| 手負いの獣 act3 |
趣味が高じて、どうにも自分以上にヤバイ暗部にまで手を出している友人は、その関係上、 敵が多い。その為時折傷を負い、ふらりと現れては当たり前の表情をして、治療を催促される。大抵の場合、そう症状の重いものはなく、ドレッシング剤を貼布すれば済む程度の創傷だ ったが、中にはそれだけで済まない場合も存在した。 臨也は生来的な運動神経の良さに以てきて、パルクールと言う、特殊な技術体系を縒り合 わせ、いつも軽やかな足取りで、巧く敵から逃げていた。まして臨也の気配の絶ち方は尋常 でないくらい特殊で、人込みは臨也にとっては保護色と意味は同じだ。だから深手を負うこと はあまりない。姦計を巡らせ人を陥れ、そんな趣味が高じて敵は多いが、天性の運動神経と、気配の絶ち方が幸いにも臨也を救ってきた。けれどそれでも中には時折、今日のように深手 を負うことがある。多勢で退路を絶たれた場合、流石の臨也も無傷とは言えないらしい。だか ら大なり小なりの傷を負い、ここに倒れ込んでくる。正確には、静雄が運び込んでくる。 化生じみた力の根源も然る事ながら、臨也に対する静雄の嗅覚は、常人のものから掛け離 れている。臨也を見付け出す能力だけを切り取って見れば、GPSより遥かに正確に、静雄は 臨也を見付け出す。精密機会も、静雄の臨也探査レーダーの前には役に立たない。 一体どういうレーダーを搭載しているんだろうかと、時々心底から解剖してみたくなる。医学 に携わる人間に挑戦するように、静雄は深手を負う臨也をあっさりと見付け出しては、連れて くる。そしてそんな時の静雄の機嫌は、地の底を突き抜けていて、周囲の空気が静かに凍え ていくのが判るくらいだ。実際不用意に近付けば、すっぱりと肉を切断されてしまいそうな、見 ているだけで痛感をもたらしてくるような空気を纏い付かせ、静雄は臨也を運んで来るのだ。 そしてそんな静雄とは真逆に位置して、臨也の方は今にも死にそうな顔色をしているくせに、何処か満足そうな、安心しきった表情をして、静雄に全てを預けている。知らない者が見たら、殺し合いの喧嘩をする二人だとは想像もしないだろう。 「……まったく……」 寝台に寝かせた臨也の顔色は、今までにないくらい血の気を失い、傷口から大量に出血し ている。深手を負い静雄に運ばれていることは幾らでもあったが、ここまで深手を負ったのは、 初めてかもしれない。どうりで静雄の機嫌が悪い筈だと、新羅は内心で溜め息を吐き出した。 「静雄、そこに立ってるなら、臨也の服切って」 扉の前で腕組みして不機嫌も露に立っていられたら、邪魔で仕方ない。新羅は大仰に溜め 息を吐くと、裁ち鋏を放り投げた。 「素人に手伝わせるのか」 放り投げられた鋏を片手であっさり受け取ると、静雄は苦く舌打ちして、臨也の血塗れの服 に眉を潜めた。 黒いシャツの為、血の色はあまり目立たないものの、その独特の匂いは腐臭と同じで、隠し ようがない。まるで臨也の内側の何かが、腐って流れて出て行くような嫌な匂いが鼻に付き、 静雄は血の気を失った顔色を凝視する。 臨也を路地裏で見付けたのは、偶然だった。何がどうと言う訳ではない。ただ感じるという表 現が的確な部分で、引き寄せられる。その場合、向かった場所に、大抵臨也が居る、それだ けのことだ。狩沢などにはイザイザレーダーと呼ばれているが、判るから判るとしか言い様が ない。何も見付けようと思って、見付けている訳ではないのだ。そこまで暇だと思われるのも 心外だ。 意識してこっちが見付けようと思う場合、大抵、臨也は逃げようとしているから、見付けるの に時間が掛かる。けれど臨也が本気で姿を紛らせてしまうおうとしていない限りは、見付ける ことは可能だ。そして今回は、逃げることもできなかったから、こうして自分の前で、醜態を曝 しているのだろう。 「嫌だよ、覚えてないの?前に臨也を運んで来た時、服を切ろうとした僕に、静雄は殴り掛か ってきたんだから。