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act1 真実の果実と万有引力 探偵と怪盗の日常的戯言 |
『新ちゃんのその力は天使の力。誰かを助ける為の力なの。それは人を倖せにするって言う事なの。きっとサンタさんと同じネ。クリスマスってそれだけでワクワクするでしょ?そういう気持ちって、優しくなるでしょ?サンタさんの力はね、そういう力。人をワクワクさせて、ドキドキさせて、そして倖せにしてくれる優しい力。ママ思うの。サンタさんは特別サンタさんってわけじゃないと思うの。イブの夜は、きっと誰もが誰かのサンタさんなの。プレゼントは、そういったドキドキしてワクワクする気持ちをくれる誰かだと思うの。新ちゃんは、誰のサンタさんになるのかしら?誰がサンタさんになってくれるのかしら?楽しみね?そう思わない?だから、新ちゃんの力は、サンタさんとはちょっと違うけど、誰かを不幸にする力じゃないの。それだけは、忘れないで、忘れないでね。貴方の力は、決して不幸を呼ぶものではないの』 少女のような面差しをしている母の泣き笑いの表情が、現れては消えていった。 母が何故泣いているのか?判らなかった。 『自分を、信じてあげて』 きっと今も判らない。何を願って託した言葉か、きっと、未だ判ってはいない。 ソレは、クリスマスイブを数日後に控えた日の事だった。 街はすっかりクリスマス色一色に染まり、その後一週間後に訪れる新年の気配はない。 駅前は綺麗なイルミネーションに彩られ、夜になれば、それは眼にも眩しい鮮やかさを増す。赤と緑をメインにした配色が目立つ都会の光景は、それだけで人の心を弾ませるナニかが備わっている気分になる。 特別キリスト教徒はないけれど、それでも、その日は近しい人とパーティーをする。 厳格なキリスト教圏から見れば、それは甚だイブの過ごし方と違うだろう。日本人なら4月8日の灌仏会にでも、盛大に祝いごとのイベンでもするべきだろうが、それでも、クリスマスイブは、年末最後のビッグイベントだ、特に恋人同志には。理屈ではなく心が楽しくなるのは、きっと誰もが楽しいからなかもしれない。でなければ、日本中が、此処まで浮き立ちはしないだろう。それがきっと、イベントと言うものなのかもしれない。 「ん〜〜ラッキー」 駅前のショッピングモールの書店から出ると、新一は心なしか浮き立つ足取りで歩いている。 普段人前では感情の波を覗かせる事の少ない多い新一も、新刊ミステリーを手にして、心は浮き立っていた。それをして幼馴染みの蘭には、『ミステリーなんて、血生臭い本楽しみにしてるなんて』と言われ続けてきた新一だったが、ソレに対して『別にミステリーは、なんでもかんでも血みどろな殺人鬼が出てくるわけじゃねぇぞ。父さんの書いてるもんだって、夜な夜な殺人鬼が街中を徘徊する話しじゃねぇし』と、反駁し続けてきた新一だった。 毎年決まってクリスマス数日前に発売される出版社の海外ミステリーを買うのは、新一にとってはクリスマス前の楽しみの一つだった。というより、蘭に言わせれば『どうせ新一のことだから、その発売で、クリスマス思い出すんでしょ』と、内心を完全見透かされてきた事で、けれど当然素直に頷けるものではなかった。それが事実だから、なお頷く事などできなかった。それをして蘭は呆れた笑みを見せた。つい数年前までは、それがクリスマス前の年中行事の会話だった。 「そぉいや、言ってこないなあいつ」 コナンになる前までは、クリスマスは蘭や園子達友人とパーティーをして過ごしてきた。 コナンになってからは、チビッ子探偵団の子供達とパーティーで過ごしてきた。