| 生 誕 祭 act1 |
ダレもが言葉にできない願いを持っている。 小さく綺麗なささやかなもの 矮小で尊いもの 歪んでなお美しいもの 抱える願いの有り様は、当人にしか判らない。 重いのか、軽いのか 小さいのか、大きいのか その秤は個によって全てが違う。 今の季節、英国中の上流階級の屋敷がそうであるように、ファントムハイヴ家のサロンにも、それは白 い暖炉の横に鎮座している。 庭師であるフィニアンが吟味し、庭から切り出されたモミの樹は、今は使用人達の手により派手にデ コレーションされ、すっかりクリスマス仕様になっている。その飾り付けに何故か当たり前の顔をして劉 や葬儀屋が在たのには、流石のシエルも心底呆れた様子で、深々溜め息を吐き出したくらいだ。 先の事件以降、互いを便利に使いあえる道具とでも認識したのか、劉と葬儀屋は最近では何かと口 実を作って、二人揃って訪れる始末の悪さを持っていたから、シエルに言わせれば面倒が二乗で訪れ る結果になっていた。 だから当然、今日も訪れるのかと思っていたら、今日という日に限り、チラリとも二人の気配を感じな い薄気味悪さに、シエルは嫌な予感を感じ取っていた。 「不気味だ……」 そんな内心がついつい口に出てしまったのだろう。盛り上がる周囲とは裏腹に、どんよりした表情で 呟くシエルに、それを聞き咎めたフランシスが、怪訝な表情で瀟洒な貌を覗き込んだ。 「どうしたシエル?まさかあの程度の狩りで、疲れた訳じゃあるまい?」 今は亡きシエルの父親の妹であるフランシスは、婚約者であるエリザベスの母親に当たる。つまりは シエルの叔母であるが、フリルとレースとリボンが大好きなエリザベスとは対極に位置して、フランシス はエリザベスの母親とは想像しにくい凛然とした気配を備えている貴婦人だった。 細面のキリリとした面差しは、怜悧で聡明な気品を湛え、見知らぬ者には、どうしても気後れさせてし まう、何処か近寄りがたい印象を持っている。けれど奥深く瞬く眼差しは静邃で、当人の性格を知ってし まえば、見掛けの冷ややかさとは対照的であると判る。尤も、世間一般の貴婦人が持つ柔和さとは無 縁で、女性ながらフェンシグや狩り、乗馬が得意な行動的な女性だ。その腕前も男顔負けだと、知らな い上流階級の人間は存在しない。そしてその一面は、間違いなく連綿と受け継がれてきた血の業を持 つ家系の娘なのだろう。 「いえ、大丈夫です」 厳格な性格をしているフランシスに、頻繁に出入りしている裏社会の住人のことは、あまり知られてい い情報ではなかった。 勿論フランシス自身、実家が何を代価に栄華を極めてきたのか知らない筈もないから、いくら叔母とい う立場とはいえ、シエルに対し、裏社会の仕事に口を挟む権利は何処にもない。けれどそんなこととは 無関係に、若干十歳で家名を継いだ幼い甥の元に、深淵に近しい人間が頻繁に訪れていることを由と はしないだろうという予測がシエルには付いた。 「そうか?今日はお前の十三歳の誕生パーティーだ。主役が壁の花では意味がないぞ」 とても綺麗とは言い難い飾り付けをされたテーブル。形の崩れたケーキと、見た目はちっとも綺麗では ない料理。そのくせ香りだけは上等で、サロンの中央では、広大な屋敷には不釣り合いな人数しか存 在しない使用人と、婚約者のエリザベスが、何を話しているのか、大はしゃぎで盛り上がっている。 「ご心配、いたみいります」 「まったくお前は、社交辞令ばかりを覚えていくようだな」 その点エリザベスは未々子供だなと、使用人達とはしゃいでいる愛娘の歳相応すぎる姿に、フランシ スは苦笑する。 「お前は未だ十三。世間的には我が儘が通用する歳の筈だ。少し羽目を外したらどうだ?」 「……叔母様。朝と言ってることが正反対ですよ」 叔母の思わぬ気遣いに、シエルは緩い微苦笑を滲ませる。 規律を重んじる叔母は惰性を嫌い、秩序を重んじる。だからこそ規則正しい生活を送っているとは今一 つ言い難いシエルの日常生活を、今日のように突発的に訪れては、正していく一面がある。