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既に服部にとって、その部屋は聖域のようなものだった。 そして新一にとって、コナンだった当時、服部と過ごしたマンションは、聖域に違いなかった。だから服部がその聖域で一人で暮らす事を考えた時、咄嗟に嫌だと言う感情が沸いてしまった故の夕食時の発言だと、服部は知らない。 「んっ…やっ…」 ベッドサイドの小さいテーブルに置かれたスタンドだけが頼りの室内で、色付く新一の雪花石膏の肌は、服部の視界の中で、奇妙に淫らに浮き上がっているように感じられた。 細く長い腕がシーツを引き寄せ、賢明に肉の奥から湧く快楽を怺えている様は、牡の嗜虐を煽情するには十分すぎる程の色香を湛えている。 背後から、既に崩れそうに膝を顫わせている細腰を抱き抱え、服部は新一の肉の奥に挿入した浅い部分で、肉襞を玩弄し、新一を嫋々に啼かせていた。 「工藤…」 吐息を漏らし、服部は腰を微妙な律動で動かすと、新一は嫌々と頑是なく細い首を振り乱す。 「やっ…ぁん…ぁぁ…やっ…も…もぉっ……」 ギリッと、シーツを握る瀟洒な指先に力がこもる。細面の頬をシーツに押しつけて、新一は喘いでいる。崩れる膝には、もう力など欠片も入らない。ただ服部から与えられる快楽に啼く事しかできなくなる。 夕食を摂り、新一が洗い物をし、その合間に服部が風呂に入り、入れ違いで新一が風呂に入って出てきた時には、もう随分な時間になっていた。 久し振りの逢瀬で、二人共既に怺える術など見失っていたから、極自然に新一の部屋へと向かい、互いにパジャマを脱がし合った。 脱がし合う合間に接吻を繰り返し、それは性急に深まり貪婪に相手を欲していく。肉や血の奥から湧く情欲に間視すれば、タイミングを間違う事なく合わせられた眼差しの奥から、互いの情欲が見て取れた。その事に、二人は可笑しい程安堵する自分を知っては、苦笑を漏らした。 情欲も露なのは、何も服部だけではない。新一も同様だ。 むしろ新一は服部の前でだけは放埒に振る舞っては、服部を脱力させると言う才能を持っていた。 新一は、隠す事などない。情事の最中、服部を欲しいという言葉や思いを、隠す事などなかった。それは新一のある意味での成長なのかもしれない。 服部を愛し、愛していると言う想いを自覚し、そうして愛されていると言う自覚を持ってから、新一がゆっくりと覚えてきた事だった。 愛される事。愛を囁く事。肌を合わせ、官能に顫え、互いの意思も意識も灼く法悦に混融する心地好さを、新一は服部と愛し合い、ゆっくりと覚えてきたのだ。だから躊躇いなど見せない。それが服部を倖せにしている事も、気付いていないかもしれない。 顫える膝をどうにか保たせ、それでも、もう上半身を支える腕に力は入らず、新一は喘ぐ吐息をシーツに頬を押し付け、嫋々に啼く事しかできなかった。細腰を高く上げさせられた淫猥な恰好さえ、今の新一は甘受している。躊躇いを見せないと言う事は、その全てに於いてだった。 「ぁんんっ…やめ……ちゃぅ…やっ……」 絶え絶えの吐息に散々に喘ぎ、その声は掠れ始めている。 生々しく官能に喘ぐ濃密な嬌声は、けれど新一を淫猥には視せない事が、服部には不思議だった。抱かれる事に慣れ、乱れてさえ、新一は清涼だ。 「気持ちようない?」 ツッと、顫える白い内股に節の有る指を這わせ、下肢の付け根を愛戯する。