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半ば強引に、服部に大阪の自宅に招かれて、大阪見物だと連れ回され、帰り際に雨に降られ、何処かの店の軒に雨宿りを余儀なくされる。 アスファルトで跳ねる雨。大急ぎで家路を急ぐ人々を眺め、新一はボンヤリと呟いた。 「なんかこうどしゃぶりだと、魚さえ泳げそうだな」 小さい子供の姿で、子供らしい事を言う。それが見た目通りの小学一年生だったら、服部も子供らしい夢だと笑ったのかもしれない。けれど相手は外見子供でも、中身は立派に自分と同じ年齢だ。だから笑うより以前に、不思議な者でも視るように目線を下げ、少しだけ腰を傾げ、服部はコナンになった小作りな顔を凝視する。 「なんだよ」 上から見下ろされる視線に、つっけんどんに口を開く。 こうして見下ろされると、自分が服部と同じ年齢であり乍ら、子供になっているのだと思い知らされる気がして、ついつい口調がきつくなる新一だった。それは置いていかれていると言う、焦燥を孕んだものだったのかもしれない。 服部が自分を子供扱いしている事など一度としてない事を知りながら、目線を下げ凝視されれば、嫌でも新一の中で、その焦燥は深さを増す。 「否、工藤でもそないな事言うんやな」 純粋に服部はそう思っただけだった。 推理と言う一点で、工藤新一は誰より抜きんでた天の才がある。それは自分さえ追いつけない才なのだと、知り合い、付き合いが長くなるにつけ、服部が味わっている思いだった。それそこ新一が持つ、焦燥と似たり寄ったりなのだろう事を、二人は互いに知らない。 真摯な眼差しは、何時も静謐で淡如に、違う事なく、ソコに在る真実を見詰めている。その眼差しの深さに惹かれていると気付いたのは、もう随分前だ。明敏果断で秀逸な新一が、子供みたいな事を言う事が、服部には不思議だったのだ。 「子供だってんだろ」 悪かったな。そう言外に滲ませると、 「堪忍。そんな意味やあらへんよ。なんや嬉しゅうなっただけや」 「なんだよそれ」 服部の台詞に、怪訝に新一は問い掛ける。 「工藤も人間やったんやなってな」 一度だけ在った同年齢の工藤新一は、自分より随分華奢で細身で、とてもマスメディアに取り沙汰される、法の番人には視えなかった。 曇りのない推理は、情報で知るだけでも時折服部には背筋の寒くなるものを含んでいた。そのくせに、マスコミに頼まれれば、程度のパホォーマンスをこなす姿に、不謹慎だと言う思いが湧いた。 アイドル以上に綺麗で瀟洒な姿態。マスコミの要求に十分堪えられる愛嬌。生きた人間という感触すら感じさせない事がある、人形のように繊細な容貌。ゲームを達成して無邪気に喜ぶ子供のような面を感じた。推理を手段に使っていると感じられて、服部は実際アノ時、工藤新一に対しては、あまり好印象を持っていなかったのかもしれない。 けれどこうして気安く話す距離に位置すれば、工藤新一は紛れもない、血肉の通った人間で、真実を求める痛みに自覚ない疵を負い、それでもまっすぐ正面を向いていられる精神の強さを持った人間だった。 「俺は化物かよ」 「せやな、時折そう思うわ」 言葉は不自由だと、服部は溜め息を付く。伝えたい事は、言葉にすれば少しずつ足りない。 微妙な感情は、言葉にすればした瞬間から、無機質なものへと変質してしまう。 「なんだと〜〜」 思い切り睨み付けても、下から背伸びしてのものでは何一つ効力はなく、新一は半瞬後にはプイッと顔を背けた。その拗ねた仕草に、服部は内心苦笑する。 見た目が子供だから、どうしても子供子供した印象が前面に出てしまうのは、仕方ないだろう。こうして演技ではない子供の面と、演技しての子供の面とが混在し、工藤新一はある意味生き延びてきているのだから。 子供は子供というだけで、大人の庇護欲を誘う様にプログラムされている。赤ん坊はその典型例だ。 無防備な赤ん坊は、だから周囲に『可愛い』と思わせる事で、様々な大人に自らの面倒を託し、成長するというのは、発達心理の基本だ。