臨也の服を切るのは、君の仕事」 でもその前に、これ嵌めてよと、新羅はディスポの手袋を静雄に放り投げた。 「静雄には今更かもしれないけど、取り敢えず。他人の血液に触れる時は、一応用心してもら わないと」 他人の血液に素手で触れないというのは、医療に携わる人間なら、基本中の基本だった。 特に闇医者として裏社会の人間の治療に関わる新羅からして見れば、慎重に慎重を重ねる のは当然の結果だろう。どんな感染症を持っていても、不思議ではない連中ばかりが揃って いるのだ。過ぎる程慎重にして、丁度いいくらいだ。 「まぁ、臨也のことだから、定期検査は受けてるし、下手はしてないけど」 何より臨也と静雄は、顔を合わせれば殺し合いの喧嘩をするくせに、セックスもしている関係 だと知っているから、静雄にその科白は今更だろう。 高校時代から二人を見てきている自分からすれば、そこに世間の言う恋人同志のような甘 いものが微塵も存在しないとしても、セックスはしていて当然だろうと思えた。むしろしていな かったら、色々と疑う所だ。二人の関係を一言でいうなら、番という表現が一番的確に思えた。セルティなどは、最初静雄と臨也の関係を知った時、理解不能という感じで戸惑っていたが、よくよく見れば、何となく納得はできたらしい。 だから静雄にとっては、今更のように思えるが、闇医者とは言え、臨床に携わる人間として、感染症対策は莫迦にできないものがある。 一応ね。新羅はそう笑いながら、静雄が手袋を嵌めたのを確認すると、棚から500ccの点 滴パックを取り出した。そこに止血剤のアンプルを注入すれば、注入された薬液によって、透 明だったパックがオレンジに染まる。それを輸液セットに繋ぎ、更に長いチューブで繋ぐと、新 羅は特殊な針を白く細い腕に挿入した。特殊な針で血管確保の為の輸液を開始し、同時に 100ccのキット式の抗生剤を開始した。 「ったく……」 黒いシャツの裾を握り、臨也の肌を傷付けないように鋏を入れる。何故か一挙に鋏を入れる ことは躊躇われ、静雄はゆっくりと鋏を入れ、服を開いていく。そして服の下から現れた血濡 れた肌に、忌ま忌ましげに舌打ちする。 本来白い筈の肌理細かい肌は、今は左側腹部から溢れる出血の為、赤黒く変色している。 まるで錆びた鉄の色だ。 「こんな傷、付けられやがって…」 意識を手放している臨也を苦々しく見詰め、静雄は服を裂くと、鋏を臨也の枕元に突き立て た。それは辛うじて臨也に突き立てることを理性で押し止どめた、静雄の激情だろう。 「静雄、乱暴にしないでよ。静雄のバカ力で突き立てられたら、抜くのに一苦労なんだから。ほ ら、邪魔になるから、抜いて。あとは僕の分野だから、出てっていいよ」 とは言え、こんな局面で、静雄がおとなしく部屋を出ていったことはない。 「居るなら構わないけど、おとなしくしてくれないと、セルティ呼んで叩き出すから」 意中の相手の首なしライダーは、まるで弟にでも接するように、静雄のことを甘やかす。だか ら静雄と臨也の関係を知った時、悪い女に引っ掛かった弟を心配する姉のように、心配してい た。 静雄も静雄で、姉に甘えるような気安さで、何かとセルティとは話しが合うらしい。それが悔 しいと思う程子供ではないが、時折静雄に嫉妬するのも事実だ。行動にも表情にも出さない が、臨也も心境的には同じだろう。 静雄はあれで案外とモテル。それも年上の女にだ。今は判らないが、高校時代に静雄が付 き合っていた女は、知っている限り年上だった。それもOLなどの類いではなく、精神的に自立 した女性ばかりだった。自分のスタイルを確固と持っている女性は、静雄みたいなタイプが好 みなのか、割合、取っ換え引っ換えしていたことを知っている。だからセルティも、静雄のこと は甘やかすことに躊躇いがないのか、池袋の街中でよく会っているらしい。そして静雄はセル ティに弱い。こういう局面で、セルティの名前は、静雄に有効的に作用する。 