| 未来予想図 scene4 |
リビングの照明とは打って変わった寝室の仄かな明かりが包むベッドに、細い姿態を横た わらせると、青島もパジャマを脱ぎ、室井の上に覆い被さって行く。 「室井さん、いい?」 見下ろした視界の中で、室井の姿態は余りに無防備だ。力の抜けきっている下肢を、自ら を挟む恰好で開いて身を重ねると、 「あっ……」 青島の昂りが粒さに感じ取れる肌の感触に、室井の肌が粟立った。徐々に室井の眸に焦 点が戻り、戻った途端、焦点が像を結ぶ。結んだ視界の中、情欲を滲ませ、それでも深い笑 みを湛えている年下の恋人の様に、室井は何時寝室に運ばれたのか、記憶はなかった。 その変り、浅ましい程淫乱によがり、極めた事だけは覚えている。 「ちょっ…ま…待てっ…」 我忘から立ち戻った室井は、青島が下肢を肩に担ぎ上げようとしている事に気付き、慌て て細腰が逃げを打った。 「今更待てって言う?、あんただって、欲しいくせに」 今夜何度目の『待て』か?青島は意識を取り戻した途端。気丈さを取り戻した年上の恋人 に、深々溜め息を吐き出した。 「ま…未だ…途中だ……」 のし掛かってくる年下の恋人の肩を押すと、 「あのねぇ〜〜真逆又ディベートやるって言うんじゃ、ないでしよぅね?あんたの言うとおり、 問題クリアーしたでしょ?」 恋人の、あまりと言えばあんまりな台詞に、青島はガックリと肩を落とす。 「ボタンはずしていいとは言ったが、触っていいなんて言ってない」 「散々よがってイッたくせに、あんたイキたいって啼いた事、覚えてるでしょ?」 『覚えてるくせに』と、青島は脱力したまま口を開く。 「俺のコレ、どう責任とってくれるんスか?」 『コレ』と、青島は痛い程勃起している自身を、射精で萎えている室井自身に押し付けると、 余韻覚めやらぬ室井は、無自覚に腰を喘がせてしまう。 「………責任、とってやる」 その刹那。室井は意味深に笑うと、スルッとネコ化の所作で青島の下から抜け出した。 室井の仕草に青島も淫靡な笑みを傾け、仰向けに横たわる。横たわると、青島に肌が密着 する傍らから上半身を傾け、彫り深い輪郭を覗き込んでくる。その仕草は、無防備で、無防 備なくせに艶冶な気配を放射している。そんな年上の恋人の、小作りな輪郭を、長い腕が伸 び包み込んだ。 青島の顔の両側に肘を付き、端整な輪郭に顔を伏せている。その小柄な後頭部には、節 の有る長い指が回っている。啄む接吻は何時しか濡れた音を立て、愛戯宛らの貪婪さに変 っている。 息苦しさに室井が顔を上げると、青島の指が上気した頬を撫でる。その感触に擽ったさを覚 え、薄い肩を竦めると、室井は青島の胸に顔を伏せた。 「してくれるの?」 室井の意図を察している青島が鷹揚に笑うと、室井は一旦埋めた顔を上げ、その面は、雛 人形宛ら、意味深な笑みを飾り立てている。その笑みに、青島は嫌な予感を覚えた。 室井は、青島の存在を確かめる様に、胸から下腹へと舌を這わせた。こんな仕草も、何時 しか年下の恋人との情事で慣れてしまった室井だ。室井の裸体には、青島が散々に付けた キスマークが散らばっている。 ネクタイをキッチリ締めれば、外見からは判らない首筋のラインにも、ソレは色濃い跡を残し ている。だから室井も時折、年下の恋人への愛しさを表す様に、褐色の肌に幾つかのキスマ ークを残して行く事があった。今がそうだ。 青島の肌の感触を味わう様に、室井は耽溺した表情をしている。けれど、陶然と褐色の肌 を彷徨っていた舌の動きが、ピタリと止まった。止まった原因を判っている青島は、上半身を 起こすと、硬直したまま強張っているほっそりした姿態を、物柔らかい仕草でやんわり抱き締 める。 「ココに、在るでしょ?」 上気した面が、一挙に青褪めてしまった原因は、青島の側腹部から、腰部に掛けての傷痕 を視たからだ。その瞬間。意識するより早く、室井はアノ時の凍り付く喪失の予感を甦らせて しまっていた。 「コレは、ただの傷痕だよ」 綺麗に縫合されている傷痕に、強張ったまま凍り付く面を張り付かせてしまった室井の腕を 取り、触れさせると、室井は掠れた悲鳴を上げ、手を振り払おうとした。したが、青島がソレを 許さなかった。青島の手にしっかり押さえられ、室井は傷痕から手を離す事が出来なかった。 副総監誘拐事件以来、青島が回復し、始めて肌を重ねた時の室井のその時の反応は、今 以上に酷かった。それまで何時もの気丈さで振る舞っていた室井は、傷口を見るなり凍り付 いたまま、慄えが止まらなかった。アノ時から考えれば、今はその反応も和らいできた方だと、青島は噛み締める様に華奢な躯を抱き締める。 「……判ってる……お前は…ココに在る………」 抱き締めてくる温かい腕の肩口に、コトンと小さい音を響かせ、室井は頭を預けた。 