手の中の星 second part






「…………服部…黒羽…?」
 ボンヤリと覚醒した視界に映るのは、何処までも静まり返った蒼い淵ばかりだ。
「………俺、寝ちまったのか?」
 ゴソゴソ身動ぐと、ヘッドボードの時計を手に取り、時刻を確認する。時間は午前二時を少し回っていた。
 新一はムクリと起き上がると、沈黙を守っている室内を見渡した。視界の先の何処にも、服部と快斗の姿はない。
「あいつら、二人で宴会してやがんな」
 ボソリと理不尽な悪態を呟くと、視線が外に向けられる。
「七夕も、終わっちまったな」
 元々、騒ぐ為の口実だ。
七夕の日は未々梅雨の季節で、大抵が雨か曇りで、綺麗な夜など中々訪れはしない。
それでも雨が降っていた昨年に比べれば、今年は雨が降らなかっただけマシなのだろう。尤も、雲一つ隔てられた所で、何万光年過去から訪れてくる光の軌道は、地上から見えないというだけで、雲の上には綺麗に在るのだから、関係ないのだろうけれど。
 新一は未だ覚醒しない頭を一つ振ると、窓に近寄ってカーテンを捲る。
息子の部屋に、少女趣味のレースのカーテンはないだろうと、新一が力説しても、母親の有希子に通用する筈はない。
結局幾度取り替えても帰国の都度に再び取り替えられてしまっては意味もなく、今ではスッカリ面倒が祟ってそのままに放置してあるレースのカーテンだった。
 捲ったカーテンの隙間から覗いた深夜の光景は、雲の隙間から切れ切れに届く光が映っていた。







「アラ、起きたの?」
「………お前、こんな所で、何してんだ?」
 どうせ服部と快斗の二人は、自分の部屋の正面の部屋で、心楽しく宴会でもしているんだろうと、二人が聴いたら泣きそうな台詞を内心で吐き出して、新一は極力足音を忍ばせ、リビングへと向かった。
 照明などないと思っていたリビングは、けれど淡い光に包まれている。ソファーの上には小さい姿がPCと睨めっこをしていた。
「見ての通りよ」
「お前、無理すんなよ。躯壊したら意味ないだろうが」
 生真面目な新一の台詞に、けれど哀はクスリと笑みを漏らす。
新一らしい台詞だと思い、けれどもう十分壊れている躯に、今更だと哀は笑う。そう言えば、新一が怒る事など承知しているから、言葉に出す事は無いのだけれど。
「貴方は、どうしたの?」
「眼ぇ覚めたら喉渇いたんだよ。どうせ服部と黒羽の奴、宴会だろ」
「拗ねないで頂戴。先に潰れた貴方が悪いのよ」
「拗ねてねぇ」
「拗ねてるじゃない。それとも、西の探偵さんが居ないから?」
「っんな訳有るか」
「どうだか。貴方他人に執着とかないその大半を、西の探偵さんに費やしてる節あるもの」
 コナンだった当時。中身と会わない偽りの姿をした幼い子供を、工藤新一だと自力で気付いた人間。その意味は、果てしなく深く重い。当人は極簡単に、何でもないもののように、『工藤は工藤やろ?ダレでもない工藤新一や』そう笑うけれど、それがどれ程コナンだった当時の新一の支えになっていたのか、服部は知らないのだろう。
 他人の背に隠れ、大切な人達を欺きつつ、真実を語ってきた日々。その痛みを、『判る』と安易な断定をせず、ただ見守ってきた西の探偵を、新一は選んだ。知り合い選べば危険に曝すと承知して、新一が自ら危険に巻き込んだ人間は服部一人だ。
「あいつらな、奇妙に仲いいっていうか」
 トサリと、新一は哀の目の前のソファーに腰掛け、口を開いた。
特別哀に話し掛けているつもりはないのだろう独語に近い呟きに、哀は『仕方ない人ね』そう小さい肩を竦めると、空になった瀟洒なクリスタルグラスを持って、キッチンへと向かった。
「灰原、俺にも同じの」
「お酒じゃないわよ」
「わぁってるよ」
 この時間まで酒を飲んだら明日に影響する事くらい、新一とて判っている。自分の躯の事だ。書き替えられた遺伝子を持つ、壊れた躯の事など誰よりも。




