閉ざされた

  
Prologue1









 練習の合間の小休止。ペットボトルに口を付け、汗となって失われた水分補給をすれば、砂に水が浸
透するように体内に吸収される水分に、リョーマは長い吐息を漏らした。思っていより躯は枯渇し、水分
を欲していたのだと判る。同時に、緊張していた精神が弛緩し、色素の薄い空色の眼差しが、視るとも
なく空を見上げた。
 隔絶されたフェンスの向こう。樹木と煉瓦造りの塀に遮断された視線の先には、一日の終焉を迎え、
ゆっくり沈み逝く太陽が、断末魔のような煌く炎を放ちながら、周囲の空を綺麗な赤胴色に染め上げて
いる。それはあたかも、空を焼く錯覚を生み出している。綺麗だけれど、何処か感傷的なものを引き起こ
す力や作用を持っている美しい炎。
 地平線近くでは朱に染まる空も、見上げた頭上では蒼かった空が、淡いオレンジ色を透かしたような、微妙で美しい色を描いている。その微妙な色彩に、紗のような薄い雲が棚引いている光景は、どれだ
けの色彩を用いても、人工では生み出すことのできない自然の雄大さに溢れている。こうして少しずつ
少しずつ、色やカタチを変えていく自然の流れを肌で感じ取ることが、リョーマは嫌いではなかった。
それはアメリカでは、経験できなかったものだからだ。
 初夏の夕焼け。サラリと前髪を揺らす微風。それは肌を灼く夏の熱砂を運んでくるものではなく、練習
の合間の一時、心地好い安堵をもたらす清涼なものだ。初夏の夕暮れは遅く、足許には長い影が伸び
ている。テニスの名門であり、昨年度全国大会優勝校である青学は、今年も当然、周囲から勝つことを
期待されている。もうじき地区予選が始まる今、テニス部の練習は嫌でも熱が入る。
 去年の十月。手塚から部長職を受け継いだ桃城は、けれど全国大会優勝校という周囲の評価に気負
いもなく、大石から副部長職を受け継いだ海堂と二人、二人三脚で巧く部を纏めている。元々ムードメ
ーカーの桃城は、リーダーとしての資質に恵まれていたから、周囲の期待に押し潰されることもなく、飄
々と部員を纏め、自らのテニスも高めていた。尤も、手塚をして曲者と呼ばれていた桃城だから、その
内心や手の内など、他人に気取らせることなどなかったのだろうけれど。そしてその手塚は、中等部卒
業と同時にプロを目指し、アメリカに留学していた。他の面々は、隣接している高等部に進学し、テニス
部入部早々レギュラーになり、テニス部を支える一角を為している。
「オッチビ〜〜〜」
 勝手したたる他人の家と言う訳ではなかったが、勝手を知りすぎている英二は、一瞬の躊躇いもなく、境界線のように周囲を囲んでいるフェンスの内側に入り込むと、華奢な姿態を背後から抱き締めた。
「菊丸先輩?」
 気配もなく、突然背後から細い首に腕を回され抱きこまれたリョーマは、半瞬後には呆れた表情で深
々溜め息を吐き出した。どうせ今日辺り来るだろうという予想はあったから、ビンゴということになるのか
もしれない。
「卒業したくせに、何躊躇いもなく出没してるんですか」
 呆れた溜め息を吐き出しながら背後を振り返れば、予想通り、英二の両隣には莞爾とした笑みを絶や
さない不二と、相変わらず眼鏡の奥に、綺麗に表情を隠している乾が佇んでいる。近頃何かとつるんで
いる様子のこの三人組みは、リョーマにとってはタチの悪いこと夥しい存在だ。
 此処最近、中等部に現れる面子は、この三人でほぼ固定されていると言っても、間違いではないだろ
う。高等部に進学した早々、既に黄金ペアと言われている英二の片割れの大石は、部長の大和に副
部長職と変わらない仕事を任され、奔走する羽目に陥っていた。高等部に進学したらテニスは止め、稼