扉に寄り掛かり、腕組みした静雄を視界の端に捉えると、新羅は医療用の特殊なライトを当 て、臨也の創部の確認を始めた。 「いつDOAで運ばれても、不思議じゃないよなぁ……」 臨也の創部を確認しながら、新羅はこっそりと呟いた。 Death on Arival。それは救急搬送された患者が、病院到着時死亡している時に用いられ る略語だったが、いつ臨也がそういう状態で静雄に運ばれてきても、不思議ではないだろう。 けれどその場合、不機嫌などという言葉が可愛いくらいの静雄に遭遇する筈だ。そして池袋を 軽く破壊しかねない激情で、臨也を殺害した人間を見付け出し、殺害してしまうに違いない。 それも冷静に、時間を掛けて。相手の命乞いの哀願も、恐怖も毟り取って、冷静に殺めるだろ う。そんな静雄の姿を想像し、新羅はぞくりと背筋を慄わせる。 「その場合、絶対、無理難題言われるよなぁ……」 闇医者なら闇医者らしく、生き返らせろ。それくらいの難題は突き付けて来るだろう。 「生憎と魔界医師じゃないから、流石にそれは無理なんだけどなぁ。人間だし」 どんな生命もそうであるように、生まれたら死ぬようにできている。だからこそ、生命は生き てるのだ。死人を生き返らせることが出来るのは、神か悪魔か、どちらにしろ、そんな芸当が できたら、それは人間ではないだろう。そして生き返った命も、人間とは言えないのかもしれな い。純粋な意味で、生命と言えるのかさえ怪しいくらいだ。 「新羅」 「うるさいよ静雄。治療は僕の分野なんだから、おとなしく待てないんだったら、セルティ呼ぶよ」 不機嫌丸出しの表情とは裏腹に、静雄の声には抑揚がない。ぶつぶつと独語して治療して いる新羅の名を静かに呼べば、けれど新羅も慣れたもので、感情のこもらない声を軽く受け流 す。 独り言を呟いていたとしても、新羅はてきぱきと処置していく。その動きには無駄がない。 伊達に幼い時から、医学の知識を継承してきている訳ではないのだろう。確実に周囲には変 質者として認定されているとは言え、新羅の父親の医学に対する知識は生半可ではない。 その知識を幼少より臨床と同時進行で受け継いできている新羅は、そこいらの医師より余程 正確に、治療をこなしていく。軽口を叩いていても、真剣な眼差しがその証拠だ。そしてそれ が判るからこそ、静雄も臨也をここに連れてくる。どんな医師に任せるより、信頼できるのは確 かだ。 「奇跡って言うか、臨也の場合は確実に悪運だろうけど、大きい血管は綺麗に避けてるし、臓 器損傷もないから、出血の割には、大事にはならないね。傷も綺麗に治ると思うよ。ああ、静 雄が気になるなら、腕のいい形成外科医紹介するから」 「……何で俺がノミ蟲の傷の心配までしてやらなきゃなんねぇんだ?」 「あれ?嫌じゃないんだ?臨也の肌に、他人の残した痕跡があるの」 「傷なんて残したら、ただじゃおかねぇぞ」 新羅の哄笑に、静雄は嫌そうに眉を寄せた。 白い肌の上に残る他人の傷跡。そんなものを想像し、静雄の表情が険しくなる。勿論今まで 大なり小なり傷を負ってきた臨也だったから、肌の上に傷跡はあるが、それは殆ど目立たない くらいだ。今回も巧く縫合しろと、静雄が不機嫌に口を開けば、新羅は小さく笑って肩を竦めた。 「それは無茶だよ。出血の割りに創口は小さく済んだけど、皮膚は損傷しているんだから。 最大限努力はするけど、多少は仕方ないと思って、諦めてもらわないと。だから腕のいい形成 外科医紹介するって言ったんだよ。あとは臨也の細胞再生能力に任せないとね」 時間が経てば、創部はそれなりに綺麗に治るだろうが、暫くの間、静雄はこの白い肌を開く 都度、不快になるのかもしれない。それが八つ当たりの形で、臨也に向けられなければいい とは思うが、それは無理だろうなと、新羅は内心で遠い目をした。臨也もその当りは、諦めて いるだろう。それくらい互いの存在に執着しているくせに、自覚がないのだから始末に悪い。 