リビングに漂う気配に、相変わらずとはいえ、些かコナンはゲンナリした表情で無視を決め込み、両親とは僅かに距離を置いたフローリングの床の上。手元の本に視線を落としていた。
「服部、お前部屋で寝れば?」
「ええやん。こうしてるの、1ヶ月ぶりなんやで?」
「これじゃ疲れとれねぇぞ。体力回復は刑事の基本だろ」
そう言いつつ、新一は自分の膝に頭を凭れ、午睡しているダンナの頭を軽く小突いた。それは何処までも甘く穏やかな気配を滲ませ、コナンは両親の相変わらずのバカップルぶりに、深々溜め息を吐いた。
齢い4歳にして自分は絶対苦労性に違いないと、愛息が内心呆れと諦めをこめ断言している事を、自分達の世界を形成している新一と服部は、当然知る筈はなかった。
万年新婚バカ夫婦と言う異名は誇張でも揶揄でも、まして嫌味でもなく、真実なのだからタチが悪い。悪いと、コナンは聴かずとも耳に入ってくる両親の睦言じみた会話に、更に深々溜め息を吐いた。周囲からはその知能の高さで、各方面からの勧誘や誘いも引く手数多だが、そんな勧誘を、新一と服部は一喝して現在に至っている。
東の名探偵と言われる新一の遺伝子を、外見も内面も色濃く受け継いだ二人の愛息の将来の夢は、笑える程、新一の幼少時と同じものだった。
『ホームズみたいな名探偵になる』と言うのが、コナンの夢だった。けれど新一は、できればその途を歩ませたくはないと、内心複雑な心境で思っている事をコナンは知らない。それが何故かと言えば、真実は、知れば決して倖せな事ばかりではない事を、新一自身、身を以て知っているからだ。
子供に辛い選択肢を与えたくはないと言うのは、親なら当然の感情だろう。誰だって愛する存在には、笑っていて欲しいと思うものだし、願うものだ。そう考えれば、やはりコナンだった当時の自分は、服部や快斗を散々心配させ、傷付けたのだろうと思う新一だった。
「俺の体力、精神力の一番の特効薬は、工藤やからな」
軽く小突かれ、けれどそれが優しく甘いばかりのものしか含まれてはいないから、服部は愛妻の膝枕でリビングのソファに身を伸ばし、ひどく倖せそうにクツクツ笑った。
いつもならコナンの在る時、此処まで甘い気配や雰囲気を滲ませる事の少ない新一は、けれど流石に1ヶ月もダンナと離れていては、甘くもなると言うものだろう。心配が、ストレートで八つ当たりと甘やかしに表現されてしまう新一だから、今は甘やかし放題甘やかしたい気分らしい。
「バーロー」
身長の高い服部の姿態だ。ソファでは身が余る。長い足がソファから窮屈そうにはみ出している。これでは到底蓄積された疲労は拭えないだろう。だろうと思えば、普段の新一なら、強制的に服部を寝室に追い立てている所だ。けれど精神的な疲労は、こうして穏やかな気配に満たされている方が回復が早い事を経験上知っているから、軽口を叩きながら、新一は服部を寝室へと追い立てる事はしなかった。
殺人事件という犯罪を追う事は、人に向けられる殺意を追う事と同義語だから、殺意の在処を考えれば、肉体的疲労より、精神的疲労が増し、それを昇華する事が難しい事を、新一は知っている。そして犯罪捜査を走り回る服部を心配する新一だから、所詮新一自身、事件で1ヶ月家を空けていた服部を待っていた精神的疲労が蓄積されているのだから、お互い様と言う所なのだろう。
「淋しかったんやで」
クツクツ笑うと、シャワーを浴びた半袖のパジャマから伸びる褐色の腕が、端整な頬を包んだ。
「事件が恋人で、俺やコナンの事なんて、忘れてたんじゃねぇのか?」
軽口を叩く口調は、何処までも甘い。吐息で囁くような声と気配を滲ませ、新一は笑う。
頬に触れてくる指先。自分より体温が高い服部の熱さは、否応なしに官能に直結してしまいそうで、眩暈すらする。
