『自然休戦期の憂鬱』



夏。
世間では、何故か幻獣の出現しないこの時期を『自然休戦期』と呼ぶ。
それまで、人類の敵である異形の怪物たちと死闘を繰り広げていた学兵た ちも、この時ばかりは年頃の少年少女たちに戻って、束の間の夏休みを満 喫し……たいところなんだけど。

異常すぎるまでの暑さに、周りの機動力は半分以下だわ、普段は(比較的) まともな思考回路の持ち主が壊れかけてるわ、トイレットペーパーの一反 木綿にビビリが入っている屈強戦士や、初恋の味欲しさに、天敵に平伏 するプライドナッシングのラブコメ男はいるわ……

もしも、今幻獣が攻めてきたら、楽勝で地獄行きだろうなあ。
あーコリャコリャ。


■エピソード・3■
 『サウナの女』

耳慣れた筈の機械音も、この暑さの中では騒音以外の何者でもない。

「今日の熊本は、この夏一番の猛暑に見舞われるそうですよ」
「──ただでさえ暑いのに、これ以上暑苦しい話題はやめてちょうだい」

常に生真面目な後輩の言葉も、益々鬱蒼とした気分にさせるばかりであった。
既に食べ終わった「ダブ○コーラ(子供時代の管理人の夏のお供。今でも売って るかどうかは不明)」の棒を咥えたまま、原は、整備班長のデスクに突っ伏す。
他の季節ですら常に熱気に包まれるハンガー内は、今や灼熱地獄と化していた。


隊長の善行同様、副長である原も、あまり休みらしい日はない。
交代制で士魂号の調整に訪れるクラスメイトたちの指示をしながら、班長と しての仕事もこなさなければならないので、彼女の忙しさは、休戦期前と殆ど 変わらなかったりするのだ。

「……毎日、本当にお疲れ様です。あの…大変な時は私が代わりますから、 あんまり根を詰めないで下さいね」
先ほど、原と半分コした「○ブルコーラ」の棒を屑籠に捨てながら、森が労い の言葉をかけてくる。
いつもなら、涼しい笑顔で後輩に謝辞を述べる彼女だが、
「いいわよねー。彼氏とバカンスをエンジョイしてきた人は、そんな余裕があって」
「──えぇっ!?な、そんな、ウチは……」
慌てふためく森の姿に、原はほんの少しだけ溜飲が下がる。
何のことはない。
先日、『奥様戦隊』の活動をしていた時に、海辺で彼女とその恋人の姿を見か けたのである。
サンスクリーンでは隠し切れない森の日焼けの跡と、現在ハンガーの2階で2番機を 整備している彼女の恋人の、やや赤くなった肌の色を見て、原は羨ましいやら 妬ましいやら、複雑な感情を持て余していた。

『そうよ…大体、何のための夏休みなのよ。毎日毎日ハンガーに閉じ込められて、 書類の束や士魂号の調整に追われて、たまに外へ出掛けられるかと思いきや、 「奥様戦隊」の活動しか出来ないし……!』

「……何で私は、あそこであんなヒゲ・スネ毛眼鏡と出会っちゃったのよーっ! そうじゃなきゃ今頃は、こんな場末の小隊のお守りなんかじゃなくて、機研の第 一線でバリバリやってる筈だったのにィーっ!」
不快指数200%のハンガーに加えて、彼女の中のイライラが爆発したのか、原は デスクを叩くと、ヒステリックに叫んだ。
「うるせー!暑いのは、オレたちだって一緒なんぞ!?」
「お黙り!この隠れ少女趣味の武闘派女!」
「な、なんだとー!?」
普段は無造作に伸ばされた長髪を、高く結い上げながら、1番機の整備をしてい た田代が原に言い返すも、上官であり、それ以上に年長女としての妙な貫禄を併せ 持つ整備班長の反撃に、顔を真っ赤にさせる。
「もうイヤ…こんなの、ちっとも夏休みなんかじゃない……」
森や遠坂が宥めるのも聞かず、原は、傍らにあった白いモノで顔を覆うと、さめ ざめと嗚咽を漏らし始めた。