だから時折、盛大に揶揄ってやりたくなるのだという新羅の内心を、静雄は知らない。 「……でも、この創口と創底……」 「どうした?」 傷口を生食で洗浄しながら、新羅は訝しげに攅眉する。その様子に、静雄が新羅に近寄っ た。 「ん〜〜この創口と創底がね……。創口は小さいし、思いのほか、浅いんだよ。刺器を考える と、おそらく細身の短いナイフ。殺傷能力は高くないと思うよ。それが臨也を救ったんだろうけ ど。でも可笑しいと思わない?」 「……こいつを殺す気はなかったってことか?」 「その場合、何が考えられる?」 「……警告か…。でも可笑しいな。俺ならそんな手緩いことしないで、さっくり殺すな。不安要 素を潰しておくのは、この世界じゃ常識だからな」 いちいち警告を与えて生かしておくより、不安要素は潰しておく方が安全だろう。化け物の 巣窟のようなこの街では、人一人殺したとしても、それを巧く処理出来る人間は幾らでもいる。 新宿には外資系マフィアが進出し、勢力図は入れ替わり始めている。けれど池袋は違う。外 資系組織に臨也の名がどれだけ有効か判らないが、東京近辺の裏社会の人間には、名前が 知れ渡っている。色々と危ない橋も渡り、その分手にする情報を欲する人間も多いが、それは 敵の多さと同義語だ。そして敵の多さは、臨也の手にする情報の大きさを物語っている。 「不安良要素を簡単には消せない相手…か……」 臨也の手にする情報は、多岐に渡っている。情報と言うものが生き物な以上、それを必要と する人間がいなければ、何の価値も持たない。それは情報を扱う人間にとっては基本原則だ から、臨也が扱う情報がかなり暗部に関わっていることを、静雄も新羅も知っている。 「警告はしても、殺すことはしない。かといって、掴まえて何か情報を吐き出させることもない。 まったく臨也にも困ったもんだよね」 死なない程度の刺創。殺さなかったと言うよりは、殺すことはできなかった。そこに一体どん な意図があるのかは、おそらく臨也を襲った相手と、臨也自身しか知らないだろう。 「こいつの手にしている情報は、殺すこともできない何かってことか?」 意識をなくし、力なく横たわる白い肢体。それは流れる血の量に比例して、蝋のように青味 を帯びた白さに染まっている。それは綺麗な造作をしているだけに、血の気が失せた造作は、 人形のように無機質だ。 「ったく……」 舌打ちしながら、静雄の指は黒髪を掻き混ぜた。その無自覚な仕草に、新羅は苦笑を禁じ えない。 「次も悪運が続くとは限らないよ。こうしていると、来神時代のあの事件を思い出すね」 都内で発生した猟奇殺人事件。ターゲットは、都内在住の高校生だった。その事件は七人 の犠牲者を出して終焉を迎えた。臨也と静雄の手によって。正確には、臨也を奪われた静雄 によって、強制的に終焉を迎えた。 「朝の子、明星よ、いかにして天より落ちしや」 「新羅」 てきぱきと処置しながら、新羅は意味深に囁いた。その声は何処か歌うような軽やかさを滲 ませている。けれどその新羅の科白に、静雄は剣呑とした気配を醸し出す。研ぎ澄まされた 凍気のような気配に、新羅が肩を竦めた。 「イザヤ書第14章12節。天使ルシファーが悪魔と同一視されるようになった切っ掛けは、旧 約聖書のイザヤ書。間違った解釈によって、最初の堕天使が誕生した。臨也の名前によく連 ねた遣り様だったよね」 「新羅!」 白衣に手を掛けようとした時、静雄はその時初めて、新羅が内心で怒っていたのだと理解し た。 「言ったよね。君達二人は引力そのものだって」 「……俺に八つ当るな。こいつがやってるヤバイことまで、俺が責任もてるか」 「そんなこと言ってると、足許掬われるよ」 高校時代、臨也が巻き込まれた猟奇事件で、臨也を奪われる喪失感を嫌と言う程実感した だろうに、静雄も中々に頑固だ。あの時の静雄を追跡撮影でもしておけばよかったと、新羅な どは後に惜しいことをしたと心底思ったくらいだ。 