| 体温1 |
「………お前本当、マメな奴だな……」 『何度ったら二階の部屋を玄関代わりにしているんだ』とか、『合鍵渡してあるんだから玄関から入って来い』とか、もう何度となく言い募っては、一向に効力のない台詞に、新一は近頃では咎める言葉を発するのも億劫になっていた。いたから、二階の階段から音も気配もなく、黒いハーフコートに身を包み、いかにも寒そうに肩を震わせ現れた快斗に、新一は盛大に呆れた顔をして見せた。 「寒い名探偵〜〜雪降りそうだよ」 外は今にも雪が降りそうに寒い。それも雪が降る前兆特有の寒さだった。雪が降る前兆の空気は、氷が刻みつけられたかのように身を切る冷たさが特有だ。骨の芯まで凍えていくかのような寒さに、快斗はブルッと肩を慄わせる。 「お前の場合は、自業自得やろ」 リビングのソファーに腰かけ、テレビ画面に視線を移したまま、服部も新一同様、呆れていた。けれど視線は画面に向いたままだ。 「この寒い日に日参してくる当たり、お前も相当やな」 新一の台詞を肯定するように、服部はマメやな、そう呆れた。 丁度合わせたチャンネルのワイドショーでは天気予報がやっていて、東京も今夜から雪が降る、そう天気図を画面に映し、気象予報士が説明しているところだった。 「服部に言われたくないよ」 程よく温度調整されている室内で、快斗は漸く寒さが引きて来たのか、コートの前を寛げる。 「大学入る前、シンデレラエクスプレスごっこしてたくせに」 週末毎に単身赴任のダンナしてたじゃん、快斗はケラリとそう笑った。 「よぉチェックいれてるな、やっぱお前、マメな奴っちゃな」 高校時代、新一が本気で大学入試を心配する程、服部は週末毎に新一の元に通っていた。 新一がコナンだった当時、流石にそう頻繁に毛利探偵事務所に来る事はできなかった服部は、新一が元に戻り、高校に復学してからは、ほぼ毎週、周囲が呆れる程、新一の元に通い続けていた。 そんな服部だから、生まれも育ちも東京のように、都内の地理には嫌でも詳しくなっていた。生来の空間認知能力が発達してもいたのだろう。新一が都内の事件に関与する事を考慮し、警視庁都下101の所轄を網羅している当たり、服部の新一に寄せる想いの深さと心配は、同義語なのだろう。 「服部だって、相当マメだったんじゃない?名探偵がコナンだった当時、毎週どころか、毎日電話してたんじゃない?」 チッチッチ、俺に隠し事できないよ、快斗は悪戯気に笑って右手の人差し指を振って見せる。 「………工藤〜〜盗聴器、仕掛けられてるんちゃうか?」 珍しく憮然とした服部に、新一は肩を竦めて見せた。それは以前、自分がはからずも快斗に抱いた懸念と同じだからだ。 不思議と快斗は、自分と服部の行動をよく知っている。それは性格から割り出せる行動心理や何かなのかもしれない。そう思った時、アアこいつ、IQだけは高かったっけと、他人事のように思い出す。 「人聞き悪いねぇ」 「ほんまの事や」 「ひどい、寒い中、二人に会いにきた俺に」 「せやから、お前の勝手や」 「寒い。名探偵、暖めて〜〜」 ダンナ冷たいよぉ〜〜、盛大に呆れている新一に、快斗がベタリと抱き付いた。 「バカ言ってんじゃねぇ、俺まで冷えるだろう」 鬱陶しい、そう言うと、新一は無下に快斗を振り払う。 触れられた快斗の指や頬の冷たさは、確かに外の温度の低さを物語っていた。抱き付かれると、確かに冷たい。一緒に冷え込んでしまう。 「服部の前だからってひどい〜〜折角遊びに来た俺に〜〜」 「お前の勝手に俺を巻き込むな」 ア〜〜鬱陶しい、振り払い、それでも一向にめげずに抱き付いてくる快斗を、再度払いのけた。相変わらず接触が好きな奴、新一は大袈裟に溜め息を吐く。 快斗は何かと言うと、こうして抱き付いてくる癖がある。それは理性と分別が線引きされていて、TPOに合わせられているし、それがある意味演技してのものだとも判っている。 