月の雫 2
「あ〜〜とうとう降ってきてしもた」 米花駅に降り立った当たりで雲行きが怪しくなり、住宅街を縫って歩いている内に、雷を伴った夏の夕立が降り出した。 「気象庁信じた俺達がバカだったって事だな」 出掛ける前に観たテレビの天気予報では、関東地方は降水確率ゼロ、雷雨注意報は予報されてはいなかった。 積乱雲が急速に雨雲を引き連れ、雷が鳴り出したと思ったら、夏の夕立が降ってきた。 「何呑気に言うてんねや」 ポツポツと雨粒が当たると思った途端、気付けば一斉に夕立が降り出して、それでも新一はさして急ぐ様子も見せない。 「ってもな服部、丁度此処らって駅と家の中間点で、住宅街だぞ」 幼い時から通い慣れている道だ。自宅から最寄りの米花駅との丁度中間点付近は、簡素な住宅街だ。 軒のある店先なで存在しない。雨宿りなどできる場所はなかった。 「冷静に言うんやない」 隣で冷静に言われ、服部は焦ったように新一を引き寄せる。 「公道で何すんだ」 前振れなく引き寄せられ、服部の腕に頭をスッポリと包まれる。 「アホ。濡れるやろ。少しは自分の躯の事心配しぃ」 新一の躯は普通ではない。ちょっとの流感が、命取りになりかねない。生体機能を司るホメオスタシスの機能が障害を起こしている。その所為で、僅かな事で、生体機能が崩れてしまうのだ。流感が元で二次感染でも起こしたら、それこそ命取りだ。そのくせに、新一は自分の躯の事を考えていない節があるから、服部は不安になるのだ。 つい先日も、久し振りに事件に関与し、解決した後、発熱して倒れたばかりだ。その事を考えれば、新一は自分の事に関しては、極めて学習能力が低い事が窺えると、自分の事には無関心な恋人に、服部は深々、嘆息を吐く事になる。 「走るで」 「待てよ」 半ば服部の胸板に頭を押し付けられる格好で抱き込まれたまま、新一は走り出そうとする服部の服を引っ張った。 「なんや?いつまでもこのままじゃ仕方ないやろ」 雨はますます威勢よく降ってくる。路上で立っている余裕など、新一の事を考えれば、服部にはなかった。 つい先日、自分の前で倒れた新一の姿は、忘れられない。 発熱した躯。蒼く透けた白い貌。発熱しているのに指先は白く冷たく、循環の悪さを物語っていた。脈をとれば乱れた不整と頻脈が伝わってきて、心臓機能の理屈から、血圧が極端に下がっている事が判った。浅く早く乱れた呼吸。それでも自分を安心させるように笑って、腕の中で意識を失った。ゾッとする程重さを感じさせない細い躯。幾度も肌を重ねたにも関わらず、その軽さと細さに、心臓を鷲掴みにされるショックを受けた。 衝動と恐怖と、言い知れぬ恫喝や懊悩は、今も胸の奥で蟠っている。忘れたフリはできても、消える事はないだろう、絶対に。 哀から聴いた新一の肉体の秘密を、現実のものとして実感し、痛感したのも先日の事だ。 「あそこで、雨宿りしようぜ」 「一里塚気取ってる場合じゃないやろ?」 新一が指差した方角に視線を伸ばせば、住宅街にポッカリと開いた、小さい公園が在る。其処は幾本かの桜の樹が植えられ、今は時期が過ぎ、雨に濡れた靉々とした青黛が、枝を天に向けて広げている。 確かに其処は、一時の一里塚にはなるのかもしれない。けれどと、服部は新一を覗き込む。 「今から走っても、濡れるのは変わりないだろ」 服部の窺うような視線の意味を適格に知る新一は、薄い笑みを刻み付ける。 「適格な状況判断は、探偵に必要な資質の一つ、だろ?」 だったら建設的に、雨が止むのを待とうと言う新一の台詞は、最もなものではあった筈だ。けれどこの場合新一の肉体が、正常に作用していればの話だ。