『閑話休題』




戦況が膠着状態な、ある日の朝。

「来須せんぱーい!」
来須が校舎裏を歩いていると、前方から息も切れ切れに新井木と滝川 のふたりが駆けてきた。
いつも遅刻ぎりぎりの彼らが、こんな朝早くから学校にいるなど珍しい、 と来須が素直に感心していると、
「先輩、ちょっといいですか?」
頬を僅かに上気させながら、滝川が来須を見上げてきた。
「……どうした?」
子犬のような滝川の瞳を見つめながら、来須は小さく返事をする。
自分のような者に、この少年は憧憬の情を抱いているらしい。
自分に対する彼の態度に、来須は初めは少々面食らっていたが、次第 に自分の中で彼の事を、後輩や世話の焼ける弟のように思うようにな っていった。
口には出さないが、自分を慕う滝川の挙動ひとつひとつが、可愛らし くて仕方がない。
「えーと、足を肩幅まで開いて、両腕を前に出して下さい」
「…これでいいか?」
唐突な滝川の注文に、それでも来須は律儀に応えた。両脚を軽く開くと、 程よく筋肉の付いた腕を前方に突き出す。
「そしたら、今度はそのままの姿勢で大きく数字の2 を書いてくれますか?」
来須の反応を見て、続いて新井木が提案してきた。
「……こうか?」
彼らの意図が判らないまま、来須はやはり言うとおりにする。
そして、来須が勢い良く弧を描きながら腕を振り下ろすと、

「へんっしん(変身)!」

わざとトーンを落としながら、滝川と新井木が嬉しそうに声を揃えた。
突然の事に、来須は訳も判らず固まってしまう。
「やったー、大成功!」
「イエーイ!先輩なら、絶対ノってくれると思ってました!」
互いにハイタッチをしながら、ふたりは嬉々とした様子で走り去って いく。
残された来須は、ふたりの後姿を、腕を下ろす事も忘れたまま呆然と 見送っていた。



昼休み。同僚の若宮と昼食を取った来須は、暫く食堂兼調理場で雑談 をしていた。
「来須クーン!」
と、そこへ自分の義姉にあたる小杉ヨーコが、手を振りながらやって 来た。
「ヨーコさん。残念ですが、我々は既に昼食を済ませてしまったの ですよ」
ヨーコに軽く会釈しながら、若宮は些かすまなそうに返事をする。
「ノン、ソウではありまセン。ワタシ、来須クンに別の用事があって 来ましタ」
「何の用だ?」
続けられた言葉に、来須は視線をヨーコに移した。
「まずハ、ワタシから背中を向けるようニして立って下サーイ」
ヨーコの提案に、来須は内心訝しがりながらも素直に従った。椅子 から立ち上がると、若宮とヨーコから背を向ける。
「ソレデハ、左右どちらかの親指を噛んで下サイ」
ふと、来須の脳裏に朝遭遇した滝川と新井木の事が掠めた。だが、 相手は自分の義姉である。下手に断ろうものなら、後で地獄の 『説教タイム』が訪れるかも知れない。
「……」
数秒考えた後、来須は右の親指を軽く噛んだ。ヨーコはそれを確認 すると、何処か嬉しそうな顔をする。
「OK。そシタラ、そのままワタシの方をゆっくり振り向いてくれ まスカー?」
「……?」
来須はヨーコのなすがままになる。右の親指を噛んだまま、ゆっく りとふたりの方を振り返った。
否や、

「せ〜くし〜ぽぉ〜ず♪」

まるで、ブレイン・ハレルヤを吸引(っていうのかな?)している 時よりもハイテンションなヨーコの歓声が上がった。
義姉の思い切り嬉しそうな瞳の色を見て、来須は自分がからかわれ たという事に気が付いた。
「──それではバ〜イ♪デス」
義弟の様子を素早く察知したヨーコは、くるりと身を翻すと、食堂から 姿を消す。
「………何が可笑しい」
口元に手を当てて笑いを噛み殺している若宮を、来須はじろりと睨 み付けた。


