| 「随分伸びましたね」 「お前が切るなって言うから、伸び放題だ。いい加減鬱陶しくなってきたぞ」 「鬱陶しいはひどい言い草ですね。毎朝毎晩、丹精込めてブラッシングしてさしあげている のに」 「僕の髪は庭の草木や花か?何が丹精こめてだ」 「単なる事実ですよ。奥さんの髪は社交界でも有名じゃないですか」 「だから鬱陶しいんだろうが。何処のシャンプーを使ってるんだとか、トリートメントはどんな 方法だとか」 「奥さんのこの髪は、まるで絹糸のように細くて滑らかで柔らかいと、ご婦人方が羨んでお いでですからね」 「お前以外に触らせた覚えはないのに、何処からそんな表現が出てくるんだ?」 「見た目の印象も多分に含まれているとは思いますが、見た目だけでもそれが伝わってし まう程度に、奥さんの髪は極上の絹糸と差異はないと言うことですよ」 「要は暇なんだろう?」 「まぁ確かにそうでしょうけれど。奥さんの髪が極上の絹糸のように綺麗なのは確かですよ。ご婦人方は、お洒落には敏感ですから」 「だから暇なんだろう?目先のことしか頭が働かない連中の集まりだからな、社交界なんて 場所は」 「素直に喜んで下さってもいいと思いますよ?私が愛情こめてブラッシングしているんです から、綺麗なのは当然です。これも愛情の賜物ですよ、マイ・レイディ」 「……妊婦は髪を短くしておくのが基本らしいぞ」 「それは庶民の場合ですよ。お腹が出てくると、髪を洗うのも一苦労ですからね。ですが奥 さんには私がいるんですから、切る必要は何処にもないですよ」 「どうせお前の魔力で長さなんてどうにでもなるんだから、夏の間くらい短くさせろ。秋になっ たらまた長くすればいいだろう?」 「判ってませんね。魔力は何処まで言っても、所詮は偽物、まやかしにすぎません。本物の 美しさに適う訳がありません。ですから、却下です」 「ただの長い髪にしか思えないけどな」 「奥さんはもう少し、自分というものを知らないといけませんね」 「?」 「綺麗なのは髪だけではないと言うことですよ、マイ・レイディ」 髪だけではなく、容姿も魂も何もかも、シエルは綺麗だ。けれどシエルはセバスチャンの 科白の意味が判らないのか、長く伸びた絹糸のような髪を細い指先に絡めながら、キョトン と小首を傾げた。 「ねぇシエル、シエルは何処のメーカーのシャンプーを使ってるの?」 「……リジー」 従姉妹の科白に、シエルが思わずがっくりと肩を落してしまったとしても、罪はないだろう。つい数時間前、それはシエルがセバスチャンに鬱陶しいと語った中身だったからだ。 「リジーは未だ子供ねぇ」 そんな姪っ子の無邪気な科白に、マダムレッドはティーカップに口を付けながら、理知的 な双眸に意味ありげな笑みを宿した。 「アン叔母様?」 「シャンプーやトリートメントの製品だけじゃ、シエルみたいに極上の髪にはならないわよ」 社交界でその髪の柔らかさと滑らかさが評判になってしまう姪の髪は、極上の絹糸のよう だと言われているのだ。けれどそれが何も価格ばかりが高いメーカーの品物を使用してい るからではないのだと、マダム・レッドはよく知っていた。むしろ価格への拘りなど、愛妻家 のセバスチャンは持っていないだろう。シエルの躯に合うものを、そしてできれば自然に近 い製品を選んでいることを、マドム・レッドは気付いていた。 ちょっと見ていれば、そんなことは判るものだ。判らないのはエリザベスが未だ子供だか らで、社交界の婦人達は、ゼロの多さで物事を換算することしかできないからだ。シエルに 言わせれば、無能の一言に尽きるのは言うまでもない。 「判らなければ、レディは未々子供だということだよ」 呼びもしないのにちゃっかりお茶の席に同席している劉の科白に、シエルは苦り切った表 情を刻み付け、涼しい表情でティーカップに口を付けている劉に睥睨を向けた。 「え〜〜?」 