| 魔法の言葉 |
交睫した次の瞬間、取り巻く空気の感触が変わったことを敏感に感じ取り瞳を開けば、周囲の光景を 先刻とは対極に位置して、視界を埋め尽くすのは濃く暗い闇だけだった。 底の見えない闇は、上下左右の感覚を狂わせる。マジックの鏡像心理を利用したトリックのように、立 ち位置はそのままに、周囲の光景だけを瞬時に入れ替えたかのような不可思議さ。けれどそれが決し て、トリックのあるマジックではないことをシエルは知っている。剥き出しの肌に触れる冷気は、紛れの ない深夜の気配や感触を持っていたからだ。触れる冷気に肌は寒さを訴えてくる。 足許から吹き上げてくる風にドレスが威勢よく捲れ上り、それを反射的に押さえようとすれば、不安手 に躯が傾ぐ。咄嗟に爪先に力を入れようとして、シエルはその時初めて、本来在る筈の足許の地場が 存在しないことに気付いた。 虚を切る下肢。反射的に足許に視線を移せば、まるで異界の入り口にでも立ったかのように、底の見 えない闇だけが延々と続いている。 「セバスチャン!」 らしくない狼狽を滲ませ、自分を支え抱く腕にしがみ付けば、そんなシエルの反応に、セバスチャンが 小さい笑みを滲ませ、口を開いた。 「言ったでしょう?大丈夫ですよ」 「何が大丈夫だ?第一ここは何処だ」 空間転移か空間移動か知らないが、直接被った魔力の影響は躯にはないらしい。けれど足場のない 不安定さが受け入れられるかと言えば話しは別だ。 否応なく、セバスチャンの膝の上に抱き上げられている恰好は、しっかりと支えられている以上、落ち る危険はないだろう。けれどそれがイコールで安心に繋がるかと言えば、心地的な問題は相容れない。頭での理解と感情の理解は、相違が生じてくるからだ。 「さぁ?どこでしょう?」 「貴様…」 遊び心なのか嫌味なのか。秀麗な造作に浮かぶ微笑みに、シエルが苦々しげに舌打ちする。 「やっぱり怒ってるんじゃないか」 ボソリと呟けば、セバスチャンが静かに苦笑する。 「なんだ?」 「いえ。女装しようが、コスプレしようが、肝心なのは中身だと思いまして」 「……だからコスプレってなんだ?」 それはセバスチャンばかりか、マダム・レッドや劉にも言われた科白だったが、シエルは一向に理解 とは愛称が悪いらしい。 「まぁ、特定のコスチュームに関連する変装だとでも覚えておいて下されば、差し障りはないでしょう」 「……それで、ここは何処だ?」 変装なんて二度としないぞと内心で誓うと、シエルは周囲を見渡した。 脚が虚を切る足場のない場所。延々と続く闇。下から吹き上げてくる風に翻るドレス。夜の冷気に、微 かに混じる川の匂い。 「よく見て下さい」 まるで暗闇に点る光源のように、白い手袋を嵌めた指先がスゥッと虚を示した。 「あれは……」 白い手袋の指先の先。示された場所に視線を移せば、仄かなオレンジ色が見える。 闇に慣らすように視線を凝らせば、凹凸を伴った輪郭だけが、暗く濃い闇に黒く浮き上がって見えた。 陽射の下では瞭然な筈の距離感が、闇の中だと曖昧になる。それはまるで物事の仕組みそのものだ と、シエルは内心で自嘲する。 不透明で不明瞭。そんな曖昧な距離感から構成されている社会の仕組み。その程度のことは判って いるが、その曖昧さは自分にとっては最大の禁忌だということもシエルは理解していた。 裏社会の秩序として。そして受け継いだ血の業が、シエルに世間並みの曖昧さを許してはくれない。 黒く浮き上がる様々な輪郭。等間隔に点在するオレンジの点。その等間隔を凝視していれば、曲線 が見えてくる。淡い点に象られている地形。微かにとはいえ風に川の匂いが混じっているのは、ここが 川の近くだからだろう。だとしたら、淡いオレンジの明りは、ガス塔だろうと、シエルはジッと闇に眼を慣 らし凝視する。 