『これもまた、ひとつの未来』




司令部への回廊を、舞は無感動に歩いていた。
途中、自分に向かって敬礼をする下士官たちに、軽く会釈をしながら、 配属先のオフィスを目指す。
もう、二度と戻るまいと思っていた『場所』である。
あの戦いの終結と共に、自分の役目は終わった筈だった。

熊本総ての幻獣の掃討を終えた時、舞は奇妙な焦燥感と、ほんの僅か な安堵感を覚えていた。
───これでもう、戦わなくてすむと。
一族の操る傀儡の糸を、断ち切る事が出来るのだと。

「だけど……私は、戻ってきてしまった」

口元を僅かに歪めながら、舞は自嘲じみた笑みを零す。
芝村の戸籍を抜けて、ひとり大学院できままな生活を送っていた舞の 元に、『従兄だった』男から、突然の復帰要請の連絡が届いたのは、 ひと月ほど前の事だった。
はじめは断るつもりでいたが、その数日後、舞は彼の要請を承諾し ていた。
何故だか理由は判らない。
もう自分には、昔のように戦い続ける気力もなければ、自信もない というのに。

「……所詮私は、『あなた』の掌で踊る孫悟空のようなものだった のかしら?」
舞は足を止めると、ふと虚空に向かって呟いてみる。
「戦い続ける事に疲れた私を、今更のように呼び戻した。…こうな る事も、『あなた』の予測範囲内だったというの…?」

「それは違いますよ。あなたは、我らの予測をことごとく打ち崩し たのですから。おそらく『彼』も、このような展開は考え付かなか ったでしょうね」
「だといいんだけれど……!?」
何気なく聞こえてきた声に相槌を打った後で、舞は弾かれたように 周囲を見渡した。
しかし、だだっ広い司令部の回廊には、自分以外の気配は微塵も感 じられない。
「……疲れているのかしら、私…」
片手でこめかみを押さえながら、舞は苦悶の表情を浮かべる。
「──ダメね、幻聴に惑わされるなんて。少し、昔の気持ちを取り 戻した方が良さそうだわ」
視線を元に戻すと、舞は軽く息を吐いて呼吸を整える。
「…さて、それじゃ改めて行くとしようかしら」
「───フフフ。その意気ですよ」
もう一度聞こえてきた謎の声に、舞は、再度首を巡らせて周囲を警 戒した。


「……以上が、総司令部から送られてきた書類です」
些か緊張の面持ちの若い士官からファイルを受け取った舞は、その ヘイゼルの瞳を、無機質な書面に走らせていた。
幻獣との戦いが終結した現在、哀しい事に新たな戦いが各地で起こ りつつあった。
本格的な全面戦争へと展開する前に、どうにか食い止める事が出来 れば良いのだが、正直難しい所である。
敵対するどちらの言い分も判る立場にいる自分は、来るべき時に、果 たしてどのような判断を下したら良いのだろうか。
舞は柳眉を顰めると、右手の親指と人差し指を、少女時代よりも若干 シャープになった顎と頬に当てた。

「…司令。……田神司令!」
「──あ、はい?」
考えに耽っていた舞は、部下の呼びかけによって、現実に戻された。
『芝村』時代には、絶対にしなかった返答をしながら、心配そうに
自分を見つめる部下に、視線を移す。
「午後に、新しく司令の副官になる方が到着するそうです」
「…私の?」
「はい。きっと、じきに連絡が入ると思いますので、それまではこの 部屋で待機していて下さい」
「判りました」
舞の返事に頷いたその士官は、一礼すると、執務室を後にした。
残された舞は、椅子の背凭れに身体を預けると、ふぅ、と大きく息を 吐く。

目を閉じれば、あの頃の思い出が、まるで昨日の事のように甦って くる。

常に『死』と隣り合わせの過酷な状況であったが、それでも舞にとって は、かけがえのない大切な時間であった。
共に戦う仲間たち。時にケンカをした事もあったが、いざ戦いとなれ ば、全員一丸となって潜り抜けてきた。

「皆…どうしているかしら……」

戦後、名を変えて自ら消息を絶った舞は、時折耳にする情報以外に、彼 らの行方を知る事はなかった。
関東にいる善行や、今でも稀に連絡をくれるウイチタ・更紗の話による と、かつての小隊の仲間たちは、「それぞれ元気でやっている」らしい のだが……

「………」
ふと舞の脳裏に、とある記憶が浮かんできた。

───あの日。
芝村の戸籍を抜け、『人間』として生きる決意をした日。
舞は、決して忘れる事の出来ない夜を、ある男と過ごしたのだった。
おそらく、もう二度と会う事のない人物。彼がいずれ、自分の前から いなくなる事を恐れ、舞は卑怯にも、その前に自ら彼の元を去ったの である。


「きっと…今でも『何処か』で怒っているでしょうね……」
もうあれからかなりの年月が経つというのに、未だその思い出は、舞 の心を捕えて離さない。
今なお鮮明に残る少女時代の記憶に、舞は小さく苦笑した。
その時、
「──田神司令。副官の方が到着なさいましたが」
デスクの内線から、先程の若手士官の声が聞こえてきた。
舞は、内線の通話ボタンを押すと、その副官を執務室に通すよう指示 する。
程なくして、執務室の扉をノックする音が響いた。
「どうぞ」
舞は、その音に短く応えると、それまでだらしなく背凭れに預けてい た身体を起こす。

だが。

「───失礼します。本日付で、貴官への補佐の任を拝命いたしま した」


敬礼と共に現れた、背の高い男性士官の姿を確認すると、舞は言葉 を失った。


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