実際、此処最近被疑者検挙が近付いていて、服部からは電話の一本もなかったのが現実だった。それをして、煮詰まりきった新一が、いつニッコリ笑って重箱に手料理を詰め、服部の詰めている所轄の捜査本部に乗り込むか、コナンは内心冷や冷やだったのだと言う事を、けれど当然新一は知らない。
あと数日、被疑者検挙が伸び、ダンナの帰宅が遅くなっていたら、その可能性は決して否定などできなかっただろう。そしてタチの悪い事に、新一にそんな自覚は皆無だから、始末に悪い。
「しゃぁないやろ?被疑者検挙は最大の防犯やからな」
柔らかく髪を掻き乱す指先に、服部は肩を竦め笑った。
触れてくる指の感触は何処までも柔らかく甘い。新一の言葉にできない内心の煮詰まりが伝わって、服部は苦笑する。
T代法学部卒業時、司法試験及び国家公務員1種試験をダブル合格した服部は、今では父親と同じ途を歩き、警察庁採用のキャリアとなり、現在はキャリアの出世コースである本富士署刑事課課長補佐となっている。
本来所轄にとってキャリアはお客様。悪意で持て成されれば、現場を理解しないまま出世街道を歩いて行くお荷物と陰口を叩かれる所だが、高校生当時から何かと上京していた服部は、警視庁と所轄に独自のパイプを持っていた。開放的な人好きのする笑顔で周囲を易々と欺き、所轄の刑事課でお荷物やお客様扱いもされる事なく、キャリアらしからぬキャリアの刑事。そう評され、所轄にスッカリ馴染んでいる。
尤も、警視庁内ではキャリアらしからぬキャリアと言うのは服部だけではないから、現場臨場するキャリアは、警視庁各所轄では見慣れたものでもあった。けれど、キャリアの現場臨場に何の疑問を持たなくなってしまった警視庁捜査員は、ある意味不幸だろう。
徹底したキャリア制度の縦割り構造の組織の中、それは異端でしかないからだ。そして現場で捜査の楽しみを知ってしまったキャリアは、現場を無視して組織のコマとしておとなしく行政官で在る事は困難になり、捜査員の矜持を無視し、歩兵として扱う事は更に難しくなる。
その筆頭が、服部派閥と言われる服部の父親である、時期警視総監候補と名高い、警備局長、服部平蔵だったから、服部がそういうキャリアだと誰もが奇妙な納得の仕方をしていたとしても、可笑しくはないのかもしれない。まして警視庁には、所轄の刑事と暴走し、それでも出世コースを歩いているキャリアの存在が在るから尚更だ。
「ウチに帰って来てまで、刑事の顔してるんじゃねぇよ」
「しゃぁないやん、刑事なんやから」
「キャリアのくせに」
「事件に大きいも小さいもないで」
「どっかの誰かの科白だろ、ソレ」
その存在を新一も知っていたから、クスリと苦笑する。
事件に大きいも小さいもないと、当時テストケースで一課管理官に就任していたキャリア管理官に立てついた空き地署の暴走刑事は、今は警視庁一無鉄砲な暴走刑事と名高い一課主任刑事になっていた。
実際、犯罪捜査現場に出れば、事件に大小は確実に存在する。凶悪犯罪程、被疑者検挙が最大の防犯だと言うのは、第二、第三の犯行を未然に防ぐ意味を持っているからだ。だからこそ警察は、被疑者検挙を最優先する。
けれど、だからこそ、服部は小さい事件も大切にした。事件に大小の線引きをするのは、司法制度に携わる側の人間の立場だと、理解しているからだ。
犯罪に巻き込まれれば、被害者には一生の疵になる。被害者にとっては、どんな事件も事件は事件だ。だからこそ、服部は小さい事件程大切にしてきた事を、新一が知らない筈はない。小さい事件程大切にする服部だから、常に管内で発生する細々とした事件を扱い、走り回っている事を、新一は知っていた。慣例と前例が優先される旧態依然な組織の中。理解と行動は解離する。減点式の組織の中。理解して尚行動出来るのは勇気が必要な事だからだ。それは官僚で有る父親を持ち、西の高校生探偵と言われてきた服部も、決して例外ではない。