そうしておいて、ゆっくりと顫える新一の熱を掌中に包むと、細い背がビクンと悸くのが判る。瞬間、柔らかく蕩けた花襞は、内部の服部を締め付けて、新一は啼く事を余儀なくされる。暖かい新一の媚肉に締め付けられ、服部は瞬間吐息を漏らす。それさえ新一を焦燥に煽る愛撫でしかない。 包んだ新一のモノは、もう十分昂まっていて、先端の窪みからは、白濁とした粘稠な愛液を滴らせ、包んだ服部の指を淫靡に濡して行く。 掌にしたソレを、服部は緩やかな戯弄に曝す。けれど達する程の刺激にはならず、新一は焦れたように細腰を揺り動かした。 「うっ…ん…やぁ…ク…」 辿々しい掠れた声に、悸く細く薄い肩に、服部はどうしようもない情欲を煽られる。 「嫌や、ないやろ?」 片腕で細腰を差し上げるように支え、片手で熱い肉茎を悦楽に曝し、服部も怺える術を見失っていく。 「やっ…や…平…次……の…恰好…」 新一が情事の最中、服部の名を呼ぶ事は珍しくはない。そして新一が自分の名を服部に呼ぶ事を許しているのは、情事の最中だけでしかない。 情事の最中に初めて呼ばれて以来。新一は日常で服部から名前を呼ばれると、どうしても意識が当時の記憶を想起してしまい、新一は服部に名前呼ぶ事は、情事の最中だけだと言ってきたのだ。そしてその約束を、服部は律義に守っている。 「嫌なん?」 掠れ途切れがちな新一の台詞を、けれど服部は正確によんでいる。 背後からの結合を、新一は好まない。途中は大丈夫でも、どうしてもラストは抱き合う態勢でないと嫌だというのが、新一の台詞だった。 「堪忍、まだもうちょっとだけな」 無理はさせたくはないと思いながら、それでも久し振りに触れる恋人の肌に、どうしようもない情欲を煽られるのは、年若い服部には当然の反応だろう。それでも自らの快楽だけを追求し、玩弄に曝す事をしない服部は、堪忍と謝罪の言葉を口にしては、包んだ新一に緩やかな愛撫を加えていく。 「やっ…!ィ…ク…やだ…ッ」 玩弄ではない愛撫は、けれど今の新一には簡単に達してしまう類いのもので、掠れた悲鳴が口を付いた。 最初こそ、そんな台詞さえ言う事のできなかった新一は、けれど肌を重ねる回数が増せば増すだけ、告げる言葉にも躊躇いを見せる事はなくなっていた。それが服部を倖せにする事を、新一は知らないのだろう。 「ええよ、一回イッとこ」 新一の内部の動きを止めると、浅い結合をしたまま、服部は新一自身を扱いていく。緩やかだけれど、決して拒絶できない愛撫に、新一は嫌々と首を振る。淫靡に濡れる音が、新一の聴覚を振動させ、尚深い快楽を生み出して、そうして艶冶に染め上げていく。 一人でイク事を新一は好まない。受け入れ昂まるなら二人一緒ではないと嫌だと言うのが新一だった。 「んっ…ぅぅんっ…ぁっ…や…もぉ…」 もう膝を支える力も新一には残されてはいなかった。片頬を深くシーツに押し付け、悸き喘ぐ事しかできないでいた。吐息は意味をなさず、徐々に高まる哀願の音が、服部の牡の嗜虐を煽情してしまう事を、けれど新一は知らない。 「新一…愛してる」 今夜数度目の台詞だった。訪れて、こうして触れ合うのは、このベッドの上が今日は最初なのだから、互いに持った方だと、服部は何処か冷静な部分で反芻する。二人きりの時、まして久し振りの逢瀬の中では、新一が挑発じみた誘惑と変わらぬ誘いを仕掛けて来る事は、別段珍しい事ではなかったのだから。 自分は聖人君子じゃない。 そう言ったのは新一だ。