雨降りの過ごしかた
act1













 此処はいつ来ても居心地のいい空間で、訪問者をゆったりさせる気遣いに満ちている。だから案外誰
もがこの家を訪れるのかもしれないなと、淡いアイボリーで同一された空間を見渡し、不二と英二は緩
い笑みを覗かせた。
 息苦しさを感じさせない空間的ゆとりを持ったリビングは、他の部屋より天井が高い構造になっている。此処で居心地の悪さが出ていれば、縦に空間的なゆとりを持った設計は、却って訪問者を落ち着か
なくさせるだろうが、この家に限っては、そんな部分は微塵も感じられない。
 キッチンから続いている広いリビングは、フローリングの床の上、季節に合わせたラグが敷かれ、夏に
向かう前の梅雨時の今の季節は、淡いブルーのものが敷かれている。けれどそれは寒色系のブルー
ではなく、何処までも淡いパステル調のブルーで、どちらかというと空色に近い。そしてリビングと連続
しているかのような空間を持つ庭は、リョーマの実家とは到底比較にならないものの緑が溢れ、家族で
のんびりした時間を、庭でお茶を飲みながら過ごせるようにという桃城の趣向が取り入れられ、円形の
テーブルと椅子が置かれている。
 外観は瀟洒な洋館建築で、部屋も全体的にはその外観を裏切らない洋室だったが、この家には一室
だけ和室がある。其処は完璧に他の部屋と異なる和の領域で、障子に畳という風情が心地好い場所
になっている。普段転戦で外国暮らしが多い桃城は、その和の空間が時折恋しくなるらしく、愛妻のリョ
ーマを誘っては、その部屋で寝起きしていることもあれば、家族揃って寝ることもあるらしい。
「此処は本当に、いつ来ても落ち着くね」
 無機質ではない暖かい空間。その居心地の良さは、家の空気を作り出す人間のゆとりや穏やかさを
現してもいるのだろうと、不二は思う。
 中学時代から変わらない不二の物腰柔らかい笑みは、外見からでは年齢を掴ませない落ち着きが備
わっている。けれどその落ち着きとは相反する綺麗な造作は健在で、医師となった現在、勤務先の青
春大学付属病院勤務では、ナースと女性患者から絶大な人気を誇っている。けれどその人気は決して
その際立つ容貌だけではなく、的確な治療方針をナースに伝え、またそれを患者やその家族に卒なく
話せる話術に優れている部分から、医療者と患者双方に人気も信頼も高かった。セカンドオピニオンに
も積極的で、他の医療機関から紹介されてるくる患者も多く、近隣医師会との連携も抜群との評価を医
局から得ている医師の一人だ。他の医師、ひいては医局にも一定の評価を得ている。そういうことだろ
う。
「そうですか?」
 珈琲より紅茶を好む不二の前に、バラのレリーフが施された瀟洒な白いティーカップとソーサーを音も
立てずに置くと、リョーマは緩やかに笑った。
「落ち着くから、ついつい来ちゃうにゃ」
 極親しい距離に存在する友人達の間では、未だ英二のネコ語は健在で、今もエナメルの乗らない瀟
洒な指が、音一つ立てない綺麗な所作で、目の前に白い陶器のティーカップを置くのに、英二は毎回
不思議そうな表情をする。そんな時、英二が言う科白も、決まっていた。
「いつも桃にファンタ奢らせてたオチビが、お茶淹れてるなんてにゃ」
 なんだか不思議だと、英二は笑う。
「菊丸先輩、毎回それ言う。いい加減飽きない?」
「うんにゃ、全然」
 リョーマが呆れた溜め息を吐くのに、けれど英二は愉しそうに笑うだけだ。尤も、その言動でリョーマを
傷つけたり、不快にさせないラインを心得ている英二の軽口は、リョーマには中学当時から馴染んだも
のだったから、毎回訪れては同じ科白を繰り返す英二の科白に、リョーマは呆れた溜め息を吐き出すと、次には淡く笑った。
「でも本当に、此処にはつい足を向けちゃうんだよね」
 品よい香りを立てる紅茶に、陶器と同じメーカーのクリーマーからミルクをほんの少し垂らすと、不二は
優雅な仕草でカップを持ち、香りを楽しみながら口を付けた。
 付き合いも、中学当時から十年以上となれば、それなりに遠慮のない関係になるだろう。けれど幾ら