「調子は、大丈夫のようね」
「お前ぇら、心配しすぎなんだよ」
 ハイッと、アイスティーの入った瀟洒なグラスを差し出され、確認のように訊かれた台詞に、新一は肩を竦めて呆れて笑って応えた。
「相変らず貴方、自覚ないからよ」
「大丈夫だよ、俺は。大丈夫じゃねぇの、あいつらの方だ」
 階上を見上げ、新一は苦笑する。
いつだって、服部は様々なものを犠牲に削りながら、新一をフォローしている。快斗もそうだ。いつだって、優しすぎる彼等を、心配ばかりさせている。けれど、走る事はやめられない。探偵で在る事は投げ出せない。自らがそうと決め、立つ事を選んだ位置で場所で、自らを生かす位置だからだ。
「俺、何があっても、探偵はやめられねぇな。どれだけの後悔差し引きしても、探偵はやめられないんだ」
 どれ程優しい人達を嘆かし苦しめ泣かせても。
「あいつ等泣かせても、俺は探偵を、やめられない」
 自分に言い聞かせているような声音をしている新一の眼は、深い淵を映す程、静かで綺麗で怖い程だ。
「判ってるわ…そんな事」
 今更こんな静かな眼で語られる事もなく、そんな事は判っている。


『平成のホームズ、彼の行く先で事件が起き、人が死ぬ』


 何一つ、新一の背負う何一つを知らない評論家が、無責任に新一の事を評した事がある。
 ブラウン管の向こう、殺された人間の腐肉の何一つ知らないん人間達は、娯楽を観るように、簡単にそう告げるのだ。
 土に染み込む血も、コンクリートを流れて行く血肉も、何一つも知りはしないくせに、面白い見せ物でもあるかのように、そう断定する。
 きっと彼等にしてみたら、殺人も娯楽のどちらも、大した落差はないのかもしれないと思えてしまう程、余りに安易にそう新一の立つ位置を、勝手に位置付けている。
 レベルを貼って、ラベルを貼って。新一の何一つを知ろうとはせずに。面白い見せ物でも見付けたかのように。
「なぁ、俺がガキの頃、七夕の短冊に何書いたか、お前ぇ知ってるか?」
「ホームズみたいな名探偵になれますように」
「…………………嫌な奴だなお前ぇ」
 哀の断言に、新一は途端拗ねたような顔付きになって、ソファから腰を上げた。
リビングの外に、深夜の暗闇の中、快斗が待ち込んだ笹の葉が揺れている。
「紙切れに書いて叶う願いなんて、ねぇのにな」
 硝子窓を開くと、深夜になって幾分涼しくなった風が、室内に入り込む。
新一は軽い仕草で、トンッと裸足で外に出た。
「俺さ、この先何有っても、どれだけ倒れてあいつら心配させても、歩いてけるさ。甘えてるって言われても」
 立つ位置に、力を与えてくれる優しい人達。


『お前、工藤やろ」
 
優しいばかりの西の言葉。



『戻っておいでね。名探偵の泣き場所、ココだよ』

 人の事なんて何一つ言えない、枷ばかりの白い翼を持っているくせに。



『貴方は死なないわ。私が、守るもの』

 いつもいつも、人の心配ばかりで。




「工藤君………」
「俺は、大丈夫だよ。だからお前ぇも、俺の為にばっか、自分の時間、使ってるなよ」
 涼風とはいかないが、それでも熱帯夜を払う涼やかな風が、肌に心地好かった。
深夜の空は薄い雲に覆われていても、切れ切れの隙間から 星の光が漏れている。
「俺は今倖せだって思うし、どれ程の後悔差し引きしても、今がいいって思ってるぜ」
「貴方…バカだわ……」
「この道辿らなかったら、お前ぇらに、会えなかったんだからな」
 何一つ、失わなかった訳じゃない。それでも、掛け替えのないものを手に居れた。この道を辿らなければ、会う事のなかった優しい人達。


 だからお前ぇは、何一つ悪くない。俺が、保証してやっから。


『そうそう。そういう顔してろよ。そーいう顔してたら、子供にしか見えねーんだからよ』

 どんな表情をしていたのか、鏡も観ていないアノ状況では、判らない。


『この子、ケガしてんだ。博士や皆と一緒に病院に連れて行って。事情聴取はボク一人で受けるからさ』

 小さい掌中で、濡りたくられた血。
バカな人。爆発ギリギリに飛び込んできて、私なんて置いていけば良かったのに。いつだって、人の事ばかりで。


『逃げるなよ、灰原。自分の運命から、逃げるんじゃねーぞ』

  罵声も恨みも、幾らでも受ける事はできるのに、そんな言葉が刺す程胸に痛かった。
 どれ程の絶望に哭いても崩れない、貴方のその切っ先の上に立つ強さが、綺麗で怖い。
 傷付く疵の在処も自覚できない貴方が笑っている。それだけで倖せになれる。