たとえ世間がどれだけ新一に完璧を求め、それに応える天の才が在ったとしても、自分は完璧ではないし、まして聖人君子ではない。端然と、新一が服部に告げた言葉だった。だから求める事に、求められる事に、狼狽も動揺もないと、優游と笑った新一を、服部は鮮明に覚えている。 慣れないと思う。 情欲を交わし番う行為は、回数が増えれば、抱かれる事に新一の肉体は自然と慣れていく。喘ぎを隠す事も、イク瞬間の貌を隠す事もなくなった新一は、けれど相変らず淫らに乱れても何処か静謐で清涼な部分を残している。 それは抱く服部にとって、半瞬誰の手垢もついていない気分を齎して、だから服部は際限なく求めてしまう己を知っている。そうしては新一に溺れて行くから、自戒している。何度抱いても新一の反応に新鮮さを感じてしまうから、慣れない己をも服部は意識する。 抱けば抱く程、狼狽も動揺もみせず、ただ愛される悦楽に身悶える新一が愛しいと思う。愛される強さも、穢がれる強ささえ身に付けている新一が愛しかった。だから慣れる事はないと思う服部だった。 「もぉ…平…次…」 痛い程に昂まる自身を愛撫され、それでもイク事を拒絶する新一に、服部は苦笑する。 全くの二律背反だ。 「新一…」 囁けば、不意に服部は崩そうな細腰を抱き抱える恰好で、深々新一を貫いた。 細腰を支える片腕を、抉れる程薄い腹部を差し上げ、熱く堅い自身を淫蕩に悸く肉襞に押し込める。充血しきって綻ぶ秘花は、肉の輪をギッチリ咥えこんで、なお浅ましく悦楽に耽溺していく様が生々しく判り、腰の奥が一挙に灼け付く熱さに焦れていく。 「ヒッ!」 瞬間、達する熱が出口を求めて奔流する。細い背筋が反り返り、内部の服部を締め付けて、新一は益々翻弄される。 その寸前で、服部の指は、新一の根元を押さえ付けた。瞬間、濃密な射精感が、腰の奥を熱くさせる。 「このまま……」 服部はすべらかな白い背に幾重もの淡紅色の痕を残しながら、細腰を抱き抱え、本格的に新一を姦しにかかった。 何者にも穢がされないかのような高貴さを放つ新一に、服部は色濃い情欲の痕を残していく。残しては、高慢な程の満足に見回れて、子供のソレだと苦笑する。 処女と娼婦は対極に位置していながら、その本質は鏡像のように同類だ。落ちた娼婦こそ高貴さを増し、魅惑に磨き抜かれていく。清潔な外見に、淫蕩が横たわる。 情事の最中の新一は抱けば抱く程、そんな印象が深まって、服部を翻弄するのだ。 淫らだと、実感てきてしまう事が、何も生み出さない筈の同性同志の行為の延長線にある、愛情なのかもしれない。 「やっ…や…ぅ…ん…」 狭い肉襞を圧迫する熱く堅い肉棒に、新一はなす術もない。細く長い腕が、怺えるようにシーツを手繰り寄せ、握り締め、その一瞬を賢明に堪えている。堅く瞑った瞼の端からは、快楽の涙が細面の輪郭を濡らしていく。苦痛と快楽が入り交じった貌。耽溺する程の快楽を怺え、自然と繊眉は歪められる。顫える長い睫毛に紅潮した面は、娼婦と処女の表情が混融している。どんな男をも陥落させる事のできるかのような淫靡な貌。服部が、新一を淫らだと実感する表情の一つだ。 「新一……」 荒くなる吐息が名を囁いて、伸び上がって耳朶を甘噛めば、なお深く挿入する結果になる。 「ヒィッ!」 肉襞を擦り上げていく感触に、淫猥な台詞が口を付いてしまいそうで、新一はシーツを噛み締める。 新一が背後からの交わりを嫌う理由の一つには、それも含まれていた。 顔が見えず、躯中を愛撫され、背後から抱えられ突き挿れられれば、淫らに乱れ、淫靡な台詞で服部を求めてしまう事を自覚している。