、 「せやけどな……」 けれど服部には、どうしても譲れない部分が存在している。 確かに、適格な状況判断ができる事は、探偵の必須条件の筈で、それが事後を左右するし、ある意味、探偵生命を左右する。けれどこの場合、新一の台詞に、素直に頷く事が、服部には当然、できるはずもなかった。 隣に佇む人物が、再び倒れてしまうような真似は、できなかった。その可能性を排除しなくては、安心などできない。それは自分の勝手な我が儘で、安心材料が欲しい内界との取引だとは、服部自身、自覚していた。それこそ百も承知している。 だからこそ、服部には珍しく、瞬時の判断がなされなかった。 この状況で、走って自宅まで帰り着くのと、大木の枝の下で 身を休めるのとでは、どちらが新一の躯に負担を掛けぬか、一瞬の判断に迷ったからだ。 「俺が大丈夫ってんだからな、少しは信用しろ」 迷わせているのが自分だと思えば、腹も立つ。 過保護に守られたい訳ではないと、何度も言っては、結局、説得力の欠片もない声だけの台詞だと、服部に痛感させてしまっているのは自分だ。 こんな風に迷い判断を鈍らせる服部を見たくはなかったからこそ、現実味を帯びさせるように、彼の前で倒れたくはなかった。それなのに醜態を曝したのは、過去にもできない程、つい数週間前という僅かな時間だ。きっとソレは、服部の身の裡で、過去になってはくれないだろうと、新一はただ漠然と判っていた。思うのではなく、ただ漠然と判るのだ。 過去のものだと思ってくれれば、服部は今こんな表情を曝したりはしないだろう。だから判るのかもしれないと、やはり漠然と、身の裡に問いかける。 今でも昨日の事のように覚えている光景がある。それは『覚えている』から、『忘れられない』へとスライドされて行く。 それが胸を切なく痛ませるものになっていたと、気付いたのはいつだろうか?気付けばソレは、心根の奥に根を生やし、居座っていた。忘れられない光景は、決して甘さを含むものでは有り得なかった。切ないけれど痛みをもたらす、苦いものを含んでいる。 熱が下がり、眼を醒ました時。潜められた声に、心配とも不安ともつかぬ顔をして、自分を覗き込んだいた彫りの有る貌。それでも穏やかに笑む姿の背後に、どれだけ服部が傷付いたのか、自分が倒れた事で、どれ程服部を恫喝させたのか、それだけは痛烈に理解できた。それでも安心させるように、倒れる直前に告げた自分の台詞を守ろうと優しく笑うから、新一は苦々しいものを味わう事になった。 アレから、ますます服部は優しくなったように思う。柔らかく触れてくる指先や口唇は、激情より暖かい抱擁を優先しているように思える。それは労りなのだろう。 自分の躯が普通であれば、服部は此処まで色々なものを抑えたりはしないで済むのだろう。抑えさせなくて済むのだろう。もう少し自分の躯がまともであれば。 それはもう考え噬臍しても、仕方のない事だ。まして嘆いても、仕方ない事。 その台詞を言えば、服部はいつも少しだけ苦しそうに凝視してくる。辛そうに顔を歪める。 識ってしまった辛さは、可笑しい程自分ではなく、服部にその想いを背負わせている。服部が背負う分、自分は身軽な気さえする。 仕方のない事……。 自分はもう随分前に、絶望も諦めも踏み越えてしまっている。そして歩き出す途を選んで歩いている。歩く事で優しい恋人を恫喝に曝しても、歩く事はやめられないのが自分だ。走らないだけマシ、そう諦めてもらった方が、服部にも、精神衛生には良い筈だ。 それは服部が聴けば、そらないで、そう泣くだろう。 