| 生 誕 祭 act2 |
「まったくあいつは、主人の誕生日に何処に行ったんだ?美学だなんだと語る前に、それくらいできない のか?」 気配など綺麗に消すことに長けている相手は、けれど気配は消しても、大抵の場合は半端背後に佇 み、視界から完全に消え失せることはない。それが今夜に限って気配も姿も見えないとなれば、シエル が文句を言うのも当たり前だろう。それをして本気で悪魔の美学とやらは理解不能だと内心で悪口雑 言を吐きながら、シエルはキッチンへと向かった。 招かざる客は常に来るが、積極的に客を招くことをしないファントムハイヴ家のキッチンは、他の貴族 達の屋敷と比較すれば、狭い部類に入るだろう。それでも熱がこもらない仕組みの天井は屋上まで吹 き抜けの構造を持ち、最新型の厨房器具が磨き上げられ随所に並んでいる。滅多にキッチンになど足 を踏み入れないシエルは、惨状になっている筈のその場所が、綺麗に磨き上げられているのに少しだ け呆れた。 おそらくセバスチャンは、バルト達が料理を作った代償に汚しまくったキッチンを掃除していたのだろう。 「あいつの魔力も、得体が知れないな」 悪魔の魔力に明確な原理などあるのか見当も付かない。説明などされてもその美学同様、理解など できないだろう。けれど短時間で磨き上げられたキッチンを見ていると、悪魔の魔力がどの方向に有効 なのか、つい考えてしまうシエルだった。 悪魔の魔力というより、キッチンを磨き上げていく魔力は、御伽話の魔法使いか、銀が大好きな妖精 並だ。 シンプルな空間に、機能的に並ぶ器具。銀食器の類いは棚にしまわれ、遠目からでも曇り一つないの が判る。 「面白いもんだな」 貴族がキッチンに足を踏み入れることは、普通に考えれば有り得ない。キッチンはコックの領域で、給 仕の召使さえ通常足を踏み入れない空間だからで、貴族は提供された料理を消費する側の人間だか らだ。だからシエルもキッチンに入ったのは数回しかなかったが、その数回だけでも通常なら有り得な い行為だった。 そして何気なく移した視線の先。広いシンクに無造作に置かれている物体を見付け、シエルは半瞬、 瞠然となった。 「……セバスチャン……」 まるで残骸のように放置されているケーキ。メインの装飾だろう一角が崩れている様は、不要なものと 切り捨てられたかのようで、シエルは息が詰まった気がした。 「どうして…」 瀟洒な面差しが切なげに歪み、今は居ない相手に疑問を投げる。 残骸となったソレを細い指先で掬い上げ、ペロリと舐める。甘い筈のクリームが、今夜ばかりは苦く感 じた。 崩された一角を持つケーキの残骸。シンプルなストロベリーケーキの上には、けれど恐ろしく手の込ん だシルクハット形のチョコレートが乗っかっている。その一角が崩されている意味を、シエルは見誤らな い。 「…何も、棄てることないだろう……」 こっそりと溜め息を吐くように、細い吐息が漏れた。 バルト達が予想もしなかった料理をプレゼントしたから、自分のケーキなど不要と、勝手に切り捨てたの だろう。それがセバスチャンの気遣いだと判らないシエルではなかったが、その見当違いに腹が立った。 有能で万能なくせに、肝心な部分になると取り零していくのは同じじゃないかと、瀟洒な面差しが泣き 出しそうに歪んだ。 「悪魔の美学の前に、主人の気持ちの一つくらい判れ」 自身の内側で不要と切り捨てたのなら、形など残さず、綺麗に破棄してしまえばよかったのだ。惨状 だっただろう空間を、塵一つ残さず磨き上げたように。そうすれば気付くこともなく、胸が痛むこともなか ったのだから。 「やっぱり詐欺師だ」 底の見えない綺麗な微笑みに紛れ込ませ、手の内など決して覗かせない悪党。セバスチャンに言え ば、悪魔ですからと優美な笑みを見せるだろうことは容易に想像が付く。 『つまりは、優しくて最低なヒトタラシってことだよね』 そう言ったのは葬儀屋だったが、その通りだと思うシエルだった。 「僕の誕生日なんだ。