際限などなくなってしまう事は、新一も同罪だった。だから新一は恐れていた。 「あッ……ぁぁんっ…」 噛み締めた口唇から漏れる喘ぎ。擦られ掻き回され、肉襞が充血しきって埋没する牡を締め付けて行く。ヒクヒクと顫える肉の入り口は、喘ぐ程淫らに顫えている事が、互いに判る。 ギッチリと押し込まれ、肉の輪を咥えている気分だ。充血しきった媚肉が、服部の牡をより深く欲しがっているのが新一には恥ずかしい程判っている。 浅ましいと思い、そう思えば思う程、服部を欲し求める気持ちが高まってしまう悪循環に、けれど新一は抗う術など持ってはいなかったし、意識などとうに怠惰を決め込み、官能に耽溺しきっている。欲しいから欲しい。ただ単純なものの筈だ。 「平次…もっと…もっと…奥……」 だからもう新一は、怺える事などとうに放棄してしまっていた。精神的には、もう幾度達しているか判ったものではない。 「どないして欲しい?」 素直に乱れる新一に、服部も怺える術などなくなってしまう。情欲は、互いの肉の奥から引き出され、煽られている事が生々しく判るからだ。 「奥…奥に…もっと…」 流涎で淫靡に濡れ光る紅脣が、喘ぎ求める嬌声を紡ぐ。掻き回してと、AVと代わらぬ淫猥な台詞を掠れて吐き出し、細腰が揺れ動く。今の新一には、自分がどれ程淫猥な台詞を口にしているかなど、自覚は皆無だ。ただ淫らに乱され、耽溺する事だけを求めてしまう。 「素直やな、ほんま」 淫らな台詞を叫ぶ事にも衒いのない新一に、魅せられていく。 「新一、もっと乱れてええよ」 細腰を腹から抱き上げ、下肢を尚開かせる。自身を突き挿れ、肉棒がギッチリと根元まで新一の奥へと埋没すると、新一はソコが弱いと知っているから、耳朶の周囲を音を立て舌技で舐め回す。それを嫌がって、新一は弱々しく細い首を振り乱す。そんな新一の抗いを気にする事なく、服部は威勢良く深くシーツに沈み込んでいる細い上半身を抱き起こした。 「ヒィッ!」 途端、挿入部位が捩じれる感触に、新一の掠れた嬌声とも悲鳴とも付かぬ声が、余韻嫋々に放たれる。 「あ…あぁッ…やだぁ…平次…」 抱き起こされ、背が熱い胸板に押し付けられる。下肢は淫らに裂く程開かれ、服部の下肢に押さえ込まれ、閉ざす事など許されない。 「あっ…や…」 突然変わった体位に、新一は頑是なく頭を振り、細い腕が何かに縋るように伸ばされる。 「怖ないやろ?」 耳朶を甘噛み、なおきつく痩身を腕ごと抱き竦めてしまう。そうしてそのまま開放を許していない熱源に手を伸ばす。瞬間、ビクンと身を顫わせ、新一は嫌々と激しく首を振る。開放を促すダイレクトな指淫に、ガクガクと身が揺れる。 「ん…ぅぅ…ぅ…ん…ッ」 「そんなん、一人でイクの嫌なん?」 前のめりになって逃げようと、抗いにもならない抵抗をする新一の腰を抱き留めて、服部は下から突き上げると、もう新一は声もなく、弱々しく首を振る事しかできなくなる。 卵のような緩やかな先端を描く頤を掬い上げ、背を撓わせ、肩口に後頭部を付かせると、紅潮する淫靡な貌が現れる。 長い前髪から覗く一対の貌は、今は恍惚とした熱を滲ませ、濃密な蜜を浮かべて瞬いている。日差しに透ければ薄茶に視える翠髪が、紅潮しきった白磁の棒に張り付いている様が、ひどく煽情的だ。 「淫らやな、新一」 快楽の涙で濡れる面差は何処までも官能深い貌をして、そのくせに、何処までも清潔で清廉な印象が付き纏う。 