「……判ってる……」 判っている。理性では。けれど、感情は何一つ納得などしてはいない。いない事が、情事の 最中、何時もこうして甦る。 理性では納得しても、感情は納得しない。青島は死線に曝された。ソレは拭い様のない事 実だ。肉が血の色を乗せ、青島は確かに死に直面したのだ。それは室井の記憶の底にこび りつき、消える事は決してないだろう。けれどこうして自分を抱き締めてくる腕の温かさに、精 神に負った傷は癒されるのかもしれない。だから室井は何時も青島を確かめ様とする。そし て室井は、青島を失う事実に直面した痛みを、手放す気はないのだ。 喪失の予感に恐怖し、怯え、精神を痛め付けられたその傷を、室井は直視する強さを手放 さない。理性と感情に折り合いを見付けるかの様に、常に室井は青島の傷を負った経緯と対 峙する。それは、組織の革新を求め足掻く、室井らしい姿なのかもしれない。 喪失の予感に怯え続け、恐怖するだけなら、誰にでも出来る。けれど、青島と室井が求め るものは、その先にあるのだ。その為には、此処で立ち止まってはいられない。 自己の眼差しを精神に向けると、それは確かに今でも血を流し続けているのかもしれない。けれど忘れたフリをする気はなかった。その傷と、年下の恋人を失うかもしれなかった喪失 の予感と、アノ時の恐怖と、室井は情事の最中、常にこうして向き合ってきた。それは青島と 向き合う事でもあったからだ。 青島は、自分がどれだけ傷付いても、常に捜査現場に飛び出す暴走刑事だ。それが青島 の心の律法であり、信念でもある。 正しい事をしたいという極めて単純な言葉は、けれど現代社会でソレを成し遂げる難しさを 知らない青島ではない。知っているからこそ、何時も苦悩し、傷付いている。年上の恋人を 愛してからは、より深い正義と真実を求め、その意味をも模索する様になった。その言葉の 本質を、探そうとしている。だからそれは、切ない程に真摯な想いを孕んでいた。 青島の正義は真摯で、正義の意味も本質も知らず、それを成し遂げる難しさも知らない脆 弱な若者達とは性質が違う。だからこそ、青島は常に真摯に事件と対峙してきた。それは青 島の本質的な強さで、真骨頂なのだろう。 だから室井は何も言わない。何も言えない。恋人同志の関係に溺れる事は簡単だ。けれど、警察官としての自分を互いに誇りたいのも事実だから、室井は事件捜査で傷付く青島を、 何も言わずに見守り続けている。そして青島が傷付いたら、何も言わずに抱き締めるのだ。 それが青島を愛し、愛されている者の特権だとでも言う様に。 自分を愛したが為に、より深い正義と真実を模索し、その都度傷を深めて行く恋人が愛しい から、室井は決して青島の傷から眼を背けない。背けずその都度アノ恐怖と対峙し、傷を克 服しようとしていた。そのくせアノ時に負った痛みを手放す気はないのだから、他人から視れ ば、自虐的と映るかもしれない。けれど、室井はアノ時の痛みを、手放す気はないのだ。 組織の底辺を支えているのは、ノンキャリアの警察官達だ。 常に死と隣合わせに、市民の安全を守っている、現場の警察官達なのだ。その事実を、アノ 事件は、室井の眼前にまざまざと 叩き付けた。 室井の組織への革新は、青島と出会い、より強固になった。室井にとって、青島は所轄の 捜査員の象徴だ。ノンキャリ警察官の象徴だった。青島の正義を守りたい。自分自身の正義 を青島に投影する傾倒はないが、それでも室井は青島の正義を守りたかった。その為には、 これから汚い手段に身を落とす事は確実だ。だからこそ、室井は青島の傷を直視したかった。胸が抉られる程に痛んでも、その痛みを忘れたくはなかったのだ。 そんな室井の内心を、青島はほぼ正確に理解している。いるからこそ、宥める様に抱き締 める。 青島には、自覚があるのだ。室井の精神を傷付けたと言う自覚が。それは痛烈に青島の 胸を痛ませる。それは自分の失態だと、青島は認識している。 和久に散々逮捕時の危険性を言われてい乍らも、一瞬の躊躇いが招いた事実だと、青島 は認識している。その為に、いつも何も言わずに自分を見守り続けてくれる年上の恋人の心 を傷付けた。それすら室井は許すから、青島は泣きたい程の衝動を、こんな時噛み締める結 果になる。同時に、年上の恋人の強さに、切なさが湧く。 自分の失態が、年上の恋人を慨然とさせた。ソレは今でも恫喝されている筈で、それすら 室井は直視しようとする。怯え懍慄しても、決して眼を逸らさぬ強さに、青島は室井の本質を 何時も思い知る。青島はこうして華奢な姿態を腕にしても、その本質を手にした感触はない のだ。意思も意識も混融させる深い官能を味わっても、室井の本質を手にした感触はない。 