「これだけは覚えておいた方がいいよ。臨也には、静雄の声しか届かない。全を愛してるって 豪語しながら、個は愛せないなんて我が儘言ってる臨也には、臨也自身規格外だから愛せな いって公言している、静雄にしか無理なんだからさ」 それは言い換えれば、全と一括りで纏めることができないくらい、特別だと言うことだ。臨也 の世界には、おそらく静雄しか個として存在していない。 「手前もこいつと同じで、殺したいくらい持って回った言い方しやがるな。生憎と俺は他人の面 倒を背負いこんでやる程、人はよくできてねぇんだよ。それよりとっとと、終わらせろ」 洗浄して露になった創部は、確かに細身の刺器で刺されたのだろう。案外と小さく、傷口も かなり綺麗だ。出血も止まり始めている。新羅は創部の状態を確認すると、イソジンで消毒を 始めた。 「了解。じゃあ、始めるよ」 新羅は新しく手術用の滅菌手袋を嵌めると、表情を引き締めた。 結局、誰にも手負いの臨也を触れさせなかった静雄は、帝人達が新羅の部屋に辿り着いた 時には、通されたリビングに姿はなかった。部屋の一室を改造して作られた処置室に、新羅と もどもこもっていたからだ。 そしてリビンクに通された帝人は、所在なげにソファに腰掛けていた。 知り合いのセルティの同居人が、静雄や臨也と同級生の闇医者だと知ったのは、つい最近 だった。最初はその事実に驚きもしたし、何より彼等がかつては来神高校と呼ばれた、現在 の来良学園の出身だと知った時には、もっと驚いた。彼等と同学年じゃなくて本当に良かった と、帝人は心底から胸を撫で下ろしたくらいだ。同時に、以前教師陣が、最近の子はおとなし いと言っていた理由が判った。そう話していた教師が、物足りないという口調をしていたのか 不思議だっだ、なるほど、確かに静雄や臨也、新羅や門田という生徒を排出した高校なら、今 の生徒がおとなく見えても当然だろう。 在校生で、彼等ほど派手な生徒は存在しないだろう。少なくとも目に見える遣り様を、今の 生徒はしていない。けれど、おとなしい顔をしているからと言って、実際おとなしいとは限らな いのだ。一枚も二枚も被っている生徒は存在する。もしかしたら、目に見える遣り様をしている 分だけ、彼等はある意味、素直だったのかもしれない。 そんなことを思い出しながら、帝人はセルティが淹れてくれた珈琲をゆっくり啜ると、緊張して いた神経が、弛緩していく気がした。深く吐息を吐き出すと、頃合を見計らったように、門田が 口を開いた。 「今日は、巻き込じまって、すまなかったな」 帝人の正面のソファに腰掛けた門田が、同じように珈琲を飲みながら、帝人に話し掛けた。 「いえ…あの…」 不意に話し掛けられ、帝人が慌てて顔を上げる。 「怖かったでしょ、シズシズ。何もされなかった?」 あいつってば、本当にイザイザ絡むと、手負いの獣になるんだからと、狩沢が行儀悪くソファ の肘掛けに腰掛け、珈琲を啜る。 「はい…あの…」 自分の隣というか、肘掛けに腰掛け珈琲を啜る狩沢の横顔からは、先刻か苦しげにしてい た様子は感じられない。 「あのね帝人君。一つ忠告してあげる」 「忠告…?」 軽口に紛らせた口調が、何処かいつも妄想を語るものとは掛け離れていて、帝人は訝しげ に眉を寄せた。今日一日、それもたった一時間足らずの間に、狩沢の思いも掛けない表情を 知ることになって、帝人は僅かに混乱していた。そして何よりも、池袋の住人なら誰もが知って いる平和島静雄と折原臨也という天敵同志が、何故あんな事態に陥っているのか? 全身で他人の手を拒絶しながら、天敵の静雄を自分を預ける相手と定め、静雄の腕の中で、意識を手離した臨也と。そして臨也の顔を見れば、問答無用で、標識やら自動販売機やら 投げ飛ばす静雄は、手負いの臨也を誰にも触れさせなかった。 今冷静になって考えてみれば、あの時静雄が覗かせた凍気にも似た威圧さは、底のない独 占欲なのだと、なんとなく察することができた。