減点式の縦割り組織の中に在って、捜査員が被害者感情を無視した捜査をするのは、何も点数稼ぎばりかりが目的ではないのだ。誰もが被害者の疵に触れれば、無傷ではいられない事を知っているからだ。
疵に触れ、被害者感情に流されてしまえば、視えるものも見えなくなる。思い込みの相関図を描いてしまっては、誤認逮捕、引いては冤罪を生む。それは結果的に、事件解決を遅らせる事に繋がるから、捜査員は思い込みの相関図を描く事を排除する。だからこそ、捜査員は誰もが冷たいと言われる程、被害者に対しても私情は挟まない。だからと言って、彼等が何も感じていない筈はないのだ。何よりも、犯罪を憎む気持ちが、彼等の原動力だからだ。だからこそ、被疑者に掛ける手錠の重さを痛感しているのも、犯罪捜査に携わる刑事だった。そして今、新一の前で、服部は幾許の刑事の顔を滲ませている。それが新一の苦笑を誘うと同時に、誇らしくも有った。1ヶ月ぶりに帰宅してきて尚、刑事の顔をしている服部を誇らしく思うのは何故なのか?そんな事は、今更だった。
探偵と言う途から判れ、より深い社会正義を求め、服部が歩いている事を知っているからだ。自分の足許を見詰め、増え続けていく社会病理を逸らす事なく凝視する真摯な苦悩を持って歩いているから、刑事の眼をしているのだろう。
「俺も言われてんで。無鉄砲なキャリア刑事ってな」
「バーロー」
自分の膝の上に横着に寝っ転がっている服部の額をコツンと小突くと、新一は柔らかい笑みを漏らした。
そんな両親の、睦言にしか聞こえない会話に、『勝手にやってろッ!』と、コナンが内心叫び脱力したとしても、罪はないだろう。此処まで完全に子供の存在を忘れている親と言うのも、珍しいだろう。万年新婚夫婦のバカップルと言われているのは、ダテではないのだと、コナンは馬鹿馬鹿しさを通り越し、呆れていた。
服部が、管内で起こった殺人事件の捜査に加わり、1ヶ月ぶりに帰宅したのは、今日の午前中の事だった。
警察の仕事は、被疑者検挙で終わりではない。被疑者逮捕後48時間以内に被疑者から被疑事実を引き出し、送検しなくてはならない。そして地検では送検されてきた被疑者を、24時間以内に担当裁判官に勾留請求する。最長20日以内で被疑事実を明らかにし、警察は警察官面前調書と共に、送検しなくてはならないから、被疑者逮捕後裏付け捜査で不眠不休になる。 キャリアとはいえ所轄の刑事課々長補佐である服部は、一課捜査員と違い、取り調べより裏付け捜査が中心になる。
尤も、課長補佐である服部が、本来は現場に直接赴く事はない筈が、けれど飄々と捜査員に交じり、裏付け捜査に走り回っていた。そして漸く被疑者を司法警察員面前調書と共に送検し、所轄の勤務開始時間8時を回り、本部が解体された足で、1ヶ月ぶりに帰宅して来た。そんな服部を、新一が好き勝手に甘やかさない筈はなかった。なかったら、コナンは両親から少しの距離を置き、手元の本に視線を落とし、黙々と本を読んでいた。一体いつ気付くだろうか?自分達には子供が在たのだと言う事に。当分は無理だろうと、コナンは更に溜め息を吐いた。
□
「ヤッホー」
此処最近、漸く快斗は玄関から来訪して来るようになった。相手は稀代の怪盗だ。
出会った当初。二階の窓から出入りしていた快斗に呆れ、合鍵を渡して以来、使用される事のなかった合鍵の使用方を、此処最近になって快斗は漸く取得したらしい。
勝手知たたる工藤邸の玄関を潜り、まっすぐリビングに来た快斗は、視界に入った光景に、半ば大袈裟に脱力して見せた。見せ、次には大仰に溜め息を吐いた。
「何だよ黒羽」
「久し振りやな」
ダンナを膝枕で甘やかし放題に甘やかし満足している新一は、快斗の出現に憮然とした声を出し、反対に、新一の膝枕でご満悦の服部は、快斗の出現にもめげる事はなかった。
