循環される光景

act2












 部活で疲れた躯をシャワーで流し、桃城はベッドに寝転がりながら、リョーマから渡された
紙片と睨めっこをしていた。桃城の手の中には、二つの鍵が握られている。
 9つの漢字が羅列しているだけのヒント。暗号は基本的に法則が在る。その法則を素早く
見つけられるかが、トリックをどれだけ早く解けるかの鍵になる。
 だから桃城は法則はないか紙と睨めっこしていて、気付いたのだ。
一度目は、頭をからにして、文字を読んだ。
二度目は、法則を見つける為に。
そして三度目に読んだ時。脳裏に掠めたものがあった。
無造作に羅列されているように見える漢字には、ちゃんと一定の法則があった。
『切無刀』は、『切』という文字から刀の偏を除けば、『七』になる。残る二つも同様だ。
『天無人』『天』から『人』という作りを外せば『二』になる。
『王無棒』も同様だ。王から棒を引いたら『三』だ。
 判れば、簡単なものだ。
「ったく、あいつも素直じゃないな」
 薄く笑うと、二つの鍵を眺めた。チャラリと鳴る二つの鍵。一つは『7』もう一つは『23』合わ
せれば、今日の日付になる。わざわざ二つに分けられて入っているものは、一体なんだろう
か?考えれば、確かにラッピングを開く間の楽しみが有ると言っていた、昼間のリョーマの科
白が甦る。
 品物より、心に焼き付けるものがいいと思って、敢えて品物は贈らないと言っていた去年
のリョーマから考えれば、今年のこのプレゼントは、一体何かと思う。思い、桃城は託された
鍵を手にしたまま、ベッドの上に放り出してある携帯を取り出し、窓に近付くと、ガラリとあけた。
 深夜に近い夏の夜空は、生温い熱帯の風を運んでくる。沈黙に守られている、簡素な住宅
街。周囲ら並ぶ家々の屋根。電柱から伸びる線。そして視界を移せば、見上げた先には藍
色の空間が無限に広がっている。
「天然のプラネタリウム、か」
 白い指先がスラリと伸び、教えてくれた、とても美しい有り触れた光景。簡単に光景は循環
されてくるものだと、桃城は改めて昼間リョーマが呟いた科白を反芻した。
 こうしてあの日とは違うだろう光景を眺めても、ちゃんとあの日に循環されて行く何かがあ
る。案外こうして光景や風景というものは、ちゃんと循環されてくるものなのかもしれないと思えば、リョーマの科白が持つ意味は、果てしなく重いのだと気付いた。其処に隠されている
言葉は、きっと春先。桜を見ながら交わした約束と同じものだろうし、初詣でに交わした約束
と、大差ないものなのだろう。
 周囲にも自分自身にも執着も頓着もないリョーマは、時折こうして恐ろしい程、鋭い感性を
覗かせては、桃城の息を飲み込ませることが有るのだと、きっと知らないに違いない。
 桃城は手にした携帯の短縮ボタンをプッシュした。それはたいした回数鳴ることなく、携帯
の向こうから、愛しい声が聞えてきた。















 ベッドに寝転がり、愛猫と戯れている所に、指定着信音が鳴った。メールではなく、直接携
帯を慣らしてくるのは珍しい桃城に、リョーマは笑うと、ゆっくり携帯を手にとり、通話回線を開
いた。
「判ったの?」
 判ったから、携帯を鳴してきたことなど、今更訊くまでもない。

『サンキューな』

「まぁ、たまにはね。丁度親父から面白いこと聞いたばっかだったから」
 今回、桃城に渡した鍵と紙片は、たまたま偶然が重なったことから発している。

『お前、この漢字判ったけどな。寺とどういう意味あるんだ?』

「符丁」

『符丁?』

「坊さん独特の数の顕し方だって、親父が言ってたのを思い出して、今回試してみたんスよ」

『ヘ〜〜〜』

「誕生日、おめでとう桃先輩」
 特別な日くらい、特別なことの一つくらい、素直に言ってもバチは当たらないだろう。

『明日行くから。付き合えよな』

「当然っしょ?あんたの驚く顔、見たいから」
 隠されているものが何であるのか判った時。桃城は一体どういう表情をするだろうか?
それが何より楽しみなリョーマだった。