服部同様、外見だけなら誤魔化されるだろう。笑顔の眩しい服部と、軽口を叩く快斗は、外見的なら他人の警戒心を高めることはない。飄々と他人の心理に入り込み、操作する術を知 ている。けれどその背後に横たわる素顔は、むしろ正反対の印象を新一に抱かせる。 自分が他人との接触を避けていたのと同様、快斗も寧ろそういうタイプに思えたからだ。 造作や声の質が似ていると、以前散々に言われてきた所為なのかもしれないが、快斗の素顔、本質的な部分は、未だ新一には掴めない類いのものだった。 「お前も本当、懲りん性格やな」 ワイドショー番組を、面白くもない顔をして眺めている服部は、視界の端に二人の戯れを映しながら、呆れて苦笑を深めた。 「余裕じゃんダンナ」 新一に振り払われ、快斗は定着しているリビングのソファーに腰を落とした。横着に腰掛けてから、コートを脱ぎ、無造作にヘッドレストに引っ掛ける。 「アホ、お前の戯れにいちいち嫉妬してられるわけないやろ」 やっぱワイドショーはつまらんな、ボヤくと、服部はリモコンを切った。 「でもまぁ、アレだね」 鬱陶しいと払い除けても、遊びに来た友人を無下にする事のない新一は、キッチンへと消えている。きっとほどなくして、三人分のマグを乗せたトレイを持ってくるだろう。 快斗は意味深に笑うと、服部に視線を移す。 「お前のその薄ら笑い、どうにかならんのか?」 酷薄な口唇を象る薄い笑み。どうみても、意味深な忍び笑いにしかみえない。 もう幾度となく垣間見てきた快斗の笑みは、タチが悪い事を服部は知っている。新一には、そんな忍び笑いはあまり見せていないように思う。互いに認め合っている部分のある『悪友』だから、なのかもしれない。 「だってさ、名探偵、他人との接触、嫌いな節あったからね」 多少は心配してたんだよ、そう笑う。 「ホ〜〜」 快斗の台詞に、服部は眼を細める。 快斗の言う通り、コナンだった当時の新一に、その節は多大だった。そう思えば、快斗はよくよく新一を視ていたと言う事になる。 以前、新一の、事件現場に佇む姿が透明で怖いと言っていた台詞は、嘘でも偽りでもなく、新一を見守り続けていた快斗を意味しているのだろう。 「軽口叩いて、お前も食えん奴やな」 一体いつから、快斗はコナンだった当時の新一を見守り続けていたのだろう?判らなかった。訊いた所で軽口と表面的な笑みに誤魔化されてしまう事は、短くない付き合いで、判っている。 「接触っていうか、体温苦手って感じだったもんねぇ」 接触嫌悪とは違う。人の感じる体温が、苦手だったと思えたのは、ある日の事だった。 「よぉ知ってるな」 流石に体温と言われると、服部の眼差しがスゥッと鋭くなる。端整な姿態の背後に気炎が見える気がして、快斗は薄い笑みに肩を竦めた。 幼い時から剣道をしている服部は、きっと試合の時、こんな殺気を帯びるのだろう。 並の相手ならその気合いだけで、気後れするだろう気炎が感じられる。けれど快斗は服部の本質を理解しているから、肩を竦めただけだった。 「別に人肌って言ってないよ。純粋に体温」 まだまだだねぇ、快斗は眼球に鋭い光を浮かべた悪友の面差しに、チッチッチッと、悪戯気に指を振った。 「色々有るでしょ?」 体温が感じる機会は。 「ちょっと手を繋いだり、名探偵がコナンだった当時、服部よく服部が抱き上げてたでしょ?機会は色々。純粋なものから、邪なものまで。それこそ多彩にさ、キス、とかね」 「……よぉ喋る口やな」 「俺キス巧いんだけどな。名探偵、服部一筋だもんねぇ、誘っても振られっ放し。キスなんてしようもんなら、刺し殺されるか、舌噛み切られるか」 そう言う意味でも本当怖いよねぇ、快斗は軽口に笑って見せる。 以前仕掛けた数度の悪戯で、新一にキスをできた試しはない。本気で拒まれているのが判っているから、軽い戯れで終わってしまう。