感傷と成長の比例法則










 複製である意味に漸く気付いたかと、南次郎がリョーマのテニスの変化にホッと胸を撫で下ろしたのは、都大会を目前に控えた時の事だった。 
 今でも判らない。リョーマのテニスに一体誰が力を与えてくれたのか?
テニスを続けて行く為に一番必要なテニスへの掛け値ない情熱。カタチや言葉で教える事ができないからこそ難しく、そしてそれがあるからこそ伸びる力。けれどそれは本人が模索し気付くもので、表面を飾り立てる技術は教えられても、それは自分で構築する事しかできないものだ。
 自分では、結局教えてやる事のできなかった情熱を、誰が教えてくれたのか?
 南次郎は今も判らない。きっと生涯判らない気もしたけれど、別段問題視する必要もないので、珍しくも庭先で愛猫と戯れている息子に視線を向けた。
 珍しくも人待ち顔で、愛猫と戯れている。テニスに必要な力を与えてくれた人物は判らない。けれど、年相応な笑顔を垣間見せるようになった息子に力を与えてくれた人間なら、心当たりは多大に有った。
 年相応な笑みに、不相応な色の混じった妖冶な笑み。彼の内側を守る力を与えてくれた存在は、たった一人しか南次郎にも心当たりはなかった。
 アメリカに居た当時には視る事の少なくなっていた屈託のない年相応の笑顔。
変わったと思う、良い方向に。自分の選択は間違ってはいなかっただろうと思えた。リョーマを恩師に託して正解だったと、今なら思える。
 アメリカに居た当時には、もう自分でも収集の付かない事態になっていたリョーマの環境だった。


『越前南次郎の息子』


 周囲の無責任な称賛と羨望と、付いて回る自分の名前。
押し潰されない勝ち気さがあったからこそ、こうして今立っていられるのは事実でも、コピーになってしまった一端はソコにある。
 コピーではない自らのテニス。表面を綺麗に飾り立てる言葉と同じで、表面を繕う技術は幾らでも教えてやれる。けれどそれは教えれば教える程コピーに成り下がって行くリョーマのテニスに、南次郎がどれ程焦燥していたのか、リョーマは知らない。今ならきっと察する程度には父親の焦燥は理解されているのかもしれないけれど、当時の幼いリョーマに父親の飄々とした態から内心を推し量れる事など無理と言うものだった。
 なまじリョーマにはテニスに対する天の才が備わっていた。生まれながらの反射神経や動体視力。それらを一瞬にして統括できる状況判断能力に優れていた。それは試合を推し進める為に、これ程優位に立てるものはない。だからこそ、リョーマのスプリットステップは未完成ながらも、体得できたのだ。
 反射神経なくして、アノステップは完成しない。テニスに対する一種動物的な勘こそ、リョーマの特異性だ。それは理屈ではないのだ。そういう事は理屈ではなく、幾重ものもっともらしい言葉を羅列してみせた所で、リョーマの天性を箇条書きに記す事はできないだろう。
 ステップ本来の動きには未々幾重もの改良点が残されてはいるが、きっと今のリョーマは、其処まで気付いていないだろう。それでも、スプリットステップは、別段自らが手解きして教えた訳ではなかった。けれどリョーマは中学入学早々に体得してしまった。その運動能力を見ても、リョーマの天性の才は窺える。
 理屈ではないのだ、体得できた事は。訊いても『できたからできた』『真似したらできた』きっとこういう答えしか返ってはこない筈だと、南次郎も判っていた。
 自分も何故できるのか答えろと言われれば、原理システムは説明できても、何故できるかと言う質問には決して結び付けられはしないだろう。
 言語を媒介に整然と説明できるとしたら、それはテキストに載っているステップの理屈や要領で、何故体得できたのか?そういう説明はできないに違いない。やはり『できるから、できる』し『できるから、できた』なのだろう。だからリョーマも同じ答えしか返せないだろうと、判っている。


『流石、侍、越前南次郎の息子』


 それが結局は良くも悪くも越前リョーマの複製度合いを高める結果にも繋がってしまった。いっそ才能がなかったら、もっと楽だったのだろうかと思えば、きっともっと惨たらしい結果を生んでいただろう事は想像に容易い自分の周囲の環境も、南次郎は理解していた。
 物心付く前からラケットを握り、テニスの意味さえ知らない赤ん坊の時期からラケットを手放さず、誰もが周囲は『流石に侍越前南次郎の息子だ』と喜んだ。
 自分も当時は単純に喜んだ。流石息子だと、思った事もある。受け継がれて行く血の確かさを、カタチで視ると言う事はきっとこういう事で、親が子供を愛するのは、何処かしら自分との類似点を探し出す結果だとも思えた。
 何て下らない傲慢な感傷だったのかと、今なら思う。ソコに在る息子の立つ位置を、そんな感傷でしか計る事のできない愚かさに、傷付けてきた事も判る。そしてきっと一番大切な事を、喰うように奪ってきてしまったのだ。
 けれど今は違う。違う事に、ホッとする。