細い指が、頤を掬う指に伸びる。 「一緒に…」 掠れた声が、哀願をねだる。瞬く眼差しは淫蕩に色付き、服部を魅了してやまなかった。 求められるまま、服部の顔が伏せられ、朱に色付く吐息が番を深めた。 濡れた音を立て絡まる舌は、まるで下の口で番う結合部をあからさまに視る思いがする。そうして服部が下から突きあげれば、振り解くように口唇が解かれ、嫋々の嬌声が悸く紅脣から放たれる。 ガクガクと顫える下肢。自重で根元まで服部の熱棒が奥の奥まで突き挿ってくる。喘ぎ悸く媚肉を押し開かれて行く。絶対的な質量と圧迫感で掻き回され、擦り上げられて行く感触に、意識は恍惚とした悦楽に身が溶けと行く。 「んっ…ぁぁんっ…もぉ…」 「新…一…」 忙しない吐息が情欲に早まり、新一の耳朶を嬲っていく。 濡れた音が深閑とした深夜の室内に淫らに響き、軈て二人は意思も意識も混融する法悦に身を焦がした。 求めては番い極め、繰り返す情交のままシャワーを浴び、そうして今二人は再びベッドに在った。 愛戯とピロトークを目蕩む合間に繰り返す。激情に抱き合う事のない心地好い時間。肌を重ねた後の愛戯の時間が、不意に倖せだと実感する。すれば今更の照れが湧く。欲しいと言う痛烈な想いと、それでもこうして戯れる程の優しい時間が、刹那に愛しいと思えた。こんな感情は、知らない。誰かとこうして抱きあい寝る事が出来るなど、少なくとも、新一には想像もできなかった。 一人暮らしが長かった所為と言うよりも、生来神経質な新一は、他人と接触して熟睡できるなど思ってもみなかったし、誰かをこんな風に愛する事の出来る想いの深さも、知りえなかった。それは新一にとっては、あくまで推理の延長線上の感情でしかなかったのだから。 だから今、こうして一つのパジャマを上下に分けあい身につけ、シャワーを浴びてさえ欲する事が、止められない。抱き合えば、熱など深まるばかりだ。 白い指が、不意に服部の下腹部を撫でる。それは無意識に近い動きをしていた。目蕩みに半眼眼差しを閉ざしている新一の指が辿る場所は、服部の傷痕だ。以前被弾した際に受けた痕を、思い出したように、繊指は撫でていく。 「気になるん?」 ウトウト目蕩んでいる様をみれば、それが無自覚に近い仕草だと判る。疲れさせた自覚はあるから、服部は深い笑みを漏らすだけだった。 こんな様を眼にすれば、年不相応に幼い表情をしていると思う。元々が大女優の母親の繊細さを色濃く受け継ぐ新一は、本人は言えば渋面と反駁で嫌がるが、面差しは父親より母親の造作を受け継いで、端整で綺麗で繊細だ。そうして一対の眸は深く濃く瞬いて、推理以外では驚く程に印象は幼い時がある。 情事の最中の貌は、今まで付き合ってきたどんな女より淫靡で妖冶な娼婦の放埒さなくせに、こうして情後に目蕩みに目蕩む様は、何処までも幼い印象が付き纏う。けれどそれさえ推理時には完璧に隠れてしまうから、母親譲りなのは何も面差しと言うだけではないのかもしれない。 薄布一枚引きめくった背後から現れる貌は、月の硬質さを湛えた冷ややかさだ。けれど今はそんな貌や気配は微塵もない。ただ、穏やかな沈黙に目蕩んでいる。 髪を撫でれば、サラリとした擬音が響く。擽ったいのか、新一は僅かに細い首を竦めた。猫のような仕草だと服部は笑う。何処までも穏やで、贅沢で閑舒な時間だと思えた。 腹を撫でていた新一の指が、ゆっくりと力を失っていく。眠りに落ちたのかと覗き込めば、穏やかな吐息が聞こえてくる。