不 言 色
act3











 通い慣れた公園の、買い慣れた自販機にコインを投入し、桃城は点灯するランプを数秒眺めた。
 夏なら迷わず可愛い恋人にファンタグレープを買ってやるが、流石に真冬の公園で幾らリョーマでもフ
ァンタを飲みたいとは思わないだろう。


『ねぇ、桃先輩?湯気ってさ、倖せ色って気がしない?』

『寒い季節ってさ、暖かいものとか見たり感じたりすると、ホッとするから。それってさ、倖せって意味じゃないの?』




「本当、お前の感性ってどうなってるんだか、俺なんていつも不思議だけどな」
 秋も深まる季節に交じわせたリョーマの科白を思い出し、桃城は不意に苦笑する。
 国語が大の苦手で、国語教師を泣かせているリョーマは、けれど読書が嫌いな訳ではないことを知っ
ている人間は少なくはない。リョーマの国語に対する苦手意識は、読み手の意思を無視して、登場人
物の心に、絶対的な解答が用意されているから、意味が判らないという部分が大半を占めている。
 そのくせリョーマ本人は、時折驚く程鋭い感性を覗かせては、桃城を絶句させるものだから、桃城など
リョーマの国語が苦手な理由は判るものの、どうにも鋭い感性を突き付けられると、到底リョーマが国語
を苦手とする意識が判らなくなる。
「まぁ、鋭すぎるから、苦手、なのかもしれないけどな」
 人間同じ物を見たとしても、意識下の感性に触れてしまえば、それは同じものとして認識はされない。
実際こうして綺麗な光景を眺めていても、同じ色に見えてるのかさえ怪しいのだ。
 リョーマはその感性が鋭いから、登場人物の心に絶対的な解答が用意されている薄気味悪さの方が
先に立ってしまうのかもしれない。
 数秒自販機の前で愚にもならない思考を巡らせ、桃城の指はホットココアのボタンを押した。数秒後に
鈍い音を響かせ小さい金色の缶が取り出し口に現れて、桃城はそれを取ると、
「ホラ」
 背後で愛猫と戯れているリョーマに投げてやる。
「ちょっと、いきなり投げないでよ」
 それでも反射神経の賜物のおかげで、リョーマはさしてよろけもせず、綺麗な放物線を描いて手元ま
で落ちてきた缶をキャッチする。触った瞬間、予想外の熱さに、半瞬肌が焼けたように感じられた。
「俺のコントロールの良さは、お前が一番知ってるだろうが」
 そう笑うと、桃城はブラックの缶コーヒーのボタンを押し、小さい缶をコートのポケットにしまいこんだ。
「飲まないの?」
 迷わずコートにしまわれた缶コーヒーに、リョーマが少しばかり不思議そうに小首を傾げれば、桃城は
即答するように口を開いた。
「カイロ用」
「年寄り」
「俺はお前より一つは年上で、だから年寄りだ」
「あんたのは、年寄りじゃなくって、性欲老成してるって言うの」
 軽口を叩きながら、リョーマも桃城に倣ってホットココアをコートのポケットにしまいこめば、それは布地
を通し、確かな温もりを伝えてくるから、カイロ用と笑った桃城の科白も、頷けるものだった。
「お前のそれは、褒め言葉だな」
「何それ?」
 面白そうに笑う桃城に、リョーマは少しばかり憮然となる。中学生が性欲老成していると言われ、苦笑
に紛らせ笑うことのできる桃城は、リョーマから見れば、立派に詐欺師の部類に入る。
「ケダモノとか言われるよりは、数倍マシってことだよ」
「一度くらい、ケダモノになってみれば?」
 悪党で詐欺師でヒトタラシなくせに、桃城は肝心な部分で癪になる程大人で、見誤ることを決してしな
い。莫迦みたいに甘い反面、決して厳しさも忘れない容赦のない男だ。
 たった一年の差が追いつけない落差なのだと突き付けられるようで、こんな時いつだっていたたまれ
ない思いを味わうリョーマを、桃城は何処まで気付いているのかと思う。
「いつだって、ケダモノと大差ないとは思ってるんだけどな」
「支離滅裂」
「お前の前では俺のガラスの理性は脆くなる一方って意味だよ」
 そう笑うと、桃城の節のある指先は、慣れた仕草で柔らかいネコっ毛を掻き回す。そんな桃城の支離
滅裂とも言える科白と、慣れた仕草で髪を掻き回す指先に、リョーマは胸の奥が締め付けられる切なさ
を味わって、酷薄な口唇が無自覚に噛み締められる。
 いつもいつも肝心な時程、桃城は綺麗なものに紛れ込ませ、誤魔化そうとする。それは優しい癖、み
たいなものだ。
「寒いか?」
 指先に馴染むリョーマの髪は、冬の外気に冷やされて、少しばかり冷たくなっている。
寒がりでネコ体質のリョーマのことだ。風がない小春日和の陽気は冬には珍しいとはいえ、気象庁が