「お前も、変わったな」
 縁側にダラリと寝そべり、自堕落を満喫している南次郎は、新聞の間に水着姿の女ばかり出てくる雑誌を挟み込み、庭先で愛猫と戯れている息子を見て口を開いた。
 表面ばかりを飾り立てる技術は幾らでも教えやれる、父親として、リョーマを今まで育ててきたコーチとして。けれど自分は肝心な事は、結局何一つ教えてはやれなかった。一番大切で、中核にあるべきテニスへの思いと言うものを、教えてやる事はできなかったし、肝心要の部分を、取り残してきてしまっていた。喰うように奪い取って、取り残してきてしまった。
 リョーマのテニスに力を与えてくれたのは自分ではなく、ましてこうして内側を守っているのは、テニスに力を与えてくれた人間でもない。
 愛猫のカルピンにネコじゃらしを向け戯れていたリョーマは、父親の意味深な笑みに、途端憮然となった。
 父親がこういう言い回しをする時は、どうせロクな事ではない事くらい、判りきっていたからだ。
「お前今日は彼氏とデートか?」
 ニヤついた笑みで話し書けてくる父親に、リョーマは憮然とした態を一変させ、
「そうだって言ったら?」         
 足元に戯れ付く愛猫を抱き上げ、南次郎に負けぬ意味深な笑みに擦り替える。 
「相変らず、否定しねぇんだな」
 クツクツ喉の奥で南次郎は笑う。笑いながら、眼は恐ろしい程冷静で、冷静に息子に焦点を絞っている。
 笑っているのに、笑わない眼。
父親のそんなクワセ者な部分を、リョーマはしっかり見抜いている。