長い睫毛が縁取る瞼には、疲労が翳ってはいるけれど、それは服部を心配させるものは含まれてはいなかった。 「ゆっくり眠ってな」 ホッと吐息を吐き出すと、起きたら怒られるなと、剣で鍛えた幅広い肩を少しだけ竦め、華奢と言えてしまう躯を腕にする。 眠りに在る時間くらいは、せめて新一が疵付く事のないように、ダレかの痛みに胸を痛ませる事がないように。 「本当は、守られててほしいんやで?」 穏やかで無防備な寝顔が愛しいと思う。安心してくれている事が嬉しい。そんな事は、今まで肌を重ね、朝を迎えた相手に、感じた事など一度とてない。愛する行為と言う意味を、新一と愛し合って、服部も初めてその神聖さに触れたのだ。 庇護などできる筈もない。庇護ではない守りの元で、大切に守られていてほしい。そんな事は、新一には理解されない。だからこうして囁く事しかできない。見守ると、決めたのだ。 長い前髪を梳き上げると、聡明な白い額に口唇を寄せる。 三呪眼が宿ると言われる白い額。真実を見抜く双瞳。天眼と言われる眼を持つ新一。それが新一に倖を齎したとは、今の服部には、イエスと応える事は出来なかった。言えば新一は怒るだろうか?苦笑するだろうか?どちらも想像できて、判らない。けれどきっと哀しむだろう事だけは痛烈に判る。 「おやすみ」 服部もゆっくり瞼を閉ざした。 どれ程の時間が経ったのか?不意に心地好いまどろみを引き裂くように、聴覚の奥へと慣れてしまった音が飛び込んでくる。 「ん…」 「なんや……?近所やないか?」 突然前触れなく飛び込んできた音に、反射的に自分の隣で身を起こす新一に苦笑すると、服部もまた半身を起こし、ベッドサイドの時計を手にとった。時間は既に9時を時を少し回った時間を指している。それでも躯の芯に残る倦怠感は拭えない。それでも精神的にはとてもスッキリしていて、自分の現金さに、少しだけ呆れた。 昨夜寝たのが何時かなど時計など見てはいないから、どれだけの睡眠時間だったのかは判らない。それでもこうして過ごす休日の朝の起床が9時と言うのは、二人にとっては早い起床時間と言える事だけは間違いなかった。 「コラ工藤、待ち」 隣の新一は、気付けば身支度を始めている。相変らず、事件の可能性が有るとなると、その行動は誰より素早い。そんな新一が身に付けたシャツに、服部は何とも言えない笑みを刻み付ける。 「っんだよ、お前の中にあるぜ」 「事件と決まった訳やないやろ」 新一が着込んだシャツは、服部が着てきた黒いカッターシャツだ。こうして新一は服部のシャツを奪っていく事がある。 服部は手早く身支度を整える新一の横で、新一に着られてしまったシャツに溜め息を吐くと、クローゼットの中に在る、以前新一が気に入ったといっては結局持って行かれてしまったシャツが数枚入っているから、白いシャツを身に付ける。 「無理したら、あかんで」 「お前こそ、寝ててもいいぜ。今日帰るんだろ?寝不足だと、辛いだろ?」 「俺に一人寝させる気か?自分居らんのに、寝ててどないする」 何処か悪戯気とも取れる新一の笑みの前に、服部は諦めたように大仰に溜め息を吐き出した。 「俺らが乗り出す事件やなかったら、すぐに引き返す。ええな」 新一の躯は戻ったばかりで、無理はさせられない。服部が哀から釘を指されている事の一つだ。哀は新一に指した釘と大差ない釘を、服部にも注釈を付けている。曰く。 『私の薬の成果を評価して信頼してくれるのは結構だけれど、壊さない程度にしてね』 哀がその関係をいつから気付いていたのか判らない。