中学当時は可愛がっていた後輩も、人妻となってはそうそう頻繁に他人の家に顔を出すのもどうだろう
かと考えてはみても、迎えてくれる住人の柔らかい笑みに促され、結局つい足を向けてしまう。それこそ、その笑みが、決して建て前だけのものではないと判るからだ。
「遠慮なんて、先輩達らしくないですよ」
 リビングから続くダイニングキッチンの冷蔵庫から、よく冷えたレモンパイを取り出し等分に切り分けな
がら、リョーマはクスクスと綺麗な笑みを刻み付けている。
「いつでも、遠慮しないで遊びに来て下さい」
 中学時代、それも一年の一学期を過ごしただけの青春学園中等部は、けれどリョーマにとっては永久
に忘れられない場所になった。こうして性別が変わってしまっても、何一つ変わらない関係を保てるかつ
ての先輩達は、リョーマには何にも勝る宝石だったから、いつだって遠慮などしないで、気軽に遊びにき
てほしいと思っているのだ。
「勿論」
 自信満々で即答する英二に、リョーマも不二も互いに顔を見合わせ、苦笑する。
何より此処に出入りする人間は、英二や不二ばかりか、乾の回数が多いことも、意外性の一つだろう。
 乾は英二や不二の同僚であり、青春大学付属病院の法医学教室で、解剖医としてメスを握っている
解剖医だった。
 法医学教室という名前は、日常的に暮らしている大半の人間には馴染みのない名前だろう。其処は
日々発生する都内の凶悪事件に対応し、異状死体の解剖を行う場所だからだ。
 大学の法医学教室で行う解剖は、監察医務院が行う行政解剖とは異なる、裁判所の鑑定処分許可
状という礼状が発布され執り行われる、司法解剖だ。刑事事件に適応される司法の為の解剖だから、
当然死体検案書は、警察官面前調書とともに、検察に送致される重要書類になる。そしてその傍らで、
乾は大塚に在る、東京都監察医務員の非常勤医師として、行政解剖にも取り組んでいる。
 行政解剖は、監察医制度が整備されている都市(東京は23区内)で、死体解剖保存法第8条により
実施される解剖だ。解剖段階で事件性が濃厚な場合は、その場で司法解剖に切り換えられる。その為
解剖は、刑事の立ち会いが必須条件だ。
 そんな乾は、時折夜勤明けにフラリと行き倒れ寸前のように現れることがある。その乾を渋面を張り付
かせ引き取りにくるのは、同居生活も桃城とリョーマと変わらぬ年数に達している海堂だった。その海
堂は、医師は医師でも獣医師になり、青春学園動物病院で勤務している。
「そいや、ジュニア達は?」
「桃先輩と、散歩に行ってますよ」
 レモンパイを頬張りながら英二が口を開くのに、リョーマは脚の短いガラス天板のテーブルを挟み、二
人の目の前のソファに腰掛けながら、緩やかな苦笑を覗かせる。
「雨降りの散歩、ね」
 桃らしいと笑いながら、不二の視線が窓へと移る。
リビングの大きい窓から覗ける外は、夏に向かう梅雨特有のシトシト降る雨が周囲を煙らせている。
けれど庭の緑は、雨を受ければ受ける程、その鮮やかさをいっそう色濃く美しく変化させていく。湿度の
高い梅雨の季節は、冬のような寒さを感じさせない。けれど今日は少しだけ肌寒く感じられたから、暖
かい紅茶は、躯も心も安堵できる、安らいだものを与えてくれる気がした。
「桃、相変わらず子煩悩」
 雨の中わざわざ散歩に出掛けるか?と、英二は呆れた笑みを見せている。少なくとも英二の記憶の
中の桃城は、雨の中を好んで散歩する性格をしてはいなかった筈だったからだ。
「リアがパパと行きたいって、駄々こねちゃって」
「全仏から帰って来たばっかりだって言うのに、元気だねぇ」
「そう言えば、部長は?」
「オチビ、手塚にその科白言ったら、また眉間に皺寄せられちゃうよ」
「もういい加減、部長も諦めたと思うんだけど」
 未だ手塚を『部長』と呼ぶ夫婦に、いい加減手塚も多少なりとも免疫が出来ただろうと、リョーマは笑う。
 既に桃城とリョーマの間では、手塚は『部長』という個別認識をされてしまっている。世界でプロ選手と
して活躍する桃城にとって、手塚は今ではれっきとしたライバルの筈が、試合会場でも臆面なく『部長』