「快ちゃん」
両親から距離を置いて手元の本を読んでいたコナンは、嬉しそうに快斗を振り返った。
「コナン可哀相〜〜〜」
「っるせぇよ黒羽」
大袈裟にコナンを眺める快斗に、新一は漸く聞き分けの良すぎる、我が子の存在を思い出す。
時折新一でさえ、歳不相応な我が子の聞き分けの良さを心配してしまう。そう思えば、やはりコナンだった当時の自分が、幼馴染みに心配される程度の、歳不相応な子供だったのだと、思い知る。
けれど当時のコナンは見た目は子供でも中身は大人だった。しかし今新一と少しだけ距離を置き、本を読んでいるコナンは偽りのない4歳児だから、その聞き分けの良さは、やはり母親として、新一が心配してしまう程度のものは有るのだろう。
尤も、今の今まで、コナンの存在を綺麗に忘れていた新一に、何を言う資格はないのかもしれないけれど。
「万年新婚夫婦のおかげで、子供らしくない聞き分けの良い子に育っちゃって」
淋しく、ない筈はないだろう。だろうと、茶化した大仰さで嘆く快斗は、けれど冷静な視線でコナンを見ている事に、気付かない服部と新一ではなかった。
どれ程聞き分けが良くてもコナンは未だ4歳で、母親に甘えたい盛りの子供でしかない。どれほど知能指数が高く、周囲から良き出来た子供だと評判でも、淋しくない筈はないだろう。けれどコナンに、そんな自覚はないのかも知れない。疵も痛みも自覚出来ず深淵に手を伸ばし、真実を見詰め続けている新一と何処か似ている様は、やはり親子なのだろうと、快斗は内心苦笑する。そんな所まで似なくてもいいのにと、フト不憫にさえ思えた。
そんな快斗の視線に、服部は呑気に小声で、失敗やなぁ、そう呟いた。
「何だよ黒羽」
まっすぐコナンの元に向かい膝を折ると、やはり深々溜め息を吐く快斗に、新一は鬱陶しいとクッションを投げ付ける。膝に頭を乗せている服部を蹴り出さない辺り、煮詰まりも臨界点付近だったらしいと見て取った快斗だった。
「名探偵さ」
投げ付けられたクッションをヒョイッと綺麗に避け、ついでに腕を伸ばして受け取ると、反対にコナンの手元の本を掬い上げる。
「何だよ」
「やっぱさ、4歳児が喜々としてホームズ読むのは、どうかと思うよ」
ホラッと、快斗が新一に向け表紙は、地下の書庫ではなく、新一の書斎の書棚に丁重に収納されていたホームズシリーズの1冊だった。それは新一が小学生高学年に読んでいた漢字も少なく、行間も文字間も全体的に子供向けに作られている本では有ったが、4歳児が読むには難しい代物だった。
新一の書棚には、学年用途に合わせたホームズシリーズが陳列されているのは、流石にシャーロキアンに違いないのだろうが、知らない人間からすれば、オタクと何一つ変わりない、マニアの領域だろう。
「仕方ねぇだろ」
「そりゃ工藤の遺伝子受け継いでるからな」
仕方ないだろうと、服部は愛妻の膝枕から視線を投げている。
「相変わらず、他人事みたいに言うねぇ、服部も」
「事実やからな」
「快ちゃん嫌い?ホームズ」
「嫌いじゃないんだけどね」
まろい瞳に見上げられ、快斗は脱力し、コナンの足下に座り込んだ。
見上げてくる視線の色が、不思議な程新一と良く似ている。メガネこそ掛けてはいないが、その不可思議な色は、流石に親子のものだろう。
見上げてくる視線はコナンだった当時の新一には、殆ど見る事のなかった無防備さだ。けれど、やはり二人は間違える事なく親子なのだと痛感するのは、こんな時だ。
「俺の知ってる名探偵は、生憎一人しか居ないし。大切だし」
「余計な事言うな」
大切にされている事は十分自覚しているけれど、応えられないのだから仕方ない。それでも、こうして続いている縁は何かと思えば、不思議でしかない。
「そうでよねぇ。快ちゃん、お母さんにサヨナラされちゃったんだよね」
