CAT

sequel






 その夜南次郎が愛息に仕掛けた悪戯は、此処最近のものではトップクラスのサイテーな類いのものだっただろう。そして母親はそれ以上だったのだと、リョーマが思い知った夜だった。



 南次郎は相変らず、リビングでテレビを付けっ放しにしたまま、新聞の間にアダルト雑誌を隠して見ていた。一体何が楽しいのかとリョーマは思う。隠して見るものなら自室で見ればいい筈で、何も母親がキッチンに立っている今、リビングで新聞に隠して読む意味など何処に在るのかと、リョーマは相変らずの父親の行動に、呆れて溜め息を吐き出した。
                   
『きっとコレが趣味なんだよな……こんな男の何処か良かったんだか……』


 母親の趣味を些か疑ってしまうリョーマだったが、夫婦の仲は息子の自分の眼から見ても腹の立つ程のラブっぷりだった。
 一体どういう経緯で、キャリアウーマンの母親と知り合い、この自堕落な父親が結婚まで至ったのか?ある意味、最大の謎の様な気がした。
『アラ、リョーマ、まだまだね貴方。南次郎君の良さが判らないなんて』


 随分昔に母親に訊いた時。笑顔で返されたこの答えに、二度訊く気は失せていた。
母親の口から『南次郎君』と言う言葉など飛び出した日には、リョーマが二度と訊くまいと思っても、不思議ではないだろう。そう言えば、母親は父親より年上なのだと今更思い出す。
『南次郎君』と言うのは、その当たりが原因だろうか?当然、訊く気はないけれど。
 うっかり訊いたら、両親の馴れ初めから惚気に発展してしまいそうなのだ、母親の威勢は。


『貴方も判るわよ。好きな人ができればね』


 コロコロと笑った母親の、その笑みだけを見ていれば、とても企業で管理職をしているキャリアには見えない。


「………判りたくないな……」
 ボソリと呟いては、呆れた溜め息を吐き出して、前方に寝っ転がっている父親に視線を落とした。
 まして嫌な事に、つい最近発見した事実の一つに、南次郎と桃城の共通点、みたいなものが垣間見えてしまって、尚更リョーマには判りたくない事だらけだった。
 つまりは、母親も自分も、クワセ者が好みと言う事なのだろうかと、フト物悲しくなってしまう。
 自分のルーツを辿る母親の遺伝子は、紛れもなく見えない原子レベルの部分で、確実に受け継がれてしまったのかもしれない。
 熱狂的な父親のプロ当時のファンだったのか、それ以外の要素で知り合ったのか?
判っている事は、母親はこのどうしようもないドが付く程スケベな父親に、惚れこんでいると言う事で、幼い時から父親のプロ当時のビデオを繰り返し観せられてきた事を考えれば、熱狂的ファンだったのだろう。