そんな時の新一は怖い程表情が失せ、足下を恫喝させられる程、凛冽な部分が現れる。 「なんだったら、試してみる?アノ時みたいに」 ククッと笑うと、 「だぁれがキスしたって?」 キッチンから戻ってきた新一が、トレイを両手に快斗を見下ろしている。その眼差しは睥睨し、声は普段よりオクターブ低い。 「名探偵も知ってるアノ時」 「未遂や未遂」 「未遂なら良い訳じゃねぇからな」 間違えんなよ、新一は快斗の次に睥睨を服部に移すと、トレイをテーブルに置いた。 自分のマグを取り上げると、服部の横に腰掛ける。 「ホラさ、そうして座るじゃん」 腕を伸ばし、マグを取ると、快斗はソファーに背を凭れ、意味深に口を開いた。 「意味判んねぇぞ」 睥睨から憮然とした表情に変わって、瞬く眼差しが快斗を凝視する。 「名探偵、体温苦手だったでしょ?」 「接触嫌悪はねぇぞ」 「そりゃね、接触嫌悪は克服難しいし。接触嫌悪だったら、服部とそんな関係になってないだろうし」 仕掛けたのは新一の方からだと聴いた。 切羽詰まった状況の中、けれど状況に誤魔化される事なく服部を求めたのだと、快斗は知っている。どんな困難な状況に身を置いていたとしても、新一は自分を見失う事はない。 探偵に求められる資質の一つには、状況判断能力が有る。警察の救世主、稀代の名探偵と称賛される新一が、状況に流され、服部を求める事などない事は、快斗には判りきっていた。幾重も在た人間の中から、新一は服部という男を自らの意思で選んだのだ。 「そんな関係は余計だ」 白皙の貌が俄かに紅潮する。紅潮し、けれど照れる事はなく、繊細な輪郭は、憮然を深めただけだった。 「素直になっちゃって」 変化する表情に、心を奪われる事を、きっと新一は知らないだろう。 『名探偵』と、称賛される貌を被る時に現れる、淡々とした怜悧な貌も好きだけれど、こうして感情を素直に表に出す事を覚えた新一の変化が、自分を倖せにする事を、きっと新一は知らないだろう。知らなくていい、気付かなくていい、そう思える自分の内心の変化も、快斗には不思議な気分だった。 「そうやって人と触れ合うの、苦手じゃなかった?」 「工藤、サッカーやってる割りに、普段は避けてる節あったからな」 「サッカーは、ゴール決める度に、抱き合うくせにね」 面白いよ、快斗は新一を眺め、笑う。 「サッカーやってる時は、大丈夫なんだよ」 嫌そうに、新一は憮然と口を開く。 どういう訳かサッカーで、ゴールを決め、チームメイトに抱き付かれるのには慣れていた。 そんな時には、何も気にはならない。けれどそれがフト日常に埋没すると、ダメなのだ。 接触嫌悪症ではないけれど、極力他人の体温に近付く事は、何処かで避けていた。何故なのかと問われれば、判らないとしか応えられない。 「コナンだった時、思ったんだよねぇ。もしかして、体温苦手なんだろうなって」 「っるせぇ」 余計な事喋んな、新一の言外が物語っていた。 「どういう意味や?」 新一の言外を、聞き逃す筈のない服部は、新一に視線を向け、次に眼前に腰掛ける快斗に視線を移した。細められた眼光が、有無を言わさず、快斗を凝視する。 「まだまだだね。嫉妬しないんじゃなかったっけ?」 クツクツ笑うと、快斗は面白そに口を開いた。 コナンになってから、新一は定期的に工藤邸に戻り、家の中の様子を窺っていた。 黒の組織が工藤新一の死亡報道がされていない事に疑問を抱けば、まず初めに考えられる行動は、邸宅周辺から邸内を伺、人気が無ければ廷内を物色する。そんな所だろう。だから新一は、こっそりと懐かしい我が家に戻っては、荒らされた形跡がないか、伺っていた。今の所、そういう様子はなかった。哀に言わせれば、そこまでマメではないのかもしれない。そんな言葉で誤魔化された。 工藤邸に戻っても、誰も住んでは居ない事になっているから、一通り家の中を点検すれば、大抵新一は地下に在る書庫に籠る事にしていた。 