取り敢えずの自覚も新一にはあるのだけれど、歩く事を、識る事を、諦めたりはできなかった。深淵の向こうにある真実を見詰める事を、諦めたりはしたくなかった。 そう考えれば、端で視ている人間の方が、傷付く度合いは多いのかもしれないと新一は思う。 何もできず、肩代わりもできない。実際人が他人にしてやれる事など極僅かでしかなく、できると思うのは、傲慢な思い上がりに等しい。まずできない事を自覚しなくては、何もできない。 だからせめてもと嘆くのかもしれない。自分が関わった事件で、他人の傷や痛みを感じ、哀しいと思う感情と変わりなく。その哀しみさえ、免罪符を着た傲慢なものかもしれないのに。 今自分が見上げる服部は、迷い辛そうに漆黒の双眸で凝視してくる。 こんな表情を見たくはなかったと思う事さえ、自分の身勝手な感情の一つでしかない事を、新一は正確に理解していた。 ますます優しくなって行くだろう服部の内心が、手にとるように判ってしまうからこそ、新一は無意識に口唇を噛み締める。噛み締め、 「先行くぞ、帰りたけりゃ、お前ぇ帰れ」 喉元を迫り上がってきた苦い物を飲み込むように、新一はスルリと服部の腕を抜け出し、前方に有る公園へと走り出す。 「あかん、待てや」 細い背が、雨に溶けて行く。足下を竦ませる恐怖に、半瞬だけ駆け出す足が、伸ばす腕が遅れた。 雨の中に飛び出す背には、見覚えがあった。 ソレは小さく華奢なアンバランスな姿をしている。 長い腕が焦燥と恐怖を従え、伸ばされる。 倒れて以来、仮性分利の熱型を繰り返していた新一は、漸く解熱し、熱により疲労していた躯が元に戻ってから日が浅い。 本当なら、今日だって連れて行きたくはなかった。自分一人で用は足りた。けれど新一はそれを決して由とはしなかった。二人で受けた依頼だからと言うのが理由だ。こんな事なら、最初から快斗を連れてくれば良かったと、服部は内心毒づいた。 元々自分達が受けた依頼ではあるけれど、依頼内容をこなしたのは、他の誰でもない快斗だ。こんな事なら無理にでも置いてくればよかったと、服部の胸を悔咎が覆う。後悔は、いつだって後から訪れ、追恨を生み落として行く。 新一の、探偵としての自尊心を無視してしまうものだと判っていても、おとなしく待っている事などできよう筈もないと承知していても、自分一人で出掛けて行けばよかった。どうせ事後報告を受けるだけのやり取りだ。 こんな事なら……。 ここ短期間、噬臍し、悔咎する事ばかりな気がするのは、きっと気の所為なのではないだろう。 追恨で胸が鷲掴みにされるのは、比喩ではない。足下をヒタヒタと濡らす恐怖と、対極で腹の煮える感情は、同じ物を構成している。 服部が恐れているのは一つだけだ。自分が傷付く事でも何でもなく、工藤新一が永久的に喪失なわれてしまう事。自分の前から消えてしまう事。その可能性だ。 自分が受ける傷や痛みなど、新一が受けてきた痛みを思えば、これから受ける痛みを思えば、新一が自覚なく受け、心根の奥に深く抉るように刻み付けられている疵に比べれば、痛みではない。所詮純粋な痛みとは違う、感情の問題だ。苦痛や痛みは肩代わりできない。できないからこそ、見守っている痛みが付き纏う。代われたらと、無駄な事を願いながら、少しでも癒されてほしいと祈ってしまう。せめてもう少し自分の事を考えてほしい。それこそ新一に届く筈のない無駄な願いだと理解して尚、服部は願わずにはいられなかった。 そして新一が喪失なわれてしまう可能性の一つには、『死』としての喪失ばかりではない事を、服部は気付いている。 裏切れる程新一の隣に在る意味を忘れるなと、哀は言った。そして新一も言った。