「本当に…貴方バカね」
 泣き笑いの表情で哀が新一を見詰めていた。
開かれた窓。クーラーが程よく効いた室内に、外から涼しい自然の風が吹き込んで、哀の赤味を帯びた髪を揺らして行く。










「なぁ、今なんや物音せんかったか?」
「名探偵?起きちゃったのかな?」
 ボチボチ時刻も二時を回っていて、宴会もそろそろお開きにしようかと思っていた矢先、正面の部屋の扉が開く音が聞こえた気がした。
 服部は幼い頃から剣を嗜み、武道に優れていた。気配と言うものには事の他敏感だった。ましてそれが新一となれば尚更だ。
 そして快斗は耳が良かった。
決して人に自慢できる代物ではない、新一とは対極して世間を騒がせている稀代の怪盗は、やはり気配と言うものには敏感だ。二人共、それが携わるそれぞれの現場での生き死にを、時には左右するものだと肌身で判っているからだ。
 現場で培われていく勘、みたいなものを、それぞれが抱いて立っている。面白い関係だと、互いに顔を見合わせ、コッソリ肩を竦めて笑い合う。
 部屋を出て、新一の部屋の扉を細く開いて内部を覗けば案の定。ベッドの上に寝かし付けた住人は居なかった。
「下か?」
「だったら、哀ちゃんが相手してくれてるかな」
 新一を守ると、新一に届かない場所で必死な願いを掲げている少女が、リビングでは今PCと睨み合っているだろう。素人には、観ても判らない幾何学模様のような様々な種類の薬の配列と睨み合って。
「おとなしく、寝ててくれればいいのに」
「現場に呼び出されてないだけマシや」
「まぁ、それもそうたけどね」
 未成年者を深夜に呼び出して事件解かなきゃならない程、日本警察も堕落してはいない事を祈るよ。快斗はそう笑った。
「俺の前で、ええ根性やな」
 服部の父親は、その日本警察の中でも、警視庁と勢力を二分する、大阪府警本部長だ。
「服部さんが、父親と自分の区別、付かない人じゃないって判ってるから、言ってるんだけどね」
「その日本警察、日夜奔走させとる怪盗に、言われたないわ」
 呆れた様子で軽口を叩き、二人はリビングへと歩いて行った。








