『婚礼夢想』




「愛している」
ヘイゼルの瞳を細めながら、舞のベルベットヴォイスが、来須の鼓膜を 優しく刺激する。
「改まって、こんな事を言うのは恥ずかしいのだが…私と一緒に なってはくれぬか?」
彼女の周りを包み込む、 ムダにキラキラとした背景(例えるなら、ICト ーンの794番のような)に、『寡黙な男の中の男』は、思わず取り込ま れそうになってしまった。

舞と知り合い、恋人としての付き合いを始めるようになって、結構な時 間が経つが、相変わらず照れ屋の彼女は、中々自分に愛の言葉を囁いて くれない。
だから今、目の前の舞の告白に、来須は表情こそ変えなかったが、まる で天にも昇る気持ちになっていたのだ。
無意識に緩みそうになる口元を、懸命に引き締めて、来須は脚を踏み出す と、相変わらずムダに輝いた背景の中で、優しく微笑む舞の手を取る。
触れ合った互いの手から伝わるぬくもりに、舞は嬉しそうに表情を綻ば せた。
「幸せになろう。そなたが望むなら、 私は傾斜90度の坂道を、坐ったまま自転車で登り続けてみせる」
「舞…」
些か飛躍しすぎな比喩が気になるものの、手の甲に落とされた舞の唇の 感触に、来須はらしくもなく鼓動を速める。
「出来る限り、そなたに苦労はかけぬ。私はそなたを守るべく、良き 夫となろう」

「───ちょっと待て」

『幸福状態』を表す独特の能天気なBGMに、つい流されかけた来須だったが、 舞の科白に、ふと我に返った。
「どうした?」
「…何故俺が、お前の妻にならなくては、いけないのだ?」
「私と一緒になるのが、イヤなのか?」
来須の質問に、舞は驚愕したように目を見開いてきた。
「いや、そうではない。ただ、どうしてお前が妻ではなくて、夫になる というのだ」
心外そうに尋ね返してくる舞の表情に、来須はまるで自分が悪い事をし たような気分になったが、心の中で平静を保ちながら、もう一度彼女 に問う。
「……決まっているであろう。芝村たる者、伴侶となる人間には、家庭 を守ってもらう事になっている。すなわち、家庭を守る者=妻という 訳だ」
「……」
強引以外の何ものでもない彼女の発言だが、それがあまりにも堂々とし ていたので、不覚にも来須はツッコミを入れるタイミングを失った。
そんな来須の態度を、承諾と受け取ったのか、舞はいそいそと傍らのバ ッグから何かを取り出してきた。
中身を確かめようと首を傾けた来須は、その直後、軽い眩暈に襲われる。

「婚姻届は、後で提出するとして…やはり、新婚旅行には出かけたい ものだな。このようなご時世だから、 『熱海2泊3日』が妥当な所だが、 お望みとあらば、『わいはー』 くらいまでなら頑張れると思うぞ」

机上にこれでもか、と並べられた旅行会社のパンフレットと、ウエデ ィングプランのカタログに、来須は何も言う気も起きないまま、呆然と 立ちすくむ。
「あと、忘れてはならぬのが、 そなたのウエディングドレスだな」
「何故、俺がドレスを着なければならない?」
「妻がドレスを着るのは、当たり前であろう。この、ドレープをあし らったものも綺麗なのだが、やはりそなたには、デコルテの方 が似合いそうだ。シンプルな中にも、品がある」
「……お前は、何を着るというのだ」
「私は軍人だ。礼服を着るに決まっておろう」
判り切った事を訊くのだな、とでも言いたげな眼差しで返すと、舞はウ キウキとした表情で、カタログにチェックを入れ始めた。
もはや、突っ込む気力も失せかけた来須が、半ば傍観者気分で事の 成り行きを見守っていると、

「ちょっと、待つデース!」

聞き慣れた外国訛りの声が、ふたりの間に割って入ってきた。
「小杉…いや、義姉上殿と呼んだ方がいいな。何か不都合でも?」
「……不都合も何も、アリマセーン!どうして来須クンが、ドレスを着 なければならないのデスか!?」
『義姉上殿』という言葉に、一瞬感動を覚えかけた小杉だったが、慌 てて表情を引き締めると、舞に詰め寄る。
視覚的暴力以外の何者でもない、(註:だけど、作者的にはまるで問題なし) 自分のドレス着用に異議を唱える姿を見て、普段説教ばかりする義 姉の事を、来須はこの時ばかりは心の底から感謝しかけたが。