その事では、コナンとなった工藤新一は似通っている。頭脳は大人でも、外見は子供。まして常に生命の危険を強いられている。子供以上に子供で在る理由と必要が、新一には存在する。 「堪忍…そういう意味とちゃうんよ」 ただ嬉しかっただけやと、どう表現すれば伝わるのだろうかと、服部は苦笑する。 「なぁ工藤、お前今空からUFOが降りてきたら、どないする?」 「何だよソレ」 突然の服部の台詞に、新一はその意味を計りかね、小首を傾げた。 小作りな面差の中。長い睫毛に縁取られたまろい瞳が、メガネ越しに見上げてくるその無防備さが、服部の煽情を誘う事など、当然新一が知る筈はない。 「例えや例え」 「そうだな…」 UFOねぇ。 呟き、新一は小さい手を口許に持って行く。それは新一がよく推理の時に見せる癖だと服部は知っている。 新一の思考能力は元々が一局集中型だ。思考に囚われると、他の事に頭が回らない。新一が組織に薬を飲まされると言う隙を見せたのも、そこいら辺りが影響している事を、服部は見抜いていた。だから今新一がそんな仕草をしていると言う事は、自分が出した問い掛けに、まともに考えているという事だと、服部は新一の仕草を視ている。 小さいけれど、白く長い指は綺麗だと思う。不謹慎にも、情欲を煽られてしまう事に、内心情けなく思う。相手はどれ程求めても、外見は小学一年生だ。まして恋愛感情の機微に、新一が疎い事など、短い付き合いの中でも簡単に判る。幼馴染みの蘭との関係が一つも進展しない理由は、互いに想いを言葉にする事を恐れているだけではないのだろう。それを考えれば、告白しても理解されないだろうし、それは告白処か、告解にさえなってしまう危うい代物だ。 「乗っちまうかもな……」 んなチャンス、ないしな。 嘘か本気か判断の付かない顔をして、新一は笑う。無邪気に被せながら、何処かタチの悪いニヤリとした笑みをしている顔は、悪ガキにもみえない事もなかった。 「工藤、自分間違ごうても、宇宙人に密室殺人を解決してくれ言われても、乗ったらあかんで」 新一のタチの悪い笑みと回答に、服部は掌中で顔を覆い嘆息を吐く。幅拾い肩が、ガクリと脱力する。 「アッ、ソレ確実。UFO内の殺人事件なんて、普通体験できねぇじゃん」 「工藤〜〜〜」 勘弁してくれと、服部は情けなさそうに新一を視る。新一にはその可能性が全面否定できない要素が多すぎる。冗談にならない部分が多いのだ。 「オメェな服部、さっきから黙って聴いてりゃ、工藤工藤って、コナンて呼べっつってんだろ」 なんの為に江戸川コナンと名乗っているのか思い出せと、新一は服部を睥睨すれば、 「無茶いい。工藤は工藤やろ」 新一の、何処か哀しげに叫ばれた声に、服部は即座に切替えした。 服部にとって、工藤新一はそれ以外にはなり得なかった。たとえ外見がどんな姿形をしていても、工藤新一は一人だけだった。けれど服部の台詞に、新一は辛そうに顔を歪めた。 「バーロー!」 「工藤?」 「お前ぇなんて、なんも判ってねぇじゃんかよ!」 「アッ!オイ、工藤。待ち!」 雨宿りしていた店の軒先から、突然走り出した新一に、服部は半瞬遅れて追いかけた。 自分の何が新一の気に触れたのか、服部には判らなかった。 アスファルトに吸収される事のない雨は、走れば新一の小さい躯に威勢良く撥ねを散らす。 小さい躯など、アッと言う間に頭からズブ濡れになってしまう。 「何無茶しとるんや!」 流石の服部も、怒らない訳にはいかなかった。 「放せよ」 簡単に追いつかれ、抱き上げられ、元の場所に連れ戻される。新一はそれでも諦め悪く服部の腕の中で暴れた。端からみれば、聞き分けのない子供に見えただろう。 「工藤!…頼むから…おとなしゅうしたってや」 堪らず叫び、次には詰めたような吐息を吐き、潜めいた声が、新一の耳に届いた。 「なんなんだよ…ッ!」 それが子供じみた八つ当たりだと、新一は承知して、けれどどうしても苛立つ感情が拭えない。 