業の鮨職人の修行をすると言っていた河村は、結局テニスを止めることはできず、修行とテニスとを巧く
両立している様子だった。一度でも、リョーマ達とテニスをする愉しさを覚えてしまったら、そう簡単にテ
ニスを止めることは、できなかったのだろう。
「俺達は化け物か、桃の奴、オチビの躾がなってないにゃ」
「なんで俺が、桃先輩に躾されなきゃならないんです」
「桃は、オチビ限定の教育係だから」
 シレッという英二に、リョーマは呆れた。
確かに一年前の極短期間なら、帰国子女というリョーマに、日本の部活での縦割り構造を理解させる
者は必要だったかもしれない。けれど青学テニス部は、他の部活と比較しても、旧態依然な縦割り構造
を持ってはいなかったから、一年全体を指導するムードメーカーは必要だったとしても、個人的な教育係
など何処にも必要なかった。ましてテニスの確かな実力に裏付けされたリョーマの小生意気さは、それ
こそ当時のレギュラー陣には好まれることはあったとしても、疎まれたことは一度としてなかったから、
英二の科白など、何の効力も持ってはいなかった。それは告げた英二自身判っているものだし、言わ
れたリョーマも今更のものだったから、これはこれで、二人のコミュニケーションなのかもしれない。
「出没とは、ひどい言われようだね」
 リョーマの悪態が面白いのか、不二は際立つ綺麗な面差しに、莞爾とした笑みを浮かべている。
 中等部に隣接し建築されている高等部は、たった一枚のフェンスが、境界線の役目を果たしている。
尤も、文武両道と学業でも名高い青学は、教育システムが充実していることでも有名だったから、中等
部と高等部で共有している施設棟がある。それはたった一本の渡り廊下で移動できるようになっている
から、英二達が高等部に進学し、リョーマの眼にも明らかな変化として判るものは、制服の違い程度だ
った。変化を感じさせない三人に呆れるものの、それが実はすごいことなのだと、リョーマには未だ判ら
ない。誰もが大抵中等部を卒業すれば、新しい生活に慣れ、少しずつ少しずつ物理的距離や精神的距
離に開きができるのは当たり前だからだ。けれど英二達は、そんなことを微塵も感じさせないたたずま
いで、時折中等部に現れては、極当然のように其処に馴染んでいる。きっと英二達なら、十年会わずに
来たとしても、昨日まで一緒に居ましたという表情で、再会できるだろう。
「折角、可愛い後輩に会いに来てやってんのに」
 高等部テニス部へと入部した早々、五月上旬に行われたランキング戦で、部長の大和以外のレギュ
ラーを総入れ替えさせた英二達は、ことあるごと中等部を訪れては、こうしてリョーマを構っていく。其処
に建て前となる理由など存在しない。だから英二に言わせれば、可愛い後輩に会いにくる先輩の気持
ちが、リョーマは全然判っていないと言うことになる。
 そして週に一度はこうして中等部テニス部に顔を出す英二達は、そのおかげですっかり新入部員にさ
え顔を知られる存在になっている。
 昨年度全国大会優勝校のテニス部は、昨年リョーマ達が入部した当時より、遥かに多い新入部員を
抱える大所帯になっていた。それだけに、部長の桃城と、副部長の海堂の抱える責務は重くなっている。何よりも、マネージャーの仕事も完璧にこなしていた大石の後を受け継いだ海堂の負担は計り知れ
ない。なまじ前任者のマネジメント能力が完璧だった為、後を受け継いだ海堂は、ある意味、部長の桃
城より、負担の掛かる立場に在るのかもしれない。それでも生来の努力家としての勤勉さと潔癖さで以
て、海堂は大石と変わらぬ働きをしていた。
「気配もなく突然現れるのは、出没って言うんじゃないんスか?それとも、湧いて出るって感じですか?」