暖冬から厳冬と修正する程度には寒いから、リョーマが感じる体感温度は、自分より低いことを桃城は
知っている。
「寒いに決まってるでしょ?」
 それでも文句も言わずに付いてきたのは、桃城にしてはらしくない言葉で誘われたからだ。一見的を
得ているようでいて、まったく的はずれな誘いは、桃城の致命傷だ。詐欺師のくせに爪が甘いと、リョー
マが内心苦笑していることを、けれど桃城は知らないだろう。桃城が聴いたら、情けない声で落涙する
のは眼に見えている。
「一体どういう気紛れなんだか」
 大仰に溜め息を吐けば、真冬にしては陽気が穏やかな所為だろう。吐息は昨夜のように白く染まるこ
とはなく、桃城の苦笑を誘った。 
「たまにはいいんじゃないか?」
 健全な恋人同士のデートでと桃城が嘯けば、リョーマは呆れた様子で薄い肩を竦めた。
「仕方ないから、付き合ってあげる」
「仕方なくか?」
「テニスなら、迷わずイエスっていうよ俺」
「タヌキも楽しそうだし、いいんじゃないか?」
 お前テニスバカだな〜〜〜そんな風に笑う桃城に睥睨を向け、次に足許に戯れ付く愛猫を眺め、リョ
ーマは桃城が見蕩れる綺麗な笑みをカルピンに向けた。そんな綺麗な笑みに、リョーマの隣で大仰な
溜め息が漏れ落ちる。
「……お前に子供できたら、絶対妬くな」
「莫迦だと思ってたけど、冬の外気で脳味噌固まっちゃたの?」
 莫迦だ莫迦だと思ってた桃城は、案外どうにもならない莫迦な男だ。
「あんたが俺妊娠させることできたら、生んであげるって、前にも言ったよ確か」
 奈落の恋情に溺れた自分が生み出す生き物など、化け物に決まっているけれどと、リョーマは華奢な
肩を竦めて自嘲する。たかが5kcalの重さが重いのだと、桃城は一生気付くことはないのだから。
  恋しい男をこの身に受け止める身重と変わらぬ重さを、桃城は一生理解できないだろう。たった一人
の男に雌に作り替えられ、恋しい男を嵌められるように慣らされた胎内は、いつだって桃城を求めて疼
いている。生命を宿す海の存在しない死海の肉体でも、決して受精の叶わない器でも、桃城が願うなら
化け物の一人や二人は生み出してやれる。
 切なげに笑うリョーマの笑みに、桃城は長い吐息を吐き出すと、言葉もなく無言でリョーマの髪を掻き
回した。
「本当に、仕方ない人」
 的はずれな誘いさえ、もしかしたら確信していた科白なのかと、リョーマは人一人居ない公園に視線
を移した。
 石畳のアスファルトが特徴的な公園は、閑静な住宅街に位置していて、大人も子供も憩いの場となる
ようにと、作られたものだったが、昨今の物騒な社会事象の影響でか、最近では公園で遊ぶ子供の姿
はめっきり減っている。
 等間隔で植えられている樹木は、けれど公園が死角にならないように配慮され、高さがどれも調整さ
れている。夏なら天然の緑のドームができあがる樹木も、冬の季節は黄色や赤に染め上げられ、淡い
陽射を受けた樹々は、周囲を琥珀色に輝かせている。
 公孫樹が多いこの公園は、晩秋には周囲が黄金色に輝く程、綺麗な色に染め上がる。けれど今は公
孫樹の葉は絨毯のように石畳を模したアスファルトの上に落ちていて、歩く都度、カサカサとした音を立
てる。それが面白いのかカルピンはご機嫌になって周囲を駆け回っている。
「カル、遠くにいっちゃダメだよ、迷子になるから」
 まるで幼い子供にでも言い聞かせるようにリョーマが言えば、まるで答えるようにカルピンが愛嬌のあ
る鳴き声を一つあげ、リョーマの視界の範囲内で、石畳に落ちる枯れ葉と戯れ遊んでいる。そんなリョ
ーマとカルピンを眺めれば、親子だと南次郎が笑うのも頷けてしまう桃城だった。
 終業式の終えた午後。12月24日という日付を考慮してか、昔からこの日だけはテニス部の練習も休
みだったから、陽射が陰るちょっと前の穏やかな小春日和を、二人と一匹で散策気分で公園に出向い
た。
 的はずれもいいところの誘い文句は、実際確信犯だ。的を外した誘い文句は、リョーマの好奇心を煽
る為というより、拒否されない為の防衛策だった。この時間ここにリョーマを連れてこなければ、桃城が
本当にリョーマに渡したかった誕生日プレゼンとは渡せないのだから。
「それで」
「なんだ?」
「俺ここに連れてきた心は?」
 愛猫が枯れ葉と戯れ遊ぶのを眺めながら、リョーマは桃城に視線を移した。
「似合ってるな」
「あんたは黒一色の方が似合う気がする」
 桃城の首に巻かれているマフラーは、昨夜自分が贈られたものと色違いで、桃城は濃紺と白のチェッ