手にしたと思った瞬間、室井の強さを思い知らされてきた。それが淋しいとか悲しいとか思う 青島ではない。未々室井に近付けないのだと、自分自身に歯噛みする事はあっても、投げ 出す事など決してない。それが青島の強さだと、本人は知らないのだ。 組織の革新を求め、現場の捜査員を振り返る強さを持った室井だから、その革新的すぎる 意見が、官僚としての立場を危うくした事は一度や二度ではない。けれど室井は決して諦め ない勇気を誇っていたから、組織の中で傷付く年上の恋人を、青島は少しでも理解したかっ た。理解する為には、努力し、自らを高めるしかないのだと、青島は判っている。いるから、 何時も事件と真剣に、真摯に対峙してきた。そして輪郭の描く事の難しい社会正義と真実と 言う言葉の意味を、模索してきたのだ。そんな青島だから、室井に近付く努力を、一度として 怠った事はなかった。 傷付き苦悩し、し乍らも、決して投げ出す事なく、自分に近付く努力をする年下の恋人が、 愛しく切なく、それは幸せな痛みでもあったから、室井は青島の傷から眼を逸らす事は出来 なかった。 「愛している」 埋めた幅広の肩口から顔を上げ、告げる言葉は揺るぎない真摯な響きを帯びていた。瞬き を忘れた双眸は、言葉以上に雄弁な想いを語り、ソレは淵邃で静謐な光を宿し、青島の眼球 の中核をいる威勢で、端整な面差しを視ている。 「愛してます」 室井の言葉に、青島もまた真摯な声で端然と告げる。眼前の小作りな理知深い面差しを包 み込み、 「愛してます」 再度噛み締める様に告げる。瞬く双眸は濃く深く、優游とした想いを横たえている。 「愛している」 どちらからともなく口唇が近付くと、貪婪に求めた。 啄む口付けが刹那に貪婪な貪るモノへと変わり、飲み込めぬ流涎が口角から溢れ落ちると、刹那に重ねた口唇を放した。見詰め合う双眸に真摯な色を見付けた時、二人は淡い笑み を刻み付ける。刻み付け、室井は徐に青島の姿態を押し倒す。 室井の意図が判らぬ青島ではないから、何も言わずにされるがままになっていると、青島 に覆い被さる態勢で、秀麗な面差しに嵌められた一対の眸にトロリとした濃密な蜜を湛え、 室井は青島をジィッと凝視して来る。 色濃い情欲を湛え笑う様は、男の性感をダイレクトに刺激する、ゾッと肉を灼く艶冶さを横た えて、室井は見下ろした端整な輪郭を覗き込む。込むと、愛しむ様に、長い腕がツッと理知深 い輪郭を辿った。互いに怺える情欲の深さを物語っている眼差しをしていた。そのくせ室井は 娼婦の面差しをして、陶然な笑みを飾りたてている。いるから、 「続き、してくれるの?」 青島は鷹揚に笑い、小作りな輪郭を愛戯の意図を持ち、撫でて行く。刹那に室井は青島の 口唇に己のソレを重ね、半瞬の後に離すと、濡れた紅脣がゆっくり下へと這わされる。ソレは 軈て傷痕に辿り着く。辿り着いた時、淫靡だった舌の動きがピタリと止まる。止まり、黒々瞬く 漆黒の眸は、その傷痕を凝視する。凝視し、瀟洒な指先が愛しげにソコを撫でて行く。 「私の傷だ……」 その瞬間だけ、陶然としていた妍冶な貌は、恫喝される恐怖に歪み、無意識に華奢な姿態 が慄えたが、次にはゆっくりと顔を伏せた。 室井の舌と口唇は賢明に、それでいて柔らかく愛しむ様に、その部分に執着し、丹念に舌 が辿る。啄む愛戯と酷似するソレに、青島の長い腕が伸び、柔らかい髪を宥める様に梳いて 行く。 日常冷冽な官僚然とした印象を崩さぬ室井の髪は、整髪剤で撫でつけられている。 けれど、プライベートでこうしていると、その髪は思いのほか柔らかく、髪梳く指の間から流れ て行く。そうして飽きるまでソコを愛撫した室井の舌は、ゆっくり下り、青島の昂まりに触れ、 躊躇いなく口へと含んだ。その瞬間、青島は吐息を乱す。 室井の舌は迷いがなく、躊躇いを微塵も見せずに、濡れた音を立て、年下の恋人の昂まり に貪婪な愛撫を加える事に余念がない。年下の恋人との情事で、何時しか室井は青島の昂 まりを含み愛する事を覚えてしまっていた。最初こそ嫌がり逡巡した室井も、今では迷い一つ ない。年下の恋人の肉棒を、散々に愛する術を、覚えてしまったのだ。だから今の室井には、迷いも躊躇いも何一つなかった。そんな室井の態に、青島の指先が、柔らかい髪を愛戯宛 ら梳いて行く。行くと、薄く細い肩がピクンと顫える。そして徐に室井は顔を上げた。上げた時、桜に上気する面差しの背後から、肉をゾクリと灼く程、妖蠱な笑みがはためいて現れた。 その眼差しの前に、青島は嫌な予感に攅眉する。 今の室井は、驚く程淫蕩な面をしている。トロリとした濃密な気配を湛え、ジィッと端整な年 下の恋人の貌を凝視している。そして酷薄な紅脣は忍び笑いを飾り立て、意味心な気配を 放射している。