「ワタシの日本における結婚式は、神前式が通説デース!白無垢と 内掛けで行うべきデース!」

……自分の思惑と180度は違った小杉の主張に、来須は今度こそ、忘我状態 に陥った。
ビシリ、と指を突きつけられた舞は、二、三度瞬きをしながら、小杉の 指と表情を見比べていたが、やがて、何かを合点したかのように手を打つ。
「すまぬ、私が浅はかだった。昨今の『うえでぃんぐ・ぶーむ』とやらに、 踊らされていた私を許せ。やはり、日本人たるもの、白無垢で三々九度で あったな」
「当たり前デース!」
歓声を上げながら盛り上がる女性陣に、来須は、呆然と天井を仰ぐ。
「──と、いう訳だ。そなたの清き心を表す白無垢姿は、きっと世界中の誰 よりも、美しく輝いているであろうな」
そんな来須の顔を、両手で優しく包み込むように、舞が自分の前へ動かした。
相変わらずキラキラ背景の中で、それ こそ『絵に描いたような 王子様お姫様』の如き彼女の笑顔を見ていると、来須 は何も言い返せなくなってくる。
「神前式なら、披露宴はケーキカットではなく、鏡割りだな。早速職人に言 って、当日用の特注の木槌を頼むとしよう。バットではないので、小型の 釘をカスタマイズした方が良さそうだな」
「………」
鏡割りに、例のバットを使わないだけまだましかも知れないが、どこまでも マイペースな恋人に、来須はガックリと肩を落とした。


「えーっ!?来須先輩、結婚式にドレス着ないんですかぁ!?」

すると突然、部屋の扉が開いたかと思うと、中から見覚えのありすぎる男 女の集団が現れた。
何事か、と振り返ると、野次馬根性丸出しの小隊メンバーが、互いを押し 合うようにして、部屋の中へと入ってくる。
「残念。知り合いでドレス業界に勤めてるコがいるから、紹介しようと 思ってたのに」
「フフフ。自分には、まるで縁のなさそうな業界の人とばかり、お知り合 いがいるのですねぇ」
妖しく身をくねらせている岩田の「水月」と呼ばれる箇所に、肘鉄砲を食ら わせながら、原が舞と来須を見やる。
「良いではありませんか。日本独特の風情が感じられて、わたくしは好き ですけど」
カタログを眺めながら、感慨深げに目を閉じた壬生屋に、隣にいた瀬戸口 は、ほんの少しだけ目を奪われながらも、曖昧に頷いた。
「ぎんちゃんは、おきもので『けっこんしき』に出るのね?でも、ののみは、 ぎんちゃんのうえでぃんぐどれすも、見たかったなぁ」
床に力なくへたり込んでいる、来須の服の裾を引っ張りながら、ののみが 無邪気な表情で、声をかけてくる。
その時。

「それなら、ドレスの記念撮影だけするっていうのは?」
「…なるほど。名案だな」
何気なく言った『ぽややんな相棒』の言葉に、舞のヘイゼルの瞳がキラリ と輝いた。
その会話を耳にした来須は、反射的に身体を起こして退場しよう としたが、両脇を滝川と新井木に取り押さえられてしまう。
「あ、あの…私、今日アルバイトで仕立てていたドレス、持ってるんです けれど……フリーサイズですから、来須くんでも大丈夫だと思います」
「それは、丁度いいですね。でしたら、私のデジカメで撮ると致しましょ うか」
おずおずと、白い地獄…もとい『魅惑の衣装』を手に現れた田辺から、慎 重にそれを受け取ると、善行が懐から新品と思われるデジタルカメラを 取り出した。

周囲の和みモードに、ひとりだけついて行く事が出来ない来須は、次の瞬 間、信じられない力で抱き上げられた。
弾かれたように顔を上げると、はにかんだ舞と視線が合う。
「私も、これから軍服に着替える。ひと足お先に、婚礼の記念撮影だな」
「……待て!」
「…もう待てぬ。このまま、何処かにそなたを閉じ込めてしまいたい 気分だ」
いくら暴れようとも、自分より明らかに華奢である筈の舞の身体は、びく ともしない。
「舞、待て!頼むから待ってくれ!」
「──これ以上、私を焦らさないでくれ」
寡黙な来須にしては、懸命に弁舌を奮ったのだが、『幸福状態MAX』にな っている舞には、何処吹く風、と通じない。
「幸せになろうな」
「……やめろーっ!」

眼前に迫ってきたウエディングドレスに、来須は絶叫を放った。



「…一体、何の夢を見ているのデショウカ?」
「疲れているのかも知れぬ。ここの所、ずっと慌しかったからな」

買い物から帰ってきた小杉と舞は、ソファの上でうなされ続けている来須を、 不思議そうに見下ろしていた。
「ソレにしても、無事に式場・その他も決まって、本当によかったデスネ」
「うむ。神前式も気になったのだが、やはり憧れの『うえでぃんぐどれす』 の誘惑には、勝てなかったな」
小杉の言葉に、舞は、両手で赤らんだ頬を押さえた。彼女の左手の薬指に 嵌められた誕生石の指輪が、部屋の照明を受けて、キラリと輝く。

「来須、来須。起きてくれ。見て欲しいものがあるのだが……」
仄かに息を弾ませながら、舞は紙袋の中から純白のドレスを取り出すと、未 だ悪夢に呻き声を上げている、恋人の耳元で囁いた。



………HAPPY END?


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