A Will

act2






「莫迦だオチビ」
 読み終えて、英二が泣き出していた。
リョーマの心配した通り、葬儀の間中。泣いていたのは英二だった。
「こういう、事だったんだ」
 父親に告げていたという遺影の写真。こんな所に事後承諾の形で、撮った人間に許可を求めるあたり、リョーマらしいと、不二はうっすら涙の滲む眼で、笑った。
「俺に妬いて、どうすんだよオチビ」
「確かに、桃は、英二の事だけは『英二先輩』って呼んでるからな」
 大石が、泣き出した英二の頭をクシャリと撫で、慰める。
「鮨なんて、いくらでも握ってあげるのに」
 帰国子女のリョーマは、けれど何より日本食を好み、鮨が好きだと言っていた。鮨程度で済むなら、いくらでも握ってあげられたと、河村は泣き笑いに笑った。
「俺は、策士でもなんでもないんだけどな」
 自分に出来る事は、手塚を補佐して、スケジュールを管理する事程度だったからしていたのだと、大石は空を見上げた。
「まったく…こんな事なら、乾汁をもっと飲ませておくんだったな」
 相変わらず、眼鏡の奥の表情は読めない乾が、苦笑する。葬儀の間。泣いていた乾は、けれど眼鏡を取る事なく、ハンカチでその奥を拭っていた。
「ったく、こんな奴の何処が良かったんだ」
 墓標を眺め、そうして桃城を眺めて再び墓標に視線を戻す。ライバルと言えば、ライバルなのだろう。喧嘩して競って。互いの実力を知っているからこそ、喧嘩も技術も競う会う事が出来る。けれど、それを妬かれる理由にはならないだろうと、海堂は墓標を凝視する。
「俺も、楽しみにしていたぞ、越前」
 世界に出てきて、競って。そうして続くものだと、手塚も思ってきたのだ。だからこそ、託した。


『青学の柱になれ』

 高架線の下。告げた言葉。リョーマのテニスに力を与えた手塚のテニス。



「お前は、俺の後輩だ。いつまでも」
 未完成だからこそ、誰もが等しく持っている可能性の在処。その最たるものを手塚はリョーマの中に見出だしていた。
世界に出てくるのだと思っていた。世界という戦場で競う事を、だから楽しみにしてもいた。こんな結果で失われてしまうとは、誰もが思ってもいなかった事だ。
「オチビの奴」
 一体どれ程の怖さを抱き締め、こんな言葉を遺こしていたのだろうかと思う。それも遺こして行く自分達の為の言葉だと思えば、その強靭さに、リョーマの本質を思い知る気がした。
同じ立場に立った時。自分が此処まで強靭でいられる自信など、英二には欠片もなかった。 
「あの子らしいね。桃にはこれだけの言葉、なんて」
 最後のページに張り付けられた写真の中。リョーマは綺麗に笑っている。その写真を眺め、不二が薄い笑みを刻み付けている。
 他の誰より関係を気付いてきた桃城に遺こされた言葉は、とても少ない。たった数行だ。けれど。
「消した跡、だね」
 丁重に、ペンで書き連ねられた言の葉達。最後に書かれていた桃城への言葉。
たった数行の言葉の後。躊躇い疵のように、紙に消された跡が有る。きっとその部分は書くか最後まで迷って、鉛筆で書かれたものだろう。そして最終的に消された言葉。
 一体何が書かれてあったのだろうかと思う。推測は可能でも、それは真実ではないたろう。尤も、真実など知った所で、それが優しいばかりのものだとは、限らないのだ。
「俺は、あいつの遺こしてくれた言葉に誇れるように、生きて行きたいって、思います」
 書き記された言葉。消された言葉。リョーマの内側で、飲み込まれただろう言葉達。
「あいつ、忘れろって、煩いっすけどね」
 忘れて生きて行け。ちゃんと忘れて、未来の可能性を放棄する事なく。ちゃんと自分の道を歩いて生きて行けと。最期の最期まで、リョーマは他人の心配ばかりだった。
 そんなリョーマに、少しでも誇れるとしたら、それは自らの道を、ちゃんと自分の足で歩いて行く事程度だろう。