その気配や笑みの前に、青島はついつい嫌な予感に室井の顔を凝視する。 「室井さん………?」 青島の恐る恐るの問いに、 「さっきまでのは復習だ。今から予習させてやる」 艶冶な笑みを刻み付け、淡如に口を開いた。 「室井さ〜〜ん。そりゃないっしょぉがぁ〜〜」 半ば悲鳴じみた声を上げ、青島は音を上げる。これこそ青島が、室井はタチが悪いと言う 所以でもある。 同じ性を持つ男から、この状況がどれ程つらいものか判らぬ筈はない。けれど室井は事も 無げに言い放つのだ。既に青島の欲望は室井の直接的な口淫により、痛い程反り返り、昂 まっている。ソレを前に、『待て』と言うのだから、大概室井はタチが悪いと、青島はメゲてしま う。そしてそれは情事の最中では決して珍しい光景でもないのだから、やはり室井はタチが 悪いと、メゲてしまう青島だった。 所轄の暴走刑事として名高い青島は、その暴走さで、官僚の室井を巻き込んでいると言わ れている事が多い。けれど、プライベートでは、室井の方が我が儘で、数倍タチが悪い。 官僚という警察組織の中、日常の室井は忍耐ばかりが付き纏う。上からの命令と、それで も現場に手を差し延べ続けようとする姿勢に、官僚の室井は常に忍耐と言う言葉を強いられ る。だからその反動なのか?青島と過ごす時間の中、室井は忍耐と言う文字を放棄したか の様に、我が儘で放埒に振る舞う事が少なくない。そんな室井を知る者は、当然青島しか存 在せず、流石のすみれも室井のタチの悪さは気付かないらしい。 そしてそのタチの悪さも我が儘さも、自分に甘える年上の恋人の行動や言動だと、気付か ない青島ではないから、タチの悪い恋人を、結局は許してしまうのだ。許し乍ら、年上の恋人 の行動にメゲてしまうのだ。 「努力、するんだろう?」 意味心な笑みの背後には、年下の恋人に対する優しさと厳しさが隠されている。いる事を 知らない青島ではないから、反駁は出来ない。けれど、この状況は、泣き言を言っても許さ れるだろう状況なのには、間違いないだろう。 「室井さ〜〜ん、勘弁してよ」 「お前が何時も私にしている事だ、少しくらい我慢しろ」 「あんた今夜、意地悪いっスよ」 グイッと、佇む室井を強引に引き寄せる。けれど室井は何処までも笑っているばかりだ。 笑い乍ら、 「私と、生きて行くんだろう?」 青島の胸を打つ台詞が口を付く。その台詞は、真摯な響きを孕んでいた。 淫蕩に色付く面差しや、艶冶を湛える眼差しより、その言葉は痛烈に青島の胸を打つ威力 を誇っていた。いたから、青島はなおメゲてしまうのだ。 「予習も復習の一環だ。基礎がなければ応用は利かない、当然だろう?」 「昇進試験に応用問題は出題されないじゃないっスか〜〜」 泣き言を言い乍らも、青島は年上の恋人の求める意味を、正確に理解している。 昇進試験に、応用問題は出題されない。求められるのは、出題問題を読み解く読解力と、 確実な法的手続き要項だ。だから昇進試験で求められるのは、読解力や暗記力、分析能力 と記憶力と言う事になる。 青山学院大学、経済学部出身と言う経歴を見れば、青島が決して頭は悪くない事は判る。 現場で青島の記憶力は眼にしている室井だから、青島の暗記力や記憶力、それに裏付けさ れた分析能力を疑う事はない。けれど、それは捜査現場で生かされてきた経験則が要素し て含まれてもいる。昇進試験は、まぐれでは通らない。 出題問題の求める範囲、文章の意味を理解する読解力が必要だ。そしてそれに見合う法 的根拠、手続きなどが解答として求められる。 基礎がなければ応用は利かない。だからこそ、昇進試験の問題は、基礎問題が中心に出 題される事を、青島は知っている。それは年上の恋人が要求する厳しさである事も、理解し ている。階級権力を身に付けると言う事は、同時に捜査現場に必要な強制執行権を知ると 言う事と同義語なのだ。 室井と歩く為。自らの求める正義と真実の為。青島は階級を上げる必要に気付いた。階級 を上げると言う事は、それだけ刑事警察の中枢である、犯罪捜査の中心に近付く事を意味 する。そして青島は、それを求めているのだ。だから捜査に必要な手続き要項は、知らなけ ればならないのは当然な事だった。階級を上げると言う事は、逆に捜査の中心に立ち、指揮 権を持つ事にもなるからだ。 捜査の基本は任意捜査だ。強制執行権を必要とする場合、裁判官の令状が必要になる。 けれどその令状の手続き法を知らなければ、話にならない。それは憲法31条、法定手続き 保障、俗に言う罪刑法定主義に基づいているから、刑事訴訟法を知らなければ、捜査に必 要な令状が何かすらも判らないと言う事になる。令状主義と言われる裁判では、令状を無視 した捜査で得た証拠は、違法捜査の対象になり、誤認逮捕の示唆に繋がる。 