A Will








somebody will need you somebody
you will be loved as I love you
if so,please be happy








 薄紅の花片が風に舞い、流れて行く。
韶光眩い煙花の光景は、けれど薄紅の花片は、名残の淡雪のように陽射に溶け、もう随分葉桜が目立ち始め、若々しい緑が生い茂り、季節は本格的な春へと進み始めている事を告げていた。
 ただ其処に在るだけで、美しいもの。その儚い光景を、どれ程閉じ込めたいと願ってみた所で、移り行く季節の中。自然の摂理に背いて、閉じこめておけるものなど、実際は何処にもない。叶わなぬ願いだと知るからこそ、誰もが感傷的な美しい光景に、郷愁を誘われるのかもしれない。
 被膜のように淡い紅色の花片が、黒い御影石の上に降る儚い光景を眺め、祈る程深く頭を垂れていた桃城は、ゆっくり頭を上げた。
 そんな光景を、彼らは息さえ潜め、見守っている。
流れて行く淡い花片。閉じ込めてしまえる永遠など、本当は何処にもないのだと、陽射に溶けるかのように、規則性も法則もなく、ただ風に流れて行く。
 降るように降る桜。最後のその一瞬まで、儚い美しさを保ちながら。そうで在れたらと、そんな光景を眺め、フト彼等は思った。
 枝からもぎ取られ、風に流れている一瞬だけ、淡く儚い美しさを持っているそれは、数秒後には地に落ち、やがて腐り地に帰る。存在するものは、自然の摂理に背いて生きて行く事は出来ない。始まりがあれば、確実に終わりが有る。その存在する期間という長さは別ものにして、いずれ終わりは訪れる。どれ程の嘆きを遺こしたとしても。
 何かを祈り、願うかのように深く垂れていた頭が持ち上がり、桃城の視線は、正面を凝視している。その背から読み取れるものは、一切有りはしない。ただ判る事は、リョーマという存在を失い、後追いさえしそうに憔悴しきっていた桃城の背が、此処二週間。見続けてきた弱さを残していいない。それだけの事だった。
 一体、何が有ったのだろうか?その背を凝視する彼等に、判る事は何一つなかった。
 リョーマが逝ってから二週間弱。桃城が此処に訪れない日はなかった。朝から訪れ、何をするでもなく、ただ長い一日を、リョーマに語りかけるように、他愛ない話を繰り返し、夜も暮れてから帰宅する。此処最近の桃城の行動は、春休みの間。そんな時間を過ごしていた。
 誰かしら、リョーマの墓参りに訪れては、此処で桃城とかつてのリョーマの話しをして、帰って行く。そんな桃城の姿は、何処か墓守りを連想させはしたが、表立て、桃城を咎める人間は居なかった。それが何故かと言えば、桃城に必要な時間で修復作業だと、誰もが理解していたからだ。
 それはそのまま、リョーマと桃城の関係をも現していた。
桃城にとって、リョーマはただの仲の良い後輩ではなかった。恋人と言うには、もう随分カタチを変えてしまっていた二人の関係は、けれど上辺だけを見るなら、確かに『恋人』と呼ばれる関係のものだっただろう。
 たとえ其処に在るものが、魂さえ混融させてしまう深い結び付きを持っていたとしても、外見からなら『恋人』と呼べるものだったのだろう。
 子供のうちに、本気の相手に巡り合ってしまう事もある。
けれどリョーマと桃城の関係は、そんな言葉すら簡単に凌駕してしまえる程の結び付きを持ってしまっていた。今にして思えば、それが良かったのか悪かったのか、誰にも判断はできなかった。
 もっと早くに、引き離してさえいれば。
南次郎が漏らした言葉が、過去の繰り言に過ぎない戯れに近いものでも、免罪符にもなりはしないものだと理解した上で、桃城は此処に立っている。
 もっと早くに。もっともっと早くに。
そんな言葉は、免罪符にもなりはしない。過去を想起する、下らない繰り言。それだけだ。
 もっと早くに引き離していたら、疵を負わない保証など、何処にもない。
 互いの魂を混融させ、混融させてしまったが為に出来た欠け。気付いてしまった内側の埋まらない欠け。それは餓え続けて行く事と同義語だ。餓える事で、満たされて行く欠け。
 だからこそ、南次郎は、願うように、下らない過去を想起する。それは別段、南次郎だけではないだろう。こうして、桃城の背を凝視続けている彼等も、一度や二度は、考えた事に違いはない。
 もっと早くに。
そうすれば、少なくとも、遺こされた桃城の疵は、此処まで酷くはならなかっただろうと、桃城の此処二週間の行動を振り返れば、そんな言葉が脳裏を過ぎったとしても、当然の結果だろう。けれどそんな言葉とは相反し、今正面を向く桃城の背は、昨日までのものとは違う気配を滲ませている事を、感じ取れない彼等ではなかった。なかったから、ただ黙って、桃城の背を見ている。桃城が自ら口を開くまで。彼等は何時間でも、きっとそうしているのだろう。時間が必要なのは、何も桃城だけではなかったのだから。
