで考え あぐねていた。

用事を済ませた瀬戸口が戻ってきても、舞の視線はまだ装飾品に釘付け になっていた。
「何か気に入ったものでもあったのか?」
「瀬戸口。見てくれ、このリボン。凄く刺繍が凝っているのだ。石津に似 合うと思わぬか?」
「……お前さんねぇ」
声を弾ませて何を言うかと思いきや、口から出たのは仲間の名前であ った。瀬戸口は髪をかき上げながら、舞の傍に立つ。
「自分のものは探さなかったのか?」
「私はいらぬ。似合わぬからな」
「そんな訳ないだろう。お前さんは…そうだな」
言いながら、瀬戸口は装飾品の棚から、革紐に括り付けられた形の良い 水晶のペンダントを手に取ると、舞の胸元に近づけた。
「うん、流石は俺だな。コーディネートもばっちりだ」
「………」
舞は、ためらいがちにペンダントを見つめた。綺麗にカットされた水晶が、 店内の照明に反射して、微妙な輝きを放つ。
「すいませーん。これも下さーい」
瀬戸口は店員に声を掛けると、さっさとレジに行ってしまう。
「待て、瀬戸口!私が払う。そなたにそんな風にして貰う理由はない」
慌てて追いかけてきた舞を、瀬戸口は軽く制す。
「女の子なんだから、男がプレゼントしてくれるって時は、素直に好意に 甘えるもんだぞ」
「しかし…」
「いいかいいから。ここは、おにーさんに任せなさい」
困惑気味の舞の表情を、瀬戸口は面白そうに眺めた。


買い物を済ませたふたりは、喫茶店に入ると軽い昼食を取った。
「……」
向かい合わせに坐りながら、舞は正面の瀬戸口を見つめる。
「…どうしたんだ?」
「あ、いや…」
尋ねられた舞は、視線を床に落とすと、何処か歯切れ悪く言葉を紡いだ。
「…緊張するものだな。こうして、仕事以外で殿方とふたりきりになると いうのは」
先程買って貰ったペンダントを片手で弄ぶと、舞は照れ臭そうな表情を浮 かべた。
「───お前さんでも、そう思うのか?」
意外そうに、瀬戸口は言葉を返す。普段学校で速水や善行、来須たちを前 にした堂々とした態度からは、とても考えられなかったからだ。
人型戦車士魂号の複座型…「騎魂号」を操る、熊本でも屈指のパイロット と謳われる彼女が、自分のような男を前にこんなにも緊張するものなのか。
「思い切り意外そうだな」
見透かされたような舞の言葉に、瀬戸口は慌てて首を振る。だが、舞は別 段気を悪くした様子でもなく、窓から外を見つめた。
「だが、私もこのように普通の女として過ごせるという事に、正直驚いて いる。…それに気付かせてくれたそなたには感謝をしないとな」
再び瀬戸口に向き直ると、舞は微笑みを浮かべる。
「すまぬな、瀬戸口。そなたにとっては不名誉かも知れぬが。私のような 者の相手をしてくれた事、嬉しく思う」
「──そんな事ないさ。俺だって楽しいし」
「本当か?」
瀬戸口の返事に、舞は嬉しそうに聞いてくる。その表情が意外なほど可愛 らしくて、瀬戸口は不覚にも見とれてしまった。
照れ隠しに話題を反らそうとした時。

「おーい、瀬戸口!瀬戸口だろ?」

複数の声が背後からした。振り返ると、同じ年恰好の青年2人組が、 片手を上げながら瀬戸口と舞の前にやってくる。
「おお、お前らか。久しぶりだなぁ」
瀬戸口は、青年たちを何処か懐かしそうな顔で見上げた。
「知り合いか?」
「俺が、軍専の通信科に行ってた時の仲間だよ」
舞に小声で答えると、瀬戸口は立ち上がって旧友たちと再会の挨拶を交わ す。
「瀬戸口、そのコ誰だよ?」
「かっわいーじゃないか。お前の彼女?」
青年たちの問い掛けに、瀬戸口は数秒だけ考え込んだが、
「……彼女は舞ちゃん。俺のイトコだ」
先程舞が付いた嘘を、瀬戸口はそのまま使う事にした。
「舞ちゃんか。よろしくな、舞ちゃん」
人懐こい笑顔で、青年のひとりが舞に話し掛けてくる。舞は小さく頷いた。
「…そうだ。久々に会ったんだ。これから皆で、ぱーっと遊びにでも行か ないか?」
「へ?」
背の低いほうの青年が、瀬戸口と舞を交互に見ながら尋ねてくる。
「な、いいだろ?瀬戸口。舞ちゃんも一緒に」
「えーっと…」
旧友の思わぬ誘いに、瀬戸口は舞の顔を見ながら眉根を寄せる。
だが、

「いいじゃない。行きましょう、隆之くん。折角久しぶりにお友達に会え たんだから」

『イトコの舞ちゃん』が、快活な声で答えた。何か言いたそうな瀬戸口を 肘で軽くつつくと、ふたりに向き直る。
「…本当にいいのか?」
少々困惑しながら、瀬戸口は舞に耳打ちする。
「構わぬ。私も、彼らの話を聞きたくなったのだ」
そう答えると、舞は瀬戸口に向かって小さく微笑んだ。