裏切るなと。裏切りと言う言葉の背後に秘められた意味は、単純な『裏切り』ではないのだろう。それだけは漠然と判るのに、その深い意味までは推し量れない。 「工藤、ちょぉ待ち」 慌てて服部は後を追う。 「誰が雨が苦手なんや、まったく」 雨が苦手で、降ればゲナンリするし、降ると予報されてもゲンナリするのに、こうして外出時に雨が降れば、苦手だと言う台詞が嘘だと思える時がある。苦手ではあるが、嫌いではないから困るのだ。コナンの時にも似たような事があった。 雨の中に飛び出した幼い姿と、新一の姿が重なっては消えた。 住宅街の公園は、砂場にブランコ、滑り台とベンチが置かれた小さい公園だ。その周囲に幾本かの桜の樹が植えられ、空翠に濡れる枝が天に向かって伸びている。その根元に二人は佇んでいた。 新一の提案どおり、走って濡れ鼠になるより、建設的だったのかもしれない。少なくとも、路上に在るより、太い幹と枝、生い茂る青々とした葉は、雨を多少なりとも防いでくれている。 「寒ないか?」 激しく降っていた雨は、夕立だけあって、徐々にその威力は衰えて行く。幹の根元で細身の躯を雨から避けるように抱き締めれば、新一が睥睨してくるのが判る。けれどその睥睨は、先日の事件以来、外出時には必ずかけているメガネで、威力は半減している。 「はずしてまえ」 雨に濡れて役にもたたないメガネを、服部はスルリと取り外す。元々視力は二.〇と、人一倍の視力を誇っている新一に、眼鏡など不必要なものだった。はずせば、誰より綺麗できつい輝きが凝視してくるのに、服部は半瞬だけ息を飲む。 こんな風に、新一が構われる事を好まないと知りながら、どうにも不安になる内心に、仕方ないと言い訳し、細身の姿態を抱き締める服部だった。 仕方のない事。新一が時折言う台詞だ。 決して身の上に起こった状況を嘆き諦め、放棄する為のものではない台詞は、適格な判断の元、状況を把握しての台詞だと、服部は知っている。 嘆いても絶望しても、状況は好転しない。だから仕方のない事なのだと、新一が穏やかに笑ったのは何時だったろうか?その笑みに、癒されてしまったのは、いつだったろうかと考える。 だから今、きつい眼差しで自分を凝視してくる眼差しに、服部は自嘲とも苦笑とも付かぬ曖昧な笑みを漏らし、仕方ないやろ?そう告げる。眼差しでそう告げれば、言葉以上に雄弁に言葉を語る眼差しが、睥睨を増して返される。その眼差しの強さに、服部は幅広の肩を竦めて苦笑する。 どんな状況になっても、失われる事のない輝きが愛しいと思う。倒れて尚勝ち気な輝きを失わない強さ。 この細身の姿態の何処に、そんな生命力が渦巻いているのかと、服部は抱き締めた腕に少しだけ力を込めた。 生体機能が障害を起こし、衰え、それでもボロボロになっても立ち上がる新一が綺麗なのは諦めないからで、足掻いているから切なくて、だから視ているしかできない自分の無力さに、腹が煮えてしまうのも仕方のない事なのだろうかと、服部は自問自答を繰り返す。 自分の事だけを考えてくれればと思う。普通は他人より自分が大切で可愛い筈だ。誰だって傷付く事は怖いし、痛みは恐怖を増長させる。痛みこそ、恐怖の根幹にあるものだと言っても間違ってはいない筈だ。 けれど新一は、他人が傷付く事をより恐れる種類の人間だった。 新一以外の人間がソレを口にすれば、服部は偽善と哄笑するだろう。けれど新一は他人の痛みに影響されても、それを口に出す事のない人間だ。口に出さず、ただソコに在る真実を見詰め、辛くても精神が引き裂かれそうに痛んでも、真実から眼を逸らさない静謐な強さを持っていた。