クのものを巻いている。けれど纏っているコートは大人びた皮のハーフコートだったから、黒一色の方が
桃城には似合うだろうなと素直に思うリョーマだった。
「そっか?遊び心は大事だと思うぞ」
「悪戯心の間違いじゃないの?」
「気付いてたのか?」
 さして驚いた表情も見せず、桃城は穏やかに笑っただけだ。元々周囲にも自分自身にも無頓着なリョ
ーマが、自分にだけは鋭い程見抜く眼を持っていることを判っている桃城だ。リョーマが誤魔化されてく
れる確率の低さは最初から判っていたから、悪戯そのものの中身がバレなければ、桃城にはさして痛
手にはならない代物だった。
「気付かない筈ないでしょ?」
 あんた俺を舐めてるの?そんな風にリョーマが諦めたように苦笑すれば、桃城は幅広い肩を竦めただ
けだった。
「どうせ下らない悪戯の為、でしょ?」
 どんな種類の悪戯か、その種類までは判らないけどと、リョーマは苦笑に紛らせた真摯な眼差しで精
悍な面差しを凝視する。その眼差しが今にも泣き出しそうで、桃城は柔らかい笑みを向けると、ボタンを
しないままになっているコートの内側へと、ほっそりした躯を引き寄せた。細身の躯は抵抗一つなく桃城
の腕におさまり、小作りな頭が小さい擬音を立て、幅広い肩口に預けられる。
「下らない悪戯、か」
 幅広い肩をクツクツ揺らし、桃城の節のある長い指が柔髪を梳いていく。
「あんた俺に何も教えてくれない嘘つきだけど、あんたの嘘なんて、俺は簡単に判るんだから」
 的はずれな誘い文句に隠された真実は一体何処に在るのか?穏やかだから公園にでも行かないか?そんな風に誘われた科白に頷いたものの、桃城のそんな科白が、嘘だと見抜けないリョーマではな
かった。
 確かに小春日和で風もない午後は冬にしては珍しい程暖かく、色付く樹々を見るのは悪い気分では
なかったものの、桃城が何の意図もなく、そんな科白を言う筈がないことを、リョーマは嫌という程、心得
ている。
「小春日和で暖かいしっていうのは、ダメか?」
「不言色(イワヌイロ)」
 埋めた肩口から顔を上げ、色素の薄い空色の瞳が、桃城にまっすぐ焦点を絞る。静かな声が、桃城
の耳に落ちた。
「……覚えてたのか?」
 少しばかり意外そうな貌を向ければ、リョーマはやはり静かに桃城に焦点を絞ったままだ。小春日和
の陽気とはいえ、厳冬と修正された冬の陽射は、リョーマの白皙の貌を更に白く染めている。
「当然でしょ?」
 それは秋に言われた言葉だった。告げられた言葉の意味は判らないものの、桃城が何の意図もなく、
そんな科白を言う筈がないから、リョーマは覚えていた。
 言わぬ色。同時に、今は未だ言えない色なのだと、なんとも意味深に笑った科白と表情を、リョーマは
ちゃんと覚えている。
「それと、関係ある?」
「どうだろうな?」
 チラリと間視してくる眼差しの深さに、桃城は優游とした笑みを返すだけだった。けれどそれが答えな
のだと気付かないリョーマではなかった。
「あんたって、本当に詐欺師だよね」
「そうか?」
「そうやって笑って綺麗なものに紛れ込ませて、誤魔化そうとする」
 与えてもらえない言葉も。桃城が定めたであろう架空の未来も。そして父親である南次郎が関わって
いるのだろう足場も。桃城は笑顔の裏に隠して、一切見せてはくれない。
「あんたってさ、本当に月と同じ」
 片面しか見せてくれない地球の衛生。そのくせあたかも地球の分身のように、地球の周囲を回ってい
る石の球体。
「越前」
 研ぎ澄まされた空色の瞳が、まっすぐ澱みもなく凝視してくるのに、桃城は静かに笑うと、柔らかい髪
をくしゃりと撫でていく。
「こんなんじゃ、いつまでも誤魔化されてあげないって、言ったでしょ?」
「まぁあとちょっとだけ、誤魔化されてろよ」
「なにそれ?」
 いつもいつもこうやって柔らかいものに包み込まれ、身動き一つできなくなる。気付けば退路さえ綺麗
に削り取られていることに気付く都度、桃城の真骨頂を思い知る気分にさせられる。
「ホァァァ」
 尻尾を振って、ご機嫌な様子で足許に落ちる黄金色の葉と戯れていたカルピンが、不意に鳴き声を上
げ自分の足許に纏いつくのに、リョーマは小さい躯を抱き上げる。
 元々座敷ネコとして飼われているカルピンは、飼い主に似て好奇心旺盛な部分があるものの、基本
的には極度の人見知りだ。馴染みのない人間には決して近付かない、ある意味頭のいいネコなのだ。
「カル?」
 腕の中で甘えた声で鳴く愛猫に、リョーマはキョトンと不思議そうに小首を傾げた。