「なんだ青少年、盛大に溜め息吐いて」
 リョーマの視線と、嫌味な程の溜め息の大きさに、南次郎はムクリと起き上がる。
「親父に呆れてんだよ」
「お前もなぁ。もちっと言い方どうにかなんないのか?」
「自堕落な生活を享楽的に甘受している親父に、どういう言い方が在るって?」
「ホーお前、随分日本語が達者になったじゃねぇかよ。国語関係は全滅してた筈だがな」
「………うるさいよ親父」
「彼氏とのピロトークの成果か?」
 意味深にニヤついた笑みを浮かべてくる父親に、リョーマは心底嫌そうな表情をして見せる。
「図星か」
「うるさい、セクハラ親父」
 父親の台詞の何%とかは、間違ってはいなかった。
クルリと父親に背を向けると、威勢良く片腕を引っ張られた。
「リョーマ君」
「………放せよ、親父」
 ネコ撫で声、おまけに語尾にハートマークまで付いていそうな愉しげな声音に、リョーマは心底嫌そうに向き直ると、睥睨を向けた。けれど南次郎に、そんな視線が通用する筈は、当然なかった。
「ホレ、見せてみ」
 可愛いねぇ、小生意気な視線をそう両断すると、風呂上がりでトレーナーに短パンという姿のリョーマの、薄いトレーナーの裾を、威勢良く捲り上げた。
「なッッッ!!」
 咄嗟の事で抵抗などできなかったリョーマは、父親の行動に呆然となって、
「このセクハラバカ親父ッッッ!!」
 盛大に叫んでいた。けれどこれも当然の事のように、キッチンから母親が顔を覗かせる事はなかった。所詮母親の事だ『仲が良いわね』の一言で終わってしまうのは今更だった。
「なんだお前等、姦ってないのか」
 未成熟な躯は、それでも綺麗な筋肉が細い骨格に付いているのが判る。その綺麗な雪花石膏の肌には、シミ一つ付いてはいなかった。
「息子に言うか、そんな台詞ッッ!」
 盛大に溜め息を吐き出して、リョーマは父親の手を振り払う。払い、次にはガラリと視線が色を付け、妖冶に染まった。
「見える場所に痕付けて、満足するようなガキじゃないよ、あの人」
 酷薄な口唇に淫靡な笑みが刻み付けられて、南次郎は息子の笑みと台詞に、半瞬だけ呆れた。
「クワセ者だからね」
「付けて貰えないで、拗ねてると思ったけどな」
「何で?着替えに困るじゃん。桃先輩は俺のもんだけど、俺は誰のもんでもないから」
「………そりゃお前、どういう了見なんだ?」
 つくづく桃城は相手を見る目はなかったのだと、南次郎は愛息の台詞に肩を落とした。
「別に親父が知る必要ナシ」
「姦る事姦ってて、お前もいい根性しるてな」 
「親父に関係ないよ」
 このセクハラ親父、リョーマは毒づいた。
「どっかに付けられてんだろ。男ってのはそーいうスケベな独占欲があんだよ。マーキングな」
 ヒラリと、再びリョーマのトレーナーを捲り上げると、流石のリョーマもブチッと切れた。
「うるさいバカ親父ッッ!何処にキスマーク付けられてても、親父に関係ないだろッッ!」
「ホーって事は、やっぱマーキングされてんだな」
「ネコやイヌかよ俺は」
「姦る行為自体は、同じ意味だからな」
 種の保存という遺伝子システムから言えば、さした違いはないだろう。尤も、非生産的な同性の行為では、それも意味を成しはしないのだろうけれど。
 『生殖行為』と言い切ってしまうには、人間様である。交尾と行為の意味に、どれ程の差が転がっていようとも、其処には誰だって愛と快楽という取引を、見出だしたいのは当然だった。
「サイテー」
 毒づくリョーマに、南次郎は愉しげに笑う。
息子にちょっかいを出すのが愉しくて仕方無いのだ。その答えと言えば、めっきり色気づいて、無自覚にその色香を醸し出しているリョーマを揶揄るのが面白いのだ。立派な親子のコミュニケーションだと主張しては、愛息に足蹴にされているのだ、南次郎は。
「お前もつくづく変ったよな。アメリカに在る連中が見たらどう思うか、もしアメリカに戻る事があったら、気を付けないとな。あっちは本場だからな」
「………」
 父親の台詞に、リョーマは反駁の為に開いた口唇を閉ざした。アメリカに戻る可能性。考えなかった訳ではない。
 『行く』ではなく『戻る』になるのだろう、リョーマの場合は。その意味する処を、リョーマは正確に理解していた。
「アア、そんな泣きそうな顔するな」
 お前涙腺緩くなったな、南次郎は笑う。
「してない」
「してたな」
 お前の癖だな、南次郎は笑った。
「泣くより、始末悪いんだよお前のそんな顔は。あいつも大変だな。こんなガキに惚れて」