 柔和な笑みの向こうに、手の内を一切見せない不二なら、出没より、空間を無視して湧いて出るとい
う言い方も、あながち外れてはいないのかもしれないと思うリョーマだった。尤も、不二を相手に、そんな
内心を言葉に出すことはできないけれど。
「可愛い後輩に会いに来る俺達に、可愛くないぞオチビ」
「食えない蛸なら、もういらなっいスよ」
 中等部に顔を出す都度繰り返されている英二の科白は、リョーマの耳を右から左に綺麗に流れてい
る。
「中々言うな、越前も」
「桃とのピロトークの、成果かな?」
「さぁ?」
 不二の笑みに、リョーマはシレッと口を開き、次には意味深な笑みを覗かせる。そのタチの良くない、
日本人形のような忍び笑いに、不二達は互いに顔を見合わせ、次には苦笑するしかなかった。リョーマ
のそれは、肯定の意味しか持っていないと判るからだ。
 この未成熟で華奢な躯の内側は、もう既に雄の熱情を受け入れ、快楽を貪る官能を、桃城というたっ
た一人の男に教え込まれている。そう思えば、桃城が莫迦みたいにリョーマを過保護にするのが、判っ
てしまう。性的な部分など一切感じさせないリョーマは、けれどもう一年も前に、桃城に幼い胎内を開か
れているのだ。
 成長期のリョーマの肉体は、少年期特有の何処か中性的な魅力を持っている。それが女子ばかりで
なく、一部の男子にも別の意味で人気に繋がってはいるものの、元々自分の容姿の綺麗さに無頓着な
リョーマは、当然そんな男子の視線を気にしている様子は微塵もない。露骨な視線でも向けられない限
りは、きっと気付かないままだろう。尤も、桃城はその点気付いているから、しっかりガートをしてはいる
のだけれど。
 未成熟な器に、男に抱かれ慣れ、組み替えられていく性。抱かれ慣れている肉体は、不思議と性的
な部分を滲ませはしないものの、それでもその不均衡さが、却ってリョーマのアンバランスな魅力に化
けている
のも事実だった。
「大体オチビこそ、なんで居るんだ?」
「菊丸先輩、意味不明っスよ」
「今日二年は、明日の為に練習休みじゃなかったっけ?」
「自由参加です」
「二年で参加してるのは、流石に越前だけのようだな」
 相変わらず表情の読めない眼鏡の奥で、乾が周囲を見渡している。いつもリョーマにひっついている、
元一年生徒リオの堀尾達の姿も、今日はコート内にはなかった。
「乾先輩、あんた何してるんスか?」
 顧問の竜崎と、地区予選に向けてのランキング戦のミーティングを終え戻ってきた海堂が、珍しくも呆
れた様子で口を開くのに、乾はやぁと片手を上げ、飄々と応えている。既に新入部員の一年生にも、こ
んな光景は珍しいものではなくなりつつある、乾と海堂のやりとりだった。
「英二先輩達も、言ってやって下さいよ」
 海堂より半歩遅れて戻ってきた桃城が、英二達に構われ、憮然となっているリョーマを見付け、苦笑
する。
「余計なお世話っスよ。第一桃先輩だって、去年参加してたじゃないっスか」
 去年の今頃、桃城達も修学旅行の時期だった。翌日の旅行に控え、二年生の練習は自由参加だっ
たが、レギュラーだった桃城と海堂は、しっかり練習に参加していたのを、リョーマはちゃんと覚えてい
たのだ。
「ヘェ〜〜〜去年のことなんて、よく覚えてたね」
 既に去年の今頃、リョーマと桃城は恋人同志の関係ができあがっていたことを、この場で知らない人
間はいなかった。柔和な笑みの背後に、少しばかり揶揄が含まれている不二の笑みに、リョーマは益
々憮然となる。
「こいつ、明日行きたくないって、駄々こねてるんスよ」
「なんで?楽しいじゃん」
「一週間テニスもできない旅行なんて、楽しくない」
 まして騒々しいクラスメイトと始終一緒となれば、団体行動の苦手なリョーマにとって、それは苦行と