「………違うってば」
知ってて言う辺り、やはり新一の子供だろう。大概いい根性をしている。しているけれど、未々子供で、甘えたい盛りだろう。
「だったら、偉大なる航路でもいいよ」
「…………海賊王に俺はなるって?」
喜々として笑うコナンに、流石名探偵の子供、果てしないロマンだよと、脱力しつつ快斗は笑った。
よくよく見れば、床の上には海賊マンガが数冊並べられていた。否どちらも、確かに4歳児が読める代物ではないので、別の意味で快斗は溜め息を吐く羽目に陥っていた。
「この際だから、テニスの王子様でも、神の一手でも、目指してみれば?」
半ば焼気味に笑う快斗に、新一の投げたクッションがヒットする。
「でも目指すなら、やっぱ『真実はいつも一つ』がいいな」
曇りなく笑うコナンに、新一は少しだけ視線を逸らした事を、快斗と服部は気付いていた。
真実はいつも一つ。そうだったら、新一は傷付く事はなかっただろう。誰にとっても真実が一つだったら、新一の痛みや疵は、今より少なくて済んだだろう。
コナンだった当時の新一を、見守ってきた服部と快斗が、常に言葉に出す事なく、思ってきた内心の気持ちだった。だから薄々気付いていた。新一が、実は愛息であるコナンに、自分と同じ途を歩かせたくはないと思っている事を。
新一は、それがそのまま、言葉に出される事は滅多になかった両親の気持ちとさした変りのない同類のものなのだと、最近になって判った気がした。だから当時の自分は、父親と母親を心配させ、悲しませて来たのだろうと思えた。それでも、何も言わず、見守ってくれた両親の偉大さは、計り知れない。もし万が一、コナンが自分と同じ途を歩き出して疵付いた時。自分は両親と同じように、見守るだけの勇気を持っているだろうか?そう考えれば、持ってはいないと、自嘲と苦笑を深める事しかできない気がした。
「それで、お前は何しに来たん?折角の親子水入らず、邪魔しに来たんか?」
「……水入らずは、夫婦だけじゃないの?」
断言できると口を開いた快斗の視界の先には、未だ新婚夫婦の気配を滲ませている新一と服部が在る。
以前の新一なら、他人の視線の前で、服部を甘やかす事はなかったから、良い意味でも悪い意味でも、成長したのだろう。
「だったら快ちゃん。何か作ってよ」
「何かって?」
リストフォッチを見れば、時刻は昼を回っている。
「………何も支度してないんだ」
「お父さん帰って来て、一緒に色々つまんじゃって」
「……名探偵〜〜〜」
「世話好きボランティアだろ、お前」
「その認識、間違ってるよ」
「だったら、稀代の怪盗って公言するか?今すぐパクッてやる」
「現行犯が基本でしょ?どうせなら、稀代のマジシャンとか、新世紀の魔術師とか、言って欲しいな」
「魔法使いさんって、哀ちゃん言ってるよね」
「別に、それでもいいけどね」
ガクリと肩を落とす快斗だった。
淋しい事も自覚できない可哀相な子供。憐れみも哀しみもない場所で、フトそう思った。それでも笑顔で在るのだから、それはそれで倖せなのだろう。
□
「ごちそう様」
「お粗末様でした」
相変わらず、素直に礼を言える礼儀正しい子供だった。これは新一より、武道に精通し、軽そうな外見に相反し、礼節に煩い服部の影響だと言う事を、快斗は知っている。
コナンも服部同様、玩具を持つ事より先に、竹刀を玩具にする事を覚た子供だから、免許皆伝の服部の元、剣道を楽しんでいる。だから当然礼節は疑問もなく守られていた。それは好ましい習慣だろう。
「それでお前は、何しに来たんだよ」
カフェイン中毒の自分の事を棚に上げ、ダンナの為に珍しくもアイスコーヒーを淹れていた新一が、愛息と長年の友人になってしまった稀代の怪盗の会話に眉間に少しばかり皺を寄せ、疲れた様子で口を開いた。そんな新一に、お母さん僕カルピスと要求するコナンに、新一は冷蔵庫からホワイトカルピスを取り出すと、作り出した。