鳴き声が微妙で今一つ判らない。完全に甘えている様子でもなければ、人見知りで鳴いている訳でも
なさそうで、リョーマはフワフワの綿毛のように柔らかい背を撫でてやり、視線を正面に向けた瞬間、空
色の瞳が瞠然と見開かれ、
「……部長……?」
 慄えた声が零れ落ちた。
「なんで…?」
 春先、未だ桜の開花には僅かに早い時期、中等部の卒業式を終えた数日後、手塚はプロを目指し渡
米した。帰国するとは聴いていたものの、年末ギリギリになると聴いていたから、梔子色の光景の中、
端然と佇む手塚の姿に、リョーマは最初幻覚かと思った程だ。
 色付く樹々の葉。まるで絨毯のように足許の色を染め替え落ちている梔子色の公孫樹の葉。その中
に黒いロングコートを翻し佇む手塚は、到底十代には見えない落ち着きが備わっている。
「梔子色って知ってるか?」
「桃先輩?」
 半歩背後に立つ桃城の声に、リョーマは慌てて背後を振り返った。こういう局面で、桃城は隣に佇むこ
とはないのだと、こんな時リョーマはいつも思い知らされる。桃城はまるでその覚悟のように、リョーマの
半歩後に立っている。先刻まで華奢な身を包んでいた腕は、そんな仕草はしていなかったとでもいうよ
うに、胴に戻っている。
「口無し。梔子の実の色に掛けて、濃い黄色のことを言わぬ色とか、不言色とか、言うんだよ」 
 判ったか?そんな風に、悪戯が成功したように笑う桃城に、リョーマは苦く舌打ちする。
「詐欺師もいいところじゃん」
 だからなのかと、足許の公孫色の葉を眺め、そして再び視線を正面に向ければ、何一つ変わらない
端然さで、手塚はリョーマに向かって歩いて来る。
 穏やかな冬の公園は風ひとつなく、空は何処までも高く蒼く澄み渡り、淡い陽射が公園の樹木を梔子
色に染め上げている。
 全て最初から計算されていたのかと、リョーマは半瞬だけ泣き笑いの貌を刻み付け、ゆっくり一歩を踏
み出した。
 口無しと梔子色。言えぬ色と、未だ言えない色。最初から桃城は仕組んでいたのだと思えば、詐欺師
だとしか思えないリョーマだった。
 一体いつから、桃城はこんなことを考えていたのだろうか?手塚から曲者と言われていた桃城だ。
その内心を簡単に推し量れる材料など、リョーマには一切皆無だ。それがリョーマには少しばかり癪に
触った。
「俺が本当に贈りたかったものだよ、越前」
「あんた最悪」
 まるで耳朶を甘噛みされるかのように柔らかく背後から告げられた声に、リョーマは憎まれ口を叩いた。
「お前のテニスに力を与えたのは、間違いなく部長だからな」
 手塚に対し、リョーマが特別な思い入れを持っていることを桃城は知っている。それは自分と紡ぎ合う
恋情じみたものではないものの、もしかしたらそれより強い想いかもしれないと思っていた。
 無機質だったリョーマのテニスに、最初に力を与えた存在。二人の間にどんなやりとりがあったのか、
知る者は大石とテニス部顧問の竜崎だったものの、何があったのか知らない当時のレギュラー面子は
存在しない。
 だからリョーマの誕生日プレゼントには、手塚と引き合わせたかったのだ。
 海外で頭角を表し始めた手塚のテニス。その姿をリョーマに見せたいと思ったのは、リョーマにとって、手塚はテニスの父親みたいだったからだ。そして端然と揺るぎなく立ち尽くす姿は、さして時間がかか
らない内に、世界が呼ぶだろうリョーマの姿だからだ。
 テニスを失ったら、リョーマは正常ではなくなる。呼吸の仕方さえ忘れ、自身さえ気付かぬうちに、内
側からゆっくり崩壊していくだろう。だから決して、リョーマにテニスを棄ててほしくはなかったのだ。自分
との恋情の板挟みになって苦しんだとしても。
 所詮人間最後は自分のことしか考えられない生き物なのだから。それに罪悪を感じる必要は何処に
もない。それをリョーマに忘れてほしくはなかった。
「越前、少しは成長したか?」
「部長……」
 愛猫を抱いたまま、リョーマは固まったように、正面に佇む手塚の姿を凝視していることしかできなか
った。
「手塚、久し振りなんだから、もう少し気のきいた科白は言えない訳?」
 手塚の隣に当然のように佇む不二が、あまりに手塚らしい科白に苦笑し口許を綻ばせる。淡い栗毛
の髪に合わせているのだろう。不二はキャラメル色のロングコートに身を包んでいる。
「身長は少し伸びたけど、テニスはどうかな?」
 愛猫を抱いたまま固まっていたリョーマは、それでも手塚の科白に勝ち気な笑みを滲ませ、相変わら
ず年不相応な落ち着き払った手塚の姿を見上げた。