けれど天敵同志の二人が何故、こんな関係に 陥っているのかは、全く判らない。 「イザイザがああいう時は、次は絶対に近寄っちゃダメだよ」 「狩沢、簡潔すぎる」 シズシズとイザイザは互いしか見えてないからさ〜〜と笑う狩沢に、門田は珈琲を啜りなが ら、溜め息を吐き出した。 「時と場合によるんだが…。もし次に臨也が負傷していて、静雄が現れたら、臨也のことは静 雄に任せてくれ。臨也がブクロに現れたら、静雄が見付ける」 「シズシズのイザイザレーダって、そこいらのGPSより高性能だから、もう妖怪アンテナ並。追 い掛けっこしないと、気がすまないんだよね〜〜。そのくせイザイザが負傷したら誰にも触れさ せたくないなんて、どんだけ独占欲強いんだって話しだよねぇ〜〜」 「あ…の…独占欲…なんですか……?」 自分が感じたそれは間違いなかったのかと、帝人はコロコロと笑う狩沢から、門田に視線を 移した。戸惑う視線に、門田は内心で苦笑する。 帝人の戸惑いは、二人を知る池袋の住人から見れば、当然の反応だろう。顔を会わせれば 喧嘩しかしない二人が、傷を負った臨也を静雄が誰にも触れさせないというあの態度は、容易 に理解できるものではないだろう。そしておそらく臨也は、この人畜無害そうな子供の前で、 差し出された手を拒絶して、静雄の腕に倒れ込んだに違いない。 自分や新羅は、高校時代から二人の特赦とも言える関係を見てきていて、言葉より何よりも、事実として二人の関係を目の前で見てきているが、何も知らないこの子供には、奇妙に映 ったに違いない。 「ちょっと違うけどな」 静雄と臨也の互いへの関わり方は、執着や独占欲という程、簡単なものではないのだ。む しろそんな言葉に置き換えられる程度のものなら、自分や新羅の心労は、もう少し減っていた に違いないと、門田は内心で苦笑を禁じえない。 二人の互いへの執着は、高校時代から明らかに深まっている。底のない奈落に身を落すよ うに、二人は何処かで病んだことを甘受して、互いだけで円環を築いている。その距離感の曖 昧さは、まるで箱庭だと思う時がある。他人も時間も、まるで二人の上を通り過ぎていくかの ように、二人は世界から取り残されている。それが何処か哀れだと感じる時があるが、二人は あれで納得している。だからより哀れで、見ていて痛々しい時がある。そのくせ当人達は、周 囲に与えている心配や影響を、欠片も理解していない。それが理不尽だと思っていた時期は、とっくに通り過ぎている。 「でも、まぁ、そんなもんだって、判ってやってれば問題ない」 『いいのか?帝人に話して。後でバレたら、静雄にも臨也にも何されるか判らないぞ』 PDAに素早く打ち込み、セルティが門田にそれを見せれば、門田の返答は、何とも暢気なも のだった。 「それはないと思うぞ。臨也には貸しがあるしな。静雄は、それこそ何も言わないだろう。事実 だからな」 『そうか?ならいいが……』 高校時代、喧嘩の都度に治療目的の為、新羅の元に訪れていた静雄や臨也に、間接的と は言え、セルティも二人が喧嘩三昧の日々を送っていたことを見知っていた。けれど当時は二 人がセックスまでしている関係とは、思いもしなかった。 人間以上に人間らしいセルティは、同性同士の関係を、最初は理解できなかった。静雄と臨 也の関係をセルティが知ったのは、新羅達が高校を卒業し、一年以上過ぎた時だった。 些細な傷で新羅の元に訪れた臨也と。そして何故か怪我もないのに、マンションに訪れた 静雄と。二人が鉢合わせした時、大抵の場合で何処かしら室内に被害が出る。だからその夜 も、当然何処か被害が出ると、半ばセルティは諦めていた。けれどそれはセルティの杞憂に 終わった。 自分や新羅の前では仮面を着けていたかのように、臨也は取り繕っていたのだろう。けれど 静雄が現れた時、その仮面は綺麗に剥がれ落ち、臨也は一言呟いて、静雄の胸に倒れ込ん だ。そして静雄の腕の中に崩れた臨也の顔色は、かなり疲労困憊の様子が見て取れた。