そして昨年は蘭と、服部の幼馴染みの和葉からの誘いを断って、服部と二人だけで過ごした、恋人同志のイブの夜を。去年パーティーの誘いを断った時の、彼女達の落胆は今でも覚えている。 今年もまたパーティーをしようと、てっきり誘ってくるものと思っていたけれど、蘭はそんな兆しを見せない。 元々、初夏に関わった事件の後、発作を起こして以来、彼女達の足は遠のいていた。 それは自分が、服部の前だけはでなく、彼女達の前でも発作を起こし、倒れた時からだ。 物言いたげな眼差しの意味を知らないわけではなかった。答えを提示してやる勇気はないくせに、離れてほしくないと願う狡い自分がある事も判っている。それでも、その想いには決して応えてはやれない自分が在る事も確かだった。 守りたい一人だった筈だ。けれど今はあんなに大切だと思った幼馴染みより、大切な人間の存在が在る。蘭への想いは、肉親に近い感情になっている。その事が、不思議だった。 クリスマスと言えば、毎年疑問なく幼馴染みと過ごし、それが当たり前になっていたから、新一にとって、ソレが特別な意味を持つようになったのは、昨年のイブからだった。だから当然今年もそうだと思っていたが、どうやら今年は趣が違う。 「まぁ、それもアリか」 今年は快斗も加わり、哀も歩美達とのパーティーが済んだら、合流すると言っているから、昨年は気を利かせたのだろう。だろうと、今判った気がして、新一は頬に朱が散るのを感じた。感じ、そんな自分を誤魔化すように、誰からともなく視線を逸らした。その先には、ショーウィンドーに映る自分の姿があった。 メガネをかけた白皙の貌は、ショーウィンドーに映る自分を視ても、朱が散っているのが判る。 初夏に関わった事件から、新一は外出時、必ずメガネを掛ける習慣がついていた。 黒の組織が解体したとしても、安穏とはできなかった。組織解体に伴った情報が、漏洩していた可能性が否定できない。組織の事が情操操作されていたとはいえ、犯罪組織として、マスコミに表面化した。とはいえ、組織が日常的な犯罪に何処まで関わっていたか判らず、司法当局が乗り出した情報が漏洩していたしたら、それは中枢機関に位置する人物が関与した事になり、諸々の意味を含め、新一は安穏とはできなかった。マスコミにさえ表面化する事のなかった、哀と新一の肉体の神秘を思えば、新一が身を隠す事なく、工藤邸に在る事は、危険と紙一重な部分も取り除けない。それでも、新一は工藤邸に戻り、T大進学を果たし、今は同じT大法学部に通う服部と、同居生活に入っている。だから新一は極力事件には関与せず、関与しても、馴染みの警視庁捜査一課の目暮には、マスコミには口外しないでくれと、頑なに言ってきた。 以来新一は気休め程度にメガネを掛け外出し、以前にもまし、人混みをさけるようになっていた。組織が解体しても、それさえ何処から何処まで解体したのか、実は理解できていないのだ。捜査は難航を極め、捜査本部は今は専従班が残されただけになったと聞いた。 それは警視庁にコネクションを持ち新一でも、官僚の父親を持つ服部にも、情報は降りてはこなかった。元々捜査の実権を握っていたのは警察でも公安を持つ警備局であったし、更には地検の公安部だったから、警視庁のコネクションでは、目暮にさえ情報は降りてはきていないのだろう。そして目暮は、新一がその組織の事件に関わっていた事を知らない。だから新一は気休め程度にしかならないだろうが、服部から贈られたメガネを掛けていた。 「ヤベ……」 新一は、左手首に嵌めたハミルトンのカーキーサブを視ると、時間は4時を回っていた。 確か自宅を出て、本屋に行ったのは、朝食兼用の遅いブランチを終え、2時近くの筈だったから、2時間は本屋に居た事になる。