 年齢を掴ませない落ち着きは桃城も同様なものの、手塚はその一歩上を行っているとしか思えないリ
ョーマだった。どうみても、外見の落ち着きから推測する年齢は、誰が見ても二十代半ばだ。
「部長も、あんま変わりない」
 身長は少し伸びたように感じるものの、元々中学生らしからぬ端然とした雰囲気を身に付けていた手
塚は、春先とさして違いがないように思えた。
 梔子色の光景の中、黒いロングコートを身に纏っている姿は、到底16歳には見えない大人びた気配
や雰囲気を纏い付かせている。
「そうか?」
 眼鏡の奥の眼を柔らかく細め手塚が苦笑すれば、リョーマは手塚をジィと見上げ、
「お帰りなさい、部長」
 口を開いた。
「海外での成果を、是非見せて下さい」
「コラ越前」
「当然でしょ?あんたその為に、部長を早く帰国させたんでしょ?」
 背後から苦笑しつつ咎める口調に、リョーマは振り返りもせずそう笑う。
「越前、今日が誕生日だったな」
 おめでとうと、手塚がリョーマの頭をクシャリと撫でれば、手塚からされる初めてのそれに、リョーマは
らしくない程驚いた表情を刻み付け、長い睫毛が瞬いた。桃城も同様なのだろう。リョーマの半歩後ろ
で、双眸を瞬かせている。
「14歳、おめでとう」
「ありがとうっス」
 桃城にされるのは今更で慣れているものの、他人の手に触れられるその仕草にちょっと驚き、リョー
マは俯いて淡如な科白を口にした。
 桃城以外には決して許さないその仕草も、手塚からされると拒めない何かが感じられた。
「二人して、仕組んでたんだ」
「人聞き悪いこと言うな」
「桃城から電話をもらってな」
 本来なら、年末ギリギリに帰国する予定だったのを、リョーマの誕生日に合わせてもらえないかと、手
塚が桃城から電話を受けたのは11月上旬だった。
「でも丁度よかったんじゃない?今夜ウチでこの子の誕生日パーティーとクリスマスパーティーをやるか
ら」
 去年も不二の自宅で、一品持ち寄り形式でパーティーをやった。当然リョーマは誕生日でそれは免除
され、皆それぞれお菓子や果物、飲み物を持ち寄って、メインのケーキや軽食は、不二の母親と姉が喜
んで作ってくれた。
 今年も姉と母親が楽しみにしてるからと、当たり前の顔をして中等部に遊びがてら誘いにきたのは元
36コンビだった。
「お前達は、卒業してまで、中等部に遊びに行っているのか?」
 想像できてしまう不二や英二の行動に、手塚が苦笑すれば、リョーマが更に言い募る。
「部長からも言って下さいよ。菊丸先輩と不二先輩、用事作っちゃ遊びにくるんだから」
 けれどそれは悪い気分ではなかった。構われることに時折抵抗はあるものの、厳しさも忘れない優し
い人達との会話や何かはひどく心地好く、心根が落ち着くものだった。そして時折皆でテニスをするの
が楽しかったから、リョーマが口程中等部に遊びに来る彼等を拒んでいはないことは、誰もが知ってい
た。むしろ軽口を叩ける程度には、リョーマとの精神的距離は近しいのだということを、感じ取れない面
子は存在しない。
「二人とも、全国は頑張ったな」
 変わらず交流が続いている彼等を、少しばかり羨ましいと想いながら、手塚はリョーマと桃城に視線を
移すと、数ヶ月遅い労いの言葉を掛けた。
 次世代の選手層の薄さが、青学テニス部の課題であり、問題で危惧だった。主力選手が三年に偏っ
ていた為の弊害が、自分の後を受け継いだ桃城達に、どれだけの負担を与えていたのか、気付かない
手塚達ではなかったから、全国大会二連覇の影に隠れた桃城や海堂の努力が、どれだけのものだっ
たのか感じ取られない彼等ではなかった。
 本音を言えば、全国大会二連覇は難しいだろうと思っていたのだから。けれどきっと桃城も海堂も、そ
んな苦悩を口にも態度にも出すことはなく、部員を全国に導いたのだろう。自分が託した青学の柱を全
国へと立たせる為に。そして自分達の為に。
「部長達の残してくれたものを、俺達の代で無駄にする訳にはいきませんから」
 託されたものの大きさと重さ。部長になって初めて、今まで手塚が言葉にも態度に出すことなく背負っ
ていたものの重責を、桃城は思い知らされた。
 手塚という存在に、誰もがどれだけ支えられていたのかと思えば、部長という肩書きとは無関係に、
手塚という存在の力を思い知った桃城と海堂だった。
 端然と佇んでいた手塚の力感。テニスだけではなく、その精神値全てが、中学生という年齢を凌駕し
ていた。一体手塚はれだけのものを背負っていたのだろうか?