「バカだね、本当に」
 聞いた声。涙の出る程、痛ましく優しい言葉。
切れ切れの視界にしか見えない星の光に手を伸ばし、新一はそれでも曇る事のない静かな笑みを見せている。まるで深い淵を垣間見る時の眼差しそのままに。
「工藤にしてやれる事なんて、何一つないのにな」
 この先新一がどれ程倒れて苦しがっても、肩代わり一つしてはやれない。自分に出来る事は、哀の言うように、笑っている事、それだけだ。見守ってやる事、それしかない。
「呼んでくれてるうちは、未だ応えていられる」
「よう言う。そんな殊勝やないやろ」
「痛いくらい優しい倖せくれる人なんて、名探偵だけだって、知らない所が、何ともあのヒトらしくてね」
 抉り出されて血を流して続けてなお、疵を自覚できない新一が、与えてくれた優しい時間。
 伝わるダレかの痛みが、新一を真実へと近付けて行く。
だったなら、誰が新一を救い出してくれると言うのだろうか?
「星、やな」
 見上げる瞳が宙に溶けている眼差しの深さ。天に輝くどの星よりも、綺麗で透明で、そして哀しい。
 蒼い闇を静かに映す眼差しは、淵を見詰め続けて行く事を自らに課している。疵も自覚できずに傷付いて行く新一が、怖いくらいに綺麗だと思うし、恐ろしいと思う。
 もう随分前に、理解した事だ。納得しているのかと言われれば、それはまた別の感情の問題に行き着いてしまうのだけれど。もう彼の視るその視線の先を、同じように求めて追う事は出来ない。そうと気付いたからこそ、後ろに下がる事を選んだ。
 せめてもと、視野くらい狭めないように。彼の視るものを曇る事なく、隠される事なく、判るように。
「……貴方達…変態っポイわよ」
 リビングの入り口。丁度新一からは死角になる位置から、外に立ち腕を天に伸ばしている新一を見詰め、会話している探偵と怪盗に、哀は仕方ない人達、そう呆れた。
「お前ぇら」
 不意に新一の視線が、リビングの奥にと戻って来る。その途端、新一の表情が不機嫌になる。
「俺抜きで、愉しく宴会してたんじゃねぇのか?」
 睥睨が、服部と快斗を射抜いた。その眼差しさえ、綺麗なのだと思えた。月の光で研ぎ澄ました水晶の切っ先を携える眼。
「工藤の場合、食い物の恨みやのうて、酒の恨みやな」
 工藤邸の酒蔵には、優作氏当ての酒が唸っている。
「飲み直しする?」
 裸足で外に出ると、草の感触が擽ったい反面、心地好かった。憮然としている新一に、少しだけ腰を屈めて目線を合わせると、益々新一は憮然とする。その意味と理由を、快斗も服部も知らない筈はないのだけれど。
「仕方ねぇ。そんで手ぇ打ってやる」
「貴方達」     
「しゃぁない。嬢ちゃんもちょい付き合うてもええやろ?」
 快斗の申し出に、途端機嫌を直した新一に、服部は大仰に溜め息を吐く。
「………少しだけよ。主治医として、それ以上許可しないわよ」
 此処最近、酒豪の割に、新一が口にできる酒の量は減ってきている。新一自身、自覚しているのだろう。
「んじゃ俺、名探偵に、美味しいカクテル使ってあげる」
「………お前の作るの、ろくなんじゃねぇからな」
「黒羽、間違っても、『ビトウィーン・ザ・シーツ』とか作ったら、ただじゃおかへんで」
 以前自分が法事で大阪に帰京している時。訪れた快斗が新一に差し出したカクテルがソレだと聞いて以来。事あるごとに服部が口にする台詞だ。尤も、それは概ねで当人達だけで通用する、特殊なコミュニケーション手段のようではあるのだけれど。
「………服部いい加減しつこい」
「お前ぇがナンパすっから悪ぃんだよ」
「ひどい名探偵〜〜フォローしてくれないんなんて。深夜の散歩も連れてってあげたのに」
「余計な事すな言うてるやろ」
 もう散々に、繰り返し軽口に叩いてきた台詞だ。
「リクエスト有る?」
「all day」
「青い珊瑚礁」
「殴るぞ」
 シレッとした快斗の台詞に、新一は手を振り上げる。
「フローズン・ブルー・マルガリータ……って痛ッッ!」
 問答無用とばかりに、新一振り上げた腕を、快斗の後頭部に直撃させていた。
「なんでお前ぇはそーいうもんを人に押しつけるんだ」
 直った機嫌を急降下させるような快斗の発言に、新一は憮然としたまま、頭を押さえ大袈裟に痛がる快斗を庭に残し、室内に入ると、ピシャリと御丁寧に窓を締める。閉めると、三人のやり取りを呆れた表情をして眺めている哀の前を通り、キッチンへと入って行く。
「名探偵〜〜〜〜」      
「………アホやな、自分」
 硝子窓を挟んだ内と外。大仰に嘆いて硝子に懐く快斗に、服部はやはり大袈裟に溜め息を吐いた。
「だってさ、あの人が笑ったり怒ったりしてるの視ると、嬉しくなるじゃない」
 笑って、怒って、笑って。
新一の感情が、外に向けられる事は少ない。
推理時は、綺麗にその感情を殺ぎ落とした眼差しと表情で、声無き声を聞き、もう二度と、ダレかれにも真実を伝える術を失ってしまった人達の、遺こされた声を伝える新一は、だから思っているより、彼の隠さぬ感情を知る人間は少ない。
 新一は、きっと誰より理解している。無責任な称賛と羨望と幾重ものレッテルの在処を。
探偵以外の工藤新一は必要とされないし、間違える事のできない立場と言うものを。それでも、新一はただ静謐な眼差しで、深淵を見詰めている。自分の立つ場所を、自らに課して。
 そんな新一の、だから極少数しか知らない隠さぬ素顔を視る都度に、倖せになる、哀しい程。
「せやな」
 笑っていて。笑顔で、いて。
痛みと引き換えに、冴えて行く光を知っていて尚、そう願う。
 大小の発作を起こし、心臓が引き千切られる痛みに倒れても。それでも、失わない静かな光は、発作の度に新一の内側の見えない部分から、冴えて行くかのようだった。
 それでも止められないと判っているから、笑顔でいる。
新一が望のなら、どれ程の絶望に哭いても。それが自分のポジションだと、互いに判っていた。
 新一は、探偵なのだ。最期のその瞬間まで。きっと視る事も聴く事も、やめられはしないだろう。保身も自衛も安全も、彼からは遠い場所に在る。