本屋に行けば、一日時間を潰せてしまう新一の活字中毒を心得ている服部はだから、いつもの事と鷹揚に構えているかもしれないが、遅くなるつもりはなかったから、それは自分に対しての呟きだったのかもしれない。 新一は、駅前のショッピングモールを少しだけ、心なしか歩く速度を早めている時だった。向こうから、幼い女の子が走ってくるのが、視界に映る。小学校1、2年生くらいだろう幼い女の子だった。 「桜っ!」 その子の名前なのだろう。母親らしき女性が、背後を追って来る。 「お母さんなんて嫌いッ!」 背後の母親に振り替える事なく叫ぶと、桜と呼ばれた子供は、新一の横を走り過ぎて行く。 「危ないでしょ、待ちなさい!」 子供に次いで、母親が新一の横を走り抜けて行く。 終業式間近の夕方のショッピングモール。喧嘩したのだろう親子。何処にでもある光景に、新一は何故か安らいだ気がした。だからなのか、見送るように、新一は背後を振り返り、女の子の姿を視界に認めた時には、走り出していた。 「アリスは居なくなったのにっ!」 叫ぶ子供は、自分の感情で手が一杯なのだろう。ショッピングモールを抜け、混雑する十字路に飛び出して行く。当然、年末の夕刻という事も影響し、いつも以上に交通量は増えている。その車道に、幼い子供は飛び出していく。 「桜っ!」 「危ないッッ!」 クラクションが鳴り、次いで響くブレーキ音。新一は、考える前に飛び出していた。 「アメリカは大変だって時に、日本のマスコミは平和だねぇ。ワイドショーで視聴率とれるってのは、それだけ平和な証拠だよ。怖いねぇ」 工藤邸のリビングのソファーで快斗はテレビのリモコン片手に、呟いた。 「ほんま、お前とちゃうんか?」 快斗の視ているワイドショーに、服部はクツクツと笑う。 「そりゃ4Cパーフェクトの1カラットのダイヤって言えば、それだけで価値はあるけど、なんでんなものわざわざ俺が泥棒しなきゃなんないわけよ。大体んな物、俺がわざわざ泥棒するって思われるとこが、嫌だな」 通い慣れてしまった工藤邸の指定席のソファーで、快斗はすっかり寛いで手足を延ばし、画面の中、営業用スマイルを絶やさない女子アナを眺めている。 「まぁでも、人気者の辛いとこかな?」 まったく他人事の快斗の台詞に、服部は呆れたように肩を竦めた。 テレビのワイドショーで流れているニュースは、確かにニュースとはいえない、3FET誌並のニュースだった。いちいちワイドショーの情報に踊らされていたら、肝心な情報を見落としてしまう。だから快斗はテレビの画面の中、にこやかに営業用スマイルを湛えている女子アナの記事になど、頓着はしなかった。たとえそれが、怪盗キッドの事を話していたとしてもだ。 米花町は、治安も安定していて、なんだかんだ言っても、邸宅と呼ぶに相応しい家屋敷が並んでいる。その工藤邸に程近い企業財閥の邸宅邸宅から、ダイヤの指輪が、ダイヤだけはずされ盗まれた。室内に物色された様子はなく、プラチナの台からダイヤだけを綺麗に盗み出されていた。そういうニュースが流れていたが、それがどういう経緯を辿ってか、誰かが言ったのだ、面白半分に。 室内に物色された様子がない事は、警察の鑑識捜査からも明らかで、けれど台から綺麗にダイヤだけを外して持ち去っている手口は、まるで怪盗キッドのようだと、誰かが冗談半分に言ったのだ。その噂の出所など、当然判る筈もない。けれどそれを聞き付けたマスコミが、視聴率確保に便乗放送しているのだ。 怪盗キッドは平成のルパンと言う愛称で呼ばれているだけに、人気が高いと言う言葉には語弊があるし、新一が聞けば嫌そうに顰めっ面をするだろうが、確かに快斗の裏の顔は、国民に名を馳せている怪盗だった。 ルパン同様の怪盗紳士で、決して血は流さない。