地下への階段を降りて、フト感じる筈のない人の気配に、コナン思い切り攅眉する。 一瞬肌身が緊張し、けれど殺気も何もない気配に、大体の見当がついた新一は、閉ざされている扉を威勢良く開けると、予想通りの人物が、勝手したたるなんとやらで、塵くさい仄かな薄暗さを保っている室内で、本を手にしている姿に、コナンは呆れたように溜め息を吐き出した。 「……お前いい根性してんな、人の家で、何してやがる」 仮にも稀代の怪盗が、探偵の家で寛いでいたいい筈はない。 「名探偵、久し振り。相変わらずオチビちゃんのまんまなんだ」 脚立に腰掛け、コナンを見下ろしている姿は、シルクハットに夜目に痛い程の白いマントは身に付けてはいない。其処に在るのは、黒羽快斗と言う、高校生でしかなかった。 呑気にコナンに声を掛け、莞爾と笑ってパタンと手にしていた本を閉じると、重力抵抗を感じさせる事のない相変わらずの身の軽さで、脚立から飛び下りると、音もなくコナンになっている新一の前に足を付いた。 「お前ぇその様子だと、ちょくちよく出入りしてんな」 メガネの奥の眼差しが、些か剣呑な光を帯びる。それを快斗は面白そうに眺め、 「此処面白くてさ。大抵のミステリー揃ってるし、事件ファイルも揃ってるし。俺としては、丁度いい情報源、なんだよねぇ」 まったく悪びれた様子なく、コナンの前で膝を折って笑う。表面だけを視るなら、笑顔に誤魔化されるのは服部と同じで、笑顔が盾と同義語と化している。けれど新一は、快斗の裏の顔を知っている。稀代の怪盗と言う裏ではなく、対外的な仮面を取り外した表情を、一度だけ眼にした事がある。 自分と変わらぬ枷を付けた白い翼。血に塗れ、ボロボロになっても飛び続けて行く猛禽の鋭利さと孤高さ。 「ヤバイ事、判ってる筈だな?」 自分が子供に還り、偽りの姿で生きていかなければならない事態に陥った事を、快斗は知っている。新一自身の口から、彼に話していた。全部が全てではないけれど、かい摘んで、必要最低限の事は話している。いるから、快斗はその危険性を十二分に理解している筈で、此処に立ち入る事が、危険な事だと言う事も、承知している筈だった。 「知ってるよ。でも俺マジシャンだから」 「その理屈が通用する程、甘ぇ組織じゃねぇぞ」 メガネの奥、剣呑に放たれている眼光が鋭さを増す。それが不法侵入を咎めるものではなく、自分の身を案じているものだと、快斗には判っていた。 「ウ〜〜ン、名探偵不器用」 スゥッと凝視してくる切れ長の双眸は、工藤新一しか持つ事のない、持つ事のできない、独特の雰囲気を滲ませている。 長い睫毛が縁取る清涼で怜悧な目許は、一度見たら中々に忘れられない。決して子供が持つ眼ではないのに、周囲が気付かない事が不思議なくらいだ。西の名探偵と呼ばれる服部が、工藤新一を見付けられたのは、きっとこの揺るぎない輝石なのだろう。 「何がだよ」 時間に忘れられたかのような閉ざされた室内が持つ独特の仄昏さと塵くさい中。茶化した言葉で一向に手の内を明かさない快斗に、告げられた言葉の意味を考えあぐねていた。 「心配してる時は、素直にそう言ってもいいのに」 「誰がお前ぇの心配なんてするか」 膝を折り、合わせられる目線。本当なら同じ歳で、屈んで会話を交わす事などない筈だ。その事を考えると、不意に身の裡に持て余す苛立ちを感じた。 「お前がこの辺ウロウロして、あいつらに何か感付かれたら、こっちがヤベェんだよ」 それは決して嘘ではなく、可能性の一つだ。快斗だけでなく、被害は周辺に及ぶ。 「嘘つきだなぁ、名探偵」 「名探偵なんて呼ぶな。今の俺は江戸川コナンだ」 「だも探偵には違いないっしょ?名探偵は、工藤新一の何者でもないんだから」 長い指が、サラリと柔らかい髪を梳く。 「ガキ扱いすんじゃねぇ」 パシッと快斗の指を払い除ける。