精々我が儘言ってやるから覚悟しろ」 半瞬沈吟した後、悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべ、シエルは皿に乗ったままのケーキを こっそりと持ち出した。 「坊っちゃん?何をなさっているんですか?今夜の主役が」 薄昏い廊下でシエルが佇んでいるのに、セバスチャンは少しだけ呆れた口調で笑い掛けた。 漆黒の髪に、真っ黒い燕尾服に身を包む姿は、周囲の闇に輪郭さえ綺麗に溶かし込んでいる。これ が闇夜なら、本気で影が歩いていると錯覚してしまうだろう。尤も、今は両腕に抱えている花束が光源 になり、端整な造作が優雅に笑ってるのが判る。 「その主役に、屋敷を探索させる莫迦が居るからだろう?」 大仰に溜め息を吐き出しながら、そのくせ神経が無意識に弛緩するのが判る。同時に、セバスチャン の足許で判らなかったものの、聞き慣れた声が甘えた鳴き声を上げ、足許に擦り寄って来るのに、シエ ル本気で呆れた。 「………そのネコを探してたんじゃないんだろうな?」 フラリと現れるセバスチャンお気に入りの迷いネコは、セバスチャンと同じように、毛並みの整った黒ネ コだ。見た目だけなら到底迷いネコには見えない毛並みの良さは、最初はセバスチャンが、次にはフィ ニアン達が総出で構い始めてしまった結果、今では飼いネコ大差ない状態になっている。当主であるシ エルは勿論認めていなかったが、足許に擦り寄ってくる小さい温もりを無下にもできず、シエルは両腕で黒ネコを抱き上げた。その微笑ましさに、セバスチャンは柔らかい笑みを滲ませる。 切っ先の上に立ち、裏と表の狭間に立ちながら、シエルの核心に近い部分は、驚く程、優しくできて いる。それが判るのだろう。シエルの腕の中、仔ネコはご機嫌に尻尾を振っている。 「これが届いたので、受け取りに出た際に」 不可効力ですよと笑えば、途端に憮然となる幼い仕草に、苦笑を禁じ得ない。 「………その薔薇はどうしたんだ?」 莞爾とした綺麗な笑みに、シエルは嫌な予感に攅眉する。 音が響きそうな莞爾とした笑み。それは外見だけなら人を引き付ける綺麗なものだが、シエルにそれは 通用しない。セバスチャンがこんな笑みを見せる時は、決まって状況は限定されているからだ。 「嫌な予感は、正解の様ですね」 嫌な予感は当たるものだと、昔から相場は決まってますよと、完全に他人様の意見を口にすれば、瀟 洒な貌が渋面を刻んだ。 「劉様と葬儀屋からのお誕生日プレゼントだそうですよ。ご丁寧に、メッセージカードも付いてます」 今夜ばかりは流石に遠慮という言葉を心得ていたかと、セバスチャンは内心で苦笑する。 いつもいつも、こちらの都合などお構いなしに訪れて来る二人は、けれど肝心な部分は見誤らない分 別を持っている。それが大人としての深慮か、ただの気紛れなのか、そのどちらをも等分に分けた思い 付きなのか、今一つ判別は付き難いが、肝心な部分では決して見誤らない状況判断を持っている。 それは親しさに忘れがちになってしまう境界線を見失っていない証拠で、そして裏社会の王として君臨 するシエルを、今日ばかりは十三の子供に戻そうという配慮だろう。けれどしっかりオプションを付けてく る辺り、二人ともシエルを構いたいのだろうなと察するのは容易だ。 「……まったく……」 片腕では足りず、セバスチャンの両腕に抱えられている大量の花束。それはシエルの好きな白薔薇 で、少しだけ花片が開いた美しいものだった。黒い燕尾服に身を包むセバスチャンの腕にそれがあると、豪奢でありながら清楚さが際立ち、薄昏い空間に光が灯るような燦然さがあった。 どうぞと差し出されたメッセージカードを受け取れば、それは真っ白い紙に薔薇の形が押し型で象られ た洒落なもので、センスだけは上品だ。尤も、中身まで上品かは読むまで判断などできる筈もなかった。 あの二人のことだ。おとなしくメッセージカードなど贈ってくる筈もないだろうというシエルの予感は、正 鵠を射ていた。 「………碌なことしないな…」 女にプレゼントじゃないんだぞと、苦々しげに舌打ちする。『ハッピバースデー』と、タチの悪い笑顔が 脳裏に浮かび、シエルは嫌そうに白皙の貌を歪めた。 