日曜日の朝。 「小杉、ちょっと良いか?」 何やら荷物を抱えながら、芝村の姫君が現れた。 「…ドウシマシタ?」 朝食の用意をしていたヨーコは、突然の来客に目を丸くさせる。 「朝早くからすまぬが、この『どれっどへあ』という髪型を手伝って欲しい のだ」 荷物の中からヘアケアの道具を取り出しながら、舞はヨーコを見る。 「…何処かへお出かけデモするのデスカ?」 いつもの姿とは異なり、今日の舞は随分とラフな格好をしていた。ワーク パンツのようなズボンを履き、シャツの上に大きめのジャケットを羽織 っている。 「これから、人と会う約束をしているのだ。何しろ相手は容姿にうるさ いヤツだから、それなりの格好をしなくてはならぬ」 些か面倒くさそうに答えると、舞は光沢を帯びた黒髪をかき上げる。 「…男のヒトですか?」 舞の髪をひと房取りながら、ヨーコは尋ねてみた。 「そうだ。まったく、世の中には奇特なヤツもいるものだな」 「ソウデショウカ……」 以前から思っている事だが、舞は自分の魅力というものに無頓着すぎる。 気付かないのは本人だけで、彼女に心を奪われている異性や同性は、 自分も含め、両の指では足りないほどである。 ───少し悔しいが、自分の愛する義弟も実は…… 「終わりマシタ」 数10分後。ヨーコの器用な指が、舞の髪を細かく編み上げた。 「このヘアバンドを貸してあげマス。こうシテおでこを上げるト、チャー ミングデスよ」 ヨーコは、小物入れからスペアの白いヘアバンドを舞に渡した。トレード マークとも呼べるポニーテイルを下ろし、ヒップホップ系のファッション に身を包んだ舞は、いつもとはまた違った魅力を醸し出していた。 「礼を言う。では、そなたたちも良い休日をな」 明るく笑いながら手を振ると、舞はヨーコの前から音も立てずに姿を消 した。おそらく、瞬間移動で待ち合わせの場所へ向かったのだろう。 「気にならないのデスカ?」 ヨーコはそう言うと、顔だけ動かしてダイニングの椅子に腰掛けている 来須を見た。 「…俺には関係のない事だ」 「ウソばっかり。雑誌を読むフリをしながら、そこの鏡からずっと舞サ ンを見てマシタ」 笑いを含んだ義姉の声に、来須は帽子を被り直す仕草をしたが、休日な ので脱いでいた事を思い出すと、所在無げに手を引っ込める。 素直じゃない義弟の反応に、ヨーコは気付かれないように口元に笑みを 浮かべた。窓を開けてベランダに出ると、薄雲に覆われながら、辛うじて 光を放つ太陽を見上げる。 「何だかスッキリしない空模様デスね。雨が降らないといいのデスガ…」 誰にでもなく、ヨーコはぽつりと呟いた。 今町公園の入口で、瀬戸口はそわそわしながら舞を待っていた。 今まで数え切れぬほどデートをした事のある自分が、どうして今日は こんなにも緊張しているのだろうか。 「ちょっと早く来すぎたか。でも、女の子を待たせる訳にはいかないし…」 手元の腕時計を確かめながら、瀬戸口は何度目かの独り言を呟いた。 ───はじめて会った時は、いけ好かないヤツだと思った。 そして、次に話をした時には、思わず拳を交えていた。 芝村一族の変異体(イレギュラー)と呼ばれる少女は、いろいろな意味で 自分の興味をそそった。その生き方、物の考え方。芝村らしいと思う時 もあれば、また一方では物凄く人間くさい言動を取る時もある。 そんな矢先。仕事中に裏庭で彼女と出会った瀬戸口は、何となく雑談を 交わしていると、思わぬ科白を聞く事になった。 「私も一度で良いから、殿方と『デェト』なるものをしてみたいものだ」 笑いながら言っていたので、おそらく冗談半分だったのであろう。 だが、瀬戸口は思わずその彼女の冗談に飛びついた。 「だったら、俺がその殿方第1号になってやろうか」と。 ……今にして思えば、何て馬鹿な事を言ったのだろうか。 