そしてルパン同様、予告状を出すと言うレトロな側面を持っている怪盗紳士。そして一切の経歴が謎に隠されている国際指名手配をうけている怪盗は、世界的にも人気のある人物だったから、マスコミは視聴率確保の為に、ある意味での悪ノリをしているのだ。 「でも、これが情報の怖いとこだよねぇ」 「ホ〜〜言うやないか」 泥棒がと、服部は言外に滲ませる。 「情報はさ、情報を求める所に流れてくる仕組みになってるからね、水が高い場所から下へと流れてくのと同じみたいにさ」 「価値の問題やろ」 「情報を求める要求の存在しない場所では、情報は何の価値も持たない」 つまんないねぇと、一通りリモコンで全チャンネルを回し終えた後、快斗はプツリとリモコンをオフにする。 「規則性も法則性も無視して、怖いのは、プロバビリティが欠落しところとこやな。情報が過剰化すると、惑わされる」 「んで、優秀な探偵の服部さんの見解は、どうなわけよ?」 「工藤はダイヤに興味はないやろうからなぁ」 ブランドで身を飾る必要など持ち合わせていない稀代の名探偵は、事件に携わる以外、ブランドの価値などに頓着はない。贈られても、所詮何処かに置き忘れてしまうだろう。 新一にとって、新作の推理小説以上に、ブランドの価値が上に来る事はないだろう。 「興味あったら、どうだっての」 「ソラ俺の居ない隙に、何するか、判ったもんじゃないってこっちゃな。指輪の一個や二個、贈らんとも限らんしな」 「しつこい、未だ根に持ってる」 ゲンナリと脱力すれば、目の前に腰掛ける悪友は、クツクツと笑みをしているのが判る。確かに根を持たれる覚悟でした行為ではあったが、此処までとは思わなかった。 「当たり前や。工藤にいらん事言うんやない」 「アッ、なんだそっち?」 思い辺りフシが在るのだろう。快斗はポンッと手を叩く。叩き、次に笑った貌は、スルリと薄布一枚捲った背後から無感動な貌が現れ、酷薄な口唇が、意味深な笑みを刻み付けた。 「『人が心底からは信用できない事を知っている』っての?だって名探偵、ちゃんと理解してるから怖いんじゃん。あの人の怖いところは、そういうとこだと、俺は思ってるけど?真実が一つなんかじゃ決してないって判ってて、真実に向かって落ちてくとこ。走って行くっていうよりさ、こぉ落ちて行くっていうの?落下速度付けて。引っ張られていくみたいじゃない?だから刹那、なんだよ。なんかねぇ、一瞬に燃え尽きてく花火みたいなとこあるじゃない、あの人」 「黒羽」 軽口に誤魔化す口調はしているものの、快斗の眼差しは一つも笑ってはいない。瞬きを忘れた眼の底には、何が映っているのか?咎める口調でその名を呼んだ服部は、その眼差しに息を飲んだ。刀身を秘めている眼の淵。切っ先を秘めているのは、新一と寸分の違いもない。 『俺はこんな物騒なモン、拾った覚えないで…懐かれたとるのは、工藤やないか…』 服部は、心底反駁と否定で最後に溜め息を吐いた。 『ネコなんて可愛いモンとちゃう。例えるなら、ネコ科の小動物や…豹とか』 よく思い出した様に、新一は自分が負傷した怪盗キッドを都内の父親のマンションら連れ帰り、手当てして以来懐かれていると言うが、それ以前に、キッドであった黒羽快斗は、新一を知っていたと言う事だ。懐かれているのは決して自分ではないと、服部は溜め息を吐いた。 「稀代の名探偵の脆さはさ、この怖さと紙一重、なんだよね。服部の心配だって、そういう事だと、俺は思ってたけど?」 真実に向かって走っていく後ろ姿は、時には落ちていく恐ろしさも付き纏う。刹那だと言った快斗の台詞は、確かに服部も合わせ持つ内心と同じ物だった。 真実という深淵に魅せられ、引っ張られ、落ちていく。堕ちて行くのではない。