その後。来須は誰とも話さないまま時間を過ごしていた。
仕事中も、若宮と一言も口をきかず(若宮は懸命に謝っていたが)、 無言でメニューをこなし続けた。
我ながら子供じみた事をしている、と思わない訳ではないが、立て続 けにおちょくられたとあっては、いくら来須でも不愉快になるの は当たり前である。
勤務時間が終了しても、来須はひとりグラウンドを走り続けていた。

「───何を、そんなに気難しい顔をしている?」

クールダウンを済ませていると、来須の背後から凛々しい少女の 声がした。
放られたタオルを受け取りながら、来須は声の主を振り返る。
「心と身体がバラバラだな。一体どうしたというのだ?」
颯爽とした足取りで、舞は来須の前に立った。自分より頭ひとつ小 さいはずなのだが、その毅然とした姿は、見る者を圧倒させる力 を持っている。
タオルで汗を拭いながら、来須は舞を見る。力強くそして穏やかな 光を放つヘイゼルの瞳が、自分の青い瞳を見つめていた。
「確かに、人に笑われるのは、あまり気分の良いものではないな」
「……」
「───だがな。今のような厳しい現実の中にも、ああいった作 り物ではない笑顔があるというのは…そう悪い事ではないと思うぞ」
舞はふわり、と跳躍すると、来須の頭に載せられた帽子を取り上げた。
そして、自分の頭に載せると言葉を続ける。

「…はっきり言って、戦況は芳しくない。福岡と長崎が陥落した」
帽子を目深に被りながら、舞は声のトーンを少し落とした。
「いずれ、熊本にも幻獣の波が押し寄せてくるだろう…無論受けて立つが、 このように仲間達と笑い合える日は、果たしてどのくらいあるのだろう な……」
「舞…」

自分の右側に移動した舞を、来須は目で追う。帽子で表情の見えな い彼女を見ながら、
『俺も、普段こんな風に見られているのか』と思う。
「───だからこそ、我らが頑張らなくてはな。弱者を救う為に。…そ して、仲間たちの笑顔を守る為に」
「……そうだな」
来須は短く肯定の返事をした。舞は帽子の鍔を上げると、来須を見て 優しく微笑む。
「…漸く、ささくれていた心が静けさを取り戻したようだな。胸に 手を当てて確かめてみよ」
舞に言われて、来須は自分の右手を左胸に載せた。
「どうだ?そなたの鼓動は落ち着いているか?」
「…ああ」
凛とした舞の声が来須の耳を擽る。胸に当てた手はそのままに、 来須は舞の質問に答えた。
舞は、一度ちらりと顔を動かして、自分の左隣にいる来須の姿を一 瞥したが、
「それでは、私の方へ向かってその手を動かしてみてくれぬか?」
腕を組み直すと、舞は来須から顔を背けて前を向いた。
言われるまま、来須は己の鼓動を確認していた手を、右隣に立つ 舞に向けた。
来須の手刀が、腕を組んだ舞の元へ弧を描きながら辿り着こうと した途端。

「───よしなさいって☆」

漫才で言う所の「ツッコミ」が用いるお約束な台詞が、舞の口から 飛び出した。
それは、来須が右手を舞に向けるのに合わせて、見事なまでにアフ レコされていた。
「………」
右手を硬直させる来須の中で、何かがぷつりと音を立てて弾けた。


「何でそなたは、私だと怒るのだーっ!?」

その日の夜。学校に残っていた5121小隊の学兵たちは、校舎内を逃 げ回る芝村の姫君と、訓練用の模擬弾を詰めたマシンガンを片手に、 それを無言で追い掛ける来須の姿を、幾度となく目の当たりにす る事になる。


戦況は、いよいよ緊迫を増してくる筈なのだが、彼らにとっては目 の前の笑劇(ファルス)の方に、すっかり関心を引き寄せられし まっていた。



元ネタは、去年の夏までNT○でCMしてたヤツですね。ネタを考えたのは事件前ですが、 披露直前にああいう事になったので、時事ネタっぽくなっちゃったかな? とも思っています。(単に、書き上げるのが遅いだけだよ…)
来須って、ホントにギャグもいけるしシリアスもOKな貴重なキャラですよね(苦笑)
───いい加減にしないと、ある日後ろからグッサリやられそうな扱いですが、管理者は、 ちゃんと来須先輩が大好きです。イヤ、ホントに(汗)


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