あ の時に、新羅が当たり前のように言っていた言葉の意味をセルティは理解した。 『あの二人は、新羅曰く、『引力』 だそうだ』 あの時の二人は、熱病に浮かされ真夏の激情に身を灼くような恋人同士ではなく、そんなも のは当に乗り越え、秋の季節に足を踏み込んだような、とても穏やかな気配しか感じなかった。 特に臨也の顔を見れば、何処と構わず喧嘩になる静雄が、何とも言えない口調で臨也 の名を呼んだ時に、セルティは二人の関係を悟っていた。 「引力?」 PDAを差し出され、そこに打ち込まれた文字に、帝人は不思議そうな表情を浮かべ、セルテ ィを見上げた。 「同じ力で引き合っているから、成立している関係らしい。確かに、あの二人のどちらかが関わ りを止めたら、止めることができたら、成立しないからな」 それを聴いたのは、高校時代、都内で高校生をターゲットにした猟奇殺人事件が発生してい た時期だった。そして新宿の都市伝説として浮上していた男が、臨也と静雄の喧嘩に割って 入り、臨也の機嫌が地の底に突き抜けてしまったくらい、悪化していた時期だった。他愛ない 昼休み、それは新羅が口にした科白だったが、後にその事件に二人が巻き込まれた時、更に 別の事件に静雄が巻き込まれ、一時的に記憶が欠落した時、様々な局面で、門田は新羅の 言葉の意味を痛感する羽目に陥った。 「無視すれば簡単だし、その方が池袋も平和なんスけどね」 それまで黙っていた遊馬崎が、門田のソファの肘掛けに行儀悪く腰掛け、何とも言えない表 情で苦笑する。 「そうそう、どっちかが完全に無視できれば、この街も髄分平和になると思うのに、あの二人は 絶対に喧嘩をやめようとしないんだよね。どんだけ好きなんだって感じじゃない?」 ころころと笑う狩沢の横顔は、けれどやはり二次元の妄想を語る時より、底抜けな明るさは 感じられない。 「狩沢の意見は極端だから聞き流してくれ」 ボーイズでラブっている。そんな甘いものは、あの二人は存在しないだろう。二人の関係性 の中に、ラヴは介在していないだろうことだけは、門田にも何となく推し量ることは可能だった。喧嘩をして、おそらくその延長線でセックスもしている。けれどそこに好きだの愛だの、そうい う感情は含まれていないだろう。全を愛しているが、個は愛せないと豪語している臨也と、自分の持つ化生しみた力を、実際は嫌悪している静雄と。そのくせ互いの存在を互いに根深く 結びつけてしまっている二人の関係は、そんな単純な言葉で置き換えられる程、安易ではな い筈だ。もっと薄暗く根深い何かを、二人からは感じられて仕方ない。それは高校時代より密 度を増し、その分二人を取り巻く薄昏い何かも、濃度を増している気がした。 「でもさ、シズシズが記憶喪失になった時のイザイザなんて、見てられないくらいだったじゃな い?」 「えっ? 静雄さんが記憶喪失って…?」 「狩沢」 余計な話しはしなくていいと門田が窘めれば、狩沢は小さく笑って肩を竦めた。 『短期間そういう時期があったんだ。あの時新羅の言う引力の意味を、私は納得した。あのま ま静雄の記憶が戻らなかったら、臨也がどうなっていたのか、判らないな』 記憶の欠落。その意味を、あの時誰より判っていたのは、おそらくセルティだっただろう。 自らの首を探し、抜け落ちている記憶を再統合させようとしていたセルティは、記憶を失った静 雄の心情に、誰より近かった。けれどそのことが余計臨也には気に入らなかったのか、自分を 見ても何も反応しなかった静雄に、臨也は僅かな動揺を覗かせていた。そして同時に、静雄を 失った時の臨也がどうなってしまうのか、周囲に一抹の不安を抱えさせた。 身喰い。その言葉が似つかわしいくらい、臨也は自らの殻に閉じこもった。勿論表面的には 冷静さを装い、何でもないかのように振る舞っていたが、臨也を知る新羅達から見れば、それ は痛々しいものだった。まるで自らの羽を自らで毟り取るような遣り様は、周囲に不安を投げ 掛けた。 