落ちていく、まさしくソレだ。 「あの人にとっての真実ってさ、人の深淵にちゃんと焦点在ってるから怖いんだよ。『真実は一つ』って言葉はさ、とどのつまり事実が一つ、なんだよね。殺人が起こったら、殺人が起こったって言う事実が一つ。真実は深淵。あの人は逸らす事なく深淵と向き合うから、怖いよねぇ。そのくせ天の才を怖いもんだって、ちゃんと認識してるとこ。それでいて深淵にまっすぐ焦点絞って走り出すとこ。アンバランスで怖いけど、だから綺麗だし、怖いから脆いんだよ。綺麗は汚い、汚いは綺麗、みたいにさ、脆さと怖さが紙一重で、だから一心刹那の残像みたいに思える時が在る。それが怖いかな、俺的には」 「お前の嫌なとこは、工藤を識ってるってとこやな」 瞬きの刹那に散り消える花火のような儚さ。真実に向かって走り出す背。それはいつだって、動揺も狼狽も、躊躇いさえなく、深淵を映している。対峙するのではない。あるべき事実として、新一には視えているだけなのだろう。けれどそうと理解している人間は少ない。彼を知る目暮でさえ、知らない。 そのくせに、怪盗という、対極の位置に在る筈の快斗が、新一を理解している事が、服部には可笑しかった。だからこそ、託せた言葉が一つだけあったのだけれど。 「犯罪現場でのあの人視てるとね、えらい怖いよ」 「……お前、いつ視たんや?」 快斗の口調から察するに、自分が知る以上に、黒羽快斗と言う人間は、新一を以前から知っていると言う事になる。 「ヒ・ミ・ツ」 チッチッチと、快斗は長い人差し指を振っている。 「オーラー違うんだよねぇ」 記憶を想起させて思い出したように、快斗は独語に呟いた。 「そら当然やな。あないな雰囲気持ってる人間、二人とは居らん」 陰惨な殺人現場。周囲を見回す眼差しは、きっと自分と同じ物を視て、自分と違うものを捉えていると、痛烈に思い知ったのは、まだ新一がコナンの時だ。 血生臭い事件現場で、ソコだけが不可侵な空気に満たされている様で、新一の周囲は恐ろしい程、静謐な気配が漂う。 冴えた白皙の貌。理知を浮かべ瞬く怜悧な双瞳。月の光で磨きあげられたかのような、空気に氷が刻み付けられた静謐さ。 同じ物を視て、同じ声を聞いて、けれど視る光景も、聞く声も、何一つ同じではない。 そうと理解してしまった時。胃の腑と心臓の中間に、凝った氷の塊でも抱かされた感触が生々しく底冷えした。視界に捉える事の不可能な精神の襞というものを、無造作に引き絞られた感触だった。 「だけどさ、見蕩れるちゃうんだよね」 陰惨で血に濡れた殺人現場で、新一を視かけたのは、彼が幼い子供に還ってしまった時からだ。 当然、怪盗と言う立場で、以前幼馴染みとの約束の時計台移転を巡る騒動で、その邪魔をしたのが工藤新一という年若い同じ歳の探偵だと知ってから、快斗はずっと新一を視てきた。不意に姿が消え、様々な憶測が無責任にマスコミから流れ、そして江戸川コナンという奇妙な子供が、実はとある薬で子供になってしまった工藤新一だと判ってからは特に。 「お前もほんま、嫌な奴っちゃな」 見蕩れるという意味は、きっと自分が新一に持つ感情と同じ類いのものなのだろう。だろうと服部は思う。 犯行現場で感情の波を綺麗に欠いてしまう表情のなさは、背後から誰かの手により、仮面を付け替えられたかのような印象さえ覚えてしまう。瞬きを忘れた真摯な輪郭の背後から、人の深淵を映す昏い闇が、まるで新一に手を延ばして仮面をすげかえるかのように、綺麗に感情を隠してしまう。その無感動な白皙の横顔は、底冷えする感覚を呼び起こすのに、それさえ飲み下して見蕩れてしまう自分というのは、大概危ないと、未だ彼がコナンで、肌を交わす関係になる以前には、相当服部は悩んだのだ。 