この偽りの姿の所為で、子供扱いされる事には慣れているものの、自分が工藤新一と知る人間にまで、そんな扱いをされると腹が立つし、苛立ちが募る。 「真実の筈だけどなぁ?西の探偵になら、子供扱いされても平気なんだ?」 可笑しそうにコナンを眺めると、幼い顔が、不意に歪んだ。その刹那、新一の裡のナニかに触れたのだと、そう思えた。思えた時には、既に仮面を付けられてはいたのだけれど。 「抱き抱えられてなかったっけ?」 夏の事件で、服部は飄々と幼い姿を抱き抱えていた、常に大切な者を守る態勢で。 「辛い時はね、辛いって言っていいと思うんだけど」 守られる立場に甘んじている自分が、許せないのだろう。まして大切な者に守られて安穏としていられる性格を新一はしていない。 「この姿の所為で、同情されるのは真っ平だ」 不意に歪んだ眼差し。落ちた眼の底に、苦悩の翳りが見え隠れしている。きっとこうして、幾重もの疵と痛みを抱えて来たに違いない。 「別にしてないと思うけど?服部はさ」 夏に負傷した時拾われた西の名探偵。二人で揃っていると、歳の離れた仲のよい兄弟のように映るだろう。それ程、常に服部はコナンとなった新一の事を気に掛けている。それが親友に寄せる感情以上のものを孕んでいる事は察してはいたものの、それがそういう関係だとは、夏まで知らなかった。知った時には先にやられたな、そう思えた。 「服部じゃねぇ、お前ぇだ。服部がそんな奴だったら」 其処で半瞬言葉が途切れた。喋りすぎたそんなバツの悪そうに顔をしている。それが可笑しくて、快斗は服部がするように、コナンの小さい躯に抱き付いた。 「そんな奴だったら、恋人にはしてやらない?」 茶化した物言いをしてはいるものの、それは正鵠を射ているだろうと思う快斗だった。小作りな白皙の貌。メガネの奥の双瞳を覗き込むと、穏やかに笑う。 「っるせぇ、離せ」 「別に、俺は同情って悪いとは思わないけど?」 「俺はごめんだ」 「俺は名探偵がこの前言ってくれた台詞、嬉しいと思ったけど?」 快斗が笑うと、コナンはバタ付く動きを止めた。止め、窺うように快斗を見上げた。 見上げたコナンの黒々瞬く眼は、何とも言えない複雑な表情をしている。何処か戸惑っている気配が滲んでいた。掛ける言葉のタイミングを見失った。そんな感じだ。 「守ってくれる。そう言ったでしょ?俺的には、嬉しかったけどね。同情って、優しい感情の一つであるのには違いないしね。優しいってのとはちょっと違うかな?暖かい?そんな感じするじゃない、別に悪い事でもないと思うよ」 違う?快斗の、内心を読ませない眼が笑う。 「俺は、別に同情した訳じゃねぇ」 「でも同病相憐れむ、でもないでしょ?」 枷は合っても種類はまったく違う。それでも枷を持たない人間より、その苦悩は判るつもりだ。それが本意的な解釈だとしてもだ。感覚的には判るつもりだった。 「お前ぇ、あん時、らしくなく弱気だったからな…」 血に濡れた白いマント、血に濡れた白い貌。怜悧な眼差しの奥に半瞬だけ垣間見た、らしくない気弱さに、恐ろしくなったのは自分の方だった。それでも、虚勢を張る気迫は残っていたのか、それはすぐに消え失せ、猛禽の眼光が浮かび上がる。獲物を淡々と見据える鋭利な双眸。研ぎ澄まされた冷ややかな気配。それでこそ、稀代の怪盗の持つものだ。だからついつい声を掛けてしまったのだ。『守ってやるから』 自分の身一つさえ思う通りに行かないくせに、何故あの時そう言ってしまったのか?新一は今も判らない。ただ、弱気な快斗を見ていたくは無かった。きっと答えはそんな単純なものの筈だ。 「こうしてさ、抱き合うのも、苦手でしょ?名探偵」 笑うと、快斗は益々小さい躯に抱き付く腕の力を強めた。 「痛ぇよ」 「服部とは平気なくせに、やっぱ警戒してる。体温って苦手?」 小さい手を掬い上げると、その指先に口唇を落とした。