『みんなの、うた』



昼休み。
詰め所にある、カラオケのアンプとヘッドホンを借りた壬生屋は、本田から貸して 貰ったギターを、ただ無心に爪弾いていた。
はじめは、ただの気分転換で始めたものであったが、戦う事しか能がないと思って いた自分でも、「こうして他にも夢中になれるものがあったのか」という感 慨に耽りながら、右指に挟まれた水色のピックを動かし続ける。

「おっ、何だ。今日もやってるのか」

ヘッドホンを付けていても、この自分の神経を逆なでするような声は、弥が上にも 壬生屋の聴覚を刺激する。
「…わたくしが、休み時間に何をしようと勝手だと思いますけれど?」
「つっかかるなよ。別に、『悪い』だなんて、言ってないだろう」
椅子に腰掛けたままの姿勢で、壬生屋は振り返る事無く声の主に、意識して刺々しく 答えた。
判ってはいたものの、相変わらずの少女の反応に、瀬戸口は気付かれないように眉根 を寄せた。
「…で?進歩の程はどうなんだ?」
「今はまだ、とても人に聴かせられるような状態ではありませんので」
アンプからシールドを抜き取ろうとした瀬戸口の手を、「電源が入 っている時は、触らないで下さい」と厳しい声で制すと、壬生屋は素っ気無い返 事を繰り返す。
言いながらも、彼女の白い指が、思いのほか滑らかにフレットの上をスライドし ているのを見て、何事においても全力で頑張るこの不器用な少女に、瀬戸口はほ んの少しだけ好意的な印象を覚えていた。

すると、

「スタッフが、寝食も惜しんで機体の修理に励んでいるというのに、 そのパイロット様は、のん気にギター遊びですか?」

1ミリの隙もない、冷徹な言葉と同時に、詰め所のドアから森と原 が入ってきた。
「おいおい。今は昼休みなんだから、別にいいじゃないか」
「こっちは、誰かさんのお陰で、その昼休みも潰されているんです」
「前に、コイツが手伝おうとした時にも、邪険に断っていただろうが。 そんで、休んでりゃ休んでりゃでいちゃもんをつけるのか?」
「…整備の素人には、余計な真似をして欲しくないだけです。ご自分の仕事で さえ、満足に出来ないようなパイロットなんかに……」
「森。今のは、明らかにパイロットを侮辱した発言よ。壬生屋さんに 謝りなさい」

大きくはないが、僅かに怒気を含んだ原の声が、森の舌を止めた。
森は、そこで漸く自分が言い過ぎた事に気付いたようだったが、引っ込みがつか ないらしく、ぷい、とそっぽを向く。
「……あなたは、昼食を取りに来たのでしょう?あなたの言う『無駄に時間を 潰したくない』のなら、下らない八つ当たりは止めなさい」
上司であり、整備学校時代の先輩でもある原の言葉に、森は、椅子の 上にあったカバンから、弁当を取り出した。
アンプの前に佇む和装の少女を、極力視界から遠ざけると、踵を返して詰め 所を出ようとする。

「だったら……もう、わたくしの事は放っておいて頂けますか」

森が、壬生屋の横を通り過ぎようとした瞬間、淡々とした声が届いた。
「わたくし以外にも…パイロット技能を持つ方は、大勢いらっしゃいますし、 その中で、あなたの注文どおりになさって下さる人を、お選びになっては いかがしょう?」
「な……?」
弾かれたように振り返った森の瞳に、妙に平静な壬生屋の横顔が映る。
「あなたのお眼鏡にかなう相手でしたら、わたくしと違って機体を大切に されるでしょうし、寸暇を惜しんで整備に追われる必要もなくなりますよ。 わたくしは……そうですね。この際スカウトにでも転職して、文字通り 真っ向から突っ込んで果てるのも……」


パン!


ヘッドホンを外して、立ち上がった壬生屋の頬に、森の右手が飛んだ。
「お、おいおい!」
仄かに赤くなった壬生屋の頬を見て、瀬戸口は思わず森に向き直る。
メカニック一筋で、戦う事にまるで慣れていない森の手は、ぶたれた壬生 屋以上に赤く腫れていた。
だが、それ以上に赤く染まった彼女の潤んだ両目に、瀬戸口は動きを止めた。

「人の気も…知らないで……!」

涙混じりに声を振り絞ると、森は、詰め所を飛び出していく。
「森!待ちなさい!」
そんな森を、原は慌てて追いかけようと、足を急がせる。
扉まで進んだ所で、原はもう一度振り返って壬生屋を見た。
「本当にごめんなさいね。…でも、戦争をしているのは、あなたひとりじゃ ないのよ。ほんの少しでいいから、森の…私たちの気持ちも判って……」
攻めるでもなく、努めて穏やかな口調で告げると、原は詰め所を後にする。
残されたのは、肩を竦めて天井を仰ぐ自称『愛の伝道師』と、ぶたれた頬 もそのままに、ぽつんと立ち竦んでいる少女。

「わたくし…最低な事を言ってしまいました……」
「───後悔するくらいだったら、最初っから言うなよ」

他人事のように呟いた壬生屋に返すと、瀬戸口は、水で濡らせたハンカチ を、彼女に手渡した。




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