今日と言う日に訪問されなくてよかったものの、何か莫大な借金を背負った気分になるのは何故だろ うかと、シエルは半瞬、遠い眼をした。 「二人にしては、分別があったことを褒めなくてはいけないかもしれませんね。お礼もしなくてはいけま せんし」 「……何が礼だ。半分は嫌がらせだろうが」 「そうは言いましても、嫌味だろうが、嫌がらせだろうが、坊っちゃんの好みをしっかり熟知した贈り物な のは確かですよ。この季節に上質な白薔薇というだけでも、安くはなかったと思いますが?」 礼を尽くすのも貴族の義務だと思って諦めなさいと、色素を透かす眼差しが、サファイアの眸を覗き込 んだ。 「だったらお前がスイーツでも作って、もてなしてやるんだな。あいつらの訪問の目的の半分はお前のス イーツ目当てだからな」 「それでは、毒味でもして頂きましょうか」 クスリとタチの悪い笑みを漏らすと、シエルの瞳が、悪戯を思い付いた子供のような、それでいて性質 の悪い女のような忍び笑いを滲ませるのに、セバスチャンは何ですか?と視線で問い掛けた。 互いの意図する笑みの有り様を判っている辺り、劉や葬儀屋に言わせればラヴラヴだねぇということ になるが、当人達に自覚は皆無で、意思疎通はゼロ以下だ。それが僅かながら、劉や葬儀屋に憐憫に も似た感傷を抱かせていると、セバスチャンとシエルは知らないだろう。 「叔母様達が帰られたら、僕の部屋にミルクティーを持って来い」 「承知しました」 簡単に見透かせる笑み。相反し見透かせない意図。忍び笑いに紛れ込む挑発的な勝ち気さに気付 かないセバスチャンではなかったものの、その言外は全く読み取れない。 「そういえば、お前からのプレゼントはないのか?」 「そうですねぇ」 白い薔薇を抱えたまま、沈吟する。 シエルは形の残るモノなど欲しがらないだろう。その程度のことは、考えることもなく簡単に判るもの だった。 悪戯を思い付いた子供の貌。それでいて情事の最中の、妖冶な忍び笑い。かと思えば簡単に素に戻 り、主に対して不義理だとばかりに、当たり前の顔をしてプレゼントを要求してくる幼い生き物。 シエルを構成する要素は一体何処にあるのかと思うものの、入れ替わる表情が無自覚だと判るから、尚いっそう性質が悪いと思うセバスチャンだった。 「それでは」 白い薔薇を抱えたまま、沈吟する面差しが不意に意味深な笑みを刻み、次にはシエルの好きな極上 の笑みを浮かべた。 「一つ大人になられた坊っちゃんには、それ相応、大人のプレゼントを差し上げましょう」 背を屈め、耳朶を甘噛みしながら、セックス最中の甘さを含む低い声で囁けば、華奢な躯が過敏な反 応を示した。その敏感さにクスリと小さい笑みを漏らせば、それにもシエルは素直な反応を示した。 「……手を抜くな」 光源のような白い花束。その甘い香りに眩暈さえ感じ、耳元で囁かれた言葉より何よりも、セバスチャ ンの声そのものに感じきり、甘い懊悩が脳髄を満たしていく。 「だから手を抜かず、啼かせて差し上げますよ」 たっぷりとね、と意味深に囁き、細首に口唇を寄せれば、その意味を間違えることなく理解したシエル の口唇から、甘い吐息が零れ落ちた。 「本当に、敏感な躯になりましたねぇ」 哄笑と同時に、片手で締め殺せてしまいそうな細首を吸い上げる。そうすれば敏感な躯がビクンと顫 えたのが判り、セバスチャンがクスリと小さい笑みを漏らした。 「……あちこち残すな」 鏡を見なくても容易に判る、青く透き通る白い肌の上に残されただろう淡い花片。嫌味か嫌がらせか、それこそ契約の再確認か判らないものの、この悪魔は人の躯に痕を残すのが好きだ。今更所有印な ど付けなくても、人目に曝すことのできない所有印が自分にはあるだろうにと、シエルは吐息を吐き出し た。 右眼に嵌められた悪魔との契約書。セバスチャン自身の悪魔の紋章か何かは判らないが、無機質な 瞳に、それは刻印と同じ意味で描かれている。勿論他人から見たらただのオッドアイだろうが、鏡越し に見れば、それはシエルにだけは瞭然と判る契約書の在処だ。 