 それは永遠に比較できない自問だった。中学3年の手塚とは、永遠に共にいることはできないのだ。
自分は常に彼の一年下の後輩だ。比べる物差しなど一切存在しない。
 手塚が言葉もなく背負ってきたものの大きさと重さは。同時に部員全員に与えていた安堵と同義語だ。だとしたら自分は一体どれだけのものを、後輩達に残してやれただろうか?手塚が自分達に託してく
れたものを、部員達に託せただろうか?それは桃城には判らない問いだった。
 たった一年の落差が重いのだと思えば、リョーマもそうだろうか?綺麗に佇む後ろ姿から、リョーマの
内心を推し量れるものは一切なかった。
「お前はお前のテニスをすればいい。そう言った筈だぞ」
 それは一年と少し前。桃城と海堂にテニス部を託した時にも告げた科白だった。
自分のやり方を真似する必要は何処にもない。だから桃城と海堂は自分達のやり方で新しいテニス部
を作っていってほしい。手塚は引退際にそう話していた。
「そう言って貰ったから、頑張れたんです。俺も海堂も越前も。だから、ありがとうございました」
 伝統はそのままに、けれど自分達のやり方で部を作っていけばいい。そう言えることがどれだけ強さ
の伴うものなのか、桃城は次世代に部を託す時に思い知った。それは桃城ばかりではなく、海堂もそう
だということを、桃城はちゃんと知っていた。そしてそう思えば、いつだって手塚の強さを思わずにはいら
れないのだ。
「話してあげなよ桃、越前。手塚にさ。どうせこれから会うんだし」 
 時間は幾らでもある。手塚は正月三が日は日本に居るのだ。その間にテニスをして、手塚が居なかっ
た日々の話しをして、そうして懐かしい小言を貰えばいいよと、不二が笑う。
 変わったもの。成長したもの。それでも変わらないもの。それを手塚に見せてあげればいいよと不二
が笑えば、リョーマも桃城も互いに顔を見合わせ、苦笑する。
 こんな時思い出すのが『グランド20周』では洒落にならないなと、互いに思う。
「それじゃぁさ、手塚は空港からまっすぐこっち来ちゃったから、一度家に戻らないといけないし、夜にま
た会おう」
「ハイ、部長、今回は我が儘言ってすみませんでした」
 それでもそんな我が儘を、電話口で呆れた様子で溜め息一つで許してくれた手塚に感謝する。
「これも俺の仕事だ」
「素直じゃないんだから手塚ってば。安心していいよ桃。後輩に甘えられて嬉しくない先輩なんてね、い
ないんだからさ」
 それに手塚はこの子のお父さんだし?そう笑う不二に、手塚が眉間に皺を寄せれば、桃城は苦笑し、
リョーマは訳が判らないといった様子で、三人を眺めている。そんな四人をリョーマの腕の中から眺めて
いたカルピンは、愛嬌のある鳴き声を一つ零してリョーマに甘え鳴いた。 
「そうやってるとさ、家族の肖像みたいだよ、桃、越前」
 愛猫を抱き抱えているリョーマと、その半歩後ろに立っている桃城と。
「タヌキの奴、ママって鳴きますからね」
「そうみたいだね」
 公園に入ってきた時、遠目にも判る程、二人と一匹は親子のようで、愛嬌のある鳴き声はリョーマを『ママ』と呼んでいるように聞こえ、手塚が眉間に皺を寄せたことは内緒だと、不二は莞爾と笑った。






















「じゃぁあとで会おう」
 そう言って手塚が不二を促し公園を出て行くのを見送ってから、リョーマがクルリと背後を振り返った。
「満足?」
 悪戯が成功して。そう笑うリョーマの貌は何処か切なげで、桃城は深い笑みを刻み付けると、傾いて
きた陽射に急速に冷えていく空気の中、リョーマの瀟洒な輪郭を片手で包み込んだ。
 手袋をしていない桃城の指は冷たくて、リョーマは反射的にネコのように薄い肩を竦め、それでも身動
ぎもせず、桃城を見上げている。
「お前は、何も欲しがらないからな」
 金を掛ければ買えてしまうものなど、リョーマは欲しがらない。元々物欲の少ないリョーマが、執着を
傾け欲しがるものなど、精々がテニスラケットやシューズの類いだろう。
「なんで、部長なの?」
 触れてくる冷たい温もりに、リョーマはトサッと擬音が響かせ愛猫を抱いたまま、桃城の懐に潜り込む。
「会いたくなかったか?」
 胸に凭れてきた温もりを抱き締め柔らかい髪をサラリと梳き上げれば、それは桃城の指には冷たい温
もりとなって感じられた。冬の外気に綺麗な髪がすっかり冷やされている。
 男同士のラブシーンを見咎める者は、公園内には存在しない。今夜はクリスマスイブで、家族や友人
と過ごす時間に誰もが夢中で、公園内には誰もいなかった。
 淡い陽射を受け琥珀色に染まっていた樹々の光も、今は傾いていく陽射に寒そうに見えた。冬の昼