それが亡 き兄の後、幼い身でファントムハイヴ家を継いだ甥っ子に対する心配の裏返しだと判らない程、シエル は無知な子供ではなった。 「ダンスが苦手なお前に、エリザベスとダンスを踊れという無茶は言わない」 「………」 シレッと言われた科白に、シエルは手にしていたシャンパングラスを危うく落とす所で、押しとどまった。 ゲームは得意でも、ダンスの類いは苦手の一言に尽きるシエルのそれは、けれどセバスチャンしか知 らない筈だった。それを当たり前のように見透かしている叔母に、シエルは『侮れない』と、凛然とした 横顔を見詰めた。 「知らないと思っていたか?これでもお前の叔母だ。甥っ子のことくらい判らなくてどうする?お前がロン ドンに訪れるのは、その役目の為だと判っている。まして貴族の道楽にしかならない夜会に出席するの は、情報収集の為だろう?だから壁の花を気取っていても仕方ないとは思うが、その一因には、ダンス に興味がないからだろう?」 当たり前のようにサラリと言われた科白に、シエルは肯定も否定もできず、繊眉を歪めた。 「そのあたり、お前はもう少し、あの執事に色々教えてもらった方がいいみたいだな。あの執事なら、女 を落とすくらい簡単だろう?」 「………それが13の甥っ子に言う科白ですか?」 ついついシエルが反駁してしまったとしても、この際罪はないだろう。劉といい葬儀屋といい、自分の 周囲に集う人間は総じて底が見えないということと同義語だと思っていたが、まさか叔母までもがと思う と、軽く頭痛さえ起こってしまう。まして口を揃えて、セバスチャンの詐欺師っぷりを見透かしているとな れば、これはもう自分個人の見解ではなく、誰の眼から見てもセバスチャンは手練手管に長けた悪い 男決定だなと、シエルは内心で呆れた。 「利用できる状況判断を見誤らず、利用できるものは利用する。それが機能的で、合理的な情報収集 の初歩だと、教わらなかった?」 「自分の置かれている状況を判断し、利用できるものは利用する。自分の立場を有利にするにも不利に するにも、最終的には自分次第。叔母様も、この家系の人間ということですね」 この程度の意趣返しは許してもらおうと、シエルが意味深な笑みを向ければ、フランシスは苦笑しつ つ、当然のように口を開いた。 「忘れていたのか?」 「忘れてなかったから、今回叔母様に頼んだんです」 謎掛けのようなシエルの笑みに、フランシスは半瞬瞠然となる。それは13歳の子供が持つには、不 釣り合いなものだったからだ。大人びているようで、何処か女の忍び笑いにも見える。 「利用できる状況判断を見誤らず、利用できるものは利用する。初歩の初歩です」 「まったく、お前は。潔癖なくらい嘘は嫌いなくせに、詭弁は得意だな。それでこそ裏社会の秩序と褒め てやりたいが、何処の誰の教えだ?」 この小生意気めと、フランシスは何を思ったのか、不意にシエルの両頬を思い切り左右に引っ張って、サファイアの瞳を覗き込んだ。 「流石子供だな。柔らかい肌で羨ましいぞ」 「……!…叔母…様…!」 厳格な叔母がこんな行動に出るとは思わず、シエルは痛みより先に、眼を点にした。心配されている のは百も承知で、明日は雪か?とさえ思った程だ。 「お前の立場を考えれば、笑顔さえ迂闊には見せられないのかも知れないが、私達の前でくらい、歳相 応な表情を見せてもバチは当たらないぞ」 愛娘のエリザベスと大差ない年齢のシエルは、二年前の惨劇後に爵位を継ぎ、今は裏社会を管理す る王として君臨している。 十三歳になったシエルが爵位を継いだのは僅か十歳。元々聡明で頭の回転が早い子供だった。 チェスやカードに関わらず、幼い甥っ子が頭脳ゲームで他人に負けたところなどフランシスは見たことが ない。相手の一歩も二歩も先を読む眼、みたいなものが生来的に備わってでもいるのか、シエルは携 わるゲームの本質をすぐに見抜いてしまう。