『スパイス』


来須は、あからさまに不機嫌な様子で教室に到着すると、舞の姿を探し た。
無口な男から醸し出される迫力満点のオーラに、1組の教室は、『ピリピ リした雰囲気』に包まれる。
今朝、来須が目を醒ました時には、舞はテーブルの上に手作り弁当を置 いて出かけてしまっていた。
士魂号の調整などで、舞が先に家を出るというのは珍しい事ではないが、 昨夜の事に加えて、先程の加藤からの言葉が、来須の頭の奥に引っかか って離れないでいたのである。

「あ、来須先輩お早うございます」

険悪な雰囲気をものともせず、『ぽややんな美少年』である速水が、声を 掛けてくる。
「…舞は何処だ」
速水の挨拶に応えず、来須は逆に彼に問い掛けた。
「──え?舞?」
「お前と一緒ではなかったのか」
「そうだったら嬉しいんだけどね…あいにく今日はまだ、僕は彼女に一 度も会ってないよ」
「……そうか」
僅かに気落ちしたような声で返事をすると、来須は帽子を被り直す。
「よぉっ、バンビちゃん♪……って、おいおい。何なんだよ?朝っぱら からドス黒い気を放出しまくってるヤツは」
いつもの調子で速水に抱き付きながら、瀬戸口はわざとおどけた口調で 来須を見る。
「瀬戸口くん。キミは今日、舞の姿を見た?」
「芝村の?」
何度言っても止めない瀬戸口にいい加減慣れたのか、速水は抱きつか れたままの状態で、来須から受けたのとほぼ同じ質問をした。
「そうだな…見るには見たけど……」
「…けど?」
「見たのは、学校じゃなくて駅前だったんだ。まるで、これからどっか へ出掛けるような、余所行きの格好で。声を掛けようかとも思ったんだ が、タイミングを逃しちまってな」
「…え?じゃあ、今日舞は学校に来ないんだ?」
「来須…お前、あいつから何も聞いてないのか?俺はまたてっきり、芝 村がお前さんと出掛けるものとばかり思ってたぞ」
「………」
意外そうな瀬戸口の質問に、来須は益々仏頂面を作ると黙り込んだ。
そのまま、重い足取りで席に着くと、乱暴な音を立てて腰掛ける。

「……ねえねえ。これっていわゆる『夫婦の倦怠期』ってヤツ?」
「う〜ん……まさかあのお姫さんに、不貞な真似が出来るとはなぁ。正 直、俺も意外だが……」
「まるで破局の予感だね。という事は、僕にもチャンスがあるってヤツ かな?」
「おいおい、物騒な事を言うもんじゃないぞ」
「だって僕は、まだ舞の事を諦めた訳じゃないもん。彼女が来須に愛想 を尽かしたんだったら、遠慮はいらないしね」
「───さいですか」

他人の不幸は蜜の味、とばかりに、速水と瀬戸口は、『ピリピリした雰 囲気』から『暗い雰囲気』に移行しつつある来須の姿を、遠巻きに眺め ていた。


中心街のカフェレストラン。
「すみませんでしたね。気の利いた所を知らないものですから。大丈夫 ですか?」
「───私も一度来たかった店です。ここの紅茶は美味しい、と評判で すから」
照れ臭そうに苦笑する男に、舞は首を振って応える。
普段の芝村的な姿勢とは打って変わった、普通の少女の言葉遣いで、 舞は、向かい合わせにテーブルに着く男と話をしていた。
いつもの小隊の制服ではない、チェックをあしらったピンクのワンピ ースが、戦争中とはいえ、春の熊本に彩りを添えている。
髪も、サイドをバレッタで止めて、背中まで下ろしているので、傍目に はとても、世界を牛耳る一族の末姫には見えないであろう。

「お仕事の方は、如何ですか?」
運ばれてきたダージリンに口を付けると、舞は男に尋ねる。
「……まずまずですね。熊本ほどではありませんが、中々の激務です」
「そうでしょうね…何だか疲れた顔をしていらっしゃいますし」
「──これは失礼。貴方を前にして」
「いいえ。普段は気を張り詰めてばかりなのでしょう?こんな時くらいは、 肩の力を抜いて下さい」
「恐れ入ります」

舞の言葉に、男は更に照れ臭そうに頭をかいた。自分を見つめてくるヘ イゼルの優しい眼差しに、気付かれないように瞳を細める。

「──あの、」
スコーンを食べる舞に、男は何処か意を決したような様子で、僅かに 身を乗り出してきた。
「…?」
「私の休暇は日曜日までなのです。それで、あなたにお願いがひとつ あるのですが……」
緊張した男の面持ちを、舞は目を丸くさせながら見上げた。