4人に増えた若者たちは、その足で市民公園の広場まで出掛けた。

「…それでさぁ、ウチの部隊の司令って人使い荒いのなんのって」
「お前はまだいいぜ。俺なんか、オペレーターなのに実戦訓練させら れてたまんないぞ。こないだなんか…」
道々歩きながら、青年たちがそれぞれに所属している部隊の愚痴を零し合っている。
「瀬戸口。お前ん所は?」
話を振られた瀬戸口は、手を頭の後ろに組みながらのんびりと答えた。
「ウチは…司令もパイロットも優秀だから、助かってるぜ。現に、今の 所戦死者ゼロだ」
そっと舞を見ながら、瀬戸口は口元を綻ばせる。
「羨ましいな。いくらオペレーターとはいっても、仲間の死を報告するの って、あんまりいいもんじゃないからな……」
長身の青年が、僅かに表情を歪めながら寂しそうに笑った。

実際に幻獣と対峙するパイロットやスカウトとは違う職種だが、彼らオペ レーターには、例え如何なる内容であっても、戦場における事態を逐一報 告しなければならない使命がある。
兵士たちは倒されればそれまでだが、オペレーターは、彼らの生命が終え た後も、その名を読み上げなければならない。
事務的に戦況を読み上げるその裏で、どれほどの感情が押し込められてい るのか。
舞は、青年たちの話を真剣な面持ちで聞いていた。

「そういや、ウチの司令がこないだ弾薬が足りないってぼやいてたな。事 務官が手際悪くて、上手く調達できてないみたいなんだ」
背の低い方の青年が、わざと大げさな身振りで話題を変えてきた。
「大変だな」
「ああ。そんで、俺たちにも上手く調達できるルートがあったら教えてく れって言われてるんだけど、どっか知らないか?」
「新市街の裏マーケットはどうだ?あそこなら、大抵のブツは揃ってる筈 だけど」
「…やっぱあそこしかないか」
長身の青年の返答に、青年は肩を竦めた。
「でもなあ、予算だって限られてるから、そうホイホイ買えるもんでもな いしなあ…いっその事、かっぱらってきちゃおっかなー♪」
「やめておけ。バレたら拘束の後、軍隊除名の上懲役3年だ。戦争 法廷だから、弁護士もいないし上告もできん。良い事などひとつもない ぞ」

冗談めかした青年の言葉を、鋭い声が遮った。腕を組んで眉を顰める
舞を、青年たちは呆気に取られながら見つめてきた。
「…舞ちゃんって学生じゃなかったの?随分軍規に詳しそうだけど」
「え…?───あっ」
訝しげな声に、舞は慌てて口を噤んだ。今の自分は『隆之くんのイトコの 舞ちゃん』ではなかったのか。そんな彼女が専門用語を用いて相手をたし なめるなど、あまりにも不自然すぎる。
だが、
「いやあ、流石は舞ちゃん。軍警察学校首席の名はダテじゃないな」
そんな舞の窮地を、瀬戸口のひと言が救った。
「軍警察学校だってぇ!?」
「…そっ。舞ちゃんはあと1、2年もすれば、泣く子も黙る鬼憲兵の女士官 になるんだ。お前ら、彼女の前で迂闊な事は口にするなよ」
声を揃えて驚愕する青年たちに、瀬戸口は面白そうに笑い声を上げる。
舞は、こちらに目配せしてきた紫の瞳に、小さく安堵の息を吐いた。


青年たちとひとしきり遊んだ舞と瀬戸口は、彼らと別れた後、学兵用宿舎 へ続く道を歩いていた。
「何だかすまなかったな。ふたりで過ごす筈が、あっちこっちに巻き込ん じまって」
「気にするな。私も、今日はとても楽しかった」
歩を進めながら、舞はすっかり日も暮れた春の夜空を見上げた。
「……私は、これまでそなたたちの職業を軽んじていたかもしれぬ。だが 今日彼らに会って、それは私の驕りであると気付いた。彼らも…そして、 そなたも戦っているのだな」
瀬戸口は、外灯に照らされた舞を不思議な気持ちで見つめる。
「そなたの語る言葉には、生命が宿っている。戦場に赴く時、私たちはそ なたにもうひとつの生命を預けているのだな。…戦争中に不謹慎な言い回 しかもしれぬが、大切にせぬといかんな。───そなたの為にも」
「……」
言葉を切ると、舞は小さく笑った。
「それでは私は帰る。今日は本当に充実した一日だった。そなたも気を 付けて帰るが良い」
踵を返すと、舞は瀬戸口から離れてひとり宿舎への道を歩き出す。
ところが、伸ばされた瀬戸口の腕が舞の手を引いた。歩みを止められた舞 は、何事かと顔だけ瀬戸口の方を向く。
「…瀬戸口?」
舞の呼びかけに、瀬戸口は答えなかった。自分でも、何故彼女を引き止め たのか判らなかった。
ただ、このまま彼女と離れるのがとても惜しい気がしたのである。
今日一緒に過ごした彼女の事を、離したくないと思ったのである。
「───もう少しだけ」
「…?」

「もう少しだけ…『イトコの舞ちゃん』でいてくれないか……?」

イトコの舞ちゃんでいてくれないか?

今にも消え入りそうな声で、瀬戸口は舞に懇願した。掴んだ手に僅かに 力をこめる。
舞は、暫し無言で繋がれた手を見下ろしていたが、やがてくすりと笑う と、
「それじゃあ、夕食でも食べに行きましょうか」
優しい声で答えると、再び踵を返して瀬戸口の隣に並んだ。
瀬戸口は舞の手を握り直すと、何処か気恥ずかしそうに横を向く。

だがその時。ふたりの多目的結晶に、幻獣の襲来を告げる警報と出撃命令 が入ってきた。




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