と呼んでは、手塚を呆れさせているから、いい加減手塚も諦めているだろうとリョーマは思っているのだ。
「甘いよリマちゃん。手塚は諦めてないから」
 20も後半に差し掛かる年齢のリョーマを掴まえ、不二は未だリョーマを『リマちゃん』と呼ぶことに衒い
がない。綺麗な仕草でフォークを操りレモンパイを口に運びながら、不二は 『部長』と呼ばれる都度、
眉間に皺を寄せている手塚を思い出す。
 中学時代からの腐れ縁とも言える付き合いが続き、気付けば不二と手塚は同居生活に突入している。尤も、それは付き合いの長さから踏み切った同居ではないのは当然だった。世界の各地を転戦して
いる手塚と同居するなど、そういう関係でなければ、できないものだろう。
「部長もいい加減、諦め悪い」
「それにしても、今回の試合、桃は惜しかったよなぁ」
 押しも押されもしない、日本を代表するプロ選手になった桃城は、今や四大大会の常連者でもあり、
手塚や跡部、真田や幸村という面子と、互角に戦う実力を持っている選手に成長していた。その桃城は、つい先日、全仏大会に出場し、手塚と対戦しているが、奇しくも破れている。
「まだまだ部長には適わない。桃先輩、そう言ってましたよ。でも次は絶対負けないって」
 勝てなかった悔しさはあるものの、それでも全力で戦ったことに悔いはないと、桃城は精悍な貌を深
め、笑っていた。中学当時から変わらない人好きのする笑顔を見せる桃城の、そんな深い苦笑が、リョ
ーマは好きだった。それは極近しい関係の者にしか見せない笑みだからだ。
「桃らしい、USオープンと、ウィンブルドンが楽しみだね」
 中学当時から、手塚をして、曲者と言われ続けた桃城だ。今は未だ無理でも、近いうちに手塚に勝つ
時がくるのかもしれない。
「そう言えば、部長は、どうしてるんですか?不二先輩」
 桃城同様、転戦を繰り返している手塚は、全仏大会を終え、久し振りに帰国している筈だ。同居して
いる不二が、そんな手塚を放り出し、一人此処に来ているのが、リョーマには不思議だった。桃城など
離れている時間を埋めるかのように、帰国した日は容易に離してはくれない。子供達を早々に寝かし付
け、久し振りの逢瀬に朝方近くまで睦み合ってしまうことは、それこそ毎回のことだ。だから桃城が帰国
して数日は、英二達もこの家に訪れることはない。
「手塚?今日はトレーニング」
 折角帰国したのに、僕は一人で放り出されてるんだよねと、不二は薄い笑みを刻み付け、紅茶に口を
付けた。
「桃の奴、子煩悩もいいけど、サボッてると、手塚には勝てないぞ」
 まして雨の中の散歩など、プロ選手として肩や腕を冷やすのはどうなんだろうかと、英二は首を捻る。
「そのへんのペース配分は、ちゃんとしてますよ。でも子供達が離れなくて。特にリアは桃先輩ベッタリ」
 二人の愛息の遼(ハルカ)は、四月で青春学園初等部4年になっている。幼等部では可愛かった遼
も、初等部に入学し、とみにふてぶてしくなったものの、リョーマの父親の南次郎に言わせれば、それ
はリョーマとそっくりと言うことになる。まして遼も愛娘のリアも、顔立ちはリョーマにそっくりの美人さん
だ。大抵の父親が娘を可愛がるように、桃城も愛娘のリアを溺愛しているから、愛娘のお願いに、否を
言える筈もなかった。
「それでオチビは、拗ねてると」
「悪いですか?」
「否定しないんだ」
 少しばかり拗ねた口調のリョーマに、英二も不二も柔らかい笑みを刻み付ける。
結婚して十年近くなる今でも、二人の仲は新婚夫婦と変わりないものだから、子供に旦那を取られた気
分の一つや二つにもなるのだう。
「遼も口ではなんだかんだ言っても、桃先輩にひっついてるし」
「オチビ……」
 拗ねた口調どころか、完全に拗ねた表情を隠さないリョーマに、英二は少しばかり呆れている。
二人の万年新婚夫婦のノリは判っていたものの、こうもあからさまにリョーマが独占欲を現したことはな
かったように思え、それが逆に微笑ましくもあった。
「離れてて淋しかったのは、私も一緒」