捜査の基本が任意なら、裁判の基本は推定無罪だ。そして警察が検察から求められるも のは、逮捕した犯人の起訴確定率、及び公判維持能力となる物的証拠の提示だ。物的証拠 が確実ならば、誤認逮捕は起きない。その為にも、刑事訴訟法で求められる要項範囲を記 憶するのは、階級を上げる必要に気付いた青島なら、判って当然の理屈だった。 階級権力を身に付けると言う事は、その責任を負うと言う事と同義語でもあると、青島は室 井と付き合い、年上の恋人の苦悩を理解したいと足掻いた時から、気付き始めていた。けれ ど、未々室井の苦悩や責務の重さの半分も理解出来ていない自分を知り、苦々しい思いを 抱えてもいるから、恋人に近付く努力を怠る事は決して出来なかった。刑事としての成長と は、そういう意味も含まれているのだと、青島は近頃漸く気付いた。そんな青島を、室井は優 しさと厳しさとを混融させた眼差しで、年下の恋人を見守ってきている。だから青島の刑事と しての成長を、室井はその肌身で感じ取っているのだ。 「現場の捜査は臨機応変、当意即妙な対応なんだろう?」 「当意即妙?なんスか?ソレ」 「その場に相応しく、即座に機転を働かせる事、だ。臨機応変で柔軟な対処が、お前の基本 捜査、なんだろう?」 散々聞かされた、青島独自の捜査方法は、組織捜査を信条とする体制組織からは、確か に逸脱しているのは否めない。けれど、捜査現場では、柔軟な対処が必要なのも確かだっ た。 「お前の場合は、巧言令色、独断専行と言うんだ」 姚冶な貌の中、室井は少しばかり苦い表情を覗かせる。 「そりゃあんたは、堅忍不抜、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり、って典型な人ですか ら、どうせ俺は直情径行、唯我独尊、傍若無人な男です」 痛い程昂まっている自身は、早く年上の恋人の内で達する事を願ってやまないが、此処で 口を挟めば、藪蛇になる事を、青島はよく心得てもいた。 「よく中国古事なんて知っていたな」 「昇進試験は、一般教養範囲も出るじゃないっスか。それもしっかり頭に叩き込めって言った の、あんたでしょうが」 「そのわりに、当意即妙を知らなかったな」 「室井さ〜〜ん、勘弁して下さい」 「お前の好きな臨機応変な捜査は、全て基本がなければ成り立たない。基本を知って始め て応用が利くんだ」 「だからこの状況で堪えろって?そりゃないんじゃないっスか?俺が可哀相だと思わないわ け?」 「思わないな。私を愛してるなら、それくらい堪えろ」 シレッと言う室井に、青島は色濃い情欲の表情の中、苦い面を覗かせ。覗かせ、 「次は簡単にイカせて上げませんからね」 愛しているなら堪えろとは、大概室井も意地が悪いと、青島は深々溜め息を吐き出した。 そんな青島には、未々余裕がある様で、室井は色付く面に、優美とさえ形容出来る莞爾な 笑みを湛え、 「犯罪少年として身柄を確保し取り調べた結果、解法少年と判明した場合、弁解録取書を作 成する事なく、ただちに釈放する必要がある」 徐に、出題内容を口にした。その室井の端然さに、青島は深い嘆息を吐くと、 「それで釈放しちまったら、警視庁少年警察活動規定第44条違反ですね、」 澱みなく、口を開いた。 「この場合の必要手続きはなんだ?」 「犯罪少年が14歳以下の解法少年だった場合でも、逮捕手続きに伴う、逮捕手続書、弁解 録取書の作成はしなくてはならない」「よく知ってたな」 この問題は、警部試験に用いられるものだ。青島の澱みない言葉に、室井は素直な感嘆 を漏らす。 「俺はとっくに、あんたと生きてく事を決めたって、言ったでしょ」 そう笑う青島は、優游としている。 「室井さん」 未だ吐息が触れ合う距離で、上から青島を覗き込む様な態勢をしている室井を、青島は下 腹へと導いた。 促されるまま、室井は上半身を起こすと、体躯を跨いだままの態勢で、細腰を移動させる。 させると、双丘の狭間に、青島の怒張する熱い肉棒が突き当たる。その感触に、秘花が喘ぐ 様に小刻みに粟だち、痩身が快美に悸いた。同時に、青島の胸元を彷徨う瀟洒な指先が、 淫らに肉に爪を立てる。立て、甘い吐息が一片零れ落ちた。 「続き、してくれるんでしょ?」 腹の上で身を顫わせる室井は、青島の背をゾッと官能に灼き付ける妖冶な娼婦性が滲ん でいる。小作りな白皙の・顔は、今は情欲に紅潮し、柳眉を歪に歪め、賢明な態で、絶頂を 怺えている。それは壮絶な色香を放射し、青島を挑発し、魅了している。 「室井さん」 促す囁きは低く奥深い声音で、室井の脳髄を振動させる。 「ぅぅんっ……ぁんっ……」 サクリと、蕩ける肉の入り口から、滾る様に怒張している青島が、ゆっくりと肉襞を掻き分け、埋没してくるリアルさに、室井は薄く細い背を喜悦に顫わせる。 