瞬間、ピクンと小さい躯が快斗の腕の中で慄えた。 「人の温度感じるもんが嫌なんだよ」 「そりゃまぁ、無機質なものの方が、簡単だもんね。色々な意味でさ。簡単っていうより、楽、っていうのが正解かな?」 快斗は可笑しそうに笑う。その笑みの意味を、コナンである新一は掴みあぐね、問い掛ける眼差しが、快斗を見上げる。 「触るっていうと、なんか意味合い変わっちゃうけど、触れるっていうと、響きが綺麗だよね」 こうしてさ、囁くと、長い指が小作りな輪郭を包み込んだ。 「響き綺麗でも、気分良くねぇ」 離せと、再度触れている指先を払うと、快斗は今度は小さい躯ごと開放した。 「服部に触れられて平気なら、まぁ大丈夫だろうけどね」 「お前にんな心配される謂れ、ねぇぞ」 お前ぇは精神科医か、コナンは憮然と口を開いた。第一そうスンナリ、自分と服部の関係を口にされても困る類いのものだ。まして幼い躯に、色を含んで触れてくる事のない服部に、覚えてしまった疼きを持て余しているのは自分の方なのだ。コナンにしてみれば、キッチリ責任取れ、そういう気分だった。 「服部とだけでも、触れ合う事で満たされてるなら、安心だよ」 「だからお前ぇにんな事心配される謂れはねぇ」 とっとと失せろ。コナンは表情を消し快斗を視ていた。 「その冷ややかな顔、結構好み、なんだけどね」 残念、そう笑うと、不意に顔を近付けてきた快斗の面に、けれどコナンは口端で冷笑し、 「してみろよ。噛み切ってやっからな」 憶する事なく挑戦的に、コナンは快斗を哄笑した。 「服部の苦労が俺なんとなく判ったよ……」 他人の背に真実を告げながら、疵を負って尚真実に向って手を伸ばす。それでいて、幼い顔で、こうも挑戦的に笑う面をしていたら、服部としては遠距離なだけに、気が気ではないだろう。 「ってまぁ、こんな事が有った訳よ。あの時も、そりゃ可愛い顔して思い切り挑発してくれて、俺が大人じゃなかったら、名探偵の貞操なんて、アウトよアウト」 感謝してよ、快斗は嘯いた。 「んな事してたら、お前今頃こいつの餌食だな」 『こいつ』と、新一は横に座る服部に顎をしゃくる。きっと幼い自分に手でも出したら、服部の事だから、理性的な冷静さで、快斗を真剣の試し切りくらいにはしただろう。 「その前に、俺絶対名探偵に刺し殺されてる気ぃする」 言うよね、名探偵も、それって惚気?快斗は少しだけ呆れて新一を見れば、新一は涼しい顔をしてマグに口を付けている。 「二度死ぬような、黒羽」 ちっとも笑っていない面で、口端だけで服部は笑う。 「謎を解けて尚謎を作れる人間だからねぇ、名探偵。俺が本気で手でも出したら、本気で刺し殺されそうだよ」 「安心しろ、そん時ゃお前諸共、抹消してやっから」 快斗の台詞をしっかり肯定する新一だった。 「でもさぁ名探偵、今は違うでしょ?」 「?なんだよ」 どうでもいいけど、お前話し飛ばしすぎだぞ、新一は相変わらず自分のペースで話しを進める快斗に、呆れていた。それが推理をする時新一もまったく同じだと言う事に、生憎本人の自覚は皆無だった。 新一が推理の為の思考を巡らせる時は、断片的要素で最小限の言葉しか口にしないのだ。 「人の体温、苦手じゃないでしょ?触れるって意味も、判ってるし」 まぁ教えたのが服部って言うのが、腹立つけどと、意味深に笑う快斗だった。 体温に触れる意味。判っていなかったら、地上を眺め、『生きているみたいだ』そんな台詞は出てこない筈だった。けれど今なら判る事がある。きっと新一にとってなら、無機質なものの方が、疵付かずに済んだ筈だと言う事だ。 「誰かを好きになれば、寄り添いたいっていうのは、当然だからな」 涼しい表情をして告げる新一に、快斗は苦笑し、服部に視線を移す。快斗の視線の前で、服部は深い笑みを端整な面差しに浮かべている。それは腹の立つ程、大人の顔だ。 |