コナンとなってから、以前なかった筈の子供じみた感情を、堪える事ができない気がした。服部と在るから、我慢できないのだろうか?フトそんな言葉が脳裏をよぎった。 「お前なんて、俺の事しっとも判らねぇじゃねぇかよ」 走ってもすぐに追いつかれ、抱き上げられてしまう小さい躯。子供だと言う事を、嫌でも痛感してしまう体格差に、新一は無自覚に口唇を噛み締める。 「そやな、本当はお前の事、なんも判っとらんのかもしれんな」 荒削りではあるが、精悍な褐色な貌に、深い自嘲が刻み付けられ、新一はその自嘲の前に、反駁の言葉を飲みこんだ。 「…危険なんだよ…」 半瞬の間の後、新一は抗いを止めると、吐息と共に、密やかに声を吐き出した。 「せやな…」 工藤新一が生存している可能性を、間違いなく組織は疑っている筈だ。毒殺した筈の相手、それも平成のホームズと、常にマスメディアに登場していた人間の死は、何処にも報道などされてはいないのだから、組織の人間が新一の死に対し不審を持っても不思議ではない。ましてその毒薬の開発者である灰原哀も、工藤新一同様肉体の変化を遂げているのだ。組織が疑うには十分な材料を二人は持っている。それを考えれば、新一の身の危険は、幾ら心配してもしたりない程のものだ。 「お前…やっぱなんも判ってねぇよ…俺は…いいんだ」 「工藤?」 「危険なのは、お前だよ…俺と関わり合って、危険なのはお前だ…」 だから会わない方がいい。それは幾度も胸の裡で反芻し、けれど実行された試しは一度としてない。 「アホいい!」 新一の言外の意味を素早く呼んだ服部は、半ば怒った表情で語調強く叫んでいた。 「頼むから、そんなん言わんといてや」 次には低い声が苦しげに綴られ、未だ開放する気配を見せない小さい躯を抱き締める。 「服部…苦しい…放せよ…」 思いの他強い力で抱き締められ、新一は動揺する。 服部が何をそんなに苦しんでいるのか、理解できない。抱き締められる腕の力と、苦しげに紡がれる言葉に、新一は動揺し、自由になる華奢な腕が、服部を退けようと抗った。 「嫌や、放さへん」 「何ガキみてぇな事してるんだ」 抗えばその分強まる腕の力に、新一は深い溜め息を吐き、抗う腕で、今度は俯くように自分を抱き締めてくる服部の髪に手を触れる。触れると、弾かれたように、服部が顔を上げた。 「……や…」 「服部?」 らしくない程小さい声に、新一は怪訝な顔をする。眼差しをあわせると、彫りのある貌は、苦しげに歪められている。 「なんだよ?」 「……好きや…」 「服部…?」 好きの意味を、けれど新一は正確には理解できなかった。 「俺もまぁ、お前ぇの事は気に入ってるよ」 だから尚更、危険に近付けさせたくはなかった。だから会う事を自ら禁じてみても、誘われれば、どうしても断りきれない自分が在る。 自分の正体を、誰に教わる事なく適格に見抜いた服部は、探偵として気安く話せる相手であり、知り合えばきさくに付き合える数少ない人間だ。だから尚、危険に巻き込みたくはなかった。自分と関わる事で、服部やその周囲の人間達は、確実に組織のターゲットにされる。だから極力、知り合う人間を少なくしようとしていた時期が、確かに新一にはあったのだ。 「ちゃぅよ…」 「なんだよ」 やはり苦しげに、けれど何処か憂えた笑みを見せる服部に、新一は判んねぇよと小首を傾げてみせると、 「堪忍な…」 服部は静かに苦笑すると、小作りな顔の上に乗るメガネを掬い上げ、子供特有の柔らかい頬に片手を添える。 「はっ……ぅん…」 メガネを掬われそれでさえ意味を掴み損ねていた新一は、気付けば見慣れた服部の顔が視界一杯になっていて、キスされていると気付いたのは、その後だった。 雨の音だけが、嫌に大きく新一の耳を刺激して行く。 「やっぱり、魚も泳ぎそうじゃねぇ?」 少しだけ感傷的に過去を思い出し、新一はクスリと笑みを覗かせる。 少しずつ鉛色の空は遠くに蒼い色を覗かせ始めている。 