仄かな照明の中。色付き撓う媚態は、男の性感をダイレクトに刺激する。浮き上がる胸元 には、先刻青島が散々に付けた愛咬跡が色濃く浮き上がっている。その淫らさに、青島は傲 慢な満足が肉を灼く刺激に煽情される。それ以上に、室井の内部はしっとり爛れ、穿つ自身 をやわりと締め付けてくる。青島は、室井の細腰に手を掛けると、少々強引に腰を引きずり下 ろす。 「やっ…めっ…んんぅっ…」 頑是ない仕草で細い首が振り乱される。それが雄の情欲を刺激し、青島が腰を突き上げる 結果を生むと知らない室井だった。 完全に青島の昂まりを根元まで受け入れた室井は、青 島の腹の上で身悶え、嫋々のよがりが紅脣から迫り上がっている。白い内股は青島を挟ん でいるから、淫乱に開かれる事を余儀なくされ、翳りの中央では、その先端から粘稠とした 白濁の婬蜜を滴らせ、開放を哀願している。 「問題の続き、なし?」 揶揄に近い哄笑を漏らすと、室井は気丈に青島を睥睨する。眇ると、ギリッと青島の胸板に 容赦なく爪を立て朱線を描き、唐紅に濡れる口唇が開かれる。それでも内部から肉を押し開 かれる質量と圧迫感に、細腰が喘ぐ様に顫えるのを止められない。 「………両議院の議員は、院外に於ける現行犯逮捕の場合を除き、国会の会期中逮捕され ない。この場合の逮捕とは、刑事訴訟法上の逮捕、勾引、勾留を意味し、警察官執行法の 保護による身体の拘束は含まれない」 辿々しく舌を縺れさせ、話す。 「ぁぁんっ…やっ……」 細腰を数回揺さぶられると、圧倒的な質量を誇る青島自身が、花襞を抉る威勢で敏感なス ポットを押し開いて行く。その生々しさに、室井は嫌々と頭を振り乱す事しか出来なくなる。 荒い吐息が、哀願を含んで啼いた。 「憲法50条、議員の不逮捕特権。この場合、刑事訴訟法のみならば、警察官職務執行法に よる、保護措置も含まれる。両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期 中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議員要求があれば、会期中、釈放しなけ ればならない。ろくな法律じゃないっスね」 腰を大きく円を描く様に突き上げると、もう室井は息も絶え絶えに喘ぎ啼いた。嫌々と頑是 ない仕草が妍冶を孕み、室井は青島の動きに同調する様に、細腰を揺すり立てて行く。 「人でなし…だ…お前……」 「何言ってるの、気持ちいいくせに。しっかり感じて、イク寸前の表情してるよ」 頬を紅潮させ、柳眉を快感に堪え歪める室井は、肉や血の奥を灼き焦がして行く娼婦性が 備わっている。 日常清潔な印象の室井は、けれども年下の恋人との時間では、清潔な外見に淫蕩を横た えさせる事は珍しくもない。室井を視ていると、清潔と淫蕩は成立する。そんな気に、させら れる。処女と娼婦は、コインの表裏で、その本質は同一だと、青島は情事の最中の室井を視 るにつけ、思わずにはいられない。 堕ちた娼婦こそ、一番高貴なのかもしれない。どん底に落ちなくては、肉の快楽など味わ えないのだろう。そんな印象の室井だから、情事の最中は素直な反応を返し、青島を魅了す る事に躊躇いはない。生血を灼く生温い感触が、寧ろ心地好かった。 「イキたい、でしょ?」 スゥッと、今まで触れなかった室井自身の先端をツッと撫でると、華奢な躯は海老反りに反 り返り、白い喉元が忙しない呼吸を繰り返す。 「動いて、室井さん」 「んっ…ぅぅっ…もぉ……」 堪らない官能の深さに、無自覚に細腰を揺すり立てる。室井の秀麗な貌は淫蕩に耽溺し、 達する寸前の表情を青島の眼前に曝している。 室井の狭い内部で、青島は質量を昂め、柔肉を内側から圧倒的な威力で押し開いていく。 伸縮を繰り返す肉の入り口は喘ぐ様充血し、焦爛しているのが互いに判る。小さい肉の入り 口に、ギッチリとした肉の輪を嵌め込まれた感触に、室井はいたたまれなくなる。そのくせ、 年下の恋人との久し振りの情事に、意思も意識も混融させる心地好さに、全てを放棄する。 普段官僚という日常では、身の裡の奥に飼い慣らしている美獣は、おとなしく理性と言う檻 の中に飼われている。けれど、こうして年下の男の熱さに触れれば、ソレは呆気なく檻を食 い破る脆弱なものでしかない。ない事は、室井が一番よく判っている。情事の都度、毎回思 い知らされてきた。だから室井は、とっくに放棄しているのだ。 青島に抱かれれば素直に反応し、感じている事を隠さない。隠さない事が、年上の恋人の 愛情なのだと、知らない青島ではない。今こうして自分に抱かれている室井は、躊躇いなど 微塵も浮かべてはいない事が判るから、青島は年上の恋人の耽溺する恍惚さを、疑う事な どない。