直接的に言葉に出して、言われたのはその時が初めてで、けれど新一の見えない部分で苦悩して、心配してきている哀を知っているから、服部は少しだけ驚いた表情はしたものの、曖昧に笑って応えた。 そうして昨夜から、無理しかさせてはいない事を判っているから、心配性と呆れられても、気遣う事はやめられない。 コナンから一時時に、薬効を試す為新一になり、そうして再びコナンに戻る時の、新一の失神する程の苦痛を目の当たりにしているから、心配せずにはいられない。 掠れた悲鳴を喉の奥で振り絞り、口唇を噛み締め、痩身を抱き締めるように自らを抱き締め、血が滲む程薄い皮膚に爪を立てる。そんな新一を目の当たりにすれば、抱き締める事しかできなくて腕を差し出せば、それさえ新一は拒絶した。意識を失う程の苦痛の中。新一は意識のある間、服部の腕を拒んだ。一度覚えてしまえば、二度と自力で戻る事ができなくなりそうで、怖かったのだと、今なら判る当時の新一の心理状態だ。 アレは、一種の退薬症状や……。 苦痛に喉を絞る新一の姿を思い出せば、覚醒剤などの退薬症状の苦痛にのたうつ者達の姿を思い出す。 服部は父親が父親だから、その手合いの脱法ドラッグや覚醒剤患者の末路を、幼い時から徹底して教え込まれている。その中途経過に於ける、退薬症状の悲惨さも、だからよく理解していた。 新一からコナンに戻る時の新一の苦痛はソレを連想させ、苦痛を視ている事しかできない自分の無力さに、腹が煮えた事など一度や二度ではない。 「んな表情してんな、殴るぞ」 物騒な台詞を言いながら、新一は吐息だけの声で笑う。散々に番った情交で、声は掠れてしまっている。物騒な台詞なだけに、吐息だけの声は、寧ろ色香を増してしまうような声だ。 「堪忍な」 自分は今、どんな表情をしてしまっていただろうか? 「謝んな」 行くぞと、ヒラリと新一は身を翻す。 「走るんやないで、腰に響くやろ」 「バーロー!どのツラ下げて、言ってやがる」 「こんな顔やな」 殴ってやると振り上げられた腕を綺麗に避け、服部は新一の一歩後ろを歩いて行く。 これから向かう場所を考えれば、ソレは少しばかり不謹慎ではあるけれど、それでも軽口をたたき笑う新一は、服部をホッとさせた。 まっすぐに走っていく眼差し。端整で繊細な横顔。綺麗だとつくづく思う。外見が綺麗な訳ではない。きっと外見が綺麗な人間は、幾らでも在る。けれど新一は違うのだと服部は思う。 正面を見続けて行く眼差しの深さ。絶望を知って尚諦めない強さを綺麗だと思い、痛々しいと思い、きっと痛々しいから綺麗なものを滲ませてしまう矛盾を孕んでいるのだろう。 だから服部は、新一より一歩後ろに立つ事を選んだ。崩れても立ち上がる背を見詰め、背後から支える為に。きっと新一はそんな事は望んでいない事は知っている。けれど背を預けてくれる事も覚えた新一だから、その背を見守り続けていく為に、それは服部が己に課した事だった。誰の為でもない、自分の為に。自分の望みの為に、服部が選んだ途だった。誰より隣に、そうして一歩だけ後ろを佇み、新一を見通すものを共に視る。そんな眼がほしいと思う。強さが欲しい。勇気を願った。 |
The eye is the lamp of the body. If your eyes are good, your whole body will be full of light. |