淡い光が、辛うじて点となって集約されている場所。それが恐らく川岸のガス塔だろうという推測は付 く。光が点として見えるということは、余程の高所だということで、そんな場所をシエルは知らない。 「地よりは、天に近い場所かもしれませんね」 流石にドレス一枚じゃ寒いですねと、保温とそれだけではない目的を伴い、セバスチャンが華奢な躯 をコートの内側へと包み込めば、シエルの躯が弛緩するのが判った。 ブルネットの長い髪が風に流され、一定方向に靡いていく。 「お前まさかここ……」 夜を映す鏡のような川面。それがなお一層、距離感を曖昧にさせ、底の見えない闇を足許の下に作り 出している。 川岸に点在する明り。黒く輪郭が浮き上がる凹凸。見覚えのある塔の形。 「……まさか……」 『女王陛下の宮殿にして要塞』と呼ばれ、幾重もの塔で構成されているロンドン塔は、かつて宮殿でも あった場所で、身分の高い政治犯を幽閉、処刑する監獄として使用されてきた。 今でも亡霊が出ると言われる血濡れた塔。映し出されている輪郭は、見覚えのあるホワイトタワーだ ろう。そしてこの角度でそれが見えるとしたら、推測できる場所は、一つだけだった。 「完成までには、未だ数年掛かるでしょうね」 絶句するシエルの瀟洒な横顔を眺め、正解ですよと、セバスチャンは静かに微笑んだ。 「タワーブリッジか……」 細い吐息が、淡いピンクのルージューをさした口唇から零れ落ちる。 建設途中のタワーブリッジは、ロンドン塔とのバランスを考慮し、橋の左右にゴシック調の塔を模して いるのが特徴的な跳ね橋だ。完成すれば全長は約244メートルになると言う。 二人は今その完成途中の橋の塔の上にいた。 「地上から約40メートルの場所からの眺めは如何ですか?」 「…暗くて何も見えないな」 数字的な高さを言わると、高いんだなという認識だけが残り、逆に高所に対する、眼下との落差が抜 け落ちる。数字は想像を容易に破棄させてしまうからだ。 見えるのは月と星くらいで、確かにこの場所は地より天に近い場所なのかもしれない。視線だけを巡 らせ下を覗けば、濃紺な夜空を映す川面が鏡となって、歪んだ形で月を映しているのが見えた。 「お前、何でこんな光景を僕に見せようとした?」 足場のない脆さは、自分の立つ場所とさして変わりはないのかもしれない。支え包み込まれているお かげで、高所に対する恐怖は微塵もないが、セバスチャンの意図は今一つ判らない。 「これからきっと、こんな事件は幾らでも起こりますよ」 大切なのは内側だと、シエルを見ているとつくづく思う。 長い間生きてきて、人間と契約したのは、それこそシエルで何番目かも覚えてはいない。男も女も、子 供も年寄りも、契約した人間は幾重も在る。 名誉の為。金の欲。死にかけた母親を助けてと言った幼い子供。中には永遠の生命を欲した莫迦も 居て、年老いても死ねない躯を与えてやった者もいる。 願いというものに際限はない。一つが叶えば次を願う。純粋だった筈の願いが、重ねる度に醜悪に変 容していく。指先一つで世界を変える都合のいい魔法など何処にもないというのに、そんな単純な理に も人間は気付かない。 けれどシエルは違う。引き換えの意味を見誤らない、見抜く眼を持っている。 一族の業と怨嗟を一心に背負い、歩き続けていく幼い子供。それでも俯かない靭い眼差し。研ぎ澄まさ れていく靭さは、脆さとの引き換えだ。その都度シエルの内側から失せていく警戒心と自己への執着。 そんな人間は初めてで、だからついつい意地悪にも、大切にしてしまうのだ。シエルの自覚のない内 側の願いとは相反し。 「科学が進歩していくのと比例して、判らなかった謎が解き明かされて、人間は豊かになっていくでしょ う。