間は短い。周囲は気付けばアッという間に夕暮れに覆われ始め、藍色とオレンジの微妙な色彩が青か
った空を染め始めていた。
「莫迦……あんたどうして…」
 プロを目指し渡米していった手塚を見送った時、ただ漠然と感じたものは、もしかしたら来年の春。こう
して桃城を見送らなければならないのかもしれないという不安と痛みだった。
「お前のテニスに力を与えたのは、確かに手塚部長だからだよ」
 それは変えようの事実だと桃城は思う。けれどそれに子供じみた嫉妬や何かを感じることはない。
ただそれは一つの事実で、リョーマをより良い方向へと突き動かした力だというだけのことだ。
 自分が無力だとは思わない。けれどかといって、力がある訳でもない。ただあの時リョーマのテニスに
力を与えたのは手塚なのだという厳然とした事実は変えようがなかった。けれどそれに対し取って代わ
りたいとも思わない桃城は、既に自分の道を選んでいるが故の自信があるからだ。
「あんた、自分を過小評価しすぎなんじゃない?」
 普通はもっと自分を、過大評価するものだろうに。
「俺は十分、過大評価だと思ってるけどな」
 ただそこに、見誤るような真似は決してしないと、己に課した誓約があっただけだ。それは身の裡だけ
に結び付けられた誓約で、リョーマの枷にならないことが最優先だった。
 リョーマがリョーマとして回帰される場所。リョーマという強烈な輝きを、その有り様を綺麗に映す場所
は、コート以外には有り得ない。それがたとえ優しさの欠片もない場所だったしても。リョーマはコートと
言う名の戦場でしか生きられない。
「そうヌケヌケと言う所が、あんた本当に腹が立つ程悪党だよね」
「俺は俺のやり方しかできない。あの時部長は部長のやり方でお前にテニスを教えた。それだけのこと
だよ」
 それだけのこと。けれどそれだけと言い切ることがどれだけ強さを伴うことか、桃城は知らないのだろ
うとリョーマが思えば、不意に思い出すのは昨夜の母親の科白だった。


『一体何がそんなに、リョーマの内側を守っているのかしらね』

 内側を守ってくれる者。そんな者は、今更だ。


「お前に、見せたかったんだよ」
 リョーマに力を与えた存在が、海外で頭角を顕し始めている。元々高校生級と言われ、プロからも矚
目されていた手塚のテニスは、既に海外でも高い評価を受けている。
 端然と佇み、自分の道を歩く手塚のその鋼のような姿を、桃城はリョーマに見せたかったのだ。それ
は遠くない未来、リョーマが歩く道で、姿でもあるからだ。
「まぁ、俺も部長に、会いたかっただけかもしれないけどな」
 言葉は不便で、声に出すと少しずつカタチが変わってしまう。以前リョーマに見せた、万華鏡のような
夜景。そしてリョーマが見せてくれた天然のプラネタリウム。だから今度はもう少し違う光景を見せたか
ったのかもしれない。
 けれどやはり言葉に出すと少しずつ何かが足りず、巧く気持ちが纏まらない。言葉が不自由だと感じ
るのは、こんな局面だ。
「俺は俺だし、あんたはあんた。部長は部長だし」
 埋めた胸板から顔を上げ精悍な面差しを凝視すれば、桃城が少しだけ驚いた様子で凝視してくるの
に、リョーマは薄い笑みを滲ませる。
「俺にとってのあんたの存在に、誰も適わないって、それだけは忘れないでよ」
 父親を倒すだけがテニスの目的だった。それは不世出と言われた父親の名が付いて回る自分の存
在を取り戻す作業と同じだった。けれどそれでは自分のテニスは完成されないのだと教えてくれたのは
手塚であり、桃城であり、青学という場所だった。あの場所が、自分にとっては約束の地そのものだと、
今ならリョーマにも判るものだった。
「ねぇ、桃先輩」
 リョーマは不意に桃城から身を離すと、片手で愛猫を抱えたまま、スゥッと一本の指が天を指差した。
「俺はまだまだ、上に行くよ」
「越前……」
 それは今年の始め、澄んだ夕空の中で告げた科白と同じもので、桃城はらしくない感慨に囚われる。
 まるで一枚の光景のように綺麗な姿。孤高に佇む幼き獅子。今は未だ幼い鉄爪と牙しか持たないそ
れは、近い未来で世界がリョーマの名を呼び始めるだろう。歩き出す一歩の価値が、黄金を降らせるよ
うに。
 リョーマがまさしく一色(ヒトイロ)だと痛感するのは、こんな姿を見る時だ。
交じりけのないただ一色の色。混じり合い完成される色の中で、一つの色で在り続ける強さは、意思が
なければ到底叶わない。リョーマはまさしく一色だ。それは研ぎ澄まされた冬の冷気に見出だすことの
できる秘色(ヒソク)とよく似ていた。
「ありがとう」
 空気を掻くようにスゥッ天を指し示した指先が、ゆったり下ろされ、リョーマは半歩背後に佇む桃城に
綺麗な笑みを覗かせた。
「桃先輩」