そういった、聡明なだけでは説明の付かない部分がシエル には在ったが、それでも、現実的に裏社会の秩序など、十歳の子供に勤まる訳がないと、誰もがあの 時は思っていた。 シエルが爵位を継いだ時、これでは女王の番犬どころか、裏社会の秩序まで乱れると危惧した人間 は、恐らくシエルが考えているより多かった筈だ。逆にこの隙に乗じ、裏社会を使役しようとした者は更 に多かっただろう。 様々な思惑が入り乱れる中、けれどシエルはそんな渦中でも表情を変えず、淡々と裏社会を管理し ていった。その手腕は、幼いながらに歴代当主と遜色がないと、周囲を驚愕させることに成功したくらい で、シエルという幼い生き物は、裏社会の王としての適性が在った。それは言い返れば、精神的にも物 理的にも深淵に近いことを意味していると、ファントムハイヴ家の娘であったフランシスが知らない筈もな く、だからこそ言葉には決して出されることはなかったが、彼女はいつも幼い甥っ子のことを心配してい た。 「笑ってみろ、今日くらい」 「……僕の誕生日に、我が儘言ってるのは叔母様では?」 理不尽だろうと苦笑するシエルに、けれどフランシスは凛とした気配のまま、柔らかい笑みを滲ませる。 「十三歳の誕生日は今日だけだ。自分を生んでくれた義姉上や兄上の為にも、今日くらい笑っていろ」 「……叔母様……」 「誕生日というのは不思議だな。子供の生誕を祝う日だが、生んでくれた母親に『ありがとう』を言う日で もあると思わないか?」 「……エリザベスも、言ってくれますか?」 「あの甘ったれに、そんなものが判るのは、当分先だろうな」 でもお前は違うだろう?と間視すれば、シエルは少しだけ困ったような表情で俯いた。 「お前の人生は、お前だけのものじゃない。お前を生んでくれた両親、お前という存在を形作っている者、皆のものだ。あの使用人達は、お前の家族みたいなものだろう?」 賑やかで騒々しいばかりの使用人は、主の為に一生懸命カタチを残そうと、料理を作り、花を飾った。 「そう、見えますか?」 それは葬儀屋にも言われた科白だと、シエルは苦笑する。 「あんな使用人はイギリス中探したって、見付からないだろうな」 「まぁ、あれだけ仕事ができないと、いっそ清々しい程ですよ」 それでも、底抜けに明るいフィニアンの庭師の才は、セバスチャンさえ認める程で、庭の花と樹木は、 土地の性質を読んだ配置がしっかり成されている。リクエストどおりの品が出てきたことはないが、バル ドもシェフとして無能という訳ではないだろう。メイリンは、まぁ、あれはあれで彼女の個性と割り切れば、いっそ腹も立たない。底のないドジというのも少々頭痛の種だが、リネン類を清潔に保つことには長け ている。そして家令のタナカは、不思議な生き物だ。お茶を飲んでいるだけかと思っていたが、セバスチ ャンが巧く使っているらしい。 「他の屋敷じゃ、一日も経たずに解雇でしょから」 「そういう意味で言ったんじゃないぞ」 「?」 「イギリスの何処を探しても、あんな風に主の誕生日を自主的に祝ってくれる使用人なんて居ないと思 わないか?あの分じゃキッチンも惨状だろう。そうまでしてあれだけのものを自主的に用意する使用人 は、そう多くないと思わないか?それだけお前が大事にされてるって証拠なんだから、笑っていろ」 「…叔母様……」 「だからお前は、笑っていればいいんだ。それが礼だ」 判ったか?と、ブルネットの髪を梳けば、癖一つない柔髪がサラリと音を立てる。 「十三歳の誕生日、おめでとうシエル」 「ありがとうございます」 フランシスの慈愛のこもった言葉に、シエルは心底から柔らかい笑みを見せた。 「坊っちゃん〜〜ホラ食べて下さいよ。皆で作ったんですよ。坊っちゃんの好きな丼も作ったんですよ。 ケーチもちゃんと」 十三本の蝋燭が並ぶ、形の崩れたケーキ。何を煮詰めたのか判らない丼各種。テーブルの上には何 を作ったのか、それだけでは判別のできない料理が所狭しと並んでいて、フィニアンは底抜けに明るい 笑顔でシエルを中央へと引っ張って行く。