 それでも、子供達と一緒に居た分、桃城よりは淋しくなかっただろうと、リョーマは判っている。桃城は
たった一人で、戦場に等しい場所で、戦っていかなくてはならないのだ。子供達と一緒に居られる分だ
け、口に出さない桃城の淋しさより幾重もマシだと、リョーマが判らない筈がない。
「それで、目一杯甘やかしてるんだ」
「甘やかされてるんじゃにゃいの?」
 不二の科白に、英二がキョトンとなる。
「あの人甘やかすことができるのは、私だけの特権だから」
 開放的な笑顔が印象的な桃城の周囲には、世界でも著名な女性ファンが多数存在する。けれど桃城
は今まで一度も、浮気や何かで、スキャンダルなネタで、週刊誌を賑わせたことはない。むしろ愛妻家
と評判で、どれだけの女性の誘いにものらないことで有名だった。
 そんな桃城が、甘えた表情を見せるのは自分にだけだと、リョーマは知っている。だから離れていた
時間や距離を埋めるように、甘やかしたくなるのだ。だからこそ、朝方までの夫婦の営みに、耽溺してし
まうことに躊躇いがない。
「なんか、ごちそうさまって気分」
 強くなったと思えば、その分綺麗になったのだと思う。
以前、未だリョーマが高校時代、桃城と付き合っていた時分は、倖せそうな笑顔の背後に、泣き出しそ
うに不安気な表情が垣間見えていたから、こうして臆面もなく告げることができるのは、リョーマの心の
強さを現しているのだろう。そして綺麗な笑みを浮かべるリョーマを支えているのは、桃城というたった
一人の男なのだ。どんな人間も、リョーマにとっての桃城という存在にはなり得ない。
「本当だにゃ」
 彼等にとって、今でもリョーマは大切な後輩だったから、倖せになってもらいたいと願っているのだ。

















 閑静な住宅街は、シトシト音もなく降る梅雨特有の雨に包まれ、陽射に包まれる淡い光景とは一段も
二段も趣を変えている。錫色に染まる蕭散な住宅街は、けれど家々から覗く樹木の緑が空翠に彩られ、鮮やかに染まっている。
「あめあめ、ふれふれ、かぁさんが〜〜〜」
 お気に入りのピンクのレインコートを羽織、傘をクルクルと回しながら、8月には6歳になる、桃城とリ
ョーマの愛娘のリアは、雨の降る町並みの散策を楽しんでいた。
「リアは本当、ママにそっくりだな」
 傘とレインコートと長靴はお揃いのもので、ピンク地に、傘の縁やレインコートの袖口などに、赤いイチ
ゴ模様が誂えてある。そのお気に入りの姿で、雨の中を散策するのは、リアの楽しみの一つだ。お気に
入りのレインコートや傘、長靴を履くのは、雨でなければ絶対ダメだからだ。
「ママ?」
 隣を歩く父親の苦笑に、リョーマとよく似た綺麗な造作が、キョトンとまろい瞳を瞬かせる。肩を越すセ
ミロングの綺麗な黒髪は癖一つなく、サイドに淡いピンク色のリボンが結ばれている可愛らしさは、ご近
所でも評判の綺麗さだった。
「ママも、雨の中散歩するの、好きだったからな」
 好きというには多分に語弊があるものの、リョーマも雨の日の外出が嫌いではなかった。何処かに目
的を持って出掛けるのではなく、ただ自宅周辺を散歩するのは面白いらしく、アメリカに居た当時購入し
たのだという、青空模様の傘をさしながら、雨に煙る街を、時折出歩いていた。尤も、当時からリョーマ
に対しては莫迦みたいに過保護だと言われていた桃城が、雨の中の散歩を一人でさせる訳はなかった
から、当然桃城と一緒にではあったのだけれど。まして当時のリョーマは全寮制の女子校に入っていた
から、そんな行動ができるのも、週末帰宅した時に限られていた。
「だったら、ママも一緒に来ればよかったのに」
「俺、雨嫌い」
 妹の元気な歌声を聴きながら、長男の遼がボソリと呟いた。桃城とリョーマの仲睦まじさを知る、十年
になんなんとする付き合いの英二や不二達からは、既に万年新婚莫迦夫婦と言う、ありがたくもないネ
ーミングで呼ばれている両親の元、遼は歳に不釣り合いな苦労性だった。
「そういう部分も、リマに似てるよ」
「………何それ?」
