For there is nothing hidden that will not be disclosed,
and nothing concealed that will not be know or broyght out into the open.





オマケ其の壱

貴方という重さ






 手の届かない高く遠い空。透き通った綺麗な蒼は、今は沈みいく太陽の断末魔に照ら
し出され、綺麗な赤胴色の夕焼けが、空を染め上げている。白い校舎はその夕焼けの中。まるで焼かれていくかのように、オレンジに染まっている。
 同じものなど一つとしてない、刻一刻と姿と色を変える自然の色彩に、明日も晴れるな
と、リョーマはぼんやりと思う。
  眼球を通しもたらされる波長と、光の反射と屈曲により認識されていく色は、誰もが同
じ色を認識しているだろうか?色は生まれながらにして持っているものではないのだ。
眼球との距離と波長により認識される色彩が、誰もが同じだと、言えるだろうか?
 同じものを見ているつもりでも、人の意識下に潜ってしまえば、それは積み重ねられた
経験と、磨かれていく感性により、かなりの違いが落差となって現れる筈だ。それは個人
差という形で、再び意識の表層に顔を覗かせるものではないのかと、そんなことを、徐々
に緋色に染まっていく空を眺めながら、リョーマは朧に考えていた。
 そう言えば『緋色』は『焦がれる色』だと、以前母親が言っていたのを思い出す。一体何
の会話の時だったか覚えてはいないものの、母親の科白と、その時に見た光景をリョー
マは覚えていた。
 日本とはまったく違う風に吹かれていた前髪。焼けていく空。あまりに下らない感傷に
内心自嘲さえ湧き、酷薄な口唇に、その内面を綺麗に映す笑みが浮かんでいることに、
けれどリョーマは気付かずにいた。
「オチビ〜〜〜〜」
 練習開始前、いつもなら桃城とストレッチをしているリョーマが、今は一人でぼんやりし
ているのを見咎めたのだろう。英二の伸びやかな声が掛かる。
 掃除当番だの委員会だの、各自の役割を終え部員は放課後の練習に参加するから、
放課後の練習開始時間は、あってないようなものだ。生徒の自主性と自立性を重んじる
青学では、誰もが委員会を受け持ち、各クラスごとに掃除区分が決まっている。確か桃
城は今週教室の掃除当番で遅くなると言っていたのを、英二は思い出す。
 賑やかな声だけを聞けば、到底二学年年上だとは思えない英二は、桃城と二人でテニ
ス部のムードメーカ的存在だ。
 リョーマがらしくなく無自覚にぼんやりとしてるのを見咎めたのだろうが、当然英二は後
輩にそんなことは悟らせず、桃城とよく似た雑踏の賑わいを連想させる笑顔で、リョーマ
に走り寄っていく。
「ちょっ、菊丸先輩、苦しいっスよ」
 突然背後からガシッと首に腕を回され、息苦しさに繊細な貌を歪めながら、リョーマは英
二に抵抗を試みる。けれどその腕が容易に外されないことも、リョーマはよく判っていた。
「聞いたよ、朝の一件」
 心なしか事態を愉しんでる不二の口調に、首に回された英二の腕を外そうと躍起にな
っていたリョーマは、途端憮然となり、背後を間視する。
 振り向いた視線の先では予想通り、柔和な笑みを絶やさない不二が、英二の隣に並ん
でいた。尤も、莞爾とした笑みの向こうで、何を考えているのか判らないのが不二の微
笑みだ。
 桃城も大概、明るい笑顔に紛らせ、本質を掴ませない曲者だが、不二は本質どころか、実態さえ掴ませない節が多大だ。盾として利用している笑みは同じものでも、隠してい
るものは全く異質なのが、不二と桃城の笑みの違いだろう。
「オチビ軽すぎ」
 細すぎる首に腕を回したまま、しみじみ英二が呟くのに、リョーマは益々憮然となる。
 自分の体格が12歳という年齢の全国平均値を下回っている自覚など、リョーマには今
更だ。けれど自覚している事実を他人に指摘され、面白い人間はいないだろう。
「別にいいっスよ。テニスは体重や身長でするもんじゃないんだし。不二先輩だって、人
のこと、言えないんじゃないスか?」
 青学No2の天才と言われる不二も、リョーマのことはいえないくらいに、華奢な骨格形
成をしている。けれどその華奢な躯から繰り出される技術は、確かに天才が生み出す代
物で、テニスに必要なのは、身長や体重だけではないのだと物語っている。尤も、不二
を前に、そう言いのけてしまえる一年など、リョーマくらいだ。それをして周囲からは、恐
れ知らずと言われているのだ。桃城だって、不二を前にこんな科白は言わないし言えな
い。ある意味こんな科白が言えてしまうのは、三年レギュラーから分け隔てなく可愛がら
れている、リョーマの特権なのかもしれない。
「オチビ、口は災いの元って、知らないだろう?国語苦手だって言うし」
「英二、それはちょっと僕に対してどうって科白だよ」
 英二の科白に、不二は穏やかに苦笑する。
「天才は天災だとか、最強は最凶だとか?」
「オチビ〜〜〜」
「へぇ〜〜桃の受け売り?」
 逡巡も悪びれた様子も見せず、シレッと答えるリョーマを、不二は面白そうに見下ろし、
綺麗な笑みを見せている。別段その程度で、後輩をどうこうしようという程、不二も狭量
ではなかった。むしろ人慣れしない節のあったリョーマが、桃城に懐いている姿を見るの
は、いっそ微笑ましいと思っていることを、きっとリョーマは知らないだろう。リョーマ自身
が自覚している以上に、彼等はリョーマを可愛がっている。
 それは今年の秋には引退という三年にとって、リョーマという存在は、一つの僥倖でも
あったからだが、それは極初期の内だけだった。彼等はリョーマのテニスも、実力に裏付
けされたからこその小生意気さをも含め、可愛がっている。そしてそんなリョーマが、小生
意気な態度を最大限に発揮するのは、桃城にだけだったから、それは甘やかされている
自覚のある上での甘えだと、判らない不二達ではなかった。そしてその関係が、先輩後
輩という関係を飛び越えてしまったことも、判っていた。
「さぁ?」
 不二の科白に、リョーマは半瞬意味深な笑みを見せ、次には噂ですよと笑った。
 実際その真意は別にして、テニス部員なら、それこそ入部してまもない一年生にまで浸