 淡い薄紅の花片が舞う中。桃城は、リョーマの墓の前で、まるで其処にリョーマが居るように語り掛けている。そんな姿を、誰もが眼にしていた。
 一時期は、リョーマの後を追って逝ってしまうのではないだろうかと、本気で危惧した程だった。
 けれど今は違う。昨日と今日と、大した時間など感じさせないその中で、一体桃城の内側に、何があったのだろうか?誰にも判らなかった。
 桃城が、ゆっくり背後を振り返った。その時一斉に凝視されている視線の意味に気付き、此処数日で随分憔悴し、鋭角になった造作に、深い苦笑が滲んだ。久し振りに見る桃城の苦笑だと、誰もが思った。
 リョーマが早すぎるその生涯を閉じた時から、桃城の苦笑を見た者は居なかった。泣く事さえできず、表情を失った貌ばかりを見てきたから、苦笑でさえ、カタチにされた表情に、英二が堪らず、泣き出していた。
「心配かけて、申し訳ありませんでした」
 凝視して来る視線は、どれもが責めるものなど微塵も浮かべてはいなかった。ただ心配そうに語り掛けてくる視線に、桃城はまっすぐ一人一人の眼を見詰め、そうして頭を下げた。
「桃〜〜〜」
 大粒の涙を流し、英二が桃城に抱き付いた。
「英二先輩。心配掛けて、申し訳なかったです」
「オチビも逝っちゃって、桃まで逝っちゃうんじゃないかって。俺心配で、心配で」
 心配で心配で、本当は夜さえ眠れなかった。
けれど今自分を抱き返す桃城の腕には、確かな力が有る事が、英二には判る。
一体何が桃城の内側を守っているのだろうか?守ったのだろうか?英二は涙で滲む視界で、桃城を凝視する。
「桃城」
 端然とした手塚の声が、桃城を見ている。
「部長。すみませんでした」
 一足先に、世界へと歩き出している手塚に、一体どれ程の心配を掛けただろうか?
「大丈夫、なんだな」
 もう自分は部長ではないと、一体何度言い募ったか判らない科白だと、手塚は内心苦笑する。
「ハイ」
 未だ抱き付く英二を張り付かせたまま、桃城は手塚の声に、端然と口を開いた。
 澱みも迷いも映さない双眸が、まっすぐ正面を凝視するのに、誰もが桃城の内側を守っている者は、結局リョーマでしかないのだと、気付いた。
 後追いしそうに憔悴させもして。けれど結局立ち直らせたのは、リョーマという存在なのだろう。かつて桃城が、幼いリョーマの内側を守っていたのと同じように。
 一体リョーマの何が、桃城の内側を守ったのだろうか?
時間を掛け、立ち直るというなら未だ判る。けれど昨日と今日という1日の差で立ち直れるのなら、切っ掛けが有った筈だと、誰もが桃城を凝視する。
「昨日、南次郎さんから渡されて」
 そう言って、手塚達の前に差し出されたのは、昨日桃城が南次郎から渡された、リョーマの日記帳だった。
「これ?越前の?」
 手塚の隣に立つ不二が、桃城の手の中にあるものに視線を落とし、次には桃城に視線を合わせ、問い掛ける。
「俺が立ち直れそうになかったら、渡すようにって、言われてたらしいですよ」
「……オチビらしい」
 最後の最期まで、結局桃城の事しか残りはしなかったのだろう。遺こして行く不安と恐怖と。リョーマにとって、一体どちらが怖かっただうか?フト英二はそう思った。思って、桃城から離れ、御影石の墓標の前に立った。
「英二先輩?」
「オチビ、怖かったよね」
 腕が伸び、墓標に触れる。
「怖かったと思うよ、死ぬ事も。でもさ桃」
 そうしてゆっくり振り返った時。英二はひどく曖昧な貌をしていた。
「きっとオチビの奴。死ぬ怖さと同じ深さで、桃を遺こしてく怖さを、持ってと思うよ。だから、遺こしたんじゃないの?」
 ソレと、英二は桃城の手の中のものを差した。
きっとリョーマは、桃城の有り様というものを、よく判っていたのだろう。
「そうかも…しれないですね」
 あんた過保護と、いつもいつも呆れられていた。けれど最後の最期。甘やかされていたのは自分だと、この日記を読んで、桃城は思い知った。
 昨夜一晩掛け、桃城は日記を読んだ。リョーマの内心が手に取るように判る部分も、判らない部分も沢山書かれていた日記。読んでいて、泣いている自覚なく涙を流し、気付けば、一晩中。リョーマの名前を繰り返していた。
 有り触れた日常の光景が、実は一番美しいのだと、気付かされた。遠い夢のような綺麗な蒼。手を伸ばして焦がれ続けて、頭上に広がる空。暮れ行く夕暮れ。満点の星空。
他愛ない日常。だからこそ、リョーマはきっととてもよく判っていたのだろうとも思えた。
 桃城とテニスを天秤に掛けてみた所で、同じ天秤で秤ない代物。それでも、人は計れない有り様を、目先の天秤で計ろうとする。テニスと桃城というものの狭間で揺れ続けて。
テニスも桃城も棄てる事も出来ずに。踏み付けて行く屍の上に立つ自分の有り用というものを、リョーマはとてもよく理解していたのだと。