 母親は雨が好きだと、たった今言ったばかりだと、遼は怪訝な表情で、隣を歩く長身の父親を眺めた。
 家に居れば母親にベッタリで、とても日本を代表するプロテニスプレーヤーには見えないのに、テレビ
画面越しで見る父親の試合は、いつだって腹が立つ程恰好いいのだから、詐欺だと思う遼だった。
「リマも、テニス好きだからな。雨が長く続くと、よく文句言ってたな」
 それは概ねで、中学時代の、青学の柱になれと、手塚に言われていた当時のリョーマだったけれど。
それでも、性別が変わっても、リョーマはテニスが好きだったから、父親の南次郎が預かる寺の境内に
作られたコートで、よくラリーをした。だから雨が長く続けばテニスもできないから、リョーマは雨が嫌い
ではなかったものの、長く降る梅雨は歓迎してはいなかった。
「大体お前だって、本当に嫌いなら、家でリマと居てよかったんだぞ」
 憮然とする愛息に、桃城は穏やかな笑みを見せる。
嫌いだと口では言っても、それでもこうして一緒にくっついて来たのは、全面的に雨の散歩が嫌いでは
ないからだと、桃城は知っている。それもこれも遼が幼い時、リョーマがレインコートを着せ、雨の中の散
歩を楽しませた結果だろう。
「お前は、そういう所が、リマにそっくりだよ」
 小生意気で意地っ張りで負けず嫌い。性別が変わってしまっても、その本質は変わらなかった。
一体影でどれだけ泣いたのかと思えば、泣いた以上に倖せにしたかった。失ったものを、一つ一つ、ゆ
っくり拾い集めていくように。
「晴れたら、テニスしような」
 憮然とする愛息の頭を、傘越しにクシャクシャと撫でてやれば、遼は鬱陶しいとばかりにその手を払い
のけていく。
「パパ〜〜見て見て、カタツムリ」
「ん〜〜?」
 リアの幼い声が喜々として呼ぶのに、その手元を覗き込めば、幼い躯がしゃがみ込んだ小さい葉の
上に、今は見ることも珍しくなった、蝸牛がいた。
「リア、よく蝸牛なんて知ってたな?」
 子供の頃は良く見掛けた生き物も、今では見掛けることもなくなっていた。子供は大人には見付けら
れないものを見付けるのが得意なのだと、奇妙な実感を深める桃城だった。
「お家につれてってもいい?」
 まろい瞳を瞬かせ、父親を振り仰ぐリアは、確かに近所でも評判の可愛らしさだと、桃城は親バカなこ
とを本気で思っている。それもこれも、制作者がいいからだなっと、リョーマが聴いたら心底呆れそうなこ
とを思っている桃城は、けれど大概終わっている自覚は薄い。
「それじゃ、カタツムリが可哀相だろう?」
「なんで?」
「カタツムリは、雨の中が好きだからだよ」
「そっか」
 父親の科白に納得したのか、立ち上がるリアに、桃城はひどく優しい笑みを覗かせると、小さい手を
掴まえ、
「そろそろ、ママの所に帰るか?」
 雨の中の散歩に出掛けて一時間近く、そろそろ子供達も満足しただろうと見計らった桃城の科白に、
リアはニッコリ可愛らしい笑みを見せ、遼は一人スタスタと自宅に向かって歩き出す。
「コラ遼、一人で行くなよ」
「親父が遅いんじゃん」
 クルリと振り向き様、可愛くない科白を吐く仕草は、リョーマと良く似ている遼だった。
それはかつてのリョーマも、南次郎によく言っていた科白の一つだ。小生意気なリョーマの悪態に、軽
口を叩きながら南次郎が可愛がっていた気持ちが、今になって心底実感できる桃城は、十分親バカな
倖せを満喫している。
「お兄ちゃん、まって」
「コラ、リア。走ると転ぶぞ」
「リア、折角のレインコートが汚れちゃうよ」
 父親の桃城には可愛くない科白を吐く遼も、妹は可愛いのだろう。ピンクの可愛らしいレインコートを翻
し走ってくる妹を、待っている。兄弟仲睦まじい姿に、桃城は緩やかな笑みを見せている。
 結婚前、子供を望むことは無理だろうと、それを理由に、リョーマが桃城との結婚に躊躇いを見せてい
たのを思い出せば、一体どれだけ影で泣いたのだろうかと思う。それが今はこうして二人の子供が授か
り、大した病気をすることもなく成長している姿を見るのは、桃城にとってもリョーマにとっても、何より倖
せなものだった。