滝のように降る雨は、雨をもたらす天は、その掌中に海さえ在るようで、海深い空と言う印象が、新一には幼い時からあった。魚が泳いでいても、不思議ではない気がする。 「せやな…この雨じゃ、空で魚が泳いでも、不思議ないかもしれへんな」 相変わらず新一の思考は計り知れないと、服部は思う。 探偵として、厳しいまでの現実を見詰め、推理し、真実を追求する時に垣間見せる思考は、何処までも現実的なのに、フト見せる瞬間の言葉や表情が、服部の胸を鷲掴む。 「なぁ知ってるか?」 未だ服部が雨からカードする為、新一の姿態は鍛えられた胸板に収まったままで、新一はもう反駁も抗いも諦め、おとなしく服部の腕の中に在た。 長く瀟洒な白い指が、ツッと大木の幹に触れる。 「人の想いは、例え肉体が失われても、土に染み込んで、雨に溶けて、いつまでもソコに漂っているんだ」 「なんや雨の日の工藤は、ロマンティストやな」 新一の静かな声は、その声同様眼差しは、ひどく優しい色をして、宙に溶けている。 時折新一は、こんな風に、静かに遠い眼をしている事がある。それは服部を焦燥させる。今の新一は、雨の中に溶けてしまいそうな静かな気配や感触を肌身に伝えてくる。それが怖かった。 「穀雨ってのとは時期が全然違うけどな、夕立だし。だけど雨は恵みだろ?」 「せやな、樹は燃えて灰を生み、灰は大地となって体内に金を宿す。金は表面に水を宿し、水は樹を育てていく。相反する本質を持つ物が、互いに往来しあう宇宙の仕組み、やな」 「雨は地に浸透し、軈て太陽の熱に温められ、蒸発して雲になる。そして再び雨となって地を満たす」 「五行大儀、生々流転の輪廻の思想や」 「だからな、この樹も、往来の記憶を持ってるのかもしれないな。なんせ桜は神木だしな」 「なんや、ほんま感傷的やな」 新一の、常にない言葉に、その穏やかさに、身の裡が引き絞られる感触が、足下をヒタヒタ濡らして行く気がした。 静謐な透明さを増していく、眼差しの深さが怖かった。いつだって、前に走り出しそうな眼差しをしていたアノ幼い子供の時より、なおいっそうの清冽な輝きを持つ瞳。それでいて、静謐な気配が深まっていく。そして透明度が増していくのだ。 新一の眼差しは、一体何処を視るているのかと思える時がある。自分には視る事のできない狭間を視ている気分にさせられて、服部は、だから怖くなるのだ。不安になるのだ。だからこうして腕にしていないと、雨や月に溶けてしまいそうで、恐ろしかった。 「自然のもの、特に大地に根付いているものは、過去の時代の記憶を持っているっていわないか?」 「せやったら、こうして雨に濡れて抱きおうてる俺等の記憶も、この樹は持って行くんかもしれんな」 「今日の俺達の姿も、土に消え、雨に溶けて、月に照らされて、息づいてくのかもしれないな」 「工藤……ッ!」 静かで穏やかな声に、服部は堪らず細い姿態を抱き締める。 新一の肉体は、未来へと進む事ができるのか、どんな変化が訪れるのか、本人にも判らない爆弾を抱えている。けれど、それでも、時間は一定の流れを刻み付けていく。それが摂理だ。 時間の流れに少しずつ置いていかれる哀はどうなのだろう?新一の為、自ら開発した薬を服用するも事なく、今ではめっきり小学校に顔を出す事もなく、日々を研究に費やしている。 二人とも、過去を過去にできる可能性の方が、低いのだ。今日が昨日になっても、二人は時間を進んではいけないのかもしれない。それでも、刻みつけられていく時間の流れはとどまる事は決してなくて。 だから服部は泣き出しそうに、新一の幾分痩せてしまった躯を抱き締める。 可能性を考え出せば、立っていられなくなってしまう。崩れてしまうのは、自分の方だ。辛いのは、新一や哀の筈なのにと、服部はただ堪忍と、細い躯を抱き締める。 堪忍な灰原…俺はそんな強い男やないんや…。 胸の裡で、謝罪の言葉を繰り返す。 「バーロー此処に在るって、何度言わせるんだよ」 コツンと、肩口に埋まる服部の頭を軽く小突いてやる。 