透しているその噂を、不二が知らない訳もないだろう。
 だからリョーマも軽口を叩けるのだ。まぁどうせ此処で桃城の名前を出しても、被害を被
るのは桃城だからいいかという、桃城が聞いたら脱力するだろう内心を、リョーマが抱い
ていることまでは、不二も英二も知らないだろうけれど。
「桃の奴、甘すぎ」
「あの人、俺甘やかすの趣味だから」
 シレッと言うリョーマに英二は呆れ、不二はおやおやと笑った。
確かにリョーマが即答する科白に頷いてしまう程度には、桃城はリョーマを目一杯甘や
かしている。二人の事情を知らない他の部員から見れば、後輩ができた嬉しさに、ただ
単純に甘やかしているように見えるだろうが、二人の関係を知る英二や不二には、それ
が単純な感情の発露には見えなかった。相手は手塚も認める青学の曲者だ。ただ単純
に、甘やかしている訳でもないのだろう。
「部員は今日の身体測定結果を、各自報告するように」
 部員に恐怖を与えることに成功しているノートを片手に、まったく気配を感じさせずに現
れた乾に、リョーマはまた厄介なのが来たと、渋面する。
 そこに多少なりでも、敵意や悪意でもあれば、リョーマにも容易に感じ取れるだろう気
配は、けれど部活開始前、テニスから離れてしまっている場所では、動物並みに発達し
ている嗅覚や聴覚も、一向に役に立ってはくれなかったらしい。
「なんで、いちいちそんな報告」
「莫迦だなオチビ。取りあえずこんなんでも、乾はコーチだかんね」
 細すぎるリョーマの首から漸く腕を離した英二が、隣に立つ乾を指差した。
その性格無比な分析能力は、人間PC並みに重宝でも、余計なオマケまで付いて来る
のはいただけない。まして集めた部員の個人データーを元に、一体どんな練習メニューを
組むのかと思えば、嫌な想像しかできない気がして、リョーマが顔を顰めてしまったとして
も、それは仕方ないだろう。何せその方面に関しての乾は、前科がありすぎた。
「取りあえずこんなので、悪かったな菊丸」
 悪びれない英二の科白に、乾が眼鏡の奥で苦笑する。
「まぁ越前のは、報告嫌なら、桃に聞くから由とするか」
「………乾先輩。あんたも大概、人食った性格してますね…」
 淡々とした無表情で告げる乾の科白に、リョーマは嫌そうに攅眉する。
声からでは、乾の感情の起伏は読取れない。眼鏡に隠された表情からは、もっとそうだ。けれど今は何処か愉しげにしているのが読み取れてしまうから、より癪に触るリョーマ
だった。
「間違ってないじゃん。オチビが報告嫌なら、桃に聞けばいいってのは」
「どういう理屈っスか?」
「ビンゴで体重当てたって?」
 抑揚を欠いた乾の声が、的確に事実を告げるのに、リョーマは憮然となる。
「それもお姫様抱っこで」
「……一体どういう伝言ゲームなんスか?」
 楽しげに笑う英二に、リョーマは思いきり渋面する。
「僕も聴いたよ。女子が騒いでた。桃が君を、お姫様抱っこして、体重当てたって」
 開放的な笑顔で女子に人気の高い桃城が、最近気に入ってかまい倒している部活の
後輩をあっさり抱き上げ、体重を当ててしまえば、噂好きな女子には恰好な的になってし
まうのは当然だろう。
「桃にしては、らしくない状況判断ミスだな」
 男女入り乱れての身体測定の場所で、そんな迂闊なことをすれば、それは噂好きの女
子には、恰好の獲物と同義語だ。物事の状況判断に優れている桃城にしては、らしくな
いミスだと思う乾は、英二や不二より、良心的な思考回路の持ち主だ。
「っんな訳ないじゃん乾。ちゃんと選んだ状況だよ、桃なら」
「何も考えてなかったと思うけどね」
「だから…ッ!」
 三人三葉、好き勝手推測しているレギュラー三人に、余計なお世話だと言い募るのも、
段々莫迦莫迦しくなってくる。所詮この状況では、口を開けば開くだけ、話の肴にされる
のは火を見るより明らかだ。
「それじゃぁ、越前の測定結果は、桃に聞くことにするか」
 パタンとノートを閉じる乾に、リョーマは更に嫌そうに顔を歪めた。
「……其処で断定しないで下さい」
「まぁプラスマイナス0.5程度の誤差だろうしな」
「たかが体重ビンゴしたってだけで、騒ぐ必要ないじゃないスか」
「そうかな?」
 意味深な笑みを漏らすくせに、気配は何処までも柔和な態を崩さない不二に、リョーマ
は苦く舌打ちする。
「そうっスよ」
「じゃぁさオチビは、桃が俺や不二の体重、ビンゴできると思う?」
「訊いてみたら、いいんじゃないんスか?」
 憮然としていたリョーマは、次に何か悪戯を思い付いた笑みを漏らし、英二を眺め見上
げると、
「でも菊丸先輩は、桃先輩より、大石先輩に訊く必要があるんじゃないんですか?桃先
輩は俺のことに関しては、ぬけめない人だけど、大石先輩は、どうなんスか?」
 桃先輩がビンゴで、大石先輩がトチったら、笑えないですよと、リョーマが小生意気な
笑みを滲ませるのに、憮然となるのは英二の番だった。
「言うねぇ」
 隣で子供のように頬を膨らませる英二に、不二は惚気られちゃったねと笑う。
「生意気だぞ、オチビ」
「桃先輩は、そういう俺の方が好みだって言いますから」
 頬を膨らませる英二に、けれどリョーマは容赦がなかった。何処か愉しげに口を開くリョ
ーマに、不二と乾は顔を見合わせ、苦笑する。
「まぁパワーアンクルが、躯に馴染むくらい適応してくれて、俺としては嬉しいけどね。でも
越前は未だ発達途上だからね。練習以外は外してるように。無理は却って骨や筋肉に
負担を掛ける」
「桃が来たら、何処までオチビのこと把握してるか、チェックいれてやろっかにゃ」
 仕返しとばかりに英二が口を開くのに、リョーマは呆れた。この子供っぽさが、英二の
英二たる所以で、部内のムードメーカーなのだろう。
「それはつまらないだろう」
「体重って所に、意味があるんだよ英二」
「越前も、桃の体重程度、ビンゴで当てられるだろう?」
 普段はまったく表情を読ませないくせに、こんな時ばかり意味深な笑みが判ってしまう
乾に、リョーマは苦く舌打ちすると、次に酷薄な口唇に忍び笑いを漏らし、
「あの人の重さなんて、精々が5kcal程度でしょ?」
 重くて仕方ないっスよと忍び笑いを漏らすと、リョーマは漸く掃除を終え、姿を現した桃
城の元へと、歩いて行った。