そして同じくらい、人間の心に巣喰う闇は、濃く深くなっていく」 接する社会との摩擦や温度差。それは感じ取る人間の機能や精度により多少の違いは在るだろうが、物質面での豊かさが、メンタルに及ぼす影響は真逆に位置していくだろう。 そして女王の番犬であり、裏社会の秩序であるシエルは、訪れる深淵を鏡面に曝し、ますます闇の 中に囚われていくだろう。シエルにとって、深淵との距離は近すぎる。何より精神的に近すぎた。それが痛々しいと思うセバスチャンの内心をシエルは知らないだろう。 悪魔との契約より先に、シエルは魅入られてしまうだろうという昏い予感が、セバスチャンには在った。 「見てきたように言うな」 「流石の私でも、訪れる未来を視る力はありませんよ」 まったくないとは言わないが、特別見たいとも思わない。 特にシエルに関わることは。 「そうだな……」 その瞬間だけ、無機質な双眸がらしくない静謐さを映し出すのを、シエルは見逃さなかった。 「見たくないなら、見なくてもいいだろうし、見ないなら、見えないも一緒だ」 「坊っちゃん…」 「お前の言うように、これから先もこんな事件は起こるだろう」 人から生まれ、人へ還る波紋。まるで川面を撫でる風が生み出す波紋と同じように、人へと還る、善 意と悪意。 「僕は求められる位置で動くだけだ」 夜気を遮るコートと同じように、盾となり剣となる悪魔。 触れる肌から伝わる温度は人間の温もりと差異はなく、心の奥に刻み付けておかないと、この男が悪 魔だと忘れてしまいそうになる。 「だからお前も、僕の傍から離れるな」 巧く関係した利害の一致。契約とはきっとそういうもので、その延長線に、躯を繋ぐ行為も存在するの だろう。暖かいと感じる悪魔の温もりも何もかも、透かし見る向こう側に在るのは、契約の二文字だ。 シエルは自分を包むセバスチャンの肩口に、小作りな頭をコトンと預けた。 吹き上げてくる風にドレスの裾が翻るが、不思議なくらい寒さは感じない。まるで自分達の周囲だけ、 隔絶されているように空気の流れは緩やかなものだ。 「言葉だけでも、躯だけでも納得できない坊っちゃんの疑り深さには困ったものですね」 「駄々っ子みたいに人を言うな」 第一、躯だけってなんだと、シエルは半瞬憮然となる。 「駄々をこねてくれるくらい利己的にできていれば、安心だっていうことですよ」 悪魔というのはその性質上、人間との関わりは大抵が契約の結果によるものだ。契約者は契約する 悪魔に対して選択できないだろうが、悪魔は契約者を値踏みする。 だから悪魔というのはひどく享楽的にできているが、人間界の伝承のように、無差別に他人を窃取す ることはない。契約の基底にあるのが魂の純度である以上、悪魔が契約者を選ぶのは当然の結果だ。 だから契約した人間との契約は最期まで守る。 悪魔には悪魔なりの美学が存在する。その辺りの秤が、シエルには判らないらしく、言葉で告げても 頑なに納得しない。躯を繋げれば繋げた分だけ、シエルの内側に生み出される欠けは酷くなる。 「困った人ですよ、貴方は」 静謐に微笑むと、手袋を嵌めた長い指がブルネットの髪を撫でる。マダム・レッドや劉はそれを即席で 用意されたウィッグだと思っているらしいが、微妙な色合いをしているシエルの髪と同質で同色のウィッ グなど即席には用意できない。 「中々に似合いますよ」 長く伸びたブルネットの髪。仄かに薫るフローラルの香り。 「お前の力なら、性別くらい変えられそうだな」 「おや?してほしいですか?」 遺伝子レベルから作り替えなければそれは不可能だが、できなくはない。作り直す為に、一度バラす 必要は生じてくるが。 「莫迦を言うな」 魔術に纏わる伝承は、歴史の数だけ存在する。そしてそれらの大半は、負の遺産として各地に伝承 されてきた。