「堪忍…工藤…堪忍…」 くぐもった声に、けれど新一は静邃な笑みを刻み付けている。 「そういえばさ、俺、雨の中、お前にキスされたんだよな」 だから雨の日は、少しだけ感傷的になっちまうんだと、新一は服部の顔を上げさせる。 アノ日を境に、自分は服部の思考に囚われてしまったのだから。好きの意味を考えあぐね、服部の事ばかり考えていた気がする。 「誰かを愛してるなんて、正気じゃなきゃできねぇよな」 たとえ愛情がこの世で一番簡単で単純な洗脳の一つだとしても。 「狂気やないんやな…」 狂おしい程愛しているなんて、大抵は狂気の沙汰と言う筈だ。 「バーカ。理想を恋人にすんなら狂気だけどな、俺は理想のお前に惚れた訳じゃねぇんだからな。こんなの正気じゃなきゃできねぇよ」 そう笑う新一の眼差しは、恐ろしい程綺麗で静謐で、そうして服部を静かに見詰めている。その眼差しの前に身を曝すと、服部はやはり泣き出したい衝動にかられてしまう。 綺麗で強くて優しい新一。どんな状況でも、人の哀しみにばかりに焦点を絞る。普段は人の機微にも疎いというのに、誤魔化されてほしい時に限って、新一は真実を見透かす瞳で、間違う事なく服部の機微を見抜くのだ。 「お前やっぱ、俺の事なんにも判ってねぇな」 クスリと、新一は愉しそうに笑うばかりだ。 「服部、此処が崖だとして、お前の前に落ちかけてる俺と、ダレかが在たら、お前どっち助ける?」 深い眼差しが、下から覗き込むように端整な貌を覗き込む。 服部は、新一の眼差しの深みさに飲まれそうになりながら、沈吟する。 「両方…やな」 思案しつつ言葉を選び、 「でもまぁそんな都合ようできないやろうからな」 覗き込んでくる眼差しを、少しだけ哀しげに見詰め返す。 「その状況で、できる判断で助ける、やろな」 でもなと、服部は新一の双眸を凝視し、言葉を繋いだ。 今、新一がどんな答えを欲しがっているのか、服部は判る気がした。 「咄嗟じゃ俺の判断なんて当てにならん。きっと利き腕に在る方、助けてまうやろな」 「正解」 服部の台詞に満足そうに笑うと、 「お前の利き腕、右だよな」 「お前は工藤、左やろ」 「よく気付いたな、右手に直されたんだけどな、無意識だと左が出る」 それが出るのは大抵が推理の時で、だから優しい幼馴染みは、知らない筈だった。 「せやからお前、思考回路、変、なんやな」 「なんだと〜〜」 「密室殺人が〜〜とか言われてホイホイ喜んでUFOに乗ってまう可能性有るんは、お前だけや」 「余計な世話だ」 「置いてかんといてな。呼ぶって約束やろ?」 軽口を叩く言葉が、不意に真摯に反転し、新一は穏やかな苦笑いを漏らした。漏らし、 「俺が在るのは、左だな」 「……工藤…」 「俺はいいから」 「よぅないやろ…」 判っていた答えだ。自分を助けるより、見知らぬダレかを助けろと、新一らしい答えに、服部はもう泣き笑いの表情しか作れなかった。 「俺は自力救済するから、お前はダレかを助けろよ」 「嘘つきやな…工藤は…サイテーな大嘘つきや」 いつだってダレかの為に必死になっても、自分の為になんて必死にならない。 「やっぱお前判ってねぇな」 仕方ない奴、新一は花のような笑みを漏らした。 「まぁ万が一、俺が死んでも」 「工藤!」 「お前途中で人の話し、遮るなよ」 「冗談でも言う台詞とちゃうやろ!」 「だから、ちゃんと聴けって。忘れるなよ服部。人はな、死ぬんだ。どんなに生きたいって願っても、死んでいくんだ。死ぬって事を認識する事が大事なのは、お前だって判ってるだろ?間違えるなよ」 「……厳しい奴やな、相変わらず…人でなしや」 厳しい視線を投げる新一の眼差しは、綺麗で透明で、胸が痛んだ。 ソッと、服部の長い腕が、頬に伸びる。 「自己死を見詰める事ができなけりゃ、生きる意味なんて何一つ見出だせないんだ。俺が死ぬ事を怖がってないなんて、思うなよ」 「それでもお前は、ダレかの為にはその身を投げ捨てる奴やからな」 「安心しろよ、少なくても、お前が壊れちまう前には、還ってきてやっから」 「百年待てって事か?」 