| 姫始め |
「そろそろ、彼氏が迎えに来るんじゃないのか?」 大晦日の昨夜は、流石に常日頃は享楽的な南次郎も、仮住職として寺を預かる手前、何もしないと言う訳にもいかず、リョーマに言わせれば、そんな事は年に一度だろうと言う程、良く働いていた。アルバイトの巫女さん達を口説きつつも、除夜の鐘を鳴らし、参拝客の相手をし、朝方近くまで立ち動いていたから、越前家の元旦は遅かった。けれど母親はさして遅く起床した訳ではないらしく、リョーマが起きた時には、一体いつ料理していたんだと言う程のお節料理が、居間のテーブルの上に所狭しと並んでいた。 元来がアメリカ育ちの母親は洋食が好みだ。それでも日本に居る限りは日本的な正月にお節は必要だろうと、テーブルの上にはきっちりとお節が並べられているから、一体この聡明な母親と、飄々とした父親が、どういう経緯で結婚に至ったのか、リョーマには今でも謎だった。けれど訊けば逆に桃城との事を盛大におょくられる事も判っているので、リョーマは母親に訊く無駄と言う事も学習していた。 企業で管理職をしている母親だから、聡明な外見に反しない怜悧な頭脳を持っているのは判る。判っているが、性格は、それを凌駕する程破天荒だと言う事も、彼女の息子を13年もしていれば、判る様になるリョーマだった。 そして今、朝食兼用の遅い食事を済ませ、炬燵で新年番組を見つつ、お茶に蜜柑という冬の定番を食べながら、南次郎は、さして面白い表情一つ浮かべず、テレビを眺めているリョーマに声を掛けた。 「もう支度できてるからいい」 最初こそ、南次郎が桃城の事を『彼氏』と呼ぶ事に強い反駁をしていたリョーマも、所詮この父親に何を言っても無駄と悟るのも早く、今では言わせたいままにしていた。結果、親子の会話の中で、桃城はその名前を呼ばれる事は、殆どなかった。 「お前、明日も泊まり込むつもりだろ」 「当然」 そんな事は当然だとでも言うように、リョーマはやはりシレッと言いのけた。 「ったく、親の前で、いい根性してんな、お前も」 アメリカに居た当時、リョーマに近付く人間は多かった。 近付く人間の思惑は抜きにして、リョーマの周囲には何かと人が居た。リョーマに言わせれば、勝手に群がって鬱陶しいという事になるが、確かに鬱陶しい程、アメリカに居た当時のリョーマの周囲には、様々な意味で人が居た。 けれど南次郎は、だからこそリョーマは孤独だったと知っていた。 人が居ればそれだけで温かいなどと言う言葉は、所詮絵空事だ。其処に何かしらの感情のやり取りが発生しなければ、温かいものなど何一つ生まれる事はない。 何一つの感情も抱かない人間の中に在る事は、それだけで孤独を意識する。けれどリョーマは孤独を孤独とも思えない子供だったから、一人が寂しい、そんな言葉を知らずに育ってきた。 孤独の意味も知らず、孤独に漬かってきた子供。決してアメリカの環境が、情操教育に良かったとは、口が避けても言えない科白だった。けれど南次郎がそうと気付いたのは余りに遅く、それでも、手遅れにならずに済んだ事が、南次郎をホッとさせている事を、リョーマは知らないだろう。南次郎の軽口は、そんな安堵の裏返しなのだろう。 帰国してきた昨年の事を思えば、南次郎の危惧は、案外早い時期に解消されてしまった。 アメリカでは他人を近付ける事すらしなかったリョーマは、日本に戻ってみれば、彼氏としか言えない存在を早々に見付け、今では感情を桃城に預けきっている。 『桃先輩程、悪党なら良かったんだよ』 以前リョーマはそう言った事があるが、まさしくその通りだろうと南次郎は思う。 自分はかつて『青学一の曲者』と呼ばれていたが、桃城も同様だろうと思う南次郎の洞察は、間違いではなかった。 「彼氏の家が誰も居なかったら、泊まって来るに決まってるよ」 「泊まってナニしてくるってか?」 「母さんの前で、そんな下世話言ってると、離婚されるよ、親父」 母親がキッチンに立っている間に交わしている会話とは言え、いつ戻ってくるか判らないこの状況で、息子相手にする話しじゃないだろうと、リョーマは呆れた。 「まぁ、そしたらウチも姫初め、だな」 「姫始め?何ソレ?」 「お前は、彼氏に、教えて貰え」 流石にその意味は判らないかと、南次郎は可笑しそうにクツクツ笑った。同時に、真面目な顔してリョーマにそんな事を訊かれた時の桃城を想像すれば、可笑しさは更に増す。 南次郎の眼から見ても、桃城は呆れる程リョーマに対して慎重で過保護だ。稚い躯を開いてしまった罪悪の一つや二つ、持ち合わせているだろう事が見え隠れするから、リョーマにそんな事を生真面目に問われたら、さぞ脱力するだろう。 「親父がそう笑う時は、どうせろくな事じゃない」 「そりゃどうだかな?」 確かにろくな事ではないだろうが、そのろくでもない事を、アノ青学の曲者は知っているだろうから、リョーマに言われれば、呆れて脱力の一つ位するだろう。 「ホレ、彼氏が来たぞ」 玄関チャイムが、桃城の迎えを告げていた。 |