『上に行くよ』

 雨上がりの夕暮れ時。言われた言葉だ。


『俺はね、足許に有る屍の存在の上に立ってるって、ちゃんと判ってるから』

 だから踏み付け歩いて行く強さが必要なんだと、リョーマは笑った。その程度の強さがなければ、戦場に等しい場所を、歩き続けて行く事は叶わない。
 屍の上に立つ強さ。歩く強さ。そうして、いつか屍になるかもしれないという怖さ。勝ち続けて行く高みを目指して歩く姿は、孤高の王だと、桃城は思った。


『俺は、あんただって、きっと踏み付けてく』

 甘えた関係が欲しいわけではないのだ。無残な屍になっても、立ち上がれる程度の強さが、桃城にないなど、微塵もリョーマは疑ってはいなかった。だからこその言葉だと、気付かない桃城ではなかった。
 だからこそ、託された言葉が有った。



『世界へ』


 枷だと告げられた、願いの淵。祈る程深く掲げられた、たった三文字。



「桃、其処には、越前の沢山の言葉が、詰まってた?」
 桃城の差し出した日記帳を眺め、不二が薄く笑う。
写真が趣味の不二の写真の中から、リョーマの遺影の写真は使用された。最初南次郎のその申し出に些か怪訝になった不二も、そうリョーマに言われていたと南次郎から聴いた時。アアと、悟っていた。
 結局リョーマは、最期まで身の後始末まで考えていたのだと。遺骨さえ遺こしたくはないと言っていた程だから、当然なのだろう。
 不二が撮ったリョーマの写真は、すべて両親に焼き増しされ、一冊のアルバムとして手渡されていた。
「読んでやって下さい」
 俺の事だけじゃないしと、桃城は南次郎から手渡された日記を、手塚に差し出した。
「いいのか?」
 それは、リョーマが桃城に託したものの筈だと、手塚は桃城を窺った。
「読んで、下さい。部長達にも、遺こされたあいつの言葉が、有るんです」
 遺書というには些か趣の違うソレは、きっと手紙に近いし、リョーマの独白めいた最期の語り事に近い。
「判った」
 桃城から日記を受け取ると、彼等は墓標の前に、思い思いに腰を落とした。
 薄い膜のように綺麗な花片が、サラサラと流れて行く。
そして彼等は、リョーマの遺こした言葉を、噛み締める事になる。