 素直に露呈してしまう感情の波。以前のリョーマにはなかった事だ。
アメリカに居た当時のリョーマは氷の無表情で、相手に表情から内心を推し量られたりはしなかった。けれど今は違う。こんなにも簡単に手の内を曝す。自覚がないから、尚更タチが悪い。
 迷ってほしいと願った。大切なものは在るのだと、自らに気付いてほしくて。けれど自分が思う以上に、桃城と言う存在に息子は変ったのだと、南次郎は実感した。
「まぁ焦る必要はねぇけどな。お前は若いんだし」
 クツクツ笑うと、リョーマはひどく生真面目な顔をして、南次郎を見上げた。
「枷、じゃないよ。あの人は」
 状況に反し、リョーマの声は奇妙に静かに南次郎の胸に落ちた。
「言うな、お前も」
 こんな時ばかり、勝ち気な双眸は正確に内心を見透かして、そうと意志の強さを突き付けて来る。
「だから、桃先輩の事で、迷ったりはしない」
 それだけは、多分迷う事はないだろう。
最後の最後には桃城は決して甘やかしてはくれない。そういう性格だ。乗り越える分岐は自らが決める事だと、決して甘やかしてはくれない。
 離れたくないと縋って見せた所で、そう言えばきっと離れていくだろう。選択の範囲を限定してしまう枷としての己の存在を意識して、桃城は離れて行くだろう。そういう性格だ。
どれ程甘やかされても、最後の最後は決して甘えさせてはくれない男だと、嫌と言う程知っている。
 知っている。簡単な事実が転がる程度にそんな事は判っていた。
 そうと思えば桃城が、『お前の表情なんて見なくても判る』そう言った言葉の意味が違う側面を顕す様で、胸が痛む。
「まぁ考えろや、別に俺は自分がプロになったからお前もその途歩けなんて、下らない事言う気はないからな。自分の途は自分で決めろ。ただな、プロにならないって言った場合、アメリカに在る連中がこっちきて捕獲作戦始めたとしても、自分の身は自分で守れよ、青少年」 
 ニヤ付いた笑みを見せながら、その眼は何一つ笑ってはいない。僅かに蒼味がかった双瞳の中心に正確に焦点をあわせて来る。
「当然」
「まぁ、『売約済み』って、そん時こそ、盛大に痕付けといてもらうんだな」 
「そっちの意味かよ、セクハラ親父ッッッ!」
 何処まで本気で何処までが冗談か、まったく読ませないこのクワセ者ぶりも桃城と似ていると思えば、原子レベルで受け継いでしまった物好きな血を、ついつい恨みたくなるリョーマだった。 
「アラアラ、本当に仲が良いわね。でももうすぐ夕飯よ。プロレスは食べてからにして頂戴」
「………母さん……」
 気配を読ませないと言う点では、父親も母親も何処か類似している。とても企業で管理職をしているとは思えぬ母親の笑顔と、凶悪なまでの文脈を一切無視した台詞に、リョーマはガクと脱力した。この状況の何処をどうみたら『仲が良いと言うのだろうか?』
 実際、母親の方が父親以上に飄々としたクワセ者なのかもしれないと、中々に嫌な予感が胸に湧いた。
「あなたも、息子揶揄って遊んでたら駄目よ。リョーマのキスマークなんて、見える場所に付いてる筈ないんだから」
「母さんッッ!」
 今度こそ、リョーマは悲鳴を上げ、頭を抱えた。
父親以上のクワセ者。予感は現実だったらしい。
「脚の付根よね」
 盛大にウィンクを付けて笑う母親に、リョーマは心底身の上を呪った。父親のクワセ者など可愛いものだったのだ。
「桃城君だったら母さん好みだわ。似てるのよね、若い頃の南次郎君に」
「そこかよッッ!」
 どうしてこう自分の周囲は文脈一切無視した反応を返すのだろうか?
所詮父親に惚れ込んでいる母親の事だ。桃城を見た瞬時に、そのクワセ者を見抜いていたのだろう。侮れないとは母親の為の言葉に違いない。
「付根ね、そいつは考えなかったな」
「うるさい親父」
「他人には見えない場所に付けて、自分だけ知ってるって、こっそり楽しむのよね?」
「………」
 何も笑顔を向けて明るく問い掛けてくる事はないだろうと、リョーマは母親の無責任な程に無邪気な台詞に、既に反駁をする気力も失せていた。
 このくらいでなければ、一流企業で女性で、管理職などやってはいられないのだろう。
「大切だとか、好きだとか言う言葉は枷じゃないから、精々悩みなさいな。離れたくないっていうのは普通の事だし。少年は、大志を抱いて、荒野を目指すものだもの」
 ネッ?
母はやはり偉大で侮れないのだろうと、リョーマは乾いた笑いを浮かべ、項垂れた。
「まぁなんだな、母さんには、誰も勝てないな」
 ポリポリと頭を掻き、南次郎は笑う。