「何作ってるん?」
「っるせぇ」
「名探偵〜〜」
「お前ぇらにはやんねぇ」
 綺麗な光の軌道を描くシェーカー。
キッチンテーブルの上に並べられた酒を見て、快斗と服部は笑った。

「私はお酒を飲みません。現実に満足していますから」
 
クスリと快斗が笑い、新一の指先を引き寄せると、

「私も現実に満足しています。私の現実にはお酒も含まれていますから」

 服部が新一の手からシェーカーを取り上げ、快斗とは反対の指先を引き寄せ、口唇を落とした。
 
そのカクテルの名前の意味を、知らない二人ではなかった。
「両手に葉っぱね、工藤君」
 キッチンに顔を覗かせた哀が、呆れて口を開いた。
服部と快斗の会話は、某外国映画の中の1シーンだ。
「………お前ぇら〜〜〜」
 両サイドから、腕を掬い上げられ、新一は憮然となっている。
「オールド・パル、なんてね」
 『古き仲間』と言う意味を持つカクテルを作っている新一の姿に、哀は何とも言えない貌をし、
「だったら私には『ビトゥイーン・ザ・シーツ』でも、作ってもらおうかしら?」
 笑った。
「………灰原〜〜」   
 哀の台詞に、脱力する新一だった。
「嬢ちゃんの勝ちって感じやな……」
「勝ち負けじゃねぇ」
 お前ぇら鬱陶しい、新一は二人に掬い上げられた腕を振り払う。
「だったら俺にも、名探偵」
「黒羽〜〜ただじゃおかへん、言うたやろ。そないにつまみに魚出してほしいか?」
「服部横暴」
「何が横暴や、当然や」
「お前ぇら、うるさいぞ。今何時だと思ってんだ」
 騒ぎ出した二人に、新一は大袈裟に溜め息を吐くと、
「お前ぇら、本当に大バカだな」
 相変らず、自分を挟んで軽口を叩いている二人の腕を掬い上げ、指先を握り込む。
「工藤?」
 握り締められた指の温もり。必死に何かを伝えて来る。
「名探偵?」           
 新一が本当に何かを伝えようとする時。言葉ではなく、こうして瞳や仕草や何かで、雄弁に語る事を知っている。
「お前ぇら、本当にバカ」
 溜め息を吐くような静かな声に、服部と快斗は深い笑みを象った。
 自分を心配して心配して。様々なものを削って犠牲にして。それでも、こうして傍に居てくれる。自分は一体何をこんな優しい彼等に、してやれるのか?新一には、判らなかった。
「工藤がな、笑っててくれた、それでええんよ」
 言葉に出して言ってしまったら、新一を追い詰めてしまいそうで言えなかったけどれど、今夜は特別だ。もう昨夜になってしまった日付変更線は、未だ有効範囲内だろう。願いを短冊に掲げる日の期限は。
「此処に、居てね」
 どれ程離れてしまっても、最期には回帰されればいい。自分でなくていいのだ。新一がたった一人と選んだ服部の元に。
「お前ぇら、バカすぎだ」 
 掲げて言葉に出される願いの在処など、知っている。これ程大切にされているのだ。
 いつどうなるか判らない爆弾を抱えた躯。どれ程倒れても、この優しい彼等を泣かせても、それでも。探偵で在る事に後悔はできない。
 けれど、願いを掲げる日は日付変更線で過去になってしまったけれど。それも数時間前の事だ。未だ、言葉に出してもいいだろう。今夜くらい素直に。
 言葉に出して伝える事は、きっと、とても少ないから。
願いを掲げる事が許される日に。
 与えて貰った沢山のすべてを、優しさを倖せを。何一つ、返す事はできないから。せめて素直に言葉に出して。



「Thank you」


 何も失わなかった訳じゃない、けれど。
辿る道を辿って出会った優しいヒト達に、素直な愛の言葉を。最大級の感謝を込めて。



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