「それは勿論、愛妻家の執事君の愛情の賜物だからだよ」 『違うかい?執事君』と、劉同様、呼んでもいないのにちゃっかりとアフタヌーンティーに同 席している葬儀屋に、セバスチャンは苦笑する。それもまた、シエルと語った会話の中身だ ったからだ。 自分の魔力が及ばない段階で、人間じゃないかもしれないなと、完全に他人様の意見を 思っているセバスチャンは、何もかも見透かしたかのような劉と葬儀屋の科白に、苦笑を禁 じ得ない。これでシエルや、その胎内に宿る子供達に危害でも加えようものなら、転生など 不可能な程魂諸共粉砕するところだったものの、恐らく彼らは無益な危害をシエルに対して 決してしないだろうと判っているから、セバスチャンは今のところ二人を放置することに決め ていた。 彼らは恐らく、シエルに何かあったら、身を盾にしてもシエルを守るだろうと、根拠のない 確信を身っている結果でもあったからだ。 「そうそう、いい男のエキスを飲むと肌にもいいし、ホルモンのバランスにもいいのよ〜〜」 「マダム・レッド!」 しれっととんでもない科白をさらりと口にするマダム・レッドに、シエルは白い頬を紅潮させ 叫び上げた。 昼日中口にするには些かとんでもない科白に、シエルは叔母の破天荒の行動を思い出 す。 社交界の花と言えば聞こえはいいが、行動力の塊のように好奇心旺盛なこの叔母は、裏 社会を管理するシエルの手にさえおえない傍迷惑な破天荒さを持っている。 「相変わらずだね、マダム・レッドは」 いっそ相変わらずすぎて安心してしまう程度には、マダムレッドは相変わらずだ。 「いい男のエキス?」 エリザベスはマダム・レッドの科白が今一つ判らないのか、キョトンと小首を傾げ、愛らし い貌がシエルを眺め、それがらシエルの夫であるセバスチャンへと伸びた。 「確かにセバスチャンはいい男だけど、エキス?」 以前はシエルの婚約者だったエリザベスは、シエルがセバスチャンの手により遺伝子か ら組み替えられ、男から女性になった時点で、婚約者を失っている。尤もセバスチャンによ り記憶は完璧に書き替えられていたから、エリザベスはシエルが女性の従姉妹と疑っても いなかった。今では女同志でしかできない相談を互いにしている間柄だ。 「リジーも好きな男の一人や二人いるでしょう?」 社交界ではそれなりに求婚が舞い込んでいる姪だから、それなりに経験があるかと思っ ていたが、思っていたような事態にはなっていないらしい。 「女を綺麗にするのも、男の為に綺麗になりたいって思わせるのも男の手管だから、判らな いのはリジーが未だ本当の異性に出会っていないからよ」 にっこりと艶やかに微笑むマダム・レッドは、確かに社交界の花と呼ばれるだけあり、男 女の機微には精通しているのかもしれない。 「出会えば、嫌でも判るようになるわよ。ねぇ、シエル?」 「……そんなこと知るか……」 完全に他人様の意見を口にする叔母に心底呆れながら、不意に回ってきたお鉢に憮然と なってそっぽを向く。そうすると隣に佇んでいるセバスチャンと極自然と目が合ってしまい、 シエルは不意に悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべた。 向けられた笑みの意図を見誤るセバスチャンではなかったから、やれやれと微苦笑に紛ら せ、呆れた吐息を吐き出した。 「ダメよシエル。あともう少し我慢なさい」 そして姪っ子の表情の意味をいち早く見抜いたマダムレッドは、確かに男女の機微には 敏感なんだろうなと、シエルは内心で舌打ちする。 裏社会の秩序とよばれるシエルでも、担当医である彼女には逆らえない。何より打ちひし がれた様子で堕胎をしてくれと訪れたシエルを慰め、擦れ違っていたセバスチャンとシエル の仲を取り持ったのも彼女となれば、シエルが逆らえる道理は何処にもないだろう。 