室井の反応が、演技である筈もない事は、抱いている青島が一番理解している。 そんな室井だから、今青島に貫かれ、その腹の上で淫らに慢舞している。細腰が喘ぎ、内 股は絶頂の予感に小刻みな痙攣を繰り返している。室井自身は、痛い程屹立し、青島の愛 撫をねだって顫えている。先端から漏れる粘稠の愛液は、青島の腹を汚している。 「もぉ…あお…しま…もぉ…」 攅蹙と弛緩を繰り返す痩身は、襲い来る射精感に、肉の奥が焦燥で灼かれて行く感触が 生々しく、室井の喘ぎは何時しか嫋々とした歔欷になっていた。 「イクよ」 室井の限界の歔り啼きに、青島は腰を大きく突き動かした。最奥を抉る威勢で大きく腰を 動かし、伸縮を繰り返す肉襞を擦って行く。その摩擦感に、室井は限界の音を上げる。比喩 でなく、室井の充血する媚肉は、強引とも言える青島の責めに、内側から堅く熱い絶対的質 量で、押し開かれて行くのだ。年下の男の手練手管に慣らされ、本来受け入れる筈のない 箇所に滾る恋人の男を穿たれ、ソコは敏感な性器と変わりない反応を返す。それは室井に、 怺える術のない快楽を齎して行く。 「あぁっ…もぉ…ダメ……ッ」 室井は、精神的には達している。けれど実際の極みはないから、細腰の奥は凝縮する熱 が出口を求め、奔流が渦巻いている。 「イイよ、俺も……室井さん……」 「あぁ……ッ!」 青島が一際強く腰を突き上げた時、室井は臨界点を超える熱さに魂消えの悲鳴を放ち、二 人は同時に達していた。 青島の熱が威勢よく内部に放たれた事を感じ取った室井は、青島の掌中に自らの精を放 ち、恍惚とした淫靡な貌で、青島の上に崩れ落ちた。 その後二人は、久し振りの逢瀬に耽溺し、重なった休日を官舎から一歩も出る事なく、怠 惰な一日を過ごしたのだった。 二月下旬の東の空が、白々明るくなり始めた時刻だった。甘い余韻を残す室内に、聞き慣 れた着信メロディーが突然鳴り響いた。 「んっ……」 情事の残滓が色濃く漂う、深閑とした室内に響くその音に、室井は身動ぎ、交睫した白い 瞼が半眼開かれ、鳴り響く機械音に、瞬きを繰り返す。繰り返し、青島の腕の中で緩やかに 姿勢をずらすと、ベッドサイドデスクに置いた二つの携帯の一つを手を手に取った。瞬間、視 界を長い腕が遮った。 「ハイ、青島です」 室井の手から携帯を受け取ると、通話に切り換える。熟睡していた筈の青島が、着信音に 即座に反応する様に、室井は何とも言えない、理不尽な想いを味わった。味わい乍ら、室井 は青島の腕の中上半身を起こすと、床に放り投げられているパジャマを手早く羽織る。羽織 り、靭やかな仕草でベッドから抜け出し、寝室を後にする。そんな室井の薄い背を、青島は 電話越しに見送った。 「判った、すぐ行く。でもちょっと時間掛かるぞ。俺今自宅に在る訳じゃないんだよ」 電話の向こうの相手に、青島は手早く言うと、通話を切る。同時に、床に散らばるパジャマ を手早く羽織り、温もりの残るベッドから、必死の理性で抜け出し寝室を出た。寝室の扉を開 くと、キッチンから芳香が漂ってくる。その芳香に、身の裡から、切なさが湧き起こる。 「早くシャワー浴びてこい」 仄かに漂う芳香は、サイフォンの珈琲だ。青島に背を向けたまま、室井は冷蔵庫の中から 手早くバターや卵を取り出すと、淡如に青島に言い放つ。 室井は、何も言わない。何も訊かない。年下の恋人の携帯着信音が、署からの呼び出しメ ロディー設定になっていたのを知らない室井ではない。そのメロディーは、社会現象とまでい われヒットしたアニメ『エブァンゲリオン』だった。 室井は、青島と一緒の時間を過ごすうちに、休日の過ごし方を、余暇を楽しむ術を知った。 青島は、二人で過ごす時間に、よくビデオを持ち込み、観ていた。アニメに刑事ドラマ、バラエ ティー番組と、幅広い。そんな青島に付き合ってきた室井だから、青島の観るTV、雑誌等は、自然手にとってしまう程だ。 「……ゴメン、室井さん」 青島の低い声に、室井はゆっくり背後を振り返る。振り返った時。端整な面差しに嵌められ た双眸が、色濃い淵旨に切ないまでの想いを滲ませ、自分を視ているのに、室井は何とも言 えない想いを味わった。味わい、 「……怒るぞ」 フト泣き出したい衝動にかられた身の裡が、切なさを滲ませ、青島を凝視する。刹那、視線 が宙で絡んだ。 昨日の非番を一日。官舎から一歩も出ずに、久し振りの二人の時間を過ごした。非番前日、一昨日の夜からの、昇進試験勉強方を、青島に言わせれば勘弁してよと、泣き言を言う程 度には強いた室井が、気付けば何時しかただの情事に互いに耽溺し、非番の時間の半分 は、ベッドの中のボディートークに費やされていた。そうして官舎から一歩も出ず、互いの存 在を一番に感じていた時間を過ごした二人だった。