同義語だ。
「お前、少しは青春しろよ青春」
 リョーマの科白に、周囲から苦笑が漏れる。
リョーマにとって、テニスはもう既に呼吸するのと等しい程、極自然に在るものだ。それが一週間ラケット
にも触れられないとなれば、確かにそれは少しばかり辛いのかもしれない。尤も、学校生活は部活の
為にある訳ではなかったから、関係形成が今一つ苦手なリョーマにとって、級友達との団体行動は、そ
れだけで勉強になる。
「でもオチビ残念だったね」
「別に、何処でも同じですよ」
 此処数年の修学旅行は、台湾へと言うのが慣例化していたものの、新型肺炎の影響で、リョーマ達
の学年は、急遽、九州旅行へと切替えになっている。とはいえ、テニスができない環境なのには変わり
なく、リョーマにとってそれが国内だろうが国外だろうが、テニスができない以上、さした問題にはならな
かった。
「国外旅行は、色々と勉強になるからね」
 環境も習慣も何もかも違う場所に、例え僅かな日数とは言え身を置くことは、それだけでも勉強になる。逆に日本以外の環境を識ることは、比較対象ができる分、視野が広がる手段になる。自分が帰属する国家を、外側から視ることもできるのだ。修学旅行は、ただの旅行ではなく、そういった社会勉強の為
の課外活動時間なのだ。
「俺、帰国子女ですから」
「オチビ可愛くない」
「越前」
 身も蓋もないリョーマの科白に、桃城は苦笑する。リョーマが今まで、帰国子女という免罪符を口にし
たことはなかったから、これは英二に対する軽口だろう。英二もそれが判っているから、ただ笑っている。リョーマらしいと思っているのかもしれない。
「お前には、いい勉強だろう」
「何それ?」
「少しはクラスメイトと遊んでこいよ」
「フーン」
 桃城の科白に、リョーマの視線が桃城を眇め見る。その視線に、桃城は自分の失態に気付き、らしく
ない狼狽と共に、蟀谷を掻いた。
「桃、藪蛇」
「迂闊な奴だな」
「バカかお前は」
 去年の桃城の修学旅行時の顛末を知る英二達は、桃城の迂闊な発言に、少しだけ呆れた。珍しく海
堂も口を挟んでいるのは、去年の桃城の失態をよく知っているからだ。
「遊んだ結果、女子にモテまくってたし?」
「越前〜〜〜」
 眇める眼差しは、けれどその奥には悪戯気な笑みが浮かんでいるのが、判らない桃城ではなかった。
だからこれは二人の他愛ない言葉遊びだと、周囲の人間達にも判るものだった。
「散々女子に、愛想振りまいてたんじゃないの?」
 誰にでも気安い笑顔で、他人との距離感を感じさせない桃城は、その雑踏の賑わいのような笑顔と
気安さで、男子にも女子にも友人関係は数多い。リョーマと付き合いだしてからの桃城は、妙な落ち着
きも加わって、此処最近女子からの告白回数はかなりのものだ。
 去年の修学旅行時、課外授業の延長とはいえ、国外という場所柄も手伝って、桃城にアタックを掛け
る女子は、かなりの人数に上ったのだと、リョーマは桃城の級友である荒井や池田から漏れ聞こえてく
る話しで聴き知っていた。まして愛想を振りまいた揚げ句に妙な誤解を受け、抱き付かれたという顛末
が付く。それを荒井達が面白半分、携帯カメラで撮影したりしたものだから、去年のテニス部員の間で
は、桃城と女子のツーショット画像は有名だった。当然リョーマもそれをしっかり見ていていたから、桃
城はリョーマの機嫌を直すのに必死になっていた。それでも、そのアクシデント以外、迂闊にも女子とツ
ーショット写真に収まることはなく、告白も綺麗に断っているあたり、桃城も抜け目ない曲者だ。
「それとも俺も、ああされたら言い訳?」
「スミレちゃんの孫の、桜乃ちゃんにでも?」
「不二先輩〜〜〜」