「重い、ねぇ」
「今から重くなってたら、先が大変だと思うけどにゃ」
「あんな科白言われちゃ、桃が大切にするのも、判るけどね」 三人の視線の先には、何
やら戯れているリョーマと桃城の姿が在る。
 白い帽子の上から、小作りな頭を掻き回し笑う桃城と、それを鬱陶しげにしていても、
決して払いのけることのないリョーマと。それは部内では見慣れた光景の一部と化してい
る。そして次には桃城は、リョーマに何かを差し出している。それを受け取りリョーマは再
び何やら桃城に食ってかかっているのが判る。遠目から見てもそれがパワーアンクルだ
と判るから、今此処で話しの肴にされたのを、理不尽にも桃城に八つ当たりでもしている
のだろう。
「アレ?でも桃がオチビのアレ持ってるってことは、オチビは測定の時桃に預けたってこ
とか」
「預けたっていうより、問答無用で押しつけたんだと思うけどね」
 リョーマは桃城に手渡されたアンクルを、ベンチに座って、白いソックスの下に着けてい
る。
「桃がオチビの体重ビンゴで当てちゃうってのも、二人っきりだとイチャついてる証拠みた
いなもんなんだろうし」
 あの華奢で未成熟な躯の内側が、もう男を受け入れる快楽も苦痛も知っているのかと
思えば、それはそれで、少しばかり痛々しくさえ思え、三人はこれから先。その重さがリョ
ーマを苦しめないよう、願うしかなかった。




オマケ其の弐
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