それこそ魔法の呪文とやらは様々な形で残され、中には童話に、中には童歌に、語り継が れて現在に至る。けれどセバスチャンは詠唱破棄で魔力を使う。それがどれだけ魔力の高さを現してい るか、神秘学やオカルトに興味のないシエルでも察することは容易だ。 一体どれだけの魔力を秘めているのかと思うが、その中身同様、欠片も底など見えてこない。 「坊っちゃん。私の何を信じなくても構いません。だけどこれだけは覚えておいて下さいね」 「?信じないなんて言ってないぞ。お前は僕に嘘を吐かないと誓っただろう?」 キョトンと小首を傾げてくる幼い仕草に、セバスチャンは半瞬、らしくない瞠然さを垣間見せた。 結局シエルの価値観の基底は、その科白辺りに集約されているのだ。 天から与えられた錬金の才。裏社会の秩序を統べる幼い王。強く衝動的な根深い人間の業は、その まま負の感情と同義語だ。そんな人間の悪意の中に身を置きながら、シエルの核心に最も近い部分は、驚くほど透明にできている。まるで成長を止めてしまった子供のように。 「貴方は自分が思っているより遥かに、優しい人間ですよ」 「……ハァ?なんだ急に?」 悪魔でも夜気に当たって熱でも出すんだろうか?そんな有り得ないことを考え、シエルは神妙に美し い悪魔を見詰めた。 「悪魔である私に、そんな科白を簡単に言ってしまえる程ですからね」 「意味不明なことを言うな。嫌味か」 「滅相もない」 莞爾と微笑むと、セバスチャンはシエルのほっそりとした右腕を掬い上げた。 「オイ?」 黒い手袋を嵌められた手の甲に落とされた口吻。 「これから先、世界はその姿や有り様を変えるでしょう」 細い腕を離すと、色素を刷いた赤い眸が虚を眺めた。その横顔をシエルは黙って見ていた。 自分より遥かに長い時間を生き、人間を見てきた悪魔だ。未来を先読みする力の有無とは無関係に、 見えるものもあるのだろう。 「有用無用に関わらず、変わらないものは何もありません。人の有り様もまた同じ。善に傾くも、悪意に 落ちるも、所詮人間の思惑一つです」 化生に変容する人間の有り様。善悪は常に同じ場所から発生する。善悪、好嫌。思惑は個人の中で 計られる。罪の本性を持つ人間の意思の作用から生み出される悪意。個から生み出された思惑は全を 巻き込み、世界はその有り様を変えるだろう。 「だからどうか、これだけは忘れないように。心に刻んでおいて下さい」 「…今夜のお前は、やっぱり変だな」 セックスの最中でも、お前は此処まで饒舌にはならないだろう?そんな風に軽口に紛らせてしまえば、けれどセバスチャンはシエルの思惑に乗ることもなく、淡々と幼い主人を見ていた。 「変わってしまうものの方が遥かに多い世の中でも、変わらないものはあるんです」 「……多方面から見える真実の在処、みたいな科白だな」 真実は決して一つではない。立場や見方。それらによって、容易に姿を変えていく。下される命によっ て解決に導いた真実とやらも、その中の一つに過ぎない。社会の意思として断罪する法に照らし合わ せた真実。それ以外の何者でもない。 「私にとっての真実が、坊っちゃんのそれにはなり得ないように。それでも、変わらないものは在ります よ」 ココにと、細い指先が左胸に触れれば、シエルは半瞬だけ泣き出しそうに瀟洒な貌を歪め、けれど次 には軽口に口を開いた。 「お前が今まで、どんな手管で女を陥落させてきたかよく判るな」 この悪党とシエルが呆れれば、セバスチャンは優游と笑っているだけで、その内側は一切読み取れ ない。それがシエルに幾重かの焦燥をもたらしていく。 昼と夜が入れ替わってしまうように、変わってしまう互いの有り様。それをシエルが無意識に恐れてい ることを、セバスチャンは正確に理解していた。 「だったら約束しろ。