───原の泣き声に合わせて、クシャリと音を立てるその白い「モノ」の片隅に、 『重要・未決済書類』と書かれているのが、非常に気になるのだが。


「……何気に『地獄絵図』やな、ココ」
その時。
ハンガーのテントを捲って、エセ関西弁の事務官が、顔を覗かせてきた。
「加藤さん。我々に、何か御用ですか?」
このクソ暑い中でも、上品な仕草で額の汗を拭いながら、遠坂が加藤に問う。
「みぶやんからの差し入れや。冷たいカルピスあるから、一息ついたらどうや?」
「ホントか!?」
「フフフ、素晴らしい!『初恋の味』のおすそ分けですねぇ!」
加藤の言葉に、田代と岩田が歓喜の声を上げた。
「ハンガーの外に、バケツと柄杓があるから、飲みに来てや。…ホラ、原 班長も、いつまでもベソかいとらんと、こっちにけえへん?」
「……私は、後でいいわ。あなたたち、先に飲んできなさい」
平静を取り戻したのか、誘いの言葉に小声で返すと、原はクスン、と鼻をすする。
書類から顔を上げた彼女の美貌は、所々インクで黒く汚れていた。



日陰に置かれたバケツの蓋を開けると、原は、柄杓で乳白色の液体を掬った。
「こーいうんは、豪快にいかなあかんで。コップに移し変えるなんて、野暮な事は ナシや」
促されるまま、原はそのまま柄杓に口を付けて中身を飲み干す。
独特の甘味と共に、冷えた水分が身体の中に入り込み、原は生き返ったよう な気分になった。
「ホンマ、いつもお疲れさんやな」
ふぅ、と息を吐く原を見て、加藤が小さく微笑んだ。
「ウチらにとって士魂号は、命綱みたいなモンやからな。あんな気難しい 『お侍はん』を、動けるようにしてくれるっちゅーだけでも、感謝感激、雨あられや」
「……」
思いも寄らぬ加藤の言葉に、原は目を瞬かせる。
「…信じてへんの?」
「──あ、いいえ」
バケツを柄杓に戻しながら、原は、訝しげにこちらを見つめてくる加藤に向かって、 慌てて首を振った。
「ホンマ、休戦期に入るまでは、ウチらは生き残る事が出来るんか…て、毎日 思うとったくらいやからな」
雲ひとつ無い青空を見上げると、加藤は僅かに瞳を細めた。
「戦いに明け暮れとる時は、ついついパイロットたちばかりに目がいってまう けど、最近になって、やっとメカニックの有難さが判ってきたような気がす るんや」
「………」
「ありがとさん」
「…気付くのが遅いわよ。……でも、そう言って貰えて何よりだわ」
所々インクの跡が付いているものの、それでも原の笑顔は、同性の加藤から 見ても、充分賞賛に値するものであった。


「ごちそうさま。さて、いつまでも油を売ってはいられないわね。パイロットさ んたちに文句を言わせないくらい、あのきかん坊を調整しないと」
小隊長室に戻ると言う加藤と別れた原は、軽く伸びをすると、再びハンガーへ 向かって歩を進めた。
休戦期が明ければ、また人類の敵たちとの戦いが始まる。
その時に後悔しないように、自分たち整備士は、今の内にあの『異形の侍』を ベストの状態にしておかなければならないのだ。

「……もうちょっとだけ丁寧に操ってくれると、正直助かるんだけどね」

脳裏に浮かんだ『騎士』と、潔いまでに真っ直ぐな『女武者』たちに愚痴 りながら、『整備の城』へと続くテントの入り口を開ける。
次の瞬間、原の視界に飛び込んできたものは。