そして自覚のない疵を幾重も抱え、背負い込んで行くのだ。 もっと自分を大切にしてほしい。言えばしていると、淡如な台詞が帰ってくる。ひどい時には、お前が大切にするから俺はいいんだと、服部が瞬時には反駁のできない反論さえする。そのくせに、新一は服部が自分の所為で傷付く事を、何よりも恐れている。その割に、自覚に欠けるのは毎回のやり取りだ。 言葉が通じないもどかしさを抱いても仕方ない事だ。工藤新一は、自分の疵を自覚できないのだから。理解しようとはしてくれるけれど、その点で、二人の意思が疎通される事は少ない。そのくせ誰かが傷付く事を恐れている。それでも新一が走り出す事を止められないのが服部だった。何故かと自問自答を繰り返せば、答えなど既に出てしまっている気がした。 必死になって真実を追求しようと、真摯な眼差しで正面を凝視している新一の強さが愛しいからだ。 新一は探偵だ。きっと探偵以外の自分など、想像した事もない根っからの探偵なのだろう。 その新一から、推理する事を取り上げたら、新一の呼吸を奪う事だとも、服部は理解しているのだ。 推理し、謎を解く作業自体が、不安定な肉体と精神を抱く新一を、強くしている事は否定できないのかもしれない。 だから止められないのかもしれないと、服部は少しだけ苦い物を含んだ自嘲を深めた。 冷たい男なんやな……。 服部は、ほっそりとした躯を腕に抱き、内心で呟いた。それは無自覚に溜め息となって零れて行く。 止められたらと思う。愛していると言う言葉に所有と束縛で閉じ込め、止める事ができたらと考える。守りたいと思いながら、その実守られているのは自分なのだとも知っていた。 未熟な自分を服部は理解している。欲望と衝動で欲する事などない筈なのに、新一を求めてしまう事も含め、自分の未熟さを痛感している。 こうして腕に抱き締め温もりを感じれば、簡単に衝動は肉の底から湧いてくる。 けれど服部は知らない。自覚できるだけの理性と冷静さがある、分別のある大人なのだと言う事を。大人である事を望む服部は、哀に言わせれば、憐れな程、大人である事を自らに課しているのだと言う事を。 「堪忍」 何に向けての言葉か曖昧なまま、服部は呟いた。 衝動的な欲望を、雨に濡れているこの華奢な人物に感じてしまった事へなのか?もっと別の感情からのものなのか?服部自身にも、判らなかった。 「お前、いい加減、癖になっちまってるんじゃねぇ?ソレ」 新一は、雨に濡れる横顔を凝視し、次に深々溜め息を吐いた。 「?なんや?」 問われた台詞が判らないと、節の有る長い指先が、濡れた前髪を掻き揚げる。 狡いよな…。 新一は内心一人ごちる。 抱き締めてくる腕の中。濡れた前髪が彫りのある精悍な面差しに張り付いて、掻き上げる仕草は、奇妙に新一の血の奥を刺激して行く。それは官能に直結してしまうものだと、新一は内心慌てる羽目に陥った。その動揺を悟られたくなくて、新一は殊更乱暴な物言いで口を開く。 「誤り癖だよ」 発熱し、倒れたアノ夜。そして目醒めた朝。 『堪忍……』 そう潜められた低く穏やかな声。熱を計る為、額に触れてきた掌中の感触。そしてそのまま髪を梳いて離れていった温もり。 いつも服部は『堪忍』と言う。何をそんなに謝るのかと不思議に思っても、問い掛ければ少しだけ困った表情をして、やはり『堪忍』と笑うのだ。今も新一には、服部が何を『堪忍』と謝罪の言葉を口にするのか、判らなかった。 堪忍と口にする時の服部の真意を、実際の処で、自分は理解していないのだろうと新一は思う。彼が何をしてそんなに謝罪の言葉を口にするのか?