「アア、誘いに来たの。そろそろ本富士署で起こった殺人事件も解決しそうだったから帰ってるかと思って」
「誘い?」
「俺の家、っても実家の方だけどね、ちょっと大きめの祭りがあるんだよね。近所の地域集めた夏って言うか、秋っていうか、お祭り。子供御輿もでるし、花火もやるし、屋台も結構出るし」
「お前の実家って、隣町じゃねぇかよ」
面倒だと、言外に滲ませる新一だったが、それはコナンの嬉しそうな声に掻き消された。
夏休み、服部が不在で満足に観光にも連れて行ってやれなかった負い目も有るから、新一は否とは言えなかった。それでなくても、探偵と言う途をやめられない新一だから、何かとコナンに不自由をさせている自覚も在る。それでも、不満も我が儘も言わない息子の細やかな楽しみくらい、叶えてやりたいと思うのは、親としては当然だろう。
「……確信犯だなお前」
快斗も、心得ているのだろう。ろくに歓楽に連れて行ってやれない新一や服部の、コナンに対する、負い目に近い気持ちを。だからこうしてわざわざセッティングするように、断れない状況でタイミングよく現れたのだろう事を、新一は気付いていた。きっと服部も気付いてるだろう。
「よっしゃ、んじゃ今夜は祭りに繰り出すか」
背後から突然気配なく現れた服部は、開放的な笑顔でそう笑う。それは、偽りのない笑顔だった。
捜査に当たる時。人好きのする笑顔は、ある意味で心理捜査の武器になる。警察に協力するのは市民の義務。けれどそんな言葉は市民には通用しない。それは司法制度に携わる警察側の立場の科白だ。
捜査権を持つ警察でも、逆に市民からは犬猿される存在だから、警察という二文字だけで、誰もが懐疑的になる。けれど服部の笑顔は厳つい警察官のイメージを排除し、聞き込み捜査時、多大な効力を発揮する事を、本富士署刑事課で知らない刑事は存在しない。けれどそれが女性被害者を勘違いさせている前科持ちでも有るから、此処最近の服部は、シンプルな銀の指輪を、左手薬指に嵌める事にしていた。そうすれば、既婚者という事は一目瞭然だ。それでもと、アタックをしかけてくる程強靭な女性被害者は、いないだろう。
服部の耳に伝言ゲームで入ってきた署内の噂は、『優しい男なんてサイテー』と言う、聴いた服部が、『だったら、どないせーちゅうんや』と、頭を抱えてしまう代物に化けていた。
そのくらい服部が、女性被害者、ひいては所轄の女性達を勘違いさせてきたと言う事だろうが、愚痴を聞かされた新一も、 『お前、悪党のタラシでヒトでなしだろ』そう笑うばかりだったから、服部が更に憮然と拗ねた事は言うまでもない。
「お母さん、浴衣、浴衣」
「着るのか?」
クリスタルのグラスに注がれたカルピスを片手に、楽しげに笑うコナンに、新一は苦笑する。
やはり、淋しかったのかもしれない、フト思う。
気付いていない訳ではなかったが、余裕がなかった。母親としては失格なのかもしれない。
「んじゃ、俺は夕方真で少し寝るわ」
クリスタルグラスに注がれたアイスコーヒーは、未だ新一の手に在る。それを器用に救い取ると、服部は一気に飲み干し、コナンの頭を撫でると、寝室へと向かった。
「んじゃ俺浴衣の用意すっから。お前コナン見ててくれよ」
「ねぇお母さん、哀ちゃんも誘おうよ」
「アッ、それいいね。哀ちゃんも無機質なもんばっかに囲まれてるから、たまには気分転換も必要だし」
「だからお母さん、お父さん甘やかしてていいよ」
「………………」
コナンの笑顔に、新一は言葉をなくし、快斗は相変わらずよくできた子だねぇと、笑っていた。
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