『大丈夫、テニスしてなくったって、私南次郎君が大好きだもの』

 プロ引退を余儀なくされたアノ時も、そう笑った目の前の女性の強い笑み。少女のように無邪気で、けれど決して無責任ではない強い笑み。当時自分がもっとも救われたソレだと、南次郎は思い出す。


『貴方一人くらい、私が守ってあげるから』


『時には守られるのもいいものよ?女はね、守られるだけじゃなくて、好きな人の夢を支えて守る事もできるのよ。プロじゃなくても、テニスはできるでしょ?』


『私、テニスしている貴方も、していない貴方もどっちも好きよ』

 そう笑った笑みの強さ。どれほど影で泣いたのかと思う。けれどそんな泣き顔一つ見せず、自分の背を押し出し支えてくれた。
 いつだって、女に助けられていると思えば、男はそういう生き物だと実感したのも、アノ時だったと南次郎は思い出す。



「南次郎くんの息子ならね、どんな途でも進めるもの」
「母さん、こいつと一色たにしないでほしいよ」
「コラ、お父さんに『こいつ』はないでしょ?そりゃ年増してクワセ者度はあがったけど、貴方の事可愛くて仕方ないんだもの。手塩に掛けて育てた息子はテニスに取られて、ついには男に取られて」
「だから……ッッ!」
「だから母さん、桃城くんは好みだし。お婿さんに向かえともいいわよって」
「そっちじゃない」
 所詮この母親にはきっと口では適わないだろうと、リョーマは心底頭を抱えた。
「別にね、考える時間は幾らでも在るし、若い内なんて後悔するものだし、精々迷いなさいな。後になって全部いい経験だったって言える人生にするのは、所詮自分だけだもの。
精々悩め〜〜青少年」
 自分と良く似た瀟洒な造作の白い額を人差し指でチョンと弾くと、母親は『そろそろ御飯だから。プロレスしたらダメよ』と、キッチンへと戻って行った。
「………クワセ者……」
「だから俺なんかじゃ到底勝てねぇんだよ、母さんは」
「親父もマダマダだね」
 心底疲れきったリョーマが、ガクリと肩を落とした。



 その時がきたら、自分は笑顔で伝える事ができるのだろうか?
別れて行く途がきたとしても?
失う事になたっとしても、頭を垂れる事なく、前を向いて歩いていけるだろうか?



「リョーマ、これだけは言っとくがな、お前が未だ知らなくていい言葉は、『限界』ってやつだ」
「やっぱクワセ者同志、気があうじゃん」
 以前桃城が言った台詞だ。  
「お前、大事にされてんな、本当」
「今更だよ、そんな事」
 バカみたいに優しくて、そして最後の最後では決して甘やかしてはくれない男。
「本当、サイテーな悪党」
「ハハハ、悩め悩め、青少年」
 ポンポンと、リョーマの頭を掻き乱すと、ひどく真摯な眼差しがリョーマを見下ろした。
「も一つ付け加えておくとな、待ってても何も始まらないって事だ」
 静かな声と眼差しが、リョーマの眼球から身の裡へと落ちて行く。
半瞬真摯な眼差しがリョーマを凝視し、けれど次には相変らずの飄々さを纏い付かせ、南次郎はキッチンへと歩いて行く。
「本当、嫌な親父」
 クワセ者同志同じ事しか言わない。
「そんな事、嫌ってほど判ってるよ」
 待ってても何も始まらない。そんな事は、判っている。そんな事だけは、判っていた。
 これから歩く途。


『少年は、大志を抱いて、荒野を目指すものだもの』

 母親の台詞が、脳裏に甦った。
そう遠くない未来。答えを選ばなくてはならないだろう。
それだけは、判っていた、かろうじて。
待っていても、何も始まらない。それだけは。



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