「人間ラヴ!なんて巫山戯たこと言ってるイザイザだけど、人間は好きじゃないからね」 「えっ?愛してるんじゃ」 帝人は意外なことを聴いたとでも言うように、狩沢を凝視する。 「かなぁ〜〜り歪んだ愛情を傍迷惑に注いでるけど、でもそれは種族として。まるで神様みた いに高みから見下ろしてるだけ。だから平等に愛してるなんて言えるんだよ。だけど同一の次 元で好きな訳じゃないんだ、イザイザの愛情ってさ。だから帝人君も、気を付けなきゃだめだよ」 『気を付けるんだぞ、帝人。臨也は口だけは巧いからな。あの口に誰もが騙されるんだ』 薄笑いと怜悧で切れ長な目許。何もかも見透かしたような忍び笑いに、誰もが催眠に掛かっ たように騙される。臨也は絶妙のタイミングで、相手の懐に自分自身を滑り込ませ、全面に押 し出していく。その時に見せる蠱惑的な笑みに、人は騙される。 「でも、皆さんは、そんな臨也さんでも、助けるんですよね?」 帝人のまっすぐな視線に、門田達は互いに顔を見合わせ、そして苦笑する。これでは黄巾 賊の将軍と呼ばれた正臣が大切にするのも頷ける。おそらく正臣にとって、帝人は唯一気を 許せる場所だったのだろう。だからこそ、この街の毒気に当てられることを、何よりも心配した。そして毒気に当てられてしまった自分の癒しとして、上京を示唆したのかもしれない。 「臨也はああいう性格だから、敵も多いしな。あっちがどう思っているか知らないが、俺にとっ ては友人だからな」 苦笑しつつ珈琲を啜る門田に、『流石、硬派!親父好きの女子にモテル男!』と、狩沢と遊 馬崎などは軽口を叩いている。 「これからも、助けるんですよね?」 それは疑問符が付けられているとはいえ、確認の意味しか帯びてはいない。そんなまっすぐ な帝人の視線に、門田は更に苦笑を深めた。 「優しいんですね」 「寝覚めの為だ。ダチを見捨てても、寝覚めが悪い。それだけだ」 「やっぱり、優しいですよ」 にっこりと笑う帝人に、門田は何とも言えない表情で珈琲を啜った。 この邪気のない童顔の子供が、ダラーズの創始者なのかと思えば、門田には心中複雑なも のがあった。 「帝人君、その素直さ、無くしちゃダメだよぉ〜〜。シズシズとイザイザと知り合いってだけで、 十分碌でもないとは思うけど。毒気に当てられないようにね」 街の毒気に、そして臨也という毒気に。多感なこの時期の子供は、臨也を神聖視しがちにな ることを、門田達は正確に理解していた。 『臨也には、預言者のようなタチの悪い一面があるからな。お前の長所はその素直さだが、短 所も素直な面だから、十分に気を付けるんだぞ』 池袋を中心としたカラーギャング、ダラーズの創始者。その事実を知る者は片手の指程度だ ったが、携帯一つであれだけの人間を一斉に集合させることのできる組織の土台を作ったの は帝人だったから、臨也が興味を持つのは当然だろう。そして臨也が興味を持った人間の末 路は、大抵悲惨に終わる。そのくせ臨也は、何も失わないのだ。その理不尽さに憤ってみても、結局臨也を取り巻く人間達は優しくできている。 静雄の記憶が欠落した時の、身喰いするような臨也の病んでいく姿を見ていると、失えとは 決して言えない。何より臨也の精神が破綻するのは、池袋最強という静雄を失った時に限定 されているから、静雄を失えばいいとは、到底思えない。静雄も大切な友人だった。それが例 え見知らぬダレかだったとしても、失えばいいとは思えないから、これは仮定以前の問題だろ う。 「短所も長所も、素直な面ですか?」 セルティの声と同義語のPDAの文字に、帝人は首を傾げた。 「あ〜〜終わったよ〜。静雄の奴、傷残すななんて、無茶言うから。損傷した皮膚に傷残すな って、どういう言い様だって思う?損傷段階で傷負ってるんだって、誰か静雄に言ってやってよ」 あ〜〜疲れた。セルティ、僕を癒して〜〜。冗談とも本気とも判らない口調で、新羅が処置 室から出てきた。 |