「伯爵は我が儘だね。これじゃぁ執事君が苦労する筈だ」 けれどそのセバスチャンも、他社の製品は安全性に欠けるから、生まれてくる子供達には 使用させられないと、自社製品を開発してしまえとばかりにシエルに膨大な企画書を突き付けた張本人だったから、我が儘はお互い様だろう。これで子供達が生まれれば、自社開 発製品は増えることはあっても、減ることはないんだろうなと、やはり我が儘なのは執事君 の方かもねぇと、劉は少しばかり遠い眼をした。 「でも執事君は嬉しいだろう?何せ1から10まで、自分好みに伯爵をレディ教育できるんだ から」 花嫁を自分好みのレディに育てるのって、男の夢だよねぇと、他人様の意見を口にする葬 儀屋に、セバスチャンは優游と笑みを浮かべたが、その笑みには説得力がありすぎた。 つまりは単なる事実だと、肯定したようなものだ。 「…育てられた覚えはないぞ」 「覚えはなくても、手取り足取り腰とり、色々教えられただろう?」 「葬儀屋!お前はもう少し言葉に衣を着せろ」 「それは奥さんにも言えることですねぇ」 物事は直截に告げればいいというものではなかったから、シエルも葬儀屋も、どっちもどっ ちと言うことだろう。けれど衣を着せて持って回った言い方が得意な劉の科白は、それは それで怪しさ満点な科白にしかならない。 「セバスチャン貴様…」 「シエル、女の子が貴様なんて言葉使ったらダメよ」 この従姉妹は、社交界でもその絹糸のような髪が評判になってしまう程綺麗な容姿をして いると言うのに、自分の綺麗さにはまったく無頓着なのか、レディとしての言葉使いが今一 つだ。これで見た同様中身も淑やかなら、申し分ないのにと、エリザベスなどは内心で思っ てしまう。けれど不思議とこれはこれでシエルらしいと思ってしまう内心を、エリザベスは知 らない。 「直らないのよ、この子のこの言葉。でもこの言葉が出るのは、気心の知れた相手の前だ けだから、気取ってない証拠よ」 「これも伯爵の可愛らしさだと思うよ。下手に気取った喋りしかできないレディよりチャーミン グで魅力的だ」 「詐欺師の要素ばっちりだね、劉は」 すかさずフォローする当たり、劉のシエルへの思い入れが判るというものだと、葬儀屋が 長いプラチナブロンドを揺らした。 「髪と言えば、葬儀屋も同じだろう?」 葬儀屋の髪は長いプラチナブロンドで、陽射を透過し輝く髪は、シエルから見ても綺麗に 映った。何も髪が綺麗なのは、自分だけじゃないいだろうと、シエルなどは思ってしまう。 「身嗜みも英国紳士のお洒落というものだよ」 嘘か本気か判別の付かない葬儀屋の科白に、エリザベスは関心した様子でいたものの、その嘘くさい科白には、エリザベス以外の全員が呆れたのは言うまでもない。 「その恰好と風体で英国紳士を語るなんて、少しは自分を知りなさいよ」 セバスチャン特製のシンプルなストロベリーケーキにフォークを突き刺しながら、マダムレ ッドが心底呆れた口調で笑った。 「ひどい言い様だね。これでも充分心は英国紳士で、身嗜みには気を使っているんだよ。同 じに見えるこの服だって、少しずつデザインが違うし、お肌の手入れは入念にしているんだ よ。だから髪だって小生のは伯爵に負けないくらいに綺麗だろう?」 表情の見えない長いプラチナブロンドの奥で、葬儀屋が笑う。 「まぁさ、レディの質問の本題に戻ると、伯爵の髪は、シャンプーのメーカーって言うより、丹 精に込められた愛情の結果ってことだと思うんだよね」 ねぇ執事君と、シエルの隣に佇んでいるセバスチャンに視線を映せば、セバスチャンは劉 の科白に莞爾とした笑みを滲ませ口を開いた。 「やはり劉様もそう思いますか?奥さんはまったく自覚して下さらないから、困っていたんで すが」 「セバスチャン!」 碌でもない科白をしれっと告げられ、シエルは嫌そうに眉間に皺を刻んだ。 