『これもまた、ひとつの未来』




【歴史的補講】

『芝村舞は、2004年2月を以って軍を除隊、民間人となった。
彼女は、戦争から生き残ったのである。
そして────── 』


20××年。
「お迎えに上がりました」
3個目の目覚ましでようやくベッドから身体を起こした舞は、インターホン から聴こえてきた声に、すぐに出るので待っていて欲しいと告げると、 慌しく身支度を始めた。
昨夜のご飯の残りで作ったおにぎりを口にくわえながら、先日支給された ばかりの制服に身を包む。
「…このような服に袖を通すのは、何年ぶりの事だろう」
やや青みがかった濃紺のそれを鏡に映しながら、舞は小さく口元を綻ばせ た。10代の頃よりも短くなったセミショートの髪を、ブラシで軽く整える と、板に付いた動作で化粧を済ませる。
ざっと戸締りを確認した後で、舞は、玄関に無造作に並んでいる靴の中か ら黒いプレーンのパンプスを選んだ。下駄箱の上にあった鍵を掴むと、 勢い良くアパートのドアを開ける。


ドアの隙間から差し込んできた光が、下駄箱の上にある写真立てのガラス に反射する。
そこには少女の頃の自分と、あの激動の時を共に過ごした大切な仲間たち が、楽しそうに微笑んでいた。


軍を除隊した舞は、その後芝村の実家を離れ、飛び級で大学院へと進ん だ。
大学では古文書の研究や遺跡の調査などに没頭し、それまで忘れていた 学生らしい生活を満喫していた。
あの世紀末を共に駆け抜けていったかつての戦友たちも、今ではそれぞ れの道を歩んでいる。
民間人となって、ごく普通の家庭におさまったもの。
そのまま軍に残り、職業軍人として生きているもの。
民間医療団体で、反戦及び救援活動に尽力を注ぐもの。
己の得意分野を職業に生かしたもの………


恭しく頭を下げる軍の士官に、舞は小さく会釈をすると、案内されるま ま、黒塗りの車に乗り込んだ。
「…お噂はかねがね聞いております。かつて、熊本でその名を知らぬ者 はなし、とまで言われた『電脳の騎士』。お会いできて本当に光栄です」
今年任官したばかりだというその青年は、舞を一瞥すると、息を弾ませ ながら頬を赤らめた。
「───有難う。でも、昔の事ですから」
少し困ったように笑顔を作ると、舞は運転席の青年士官に言葉を返した。

1999年の熊本最前線における異形の侍『士魂号』の活躍で、人類は歴史に 残る大いなる勝利を手にする事に成功した。
舞もまた、士魂号のパイロットとして幻獣の軍勢に果敢に立ち向かい、そ の結果数多くの戦績を残した。
だが、かつてその栄光を手に入れた仲間たちも、今では殆どが一線を退い ている。
壬生屋は実家の道場を継ぎ、滝川も現在では飛行機のパイロットとして、 日本の何処かの空を飛んでいる。
そして舞の相棒の速水は、何故か戦後芸能界にデビューをし、持ち前の 美貌と人当たりの良さで、今なお幅広い人気を得ている。

………あれからもう何年も経つが、彼らは元気でいるのだろうか。
脳裏に浮かんだ仲間たちの姿に、思わず舞はそっと含み笑いを漏らした。


総司令室に案内された舞は、ノックの返事も待たずに中に入る。
「──久しぶりだな。随分と人間臭くなったものだ」
舞の入室に、体格の良い男が振り向いた。
「お久しぶりですね…勝吏」
粘着質の男の声に臆する事無く、舞は小さく頷いた。一寸の隙もない彼女 の態度に、総司令芝村勝吏は、その三白眼をほんの少しだけ細める。
「……フン。人間臭さと共に、芝村らしからぬ振る舞いまで身に付けた か」
「──今では、こちらの話し方のほうが気に入っております。こうして、 あなたの嫌がる顔を拝見するのも中々ですから」
勝吏の挑発ともいえる物言いに動じる事無く、舞は平然と切り
返す。だが、一見柔和な物腰の中で彼女のヘイゼルの瞳だけは、あの時 と変わらぬ…否、ひと際眩い光を放っていた。


舞は軍を除隊して間もなく、成人したのを期に芝村の戸籍を抜けた。
幻獣との戦いも終結し、果たすべき役割を終えた彼女は、自らの意思で 一族との縁を断ち切ったのである。
実験動物である彼女の出奔とも言うべき行動に、上層部の人間は一時抹 殺まで考えていたが、一族の中から『秘密裏に監視を続行する』と名乗 りを挙げた者がいた事と、舞自身に謀反や裏切りの兆候がない事が判明 すると、結局は保留状態に落ち着いた。


「…まあ、良い。結局、お前はここに戻ってくるしかなかった。我が一 族に安穏の日々ほど、似合わぬものはないというのに」
「──今の軍隊は、そんなに肩身が狭いのですか?私という客寄せパ ンダを呼ばなければならない程に」
哀れむような勝吏の視線を軽く受け流すと、舞は逆に勝吏に尋ねる。
「……俺は、お前をただのプロパガンダのような扱いをするつもりは 毛頭ない。戻ってきたからには、それなりの働きはしてもらう」
「買い被って頂くのは、結構ですけれど……」
わざとらしく肩を竦めると、舞は小さく敬礼をして、背を向けた。か つて己の足を煩わせていたパンプスのヒールも、成人した今では何の 苦労もなく、持ち主の足に馴染んでいた。

「──待て、」

勝吏の呼び掛けに、舞は無表情に振り向く。
「…そなた、また見合いの話を断っていたそうだな。矢上の者が嘆い ていたぞ。あそこの嫡男は、趣味の悪い事にお前にぞっこんだからな」
「……私は結婚する気も、これ以上一族に名を連ねる気もありません。 あなたこそ、さっさと身を固めては如何です?」
下卑た話題に、舞は眉を顰めながら勝吏を見返した。
「──俺は、何処ぞの誰かと夫婦になる気はない」
「…そう言って、いつまでも更紗殿が待っていると思わない方がよろ しいのでは?」
「……」
「それとも、そんなに私を気に掛けているのは、実は『気がある』の 裏返しなのでしょうか?」
続けられた舞の言葉に、勝吏は大きく咳き込んだ。
「───誰が貴様のようなじゃじゃ馬に!もういい!さっさと行って しまえ!」
『人間臭い』勝吏の怒声を聞きながら、舞は再び踵を返すと、部屋を 後にする。
ドアを閉めて廊下に出た途端、舞は周囲に誰もいないのを確認すると、 やがて大きく吹き出した。


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