使用する魔力に応じて、時々に色は変化しているらしいが、鏡を見る限り判る色は常に同じだ。本来 持っているサファイアの蒼と、悪魔の双眸が持つ赤。まるで上書き保存でもされたかのように、二色が 混じったとも思えるアメジストのような紫の眸。それが悪魔から与えられた右眼だ。それはたとえ叔母だ ろうが誰だろうが、決して曝すことのできない瞳だ。 「気付かれたらどうする」 無邪気な笑顔に誤魔化されるが、エリザベスはあれで中々に目敏い一面を持っている。叔母のフラン シスに至っては、見た目同様、中身も同じだ。見咎められたら、タダではすまないだろう。それでも、もう 散々に言い募ってきた科白に効力がないことも自覚しているから、シエルは呆れて咎めただけだった。 「男のロマンっていうやつですよ」 「……何がどうロマンだ?悪魔がロマンなんて語るな」 ロマン、ロマンと来るかと、眼前で優美な微笑みを見せる悪魔に、シエルはがっくり脱力する。 美学だロマンだと語られた所で、現実的に意味があるのか、今一つ、二つ理解不明だ。それこそそんな ものは個人の秤の問題で、他人には理解できないようにできている。 「そんな程度のことも判らないようじゃ、女性を喜ばせることもできませんよ。困りましたねぇ」 「困るのは、お前の見当違いな頭の方だ」 憤然やるかたないと叫び上げたいのを堪え、シエルは半ば八つ当たりで、セバスチャンの足を踏み付 けた。 「折角大人のプレゼントを差し上げようと思いましたのに」 さして痛感など感じないが、シエルの子供っぽい一面に、極自然と笑みが零れる。 「残念ですねぇ。今度来た時、精々自慢してやりましょう」 今夜くらいはシエルを普通の子供に戻そうとした劉と葬儀屋は、このシエルの子供っぽさを見逃して いる。そしてそれこそシエルに贈りたかった真のものだと、気付かないセバスチャンではなかった。 「はぁ?」 一体何処の誰に何の自慢をするつもりなのか?くすくすと思い出し笑いのように笑うセバスチャンに、 シエルはキョトンと小首を傾げた。踏み付けた重みなど、この悪魔にはさした痛みなどもたらさなかった 筈だ。 「さぁ坊っちゃん。あまり長くお客様をお待たせしてはいけません。参りましょう」 「誰の所為で、客を放り出すことになったのか、考えての科白だろうな?」 ぶつぶつ文句を吐きながら、慣れた仕草で仔ネコの喉元を撫でているシエルに、すっかりネコは甘え きって、トロトロと目蕩んでいる。 「お前、フランシス叔母様に気に入られたらしいから、ホスト役としてちゃんと対応しろよ」 ふふんと笑うと、シエルは優雅な仕草でターンすると、セバスチャンに背を向け、歩き出した。 「……嫌らしい顔と、散々言われましたが…」 「嫌らしいのは事実だから、仕方ないだろう?」 10歳の子供に手を出す極悪だしなと笑えば、セバスチャンはらしくない程、眼を点にした。 「その薔薇も、後で一緒に持ってきてくれ」 「承知しました」 てっきりサロンにでも飾れというと思っていたから、劉と葬儀屋の気遣いの一つ程度、シエルにも通じ たのだろう。 関わる事案以外の部分になると、機能そのものが劣化するのか、シエルは自分自身にも周囲にも無 頓着で、あちこち大雑把だ。そのくせ誤魔化されてほしい時ほど、当たり前のように見透かしていく眼を 持っている。こんな局面になると、それがあからさまに見える気がした。 恐らく、劉と葬儀屋が真に贈りたかったモノの在処など、シエルは気付いてもいないだろう。そのくせ 差し出された気遣いを当たり前のように見透かし受け取れる辺り、シエルは恐ろしいくらい研ぎ澄まさ れている。 「叔母様の小言は任せたからな。僕はお前を探すように言われて、客を放り出したんだからな」 発端は全部お前の所為だと、シエルは迷いネコを抱いたまま、その後を半歩下がってセバスチャンが 付き従い、二人はサロンへと向かった。 その後、すっかり当初の目的など忘れたように盛り上がるパーティーの最中、結局シエルはセバスチ ャン共々、フランシスから小言を食らう羽目に陥ったのは、言うまでもない。 |