 シレッというリョーマの科白に、不二が柔和な笑みを漏らすのに、桃城が脱力する。
顧問である竜崎スミレの孫娘である桜乃は、リョーマに好意以上のものを抱いているのは、誰の眼から
見ても明らかだ。ただ奥手で引っ込み思案という彼女の性格が、一年間、リョーマに告白できないでい
るのも、此処にいる面子は知っている。逆に桜乃の親友である朋香の活発で行動的な性格は、何かに
つけ、リョーマに纏わりついてはいるものの、彼氏にしたいとか、リョーマの彼女になりたいとかいう願
望はまったく窺えず、むしろ見ていて潔い程、スッキリしている。
「越前なら、女だけとは限らないかもしれないな」
「そんな莫迦は、こいつだけで充分だろうが」
 一つも表情を変えず、シレッという乾の科白に海堂は呆れたものの、乾の科白は誰にも予想外のもの
だったのか、当のリョーマもキョトンとしている。そして次にはあからさまに嫌そうに、綺麗な貌を歪めた。
「オチビだからなぁ」
 しみじみ呟く英二にリョーマは憮然となり、桃城はなんともいえない表情を刻み付けている。
「男に抱き付かれる趣味ないっスよ」
 桃城以外の男に抱き付かれる自分など、想像もできないし、したこともない。する必要もなかった。
すれば瞬時に嫌悪が湧くだけだ。所有されるとか、するとかいう部分は抜きにして、自分は桃城のもの
だという痛烈な想いが、リョーマにはある。そしてその逆も同様だ。子供の恋だと自覚して尚、離れらな
い。胎内の深みで桃城が満ちる瞬間、感じる官能は女のものだ。
「抱き付かれてるじゃんオチビ、コレに」
「英二先輩、コレはないんじゃないスか?」
 コレッと自分を指差す英二に桃城が脱力すれば、その隣で、リョーマは意味深な笑みを浮かべ、
「コレでも、俺の男だから」
 シレッと口を開いては、半瞬周囲を唖然とさせることに成功したていた。
 普通言わないだろう、幾ら桃城との関係が元レギュラー陣には丸判りだとはいえ、こうもあからさまな
表現を、リョーマが他人の前で言ったことはない。
「愛されてるな桃城」
「まぁ一応」
「……普通少しは否定したりしないか?」
 蟀谷を掻きつつ、それでもリョーマの科白を肯定する桃城は、大した根性をしているのかもしれない。
「土産リスト持ってきたのに、惚気聞かされちったよ」
「菊丸先輩の土産リストなんて、どうせ長崎カステラでしょ?」
「オチビ〜〜成長したじゃん」
「よく長崎カステラなんて、知ってたね」
「桃先輩が、どうせ菊丸先輩はそう言うって」
「桃も、よくできた後輩だ」
「さっき桃先輩のこと、躾できてないとか言ってたくせに」
「アレはアレ、コレはコレだにゃ」
「都合いいんだから」
「違うよ、英二みたいなのはね、臨機応変っていうんだよ」
 やれやれと溜め息を吐くリョーマに、不二がフォローにもならないフォローを入れた。
「それじゃ僕達は、そろそろ帰るから」
 いつまでもいたら流石に練習の邪魔になる。飄々とした態度を崩さない桃城は、表情にも態度にも出
すことはないものの、手塚の後任という立場と、前年度全国大会優勝校という期待に、色々ある筈だ。
マネジメント能力が秀でていた大石の後任の海堂も、桃城と立場は同じだ。夏の全国大会へと向け、
既に地区予選も開始される今、練習を疎かにはできない。英二達が遊びに来るのは、そんな後輩を少
々心配してのも
のだった。そしてそれを桃城達もよく判っている。
「土産、桃先輩ん家に纏めて宅急便で送りますよ」
 だから土産は桃先輩から受け取って下さい。リョーマはそう笑う。
「俺ん家かよ」
「カステラなんてかさばるもん、旅行中持ち歩けって?」
 だったら買ってこないと嘯くリョーマに、ちゃんと高等部に持って来いよと、英二が桃城に笑顔で釘を刺
す。
「持ってきますよ」