夜。
舞は、テレポートで宿舎の自室に戻ると、極力音を立てずに着替えを 済ませた。
そして、顔を洗いに洗面所へ移動しようと襖を開けた途端、腕組みの 姿勢で廊下を遮る来須と鉢合わせする。
「……」
「……何故、玄関から入ってこない」
抑揚のない声でそう尋ねると、来須は舞を軽く睨んだ。
「…休んでいたら、申し訳ないと思ったのだが」
「──何処へ行っていた」
来須の脇をすり抜けようとした舞の腕を取ると、来須はそのまま自分 の元へ引き寄せる。
「…いちいち、そなたに言わなければいけないのか」
「答えられないのか」
「……野暮用だ」
「…またそれか。誰と会っていた」
重ねての質問に、舞は僅かに目線をそらせた。その態度が、益々来須 を苛立たせる。
「俺には話せない事なのか」
「…今は、言えぬ。時が来れば話すから……」
申し訳なさそうな舞の声も、今の来須には、苛立ちの材料でしかない。
「その時には…お前は、俺からその男の元へと乗り換えるつもりか」
「──どういう意味だ!?いくらそなたでも、聞き捨てならぬぞ!」
掴まれた手を振り解くと、舞は来須を睨む。来須は、彼女の瞳が本気 で怒っているのを確認したが、それでも一度胸に浮かんだ疑惑は、簡 単に拭い去れるものではない。
「では、どうしてその男の名を答えられないんだ」
「だから、それは……」
「───もういい」
舞から背を向けると、来須は洋間の自室へと去っていく。
「………たわけ!」
音を立てて洋間のドアが閉まると同時に、舞は無人の廊下に罵声を投 げ付けた。


土曜日の1組の教室は、最悪の雰囲気の中で授業が行われた。
それもこれも、互いに不機嫌な気を撒き散らせている舞と来須が原因 である。
舞は頬杖を付いたままひと言も口を聞かず、来須は来須で、いつもよ り深く帽子を被ったまま、机に足を投げ出している。

「……いよいよもって、凄い事になってきてるね」
「う〜ん……つくづく今日が、午前中授業で良かったよな」

午後までこのような気に晒されては、こちらまで滅入ってしまうよう な気がする。
1組のメンバーは、今日という日が早く終わってくれるのを祈ってい た。
いっその事、出撃でも起これば良いのかも知れないが、司令が瀬戸口 に変わってからというもの、関東からの援軍もあって、戦況は人類の 圧倒的優勢になっていた。
本来、喜ぶべき状況の筈なのだが、今の彼らにとってはカトラス1本で 激戦区に向かうのと同じくらい、過酷な環境であった。

「芝村さん……浮気…してないと……思うの………」
「加藤。そもそもお前が、来須に妙な事を吹き込んだのが、すべての 原因じゃないのか?」
「ウ、ウチの所為と違う!だって、芝村さんが男の人と一緒にホテル に入ってくの、この目で見たんやから!」
苦虫を噛み潰したような若宮の抗議に、加藤は慌てて反論する。
「でもそれって、準竜師さんとかじゃねぇのかよ?」
「そうだったら、まいちゃんはきちんとぎんちゃんに話していると思 うのよ」
「……不潔です」
冷戦状態の本人たちをよそに、瀬戸口たちは勝手に話し続ける。
「オラ、奥様戦隊。こういう時こそ出番じゃねぇのか?」
「そうは言ってもですなぁ…先代の隊長が熊本にいない今では、機能 していないに等しいのですよ。素子さんも、何故か今回の事に関して は、完全に芝村の味方をしてますので」
「───使えねぇ」
「……かつて、我々の活動に散々ケチを付けていた方の科白とは思え ませんな」
勝手な言い分に、若宮はげっそりとした表情で返した。実は、不機嫌 状態の来須のとばっちりを誰よりも受けているのは、何を隠そう彼な のである。

「…洒落になんねえ事態だな。はっきり言ってイヤだぞ、俺は」
「とにかく。このままじゃ、いつまで経っても埒が明かないよね…」
そう呟いた速水は、小さく深呼吸すると、わざとらしいまでに明るい 声を出した。
「ねえ!明日の日曜日なんだけど、僕、新市街のアミューズメントパ ークの招待券貰ったんだ。みんなで遊びに行かない?」
地獄に仏。教室を取り巻く雰囲気はともかく、『ぽややん美少年』の スマイル&提案に、クラスメイトは僅かだが表情を輝かせた。

「ご招待っちゅー事は、タダやな。その話乗った!」
「うわーい!ののみ、欲しいぬいぐるみがあるのぉ!」
「もっちろん行くぜ、親友!」
「たまには良いかも知れませんね。同行させて頂きます」

「舞、来須先輩。君たちも良かったらどぉ?」
クラスメイトたちの掴みを感じつつ、速水は更に目を細めながら件の ふたりに微笑みかけた。
速水の誘いに、やや面倒臭そうに来須が身体を起こしたその時。

「明日は先約があるのだ。すまぬが遠慮させて貰う」

直後。乱暴な音を立てて座席を離れた来須に、速水は笑顔を引きつら せた。
舞の返答を聞いた途端、ただでさえ物騒に吊り上がっていた来須の眉 が、さらに鋭角になっていたからである。
ほんの僅かな光明は、寡黙な男の不機嫌度MAXのオーラに、たちまち 暗黒の世界に逆戻りした。
横目で舞をひと睨みすると、来須は大きな音を立てながら教室を出て 行く。

「芝村…何とかならんのか、アイツ。お前さんたちの間に、一体何があ ったというんだ?」
「──知らん。来須が勝手に腹を立てているだけの事だ。放っておけば 良かろう」
情けない声を出す瀬戸口に、舞は憮然とした表情で言い返した。


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