「それではよろしく頼む」と微笑む彼女を見て、断る事は出来なかった。 待ち合わせの時刻と場所を(流石に「校門前はやめよう」という事で、今 町公園になったが)決め、瀬戸口はこうして20分も前から舞の到着を 待っている。 3月とはいえ、まだ多少肌寒く感じる風が、瀬戸口の色素の薄い髪を 揺らせていた。 その時。 「すまぬ、遅くなった!」 瞬間移動の音と共に、目の前に舞が現れた。思わぬ登場の仕方に、 瀬戸口は驚愕に目を瞬かせる。 「支度に戸惑ってしまったのだ。本当にすまぬ。待ったであろう」 「い、いや…」 謝罪の言葉を聞きながら、瀬戸口は舞の格好に目を奪われていた。長 い髪を細かく何本にも編みこみ、大きめのジャケットとパンツを身に 纏った様は、普段の毅然としたあの姿からは、想像しがたいものがあ ったのだ。 「……可笑しいか?」 黙り込んでしまった瀬戸口に、舞は何処か不安そうに問いかける。 「そなたが、休日らしい格好で来いと言っていたので、一応『週間とれ んでぃー』などで研究してみたのだが…やはり、これではダメなのか」 「───そんな事はない!ちょっといつもとのギャップがあって、驚い ただけだ。…凄く似合ってる」 世辞ではない。実際に目の前の彼女は、傍から見ても本当に可愛かった。 「…そうか、それなら良かった。流石にそなたは、お洒落を自称してい るだけあって、私服姿も隙がないな」 舞は安堵の息を漏らすと、瀬戸口を見て微笑んだ。 「───まあな。どんな女の子がデートでも、慌てず騒がずってね」 これは嘘である。舞とのデートを決めてから、何を着ていこうか迷った 挙げ句、わざわざ新しい服を卸したのである。 「そ、それじゃ出かけるか。まずは手始めに、新市街でショッピングで もするか?」 「構わん。今日はそなたに任せる」 瀬戸口の言葉に、舞は頷いた。そのままふたりは今町公園を出て、新市 街への道を進む。 すると、 「瀬戸口くーん!」 道路の反対側から、見知らぬ少女が手を振ってきた。こちらへ小走りに 近付いてきたが、舞の姿を確認すると、露骨に表情を険しくさせた。 「…なにそのコ。私とのデートを断ったと思ったら、こんなコと浮気し てたの?」 「いや、違うんだ。これは……」 「何よ!私との事は、遊びだったのね!?」 憤然と少女に詰め寄られて、瀬戸口は返答に窮している。 舞は、親指と人差し指で、自分の顎と頬を挟んでいたが、おもむろに ふたりの前に歩み寄ると、口を開いた。 「──あなた、隆之くんの彼女?」 若干声色を変えながら、舞は少女に微笑みかけた。 「はじめまして、私は舞。隆之くんのイトコよ」 「え…」 舞の言葉を聞いて、少女は落ち着きを取り戻す。 「久しぶりにお休みが取れたから、隆之くんにお願いして、熊本の街 を案内して貰っているの。だから、今日はごめんなさいね」 呆気に取られる瀬戸口に目配せをしながら、舞は少女に会釈をした。 「…ホントに?あなた、瀬戸口くんとは何でもないの?」 「小さい頃から知ってるから、恋愛対象としてはちょっとねぇ…」 わざと渋面を作りながら、舞は少女の質問に答える。それで漸く納得し たのか、少女は瀬戸口に次の休日の予約をすると、ふたりの前から去 っていった。 「…助かった。だけど、よくもまあ咄嗟にあんな嘘を……」 少女の背中を見送りながら、瀬戸口は訝し気に舞を横目で見やる。 「本当の事を言っても、収まりが付かなかったであろう。彼女が納得 すれば、それで良いではないか」 舞は小さく息を吐くと、何処か悪戯っぽい目付きをした。 「でも、こんな美男子のイトコというのも、良いかも知れぬな」 「───え…」 「……冗談だ。ほら、行くぞ」 くすくすと笑いながら、舞は瀬戸口に向かって手を差し出す。 瀬戸口は暫し躊躇ったが、やがてフッと笑うと、その手を取った。 |