 そうして桃城の懐に再びネコのような仕草で潜り込めば、桃城は愛しいばかりの温もりを抱き締め、
噛み締めるように一言を呟いた。
「誕生日、おめでとうな」
 一体誰に感謝したらいいだろうか?掛け替えのない存在を、この腕にできる倖せを。
「越前」
 言霊のように大切な名を噛み締めるように呟いて、桃城は細い躯を抱く腕に力を込めた。












「ねぇ桃先輩ホラ」
 コートのポケットに入れていたココアの缶は、今はもうカイロの役目を終え随分温くなっている。
きっと飲んでも冷たいのかもしれないと思いながらプルトップに指を掛け開いた瞬間、冬の冷気に白い
湯気が立ち上ぼる。
「やっぱり冷たい冬ってさ、こういうのが暖かいと思うんだよね」
 何気ない湯気に満たされてしまう程度の倖せが、本当は何より大切なんだろうなと、リョーマは随分
温くなったココアを口に含んだ。 
「倖せ色、か」
 リョーマに倣って温くなった缶コーヒーを取り出しプルトップを開ければ、白い湯気がユラユラ紫煙のよ
うに空へと溶けていくのに、桃城はリョーマの言う通りだと実感する。
「ったく」
「何?」
 不意にクシャクシャと髪を掻き乱され、リョーマが不思議そうに桃城を見上げれば、桃城は精悍な貌に
深い笑みを浮かべている。
「お前のそういう部分ってのは、本当に驚かされる一方だってことだよ」
「意味判んない」
「まぁ、お前はお前のままでいいってことだよ」
「何それ?」
「テニステニスで、俺なんて十番目くらいでいい」
 リョーマが鉄爪を降り下ろす場所。未だ未成熟なばかりの爪と牙を研ぐ場所は、リョーマが回帰される
場所だ。それは自分の懐などではないのだと、リョーマには忘れないでいてほしい。たとえ病んだ恋情
につき動かされることがあったとしても、リョーマはテニスを失ったら、生きていけない。そんな簡単な事
実を、リョーマだけが知らずに今を過ごしている。
 冷ややかな熱を孕み、研ぎ澄まされていく切っ先の才。誰をも魅了するそのテニスの才は、リョーマが
望む望まないに関わらず、遠くない未来に、眠れる獅子の名を世界に轟かせるだろう。
「あんた最悪」
 それは手塚と高架線の下で対戦し、手塚から青学の柱を託された翌日、桃城に言われた科白だ。
あの当時は軽口で対応できた科白が、今は喉元に引っ掛かって巧く言葉が出てこない。
「そうやってお前は悪態ついて、小生意気に前だけ見てろ」
 光る道筋。万華鏡のように儚いものではなく。その瞳が持つ、果てしない空のように何処までも。
ただそれだけを願うし祈る。 切っ先のように細く脆いものではなく、研ぎ澄まされて尚硬質さを誇るよう
に。
「あんたやっぱ、過大評価しすぎ」
「だからそう言ってるだろう?」
「俺のこと」   
「ん?」
「俺は最後には自分のことしか選べない。だからそう言うなら、あんたがちゃんと俺を見てて」
 過保護に甘やかされて大切にされて。病んだ化生のような恋情を抱えて尚、身勝手な自分は最終的
にはテニスしか選べない。恋しい男を選びたいと願うのに、桃城はそんなことは決して許してくれない。
「俺も最終的には身勝手な男だからな」
 リョーマが望む望まないに関わらず、リョーマにテニスしか選ばせるつもりのない自分は、最終的には
タチの悪い詐欺師だ。
「夢も見せてくれない莫迦な詐欺師だけど」
 リョーマは温くなったココアを一挙に飲み干すと、それを適格なコントロールでごみ箱に投げいれると、
桃城の懐に潜り込み、                  
「それでも俺にはたった一人の詐欺師だって、ちゃんと覚えておいてよ」
 詐欺師は最後まで嘘を突き通すから詐欺師なのだと、中途半端な詐欺師にはなるなと、リョーマは薄
い笑みを刻み付けた。
「だったらお前も覚えておけよ。俺は大概詐欺師だけどな、惚れた相手には一つくらいの真実は話すっ
て」
 ちゃんと覚えておけよと、桃城は冷たくなっている長い睫毛に口唇を寄せた。








「ホラ桃先輩早くしてよ。さっきから携帯鳴りっばなしじゃん」
「誰の所為だ誰の」
「そんなのあんたの所為に決まってるでしょ?」
 コートのポケットにいれた二人の携帯は、先刻から着信音楽が鳴りっぱなしになっている。
誰からというのはこのさい愚問の二人は、優しい人達が待つ場所まで、手を繋いで走っていく羽目に陥
った。
 そしてパーティーに遅れた二人は、手塚の懐かしい小言を貰いながらも、何処か嬉しそうにしている
から、手塚の眉間に深い皺が刻まれたのは言うまでもない。
 変わったもの。成長したもの。それでも変わらないものと変えられないもの。
様々な想いを描きながら、変わらない顔触れが集う優しい時間がいつまでも続くといいと、リョーマは誰
にともなく祈った。