「オチビ、暇だったらメールしていいよん」
「ヤダ」
「僕でもいいよ」
「間に合ってます」
 英二達から問答無用で携帯メールのアドレスを押しつけられているリョーマだったが、殆どそれを活用
したことはない。リョーマが気紛れにメールをする相手は、たった一人だ。
「大人になっちゃったんだね、オチビ」
 さめざめ嘘泣きする英二にリョーマは呆れ、深々溜め息を吐き出すと、
「俺練習に戻りますから」
 クルリと背を向けた。
「楽しんでおいで」
 綺麗な後ろ姿だと思いながら、不二が柔らかい声を掛けるのに、リョーマは物珍しいものでも聴いたと言うように、キョトンと背後を振り返る。
「あとになってね、楽しかったって思う旅行にしてくるんだよ」「そうそう、オチビそういう勉強は不得手だ
からにゃ」
「まぁこれも青春だ」
 三人三葉の言葉を掛けてくる彼等に、リョーマは薄い肩を竦めて応えた。
「それじゃ、俺達も練習に戻りますから」
「桃も」
「ハイ?」
「全力を尽くすことが、大事なんだよ」
 言葉にも態度にも出すことのない桃城の心労は、どれ程のものだろうか?流石に手塚をして曲者と呼
ばれる後輩から、それを見透かすのは容易ではない。飄々と立っている強さをこの後輩が持っているか
ら、手塚が後を託したことは、判っている。
「頑張ります」
 らしくない不二の科白に、桃城はサムズアップで応えると、リョーマの後を追いコートへと戻っていった。海堂も言葉少なく頭を下げると、練習へと戻っていく。
「頼もしいねぇ」
 コートでは、桃城とリョーマのラリーが開始されている。
柱を託されたリョーマと、部長という責務を託された桃城と。立っている強さは、一体どれ程のものだろう
か?
 自分達の次代の選手層の薄さが、青学テニス部の弱点だと、去年には判っていたことだ。全国で戦
い抜く実力を持っているのは、残念ながら今の青学テニス部では、去年もレギュラーだった桃城達だけ
だろう。まして来年は更にひどい。それでも、桃城や海堂は、そんなことを欠片も表情には出さない。焦
りが、ない訳ではないだろうに。何でもないかのように立っているその強さは、一体なんだろうかと思う。
「桃はあの子と会って、精神的に随分成長したよね」
「オチビも同じだと思うな」
 どんなスポーツもそうだろうが、テニスもメンタル面が作用するスポーツだから、精神の余裕は、プレー
や技術に綺麗に反映する。どれほど卓越した技術を誇っていても、精神が安定していなければ、その
実力が百%引き出されることはない。技術と共に精神を鍛えることが、常に要求されるのは、どんなス
ポーツにも落差はないだろう。精神的に負けていては、端から勝利はないのだから。
「そうだな。海堂も含め三人とも、去年の全国大会を勝ち続けてきた経験が、自信に繋がっていいプレ
ーをしている」
 また練習メニューを組んでやるかと独語する乾に、英二は少しだけ後輩を憐れに思った。乾の練習メ
ニューの中には、当然乾汁も含まれているからだ。
「いい旅行に、なるといいね」
 前方で、もう自分達の存在を忘れているだろう、ラリーに没頭しているリョーマに、不二が柔らかい視
線を向けた。
 テニスだけではない大切なものはあるのだと、ちゃんと少しでも記憶にとどめられるように。尤も、リョ
ーマは口に出すことは少ないものの、ちゃんと友人を大切にすることのできる人間だと、不二達には判っている。だからこそ、堀尾達といつも一緒にいるのだから。
「さてと、俺達も帰ろう」
 実は今日高等部の練習を、途中抜けてきたのだ、彼等は。桃城だけを過保護だということは、実はで
きない英二達だった。



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