『あんなクワセ者に気ぃ合わせられるか。とって喰われるのがオチだ』


 自分よりクワセ者どうし気が合うんじゃないのかと桃城に言った時、反駁に苦笑された台詞だった。
 確かに父親はクワセ者だとリョーマは思う。
こうしている今でさえ、決して手の内など明かさないし、笑う事のない冷静な眼が焦点を絞ってくるばかりで、自分の思惑など相手に悟らせない。
 そんな部分が桃城と似ていると思えば、些かその相手に眩暈がする。無意識と言うものは怖いとつくづく思う。
 父親に憧れ初めたテニス。
物心付いた時から父親は既に現役は引退し、父親の選手時代を知る手段は、当時母親が録画していたビデオだけだった。
 一体どういう経緯で両親が知り合い結婚と言う形に至ったかは、幼い頃は訊けた事も、今は訊く気力も失せている。まともな答えが返ってこないと判っているからだ。けれど判っている事実は一つ在る。母親は父親の熱烈なファンだったのだろうと言う事で、根拠はそのビデオの存在だった。
 父親の試合は網羅して、テレビ放送された試合は全てビデオ録画されている。其処まですれば、熱烈なファンだと言う事など疑いようもない。だから観せられる事なく、観てきた。幼い時から画面の向こうとこちらで、父親の天衣無縫さを。
 実際、物心付く時には父親は現役を引退していて、父親の試合と言うものは画面の中でしか眼にした事はない。いつだって画面の中、天衣無縫な強さと、形に当て嵌まらない柔軟性で、勝利を納めてきた父親の姿しか、観た事はなかった。
 父親が何故引退したのか、詳細は知らない。幼い頃は疑問に思って何度となく尋ねた事はあっても、頭を撫でられ、『なんでだろうな』と、はぐらかされてばかりで、いつからか訊く事もなくなっていた。今までも、至る経緯を聞き出せた試しはない。きっと生涯、詳細は語られない気がする。
 プロ選手を引退し、けれど父親は天性の才同様、人の注目を集めると言うカリスマに優れていたのだろう。今だって、アメリカで父親の人気は衰えてはいない。そんな父親だから、アメリカに居た当時は、プロテニス選手を輩出するアメリカジュニアテニススクールの監督件コーチをしていた。
 父親が手掛け、世界で通用する技術を教えられ、その道筋を辿って世界へと出て行った人間は数多い。だから尚更、父親の評価は高く、今でもアメリカテニス界ではカリスマになっている。
 何処にでも存在するのだ。他人の視線を、注目を、自然と自分に集めてしまう人間と言う者は。幼い頃は、そんな単純な言葉で理解されていた。けれどそれは違うのだと、気付かされたのも早かった。
 父親の息子に生まれた事を、後悔した事は両手では足りない。無責任な称賛と羨望。
見え隠れする妬み。
『複製(レプリカ)』なのだと、あからさまに害意と敵意を突き付けられてきた事など、数え上げたらきりがない。  
 どれ程の才能も、本人の努力なくして到達できるものなどないと言うのに、周囲は無責任な称賛を勝手に贈り、ラベルとレッテルを貼られてきた。そんなものが欲しかった訳ではないというのに。けれど可笑しい程、互いに対極にあるべき筈の称賛と嫉妬は『侍、越前南次郎の息子』というラベルやレッテルを貼られていた。 
 誰もがテニスをしない南次郎の息子など、必要とはしないと言う事に気付いたのは早かった。言葉として齎らされる以上に痛烈なやり方でもって、父親の周囲に集う大人や、父親が教えていたジュニアスクールの子供達に、それは教えられてきた。
 勝手で簡単で単純。無責任な称賛の言葉と羨望と嫉妬と。
送られてきた言葉の幾重も役に立ちはしなかった。無責任な言の葉の幾重も。
 送られてくる称賛と羨望の向こうに、一体何が視え、何を望まれているのか、忠実な複製なのだと知った時の自分の衝動の深さや大きさなど、誰も知りはしないだろう。
 流されてきた血の量。抉り出され、広げられた見えない疵。そんな事、誰も知りはしない。ただ彼等は単純な言葉で、無責任な称賛を送ってくるだけだ。そのどれもがラベルを貼られた言葉だと、気付く事のない無知さで。
 だからむやみやたらに強くなりたかった。その時にはもう自分のテニスがどうとか言える精神状態ではなかったのかもしれない。ただ、無責任な称賛と嫉妬を、単純なラベルに置き換え貼る人間達を見返してやりたい。そんな程度のものだった。
 楽しいとか、楽しくないとか、そんなレベルではなく、ただ見返してやりたい為だけに伸ばした技術だった。
 強くなりたいと言う根本にあったのは、そんな連中を見返し、自己を満足させる手段。
とどのつまりは、自分を取り戻す為に、父親に勝ちたかった。複製ではなく、越前リョーマとしての自己を取り戻す為のテニス。
 だからただ『お前のテニスを見せてみろ』と、極当然のように端然と立ち塞がった手塚に、見透かされた気がしたのだ。
 所詮はコピー。どれ程装飾した技術で飾り立てても、それは父親のコピーでしかないと、突き付けられてきた。
 手塚は自分より随分先を見通しているように思える。たった二つ、けれど二つの年齢差は大きいものなのかと思えば、手塚のテニスへの情熱は、既に精神だけならプロに近いのだろうとあの時痛感した。自分にはないテニスへの情熱。突き付けられてきたのは、ソレだったように思えた。思えた時。足許が喪失する程、恐ろしかった。
 自分のテニス。それは一体何だろうか?
端然と、揺るぎない眼差しと言の葉で、突き付けられてきた言葉。探す意味に気付いて、恐ろしくなった。恐ろしさの意味に気付いた時。振り出しに戻ったのだ。
 自分を取り戻す為のテニスは、結局自分で作り上げてしまった父親のテニススタイルでしかなかったと言う恐ろしさ。
 手塚も、青学テニス部のレギュラーの誰一人として、リョーマに無責任な称賛も幾重ものレッテルを押し付けてくる事はなかった。それは彼等が彼等自身のテニスを模索しつつも、確立したスタイルを誇っているからだった。
 そうと気付いた時。装飾された技術は幾重在っても、足許が不安定な立つ位置に気付かされた。自分のスタイルを持たないコピー。初めて、複製の意味を痛感した。
 自分のテニスと言う手塚の言葉の意味の深さと大きさに、気付かされた。未確立の自分のテニス。結局、自分は知らず父親の複製をしてきていたのだと。
 結局、回帰してしまうのだ、父親のテニスに。
それを考えれば、憧れ初めたテニスというものは、父親を見て始めたのだと思い出して、超える壁という意味にも気付かされる。
 あれ程憎んでいたラベルは、結局自分で貼っていたようなものだ。複製に甘んじていられるのでなければ、足掻いて探すしかないのだ、自らのテニスというものを。
 そんな風に、埒もなく考えていた矢先だった。
すぐ側で、聞き慣れたブレーキ音が耳に届く。 
「アッ、来た」
 愛猫を抱いたまま、顔だけ庭の向こうに視線が移る。
どれ程同じ音でも、聞き間違える筈のない音だ。
「オーイ越前」
 朝と同じ風景の声が響く。
「彼氏のお出迎えか。お前もまぁ、アメリカの連中、歯がみして悔しがるな」
 『自分よりテニスの弱い奴とは付き合わない』
可愛くもない台詞で、群がる連中に鉄鎚を下してきたリョーマを思えば、こうしてちゃっかり相手を掴まえているあたり、息子の性根の逞しさにクツクツと苦笑する南次郎だった。
「桃先輩程、悪党だったら、よかったんだよ」
「惚気か?」
 呆れた顔を覗かせた時。リョーマの視線が一つも笑っていない事に南次郎は気付いた。
「俺一つだけ尊敬するよ、親父の事」
「オッ、やっと父親の偉大さが判ったか?」
「青学でテニスできるようにしてくれた事。親父には勿体ない恩師だよ」
 当時、問答無用で自分の意志など無視され決定されてしまった事に、随分腹も立てはしたのだけれど、結果的には最良だったのかもしれない。
 テニスを道具と手段に置き換えて、装飾する事ばかりの技術を目指していたあの頃より、今は余程テニスが楽しい。