『あんたは、俺の事なんて、ちゃんと忘れて生きて』

 ゼロにできない事など、承知で願った言葉だっただろう。
それでも、縋り付く程必死な面差しで、願われた言葉だった。背負わなくていいと。負い目を抱く事はないと。リョーマは最期まで心配ばかりしていた。
「いつかあいつの居る場所に逝った時。あいつに誇れる程度には頑張ろうって」
 安易な慰めでもなく、祈る程深く願われた言葉に報いる事ができるとしたら、そんな程度だ。
「そうか」
 桃城の内側を、最期まで守り続けるだろうリョーマの言の葉。手塚は、ただ静かに、桃城を凝視した。
 精悍だった面差しは、此処数日で随分鋭角になり、大人の印象を深めている。何より、眼の色が違って見えた。漆黒の眼の底には、決意が見て取れた。
「俺は、歩いてきます」
 託された言葉。凝縮された言葉達。願いの片隅に横たわるものは、本当に忘却だうか?
 忘却は、精神の救済作用だと言う。それでなくても、記憶は確実に劣化し、風化し、そうして主体の都合のいいように書き替えられていくものだ。記憶を正確に保存し続ける事は、ほぼ不可能に近い。
 それでも、忘れられない事もあるのだ。忘れずに、生きて行く。その痛みも悲しみも。
愛し求め合った肌の温もりも。掲げられた深い想いも。無理に忘れる事はないだろう。
今なら、そう思えた。
「それで、いいよな?」
 桃城は、確認するかのように墓標に向かって、言葉を掛けた。


『あんた、本当に莫迦……』

 泣き笑いのリョーマの声が、聞えた気がした。


「オチビ。俺達、ちゃんと生きてくから」
 そうと願ってくれたように。
「其処で、ちゃんと見ていてくれないとね」
 不二が青空を見上げ、薄く笑った。
 毎年綺麗な花を咲かせる桜のように。無残に踏み付けられると承知して、それでも毎年綺麗な花を咲かせる花のように。
そうで在る事ができるように。






























「………桃の馬鹿野郎…………ッッッ!」
 冬晴れの空の下。英二の泣き声が高く響く。
中学生時代から25年。随分年も食ったというのに、英二は相変わらず感情豊かだ。
「結局、桃には、最期の最期まで、あの子だけだったんだね」 最期のその瞬間にまで、その名前を呟いて逝ってしまう程。結局、互いに最期まで手放さなかった名前で存在で、きっとそれは魂そのもの、なのかもしれない。
「まして……」
 助けた子供の名前が『リョーマ』というなら尚更だ。
それもプロを引退した翌日だというのだから、人を食うにも程が有る。
「ったく、大莫迦野郎だッ!」
「桃城らしいといえば、桃城らしいな」
 25年経った今でも、人前では眼鏡を取る事をしない乾の表情は、相変わらず読めない。
「あいつらしいな…」
 リョーマの遺こした日記の後を、今度は桃城が書き続けていた。
忙しい時間の中で、毎日書き続ける事は困難だったのだろう。随分日付的には抜けている部分はあっても、桃城はリョーマの日記の後から書き始め、日記帳も同じものを買い揃えて書いていた。一行だったり、数行に及んで書かれていたり。羅列される言葉のどれもが、見慣れた桃城の字だった。それは25年と言う歳月で、膨大な記憶と言葉達を遺こしていた。
 リョーマが遺こしてくれたもののように、降る程柔らかいナニかを、いずれは訪れる生命の終着点に向け、桃城が書き始めたのか、それは誰にも判らなかった。けれどこうして後輩が二人逝ってしまえば、嫌な実感の仕方をせざる終えない。
 リアルな死は、リアルな生そのものなのだと。
死というものを認識して、初めて生が見えてくるその二律背反。望みながら、いずれ訪れる場所に辿り着く事こそ生そのもの。
「まぁだからさ。僕達は、精々意地汚く、生きていかないとね」
 いずれ訪れる終着点に向かう為に。きっといずれその場所で出会うであろう後輩達に、これでも随分頑張って生きたと、誇れるように。
「そうだな」
 周囲から、年齢負傷と囁かれる不二の科白に、手塚は何とも言えない表情で笑った。






























忘れろって言われ続けて、それでも忘れられなくて。
俺は隙間埋めるのに、随分苦労してるよ。
適当に誰かを求めても。求めれば求めるだけ空洞意識しちまう。
ダメだな。お前には呆れられそうだけどな。
お前知らなかっただろう?俺は案外器用貧乏で、基本的には不器用なんだよ。

お前に、これだけは報告しとかないとな。
俺は、とうとう引退したよ。
少し早いかもしれないけどな。
随分この躯に無理させたし。
何事にも、引き際って肝心じゃねぇ?

もうすぐお前の誕生日だな。
おめでとう。
お前が生まれてくれた事
お前が俺を愛してくれた事
俺はちゃんと覚えているよ。

お前もう居ないけど。
でも守られてる事は判るから。
きっと居るんだろうな。

日本に着いたら、真っ先にお前に逢いに行くから。






もうすぐお前の誕生日だな



そんな言葉で、桃城の日記は途切れていた。