『………お前、もしかしなくても、その為だけに、こんな手の込んだこと、仕組んだな』
 テニスに関しては、孤高の王だと思う反面。純粋な好奇心で、こういうことを仕掛けてしまう
子供っぽさがリョーマの内側に有ることに、桃城は誰にともなく感謝した。

「当然」
 携帯の向こうで、脱力し、溜め息を吐き出す桃城が理解できて、リョーマは尚笑った。
 物理的距離など無関係に、判るものもあるのだと、小さい通信機械は、知らせてくる気がし
た。きっと単純に託した言葉の裏の意味の幾重かは、桃城にも伝わっただろう。

『今、天然のプラネタリウム、見てるんだけどな、えらく綺麗だ』
 桃城の何気ない科白に、リョーマも窓辺に近付くと、ガラリと窓を開けた。
 住宅街家々の屋根の上に広がる。無限の藍色の世界。

「ねぇ桃先輩?」
 品物を贈る気はしなかった。贈るなら、心に焼き付けるものがいいと思った。それは今年も
変わりない。いつか何処かで、循環されてるくるように。少しだけでもいい。何処かで思い出
して貰える、有り触れた光景でいいのだ。
「だったら今度は、地上の星、見せてよ。人口の宝石箱」
 有り触れた光景が、実は一番心に焼き付いていくのかもしれないとリョーマが思ったのは、
桃城に見せて貰った光景を見てからだった。
 1周16分と言われる観覧車の中から、見せて貰った地上の夜景。昼間はゴミゴミして、綺
麗なものなんて何一つないと思える光景が、夜になると姿を変えたあの光。まるでオモチャ
箱か宝石箱をひっくり返したかのような、光の渦。教えられたのは、全て桃城という男にだ。
だから去年の桃城の誕生日には、品物は贈らなかった。心に焼き付く光景を見せてくれた桃
城にだからこそ、リョーマも残すなら、心に焼き付けるものがいいと思ったのだ。

『いくらでも、見せてやるよ』
 リョーマの科白に、桃城は笑った。
確かに光景は循環されていくのだろう。こんな些細な会話にさえ、思い出せる程。
 まるで、身の裡の何処かを分け与えてくれようとするリョーマの、そんな時には素直で、そ
の分断片的になる言葉の意味が判らない桃城ではない。

『お前と一緒に』
 いつか何処かで思い出した時にも、柔らかく、優しいもので、リョーマが包まれて行くように。

『明日部活が終わった後。引き取りにいくからな』
 付き合えよと笑う桃城に、

「明日ね」 
 リョーマも笑った。
二つのコインローカーに納められたプレゼントの意味を桃城が知るのは、明日になる。
その時の桃城の驚きと呆れた表情を想像しては、リョーマはクスクス笑うばかりだ。

『ああ、じゃぁ明日な。迎えに行くから。ちゃんと起きてろよ。おやすみ』

 そう言って切れた携帯を眺め、リョーマの視線は再び夜空に移る。
 寝静まる簡素な住宅街。見慣れた近所の家々の屋根。伸びる電線。黒く塗り潰された稜線。そして広がる降るような藍色の空。
 こんな風に視る光景が、実はとても綺麗なのだと教えてくれたのは、桃城だった。そんなこ
とにも、きっとあの悪党は気付いていないのかもしれないと思い、リョーマは薄い笑みを漏ら
す。

「あんたの未来に、俺はどこまでいるの?」
 以前にも、桃城に問い掛けた台詞だ。その時の答えは『お前の望む限り』と言うものだった。それは明確さを欠くもので、未来は不確かなものだと語られている気がした。
「あんたの見る光景の中に、俺はいつまで、居ることが許されてるんだろうね」
 循環されていく光景の中。自分は一体何処まで桃城と同じ光景を見続けて行くことができ
るだろうか?そう考えれば、時折足許が喪失する恐怖を味わってしまう。そんな弱さを、今ま
で知らずに生きてきた。
「ねぇ?桃先輩?」
 きっと問い掛けた言葉の幾重かは、伝わっただろう。
藍色の空を見上げ、リョーマは泣き出しそうに笑い、
「おやすみ」
 窓を閉めた。



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