瀟洒で鋭利な刃物の切っ先を、身の裡に沈み込ませているかのような推理時の新一の横顔。密やかに閃く眼光。その背後を走り抜けて行く一瞬の影は、新一の身の裡の何処に落ちていくのかと思う。濃く深く瞬く蒼を帯びる眼差しの奥には、恐ろしい程の静謐さが浮かび上がる。 射ぬかれていく。もし魂というものがあるのなら、魂を射ぬいていく一瞬の痛感みたいなものが、確かに犯罪現場の新一からは滲むのだ。その痛みが、ある一瞬の心地好さを呼び醒ましていくのかもしれない。だからこそ、怖い。だからこそ脆い。深淵を見続けて、深淵こそ真実を隠し持つ得体のしれない奇妙で取り留めのない化け物だと、判って肌身を曝して手を延ばす新一が、だから怖い。身を守る術さえ取り繕う事なく、ヒタリと深淵に照準を当て見据える眼差しの深さが、だから潔くて怖いのだ。だからこそ、見蕩れてしまうのだ。 「探偵には二種類あってさ、推理で謎を解く探偵と、謎を解き、なおかつ謎を自ら構築できちゃう人と、二種類在るっていうよね。だとしたら、名探偵は確実に後者」 だかこそ怖いよと、快斗はちっとも笑っていない眼差しで、酷薄な口唇を笑いに象って笑った。 「でも服部は前者。謎解きは得意でも、謎は作れない」 笑わない眼差しが、ヒタリと服部を凝視する。 快斗の本質を視る思いがするのはこんな眼をする時だ。新一とまた違う意味で、快斗の眼差しは容赦がなく深みを増す。普段は綺麗にオブラートされているし、オブラートする術を持ち合わせている。そういう事なのだろう。 「アホ、いいたいんか?」 「ある意味で、精神は健全って事。まぁ服部が健全ったら、不埒な人間、在なくなっちゃうけどさ」 何せ小学生のあの人に、手ぇ出しちゃう男だし、快斗は軽口で笑う。 「知らんお前は幸いやなぁ」 「どっかの誰かみたいな事いうね。クリスマス近いからって、別にいいよ。知らない者は幸いであるとか、貧しい物は幸いであるとか」 「俺は工藤に会うてから、その存在一番否定しとんのや」 もし神が在るのなら、どうして新一に枷など付ける必要があるのだろう?天の才と言えば聞こえはいい。けれどそれがどれだけ彼を苦しめているのか、きっと誰も知らない。自分も、判っているつもりで、きっと判ってはいない。怖いのは新一自身、無自覚な部分が多い、そういうところだ。 「由緒正しい真言宗じゃなかったっけ?拝み屋さんと知り合いでしょ?」 「お前こそ、どこぞの誰かみたいに、指先に、チタン合金も切断しそうな糸、絡めてないやろな?」 「『夢に観た事はなかったか?』って?服部って、名探偵と同じにミステリーしか読まないと思ってたけど、守備範囲広いんだ」 服部の台詞に、快斗はカラリと笑っては台詞を躱す。 「まぁさ、服部は笑ってなよ」 「なんや?」 気色悪い奴っちゃな、服部は思うが、その台詞は以前哀にも釘を指された事だと忘れてはいなかった。 「厳しい愛情だって哀ちゃんは言うけどさ、俺的には、十分、溺れてる男だと思うよ」 「溺れんよう自戒しとる俺の苦労、台無しにするのは工藤やで」 いつだって、二人の時、新一は隠さない。言葉もなく判りあえる情愛の深さなど、新一は信じてはいない。寸暇の台詞を惜しんで機微のすれ違いにより発生する事件をつぶさに見てきている新一は、だから服部に愛を囁く事に躊躇いなど見せない。必要な時に、必要な言葉を、必要な人間に、躊躇いなく告げる事の出来る人間だった。それは時にはタチの悪さと紙一重でさえある。 「お前も、大概変わった奴っちゃな」 「俺?俺はホラ、世間の皆様から愛される怪盗キッド様だし、基本的には博愛主義」 「誰にでも優しい言うんは、誰にも冷たいと同義言やろ?」 「魂射ぬかれたいのは、たった一つの星だし。