嘘は最期まで突き通さないと、真実にはならないぞ?嘘は許さないからな」 「イエス、マイロード」 内側の脆さを削り出して、切っ先を増していくシエルの靭さ。研ぎ澄まされていく先端が、いずれ砕け 散ってしまうまで。 シエルの内側が絶望に魅入られ、足許に築かれていく骸に、その幼い身を投じない様に。それはセ バスチャンの掛けた言霊だと、シエルは死ぬまで気付かないだろう。 契約の代価。その引き換えは、時には悪魔にさえ生じる。契約者に魅入られた悪魔の末路も、契約 者のそれと大差ない。 「髪がこんなに冷えて」 ブルネットの柔髪に口唇を寄せれば、それが夜気に冷えきっているのが判る。 「当たり前だ。地上から40メートルの上空だぞ。冷えて当然だ」 包まれるコートの所為で躯は寒さを感じないが、夜気に触れる剥き出しの部分は、そうもいかないだ ろう。 「だから、ちゃんと責任はとれよ」 「積極的ですね」 「…誰がそっちの意味にとれと言った?」 「おや、違うんですか?」 少しだけ呆れて見せれば、シエルが意味深な笑みを浮かべて反駁を仕掛けてくるのに、セバスチャン は内心で苦笑する。 シエルは欲しいという感情を隠さない。それは悪魔相手に、隠すことは無理だと開き直った結果だ。 欲しいから欲しい。簡単な理だと、シエルは事も無げに笑う。それは処女のくせに、男を陥落させる術 を心得ている婬らな娼婦のような微笑みだった。 「堕ちた娼婦こそ高貴を誇るという、見本のようですよ、坊っちゃん」 切り裂きジャックに殺された娼婦も、シエル程に妖冶ではなかっただろう。 12歳の幼い表情がガラリと気配を変え、細い腕が求めるように悪魔の首に絡み付く。 「清潔と淫蕩なんて、鏡に映し合う程度に同じものだろう?」 クスクスと小さい笑みを刻み付けると、シエルはセバスャンの口唇を求めた。 「んっ……」 小さく漏れる甘い吐息が夜気を振わせ、離れていく口唇。薄い口唇から糸を引く唾液を、手袋を嵌め た白い指先が掬い上げ、舐め取っていく。 「帰りますか?」 「そうだな…」 結局の所で、セバスチャンが何を伝えたかったのか。地上から離れた場所に連れてきてまで、見せた かった光景が一体なんだったのか、シエルには今一つ判らない。 地よりも余程、天に近い場所。濃紺の天空には、満月まで数日を残す石の球体が、冴々とした白い 光を投げ掛けている。 死の象徴である、切れそうに白い無音の世界。殺された女達。下された命に、本当に応えられたんだ ろうか?足場のない今の状況と似通って、どうにも今回の事件は足許を掬われている気分にさせられ る。 「ではお嬢様」 地に立つのと大差なく立ち上がれば、地との落差は一層広がった感触が拭えず、シエルは抱えられ た腕の中から、地上を見下ろした。 実は腰掛けていた場所が塔の傾斜部分の天頂だと判り、椅子に腰掛けている安定感しか伝えてこな かったセバスチャンに、シエルは少しだけ呆れた。 傾斜が激しい塔の頂きに立っているとは思えない優雅さは、悪魔が持つ魔力じみた魅力なの、? 考えてみても答えのない問いだった。魂ばかりか心まで差し出してしまえば、蟻地獄に落ちる蟻と大差 ないだろう。 「参りましょう」 吹き上げてくる風に翻る淡いピンクのドレス。流れていくブルネットの柔髪。黙っていれば完全に何処 かの姫君にしか見えない容貌。男達はさぞ狂わされたことだろう。自分のモノにしたいと思うほど。 「そーいえば、マダム・レッドと劉は、屋敷に居るんだよな?」 おとなしく自分の屋敷には戻っていないだろう二人を思い出し、シエルが半瞬、辟易する。 「ええ。ですから、お声の方は、あまり出さない方が賢明でしょうね」 聴かせたくもないですしと、シレッと告げるセバスチャンに、シエルはガックリ薄い肩を落とし、遠い眼 をした。 |