「他人から見てそう見えるって言う程度には、奥さんの髪の手入れに心を砕いている私の 愛情は眼に見えやすいということじゃないですか」 嫌そうに渋面するシエルに莞爾と笑うと、セバスチャンは長い髪をサラリと一房掬い上げ る。 白い手袋の隙間をさらさらと波打つように流れていくブルネットの柔髪は、明度の淡い陽 射を透過し、きらきらと光を放っている。この滑らかさと美しさが愛情の結果じゃなくて一体 何なんだと思いますか?と、セバスチャンはにっこりと擬音を響きそうな威勢でシエルに笑 い掛けた。 「何も眉間に皺寄せる程のことじゃないわよ。あれだけ周囲を巻き込んで心配させたんだか ら、これくらい安いもんじゃない。愛されてる証拠だと思って、諦めなさい。実際アンタの髪 は綺麗だし、だから社交界でも評判になるんだから、訊かれて鬱陶しかったら、今度からは 思い切り惚気て見せるのね。そうしたら誰もが呆れて口にしなくなるわよ」 愛されてますからの一言でも言えば、きっと誰もが呆れて閉口するだろう。それは事実の 一部には違いないのだから。 「だからリジーもシエルのシャンプーのメーカーなんて気にしてる暇があるなら、いい男ゲッ トしなさい」 叔母としてその意見は如何なものかとシエルなどは思ってしまうが、エリザベスは自立し た叔母を尊敬しているから、素直に感心しきった眼差しでマダム・レッドを見ている。きっと 絶対、何か勘違いしてるに違いないと、シエルは内心で溜め息を吐き出した。 「相変わらず、マダムは頼もしいですね」 関心した様子でセバスチャンが笑うのに、シエルはがっくり肩を落して遠い眼をした。 「僕の髪は、そんなに綺麗なのか?」 シャワー後、白い清潔なケットで胸元を隠しながら、セバスチャンに髪をブラッシングされ ているシエルは、長い髪を指に絡めながら、不思議そうに髪を見ている。 「絹糸のようだと評判になる程度には綺麗ですよ。私の愛情の結果ですが、勿論奥さんの 元々の素材も宜しかったんだと思いますよ」 「………料理の材料みたいに言うな」 「お腹の中の双子の一人は女の子ですし、奥さんと娘と、二人揃って自慢の髪にしてさしあ げますよ。奥さんに似た娘なら美人ですしね」 「……お前に似てたらどうするつもりだ?」 親バカもここまで来ると病気に近いなと、シエルは開き直りの境地で、悪魔で親バカの威 勢で語る旦那の科白に遠い眼をした。 「いいえ、女の子は間違いなく奥さん似ですよ」 「根拠はあるのか?」 「昔から言うじゃありませんか。それに男親の夢ですから」 愛妻と瓜二つの娘と。揃いのドレスを着せて倖せな光景を堪能する。それは男親なら望 む光景なのかもしれない。 「勝手に勘違い甚だしい妄想をするな。だったら僕はお前とよく似た息子を生んで、倖せを 堪能してやる」 セバスチャンの小型版のような子供。あの口調で理路整然と語られたら嫌かもしれない が、旦那によく似た息子と、自分に似た娘と、家族四人で過ごす時間は、確かに倖せなん だろうなと、シエルは少し目立ち始めた下腹部にそっと手を当て、薄い笑みを滲ませる。 「貴女の髪を梳くのは私の権利ですから、これからも丹精に愛情込めて、ブラッシグしてさし あげますよ、マイ・レイディ」 なめらかなブルネットの髪に口吻け、セバスチャンが莞爾とした笑みを刻み付けた。 栗もなか屋の九里様より頂きました美麗イラスト!皆様ご堪能あれ! シエルの髪をブラッシングしているセバスのイメージで描いて頂いてて、嬉しくて浮かれてし まいました。本当にありがとうございました! My Fair Ladyのイメージで描いて下さってて、調子に乗ってちょっとSSSを書き下ろしてしまいた(汗)頂いたイラストのイメージを壊してしまっていたら、申し訳ありません。(汗) 書いてる小説のイメージのイラスト頂いたことは初めての経験で、本当に嬉しいです。 九里様、ありがとうございました! |