「生まれ変わりって、最低1年じゃねぇの?それくらい待てるだろ?」 「1年?百年ちゃう?」 「だったら、夢十夜でもして待ってろ」 「自分現国語不自由なのに、よぉ夢十夜なんて知っとったな」 理数系人間の特徴のように、工藤新一は確かに現代国語が大の苦手だった。小学校から高校まで、国語教師が嘆く程、現代国語で総得点を落としていた新一だった。 教師が口を揃えるのは、何時も同じだ。世界的ベストセラー作家の父親を持つ身で、国語が不自由とは、どういう事かと。 そのかわり新一は、真実を見抜く確かな推理力と、それだけではない天の才を与えらた人間だった。それが本人に良いか悪いかは別として。 「なんだよ、んじゃ浅茅ヶ宿がいいか?青頭巾とかか?」 「…随分偏った読書しとるな…。雨月か…」 それでかと、服部は頷ける部分があった。 雨の中に魚が泳ぐ天の海。偏った読者の成果と言う事なのかもしれない。 「なんてな…お前は普通に生きてろよ。でも俺が還ってきても気付かなかったら、仕打ちしてやるからな」 「矛盾な奴っちゃな」 新一の物言いに、服部は頬に触れた指先に力をいれる。 「還ってきてやるよ。だからそんなに、怖がってんなよ。俺は此処に在るんだからな」 ココと、新一の長い指がスゥッと服部の心臓の真上を正確に撫でる。 「ほんまこんな強い想い、正気じゃなきゃ、できへんな」 頬を引き寄せれば、新一は抗い一つなく服部の口唇に吐息を交じわせる。 狂おしい程、愚かしい程愛しい感情は、正気でなければ愛していられない。優しさも痛みも醜ささも全て曝して愛し合う相手は、正気でなければ巡り合えないだろう。それは高潔で正気な想いだからだ。欲望と衝動に塗れても、情愛で抱き合う腕は、正気の想いの筈だから。 「俺は、後悔してもないし、不幸でもない。それだけは、忘れんなよ。俺の為になんて、お前は何一つ変わるな」 「ほんまに、適わなんな…工藤には……」 「ったりめぇだ」 「憎まれ口も、適わんな…」 服部は、新一の本質的な強さに、泣き出したい想いを口唇に乗せる。 「ぅん……」 微かな吐息を漏らし、細い腕が、服部の背に回される。 新一の耳に、アノ日雨の音が、谺する。 好きや……。 密やかに告げられた服部の想い。今も繰り返されている言葉。正気でなくては、愛してるなんていえない。愛してるとはいえない。 携帯を戻す服部に、新一は問い掛ける。 「アア、在たで。すぐ来る言うとった。流石に限界やな、顔色悪くなっとる。熱ないか?」 冷静に被せた台詞は、けれど白い額に触れる指が、それを裏切っている。 「ン〜〜大丈夫だろ」 触れてくる服部の手を拒む事なく、新一は視線をフト路上に向けた。 「愉しそうだな」 雨の中、兄弟なのか友達なのか、傘をさし、はしゃいで通り過ぎていく二人の子供の姿が眼に止まった。 「子供やからな」 雨の中だと街の気配や感触、色や何かが、普段と違って見える。それが子供には楽しいのかもしれない。そういえば、自分も子供の時、雨の中友達と遊んだ記憶がある。そうしては、母親を嘆かせた。それは新一も同様のようだった。 ちょっと違った点は、新一の母親の有希子は、雨の中、息子にレインコートを着せ、子供と一緒になって遊ぶ種類の人間だったと言う事だ。 「服部、帰るぞ」 「ちょ〜〜工藤待ち!何考えてんねん!今黒羽呼んだんやからな、すぐ来るさかい、おとなしゅぅしててや」 突然雨の中に飛び出した新一に、服部は慌てて後を追う。追えばアノ日の幼い姿が脳裏を掠める。 「気持ちいいぜ」 走り出し、不意に背後をターンする優雅さで振り返れば、幽邃すぎる気配に、服部は足を止める。 「やみだしたから、とっとと帰ろうぜ。珈琲淹れてくれよ、忘れてたけど、今夜七夕だろ?」 「宴会やな」 それ以上走り出す気配のない新一を腕にすると、服部はもう頭から爪先まで濡れきっている新一を、それでも濡れないようにと庇いながら、走り出した。 途中快斗と出会い、呆れられたのは言うまでもない。 ← |