でもその星はすぐソコに在るのに、触れるのが一番遠い星だし、名探偵の言葉借りるなら、ソコにあるけど、誰もが手にする事は叶わない真実ってのと似てるね」 「俺ら衛星か?」 「引き合いつつ、距離保ってるね」 どちらが掛けても成り立たない距離。 「だったら、月より林檎がええな」 「知恵の実の果実、罪の象徴?」 「ニュートンが、罪と知恵の果実の落ちるのを見て、引力発見した言うん、面白い思うわ」 「識る事、それ即ち罪ってね。真実と似てる。とどのつまり蛇って言うのは、選択を与えた者だったわけなんだよね。一神教からの分離。それによって生じた神と人との精神的緊張関係。貶めるっていうのはあくまで神側の問題で、人間には確かに知恵。悪魔こそ、人類に最初に知恵を与えたって、思えるけどね」 「哲学やのぉ、でもアレやなぁ。工藤視てると、工藤にとっての林檎って言うんは、真実って事やろ」 「だから服部さんとしては、林檎がいいんでしょ?」 「嫌な奴っちゃな、ほんま、お前」 苦笑する面差し、ひどく大人びて見える。荒削りな造作は、此処最近急速に大人の輪郭を深めて行く。 「一応、基本的確認しとくけど、気付いてる?名探偵の事」 ヒタリと固定される眼差しは、底冷えするナニかを刻み付け、服部を凝視している。その視線に身を曝しながら、服部は自嘲とも苦笑ともつかぬ、曖昧な笑みを刻み付けた。 「本当は、もぉ事件に関わらん方がええのは判ってるけどな、アレは真実に向かって引っ張られてく。監禁でもせん限り、無理やろな」 「服部ってさ、残酷だからさ」 「優しいって事やろ?」 「ヘェ〜〜自覚有ったんだ」 「探偵やめ言うんは簡単や。せやけどあいつは根っからの探偵だ。事件があいつを呼び寄せる。理屈でも理論でもない。そう言う事ってあるんやと、俺は工藤に会って、初めて痛感したわ。それこそ引力やろ」 「死神に魅入られた、名探偵」 「黒羽」 快斗の台詞に、服部の形相が瞬時に感情の波を殺ぎ落とす。冷ややかに刻み漬け込まれた深い眼が、快斗の眼球の中核を射ぬいて凝視する。つまらぬ気負いなど、通用しない眼の深さや鋭さは、服部の本質なのだろうと快斗は思う。 「マスコミで、流れた噂。俺はそう思ってないけどね」 「当然や。工藤の前で口にしてみぃ、死んだ方がマシって思える事になるで」 「怖いねぇ、探偵のくせに。物騒。その言葉より、眼。殺しそうなね」 「工藤が一番判ってるやろ、自分の躯の事や。俺は気遣う事しかできへん。それさえあいつは我慢ならんって言う時多いからな。まぁせやけど、お前に言わせれば、自分嫌われるのが怖くて、止めたらん男や、思うてるやろ」 「それをして哀ちゃんは、厳しい愛情って言ってるけどね。俺が服部怖いって思うのは、そういうとこだよ」 「相変わらず、お前の言葉は判らへんなぁ」 みなまで語らず、自己で納得している節が多い持って回った言い方は、何処か哀と似ていると思う。けれど、きっと判っている。快斗や哀が語る言葉は。 軽口を躱す会話は、何処かタヌキと狐の会話のようだと、互いに自覚していた。対極に在る立場の自分達が、こうして会話を交じわせ、お茶を啜っているのだから、工藤新一という万有引力の賜物と言う事なのだろうか?そんな思いが内心を過ぎってしまう二人だった。 そんな時だ。玄関のベルが鳴り響く。 「帰って来たかな〜〜ホイ、ホ〜〜イ」 「アホ、自分の家帰ってくるのに、ベル鳴らす必要ないやろ。ベル鳴らさなあかんのは、お前や黒羽。二階の部屋は、お前専用の玄関ちゃうんやからな」 喜々として、腰を浮かせた快斗に、服部は呆れた貌をして見せる。 「んじゃ俺出ない。俺お客様だし」 「なんやと〜〜〜誰が客や。招いた覚えないで」 浮かせた腰を、ストンと落とした快斗に、服部はなお呆れ、席を立った。 |