だったから、室井はそれで満足だった。 泣き出したい衝動にかられたのは、自分を見詰める青島の眼が、切ない程、真摯な光彩をし ていたからだ。そして青島を見詰める室井の眼差しも、青島と何一つ変わらぬ光を湛えてい たから、二人は刹那の間。沈黙に佇み、互いを見詰めていた。密め合う眼差しの深さは、愛 しさしか湧かない。 「犯罪現場で、必死に捜査する警察官を私は愛した。所轄の捜査員として、被害者感情を忘 れないお前を、私は愛したんだ。だから、それでいい。お前が現場で頑張ると言ってくれた言 葉が、私の支えになった。そんなお前を私は愛したんだ。私に、後ろめたさなんか感じる必要 はない」 非番の翌日、沈黙に佇む室内で、互いの肌身を感じる甘やかな時間は、本当なら、もう少 し味わえる筈だった。その筈が、署からの呼び出しに、室井を残して出て行かなくてはならな い。 自分が出て行った後。室井は眠らないだろう。一昨日の夜から、昨夜の深夜近くまで睦ん だ肉体は、限界を超えている筈だ。それでも室井は青島の求めに応じ、哀願に啼泣し乍らも、抵抗なく、靭やかな肉体を開き、最後には年下の恋人を魅了した。華奢な肉の奥に潜む情欲が理性を駆逐し、躯を開いた。そんな室井だから、今肉体は疲れている筈だ。それでも 室井は物柔らかい笑みを湛えているから、自分がこの部屋を出て行った後、年上の恋人が ベッドに潜り込んでも、失せた温もりに淋しさを抱き、登庁までの短い時間を過ごす事は容易 に想像出来る。出来るから、青島は切ないのだ。そして眼前の年上の恋人の台詞に、なお 想いは深まるばかりだ。 「俺も、あんたには、目指す組織の革新の為、上を目指してほしい。俺が愛した年上の恋人 は、傷付いて、その傷にさえ気付かない堅忍不抜な人だよ。優しくて厳しい恋人を、俺は愛し たんだから」 一瞬だけ、佇むほっそりした姿態を腕に抱くと、 「早く支度しろ」 「ハイ」 優游とした笑みを湛え、青島は浴室に消えた。 数分で手早くシャワーを浴びた青島は、寝室に取って返し、クローゼットの扉を開いた。 クローゼットの中には、元々官舎に置いてある青島のスーツが綺麗にクリーニングされ、掛 けられている。そして一昨日着ていたスーツは、室井がクリーニングし、次回の為に置いて おく。それが二人の習慣だった。 青島は素肌にYシャツを羽織ると、半瞬考え、キャリアタイプのネクタイを取り出した。そして 自分のネクタイをベッドに置くと、青島はキッチンへと戻った。この間10分程度だ。 「ホラ」 キッチンでは、見計らった様にマグカップに注がれた珈琲とフレンチトーストの乗った皿を手 にした室井が立っていた。 青島の胸元でだらしなく締められている見覚えのあるネクタイに、微苦笑する。 「特捜が立てば、満足に食事が出来なくなるからな。これ位食べてけ。どうせもう鑑識が入っ ているんだろうからな」 青島に皿を手渡すと、自分も珈琲を口に含む。 「ありがとう。室井さん」 短い礼を口にした時には、既にトーストに手が伸びていた。 「流石室井さん、珈琲メチャ美味」 トーストを珈琲で流し込む。一昨日から昨夜まで、料理上手の年上の恋人の手料理を散々 堪能した青島だから、次に何時逢えるか判らぬ恋人との朝食くらいは、ゆっくりと摂りたかっ たのが本音だ。けれど、此処でグスグズ言っている時間はない事も自覚しているから、青島 は内心嘆息を吐き出しつつも、二枚のフレンチトーストを立ったまま摂っていた。その横で、 室井もシンクに身を凭れ、沈黙に佇み、年下の恋人の彫り深い横顔を視ていた。 「時間出来たら、連絡します」 「コラッ、早く行け」 玄関先で、靴を履いた青島が室井に向き直った時。青島は室井にキスを送ると、 「んじゃ、行ってきます」 年上の恋人からキスを一つ盗むと、青島はトレードマークのモスグリーンのコートを翻し、颯 爽と走って行く。 青島が出掛けた後。公道に面したリビングの窓から眼下を見下ろすと、予想通り、青島が 一瞬だけ立ち止まり、振り返っている。室井は、まっすぐ眼球を貫く威勢で、見上げている視 線とぶつかった。 署の呼び出しから、現在までの時刻は20分弱、のんびり出来る時間はない。大通りに出て、タクシーを拾って行くのだろう青島は、室井の視線とぶつかり笑みを見せると、クルリと背を向け走って行った。 「まったく……」 自分と過ごして事件に向かう時。青島は何時も外からこのリビングを仰視する。 立ち止まった青島が、最初の一歩を踏み出し二歩目を踏み出した時、室井は確かに見て いた。青島の左足が僅かに引き摺られている事を。その事実に、室井の表情が悲しげに半 眼閉じられた。 刹那に室井が消えた寝室は、年下の恋人愛用の外国産煙草の香りが漂っていた。 |