「フフフ、ローリング、ローリングゥ!『初恋の味パワー』を充電したワタ シに、ここの暑さは意味ナッシングー!」

灼熱地獄の中でも、あの毒々し…もとい、独特のメイクを保ちながら、2階へ 続く階段の上で、狂ったように踊り続けている岩田の姿であった。
「ギャハハ、バッカでー!」
「随分とハイテンションですね……」
「真面目に仕事をして下さい!先輩が帰ってきたらマズイですよ!」
「───もう、帰ってきてるわよ」

慌てふためきながら、スタッフに注意を促す森の背後で、物騒な声が響いた。
「──せ、先輩!?」
弾かれたように振り返る森を他所に、どこか据わった目つきのまま、原は 岩田の元へと足を動かす。
「…気分一新したかと思いきや、何てざまなのかしら……」
外で補給した水分も、このハンガーの中では一瞬にして汗・そして蒸気へと 変わってしまっているようだった。
原の周りを取り巻く物騒なオーラに、遠坂と田代は瞬時にその場から飛び退 いたが、岩田はソレに気付かず、「1秒間に16回転はしているんじ ゃないか」というほどの高速で、己の腰を回し続けていた。
「フフフフフ!『高○名人もビックリ』な、このワタシのスピードについて これる勇者はカモーン!……ぐはぁっ!?」

トランス状態の岩田にハイキックを見舞った原は、転げ落ちていく物体 に目もくれず、いつの間にやらデスク脇にまで避難をしていた森たちに 視線をやる。
「……単に速けりゃ、いいってモンじゃないでしょ……」
「──はい?」
「この私が、本当の踊りというものを見せてあげるわ!」

言いながら、制服を脱ぎ捨てた原は、いつの間に下に着込んでいたのか、 きわどい水着姿で踊り始めたのである。
「せ、先輩……?」
「森さん!BGMかけなさい、BGM!」
「は、はいぃ!?」
まるで、関東地方にある某ネズミーリゾートにいらっしゃる「ベリーダンサ ーのお姉さん」も真っ青な程の腰使いに、森たちは呆然と見守っていたが、 原の叱咤に慌ててデスク横のラジオのスイッチを入れた。
暫くのノイズ音の後で、スピーカーから聴こえてきたものは。

「……バカヤロウ!何てモン流してんだよ!?」
「何で!?いつもなら、普通の音楽番組やってる筈なのに!」
「…そういえば、今日は『納涼祭り』ではありませんでしたか?確か この時期は、それに合わせて熊本民謡の特集をやる、と聞いた事が あるのですが……」
冷静すぎる遠坂のコメントを他所に、スピーカーからは、威勢の良い掛 け声と共に「火の○太鼓」が流れてきたのだ。
「おい、早くチャンネル変えろ!殺されるぞ!」
「そ、そんな事言ったって、他に音楽の番組なんて……」
「──フフフ、その心配は無用ですよ」
「!?」
慌てふためく3人を前に、いつの間に復活したのか、岩田が身体をくねらせ ながら割って入ってきた。
「アレを御覧なさい」
些か大げさな動きで、岩田の長い爪が指し示したものは。

『………踊ってるよ……』

「♪男一番、バチなら(以下略)」の歌声に合わせながら、水着姿の原は、 何故か妖艶にその身をくねらせていたのであった。
「フフフ、ワタシのレベルにはまだまだですが、中々の腰つきですね」
「……なあ、今日って『納涼祭り』って言ったよなあ?」
「ええ」
「と、いう事は…もうすぐ夏も終わりって訳ですよね……」
突如、ハンガー階段上で起こったアトラクションに、2階にいたメカニ ックたちも、何事かとその身を乗り出していた。
そして、そこにいた誰もがみな(若干一名を除く)、思った事といえば。


『早く、(夏が)終わってくんねぇかなぁ』



直後。皆の想いが通じたかどうかは知らないが、山から下りてきたらしき アキアカネが、ハンガー上空を優雅に横切っていった。


■とりあえず、おしまい。■
ひょっとしたら、番外編・「夏空へのアーチ」に続く…?(もう、止めと こうよマジで……)

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