その行動は侯爵夫人に対する礼儀も何もあったもんじゃなか ったが、けれど不思議と他人に不快感を与える人柄ではないのか、フランシスも苦笑し、テーブルへと 近寄った。 「シエル〜〜これ美味しいの。食べてみて」 そして使用人に混じってはしゃいでいるエリザベスは、侯爵令嬢とは思えない素朴さで、シエルにフォ ークを突き出した。その先には、生クリームのまみれのケーキが乗っている。 「……食べたのか?」 「形はちょっと悪いけど、美味しいのよ」 「……味覚音痴なんじゃないのか…?」 シエルがつい呟いてしまったとしても、罪はないだろう。形か有るんだか無いんだかはっきりしないケ ーキは、既に残骸のようになっている。 「いや、中々に美味い」 「叔母様…」 横では既に料理に口を付けているフランシスの姿に、シエルは華奢な肩を落として落涙した。 厳格な性格をしているフランシスがこんな行動に出るのだ。余程この使用人達がそういう意味では有 能なのか、盛大に呆れてしまったのか、そのどちらもなのか、シエルにフランシスの内心を推し量ること はできなかったが、決して気分を害していないのは判る。 「ホラ坊っちゃん。アーン」 「貸せ!自分で食べる」 「エ〜〜」 「何がエ〜〜だ」 せっかく食べさせてあげようと思ったのにと笑うフィニアンからフォークを奪うと、シエルは自棄くそのよ うにケーキを一口、頬張った。 「……旨い…」 「でしょう?ハイ、アーン」 「……リジー」 無邪気な笑顔で押しの強いエリザベスに、シエルは脱力する。この無邪気さも世渡りの秘訣かと思う と、シエルは天然の笑顔を持っているエリザベスを少しばかり羨ましいと思った。それはもう自分にはで きない笑顔だったからだ。もう何も知らない、幼い子供の頃には戻れない。色々な意味で。それを心底 痛感しているから、エリザベスの笑顔が眩しく、そして少しだけ羨ましかった。 「ハイ、シエル。アーン」 ここで無下に断るのは、叔母の手前を差し引いても得策じゃない。自分を有利にするのも不利にする のも、最終的には自分次第だ。置かれた立場と状況を見誤らず。つい先刻叔母と交わした会話が脳裏 で反芻され、シエルは渋々口を開いた。 それはフィニアンから奪ったケーキとはまた違った色をして、色から推察すればマロンパイ辺りだろう が、口にするまで味の保証は何処にもない。 そして一口食べたケーキは、見掛けとは真逆に位置する味をして、シエルは使用人達の思いがけな いプレゼントに、眼を見張る結果になった。 テーブルに並ぶとりどりの料理。一体どれだけの労力を払ったのかと思うと、彼らの心遣いが素直に 嬉しいと思えた。 「……ありがとう」 不意に思わず視界が滲み、咄嗟に俯き小声で礼を述べれば、予想に違わず明るい笑顔が返ってくる。 「喜んで貰えて、嬉しいですだ」 「俺が腕を振るったんだぜ」 「じゃぁシエル。私がプレゼントしたお洋服着て、ダンスを踊って」 「……今日の主役は僕じゃないのか…?」 フリルとレースとリボンにどっぷり漬かった生活を送っているエリザベスの好みは、常に一貫している。 瞳に合わせた蒼が似合うとプレゼントされた服は、確かにセンスは悪くはない。シエルの雰囲気をよく 判っている洋服だ。けれどそれを着てダンスがオプションで付いてくるとなれば話は別だ。 確かにフランシスの言うように、いつまでも興味がないの一点張りでは通用しないだろう。礼儀としき たりに煩いことが、英国貴族の嗜みでもある。 「そう言えばシエル。お前の執事は何処に行った?主人の誕生日に、客人を放り出してキッチンの後片 付けでもあるまい?」 助け船を出したのだろうフランシスの科白に、シエルは小首を傾げた。 「ホスト役が客人を放り出して何をしている?執事失格だぞ」 誕生日の主役に執事を探しに行けというフランシスも、大概いい性格をしているのかもしれないが、そ の言葉に一理あるなと、シエルは周囲を見回した。 いつも視界に入る位置にいるセバスチャンの姿が確かにないのに、シエルはやれやれと溜め息を吐き出した。 |