新一は内心を計りかねている。紡がれる言葉や声音、その表情や気配。姿形を構成する部分から、漠然と彼の内心を推し量るだけで、実際ソレがどんな気持ちが込められ紡がれるのか、新一には判らない事が殆どだ。 いつだって、制止の声を振り切り、無茶な行動をしては、服部を心配させているのは自分の方だ。熱を出し倒れた時でさえ、謝罪の言葉を口にしなければならなかったのは、自分の筈だった。けれど服部は自分が言葉を発するより早く、謝罪の言葉を口にした。それが何故なのか?未だ新一には判らなかった。この先も、判らないままなのかもしれないと、ただ漠然と思う。 「そうやな」 新一に指摘され、そうかもしれないと肩を竦める。 「俺の勝手な我が儘や、堪忍な」 自分の誤り癖は、所詮些細な願いからの行動に対してのものだと自覚している。しているから、服部は苦笑する。苦笑し、珍しくおとなしくされるままにされている、新一の細い腕を掬い上げると、瀟洒な指先に接吻る。その指先は、アノ時のように、ゾッとする冷たさはない。薄い皮膚の下には、生命の脈動が通っている。その事に無自覚に安堵の吐息が口を付く。 大切に大切にくるみこんで…。自分の疵さえ、自覚できない新一だから、大切にくるみこんでいたいと思うのに、そうできない自分が在る事も、服部は哀しい程理解している。 もっと自分が大人であれば、新一は守られてくれただろうか?少しは甘えてくれただろうか?弱音を吐いてくれただろうか?泣いてくれるのだろうか?考えても、答えなどでない自問自答を繰り返す。 いっそ壊れ物でいてくれたら楽だろうと思う。そうすれば、大切にくるみこんでおける。決してそんな事を新一が望む筈はないと知りながら、そう願ってしまう服部は、結局傷付く新一を見ている自分が辛いからで、新一が失われる可能性を前に、恐怖しか感じられない自分を意識するからだと知っている。 他人の傷や痛み、哀しみには敏感なくせに、自分が傷付けられている事には気付けない。そんな新一を見ていると、時折ゾッと精神が恫喝されるのだ。 「いちいち謝んなよ」 触れられた指先から、血肉に熱が灯るのが判る。灯る熱は、意識が官能に直結してしまう危険性を孕んでいた。心地好いぬかるみに、フト身を溶かしてしまいたくなる。なるから、少しだけ乱暴に、新一は掬い取られた指を振り払う。払えば、服部はそれ以上求めてはこなかった。けれどくるみ込むように抱き締めてくる腕の力は緩まない。大切にされている実感は、けれどこんな時ばかりは苦しくなる。 「お前ぇ風邪ひいても、看病してやんねぇぞ」 「冷たいやっちゃなぁ〜」 クツクツと笑う。笑いながら、新一の濡れた前髪を梳き上げてやる。 無意識に近い服部のその仕草に、既に咎める気力もなくした新一は、文句もなく、少しだけ溜め息を吐き、諦めた態で、長い腕の中でおとなしくしている。 突然の夕立に、けれど簡素な住宅街の中だけあって、二人以外、近辺に人は在ない。徐々に止む気配を見せる夕立。人の気配もない深閑さに、フト思い出す光景がある。 「こうしてると、なんや思い出すな」 眼を細める服部の横顔に、新一も服部の言う台詞に思い当たる。ソレは二人にとっては、忘れられない記憶だった。 夏の夕立ではなかった。時期は春雨で、未だ雨に濡れれば肌寒さを覚えた時期だった。 「魚さえ泳ぎそうな空。だろ?」 服部の腕に包まれている視線だけ、新一はスゥッと動かした。 鉛色した空から滴る雨。 「どきも抜いた事しよったな、あん時」 「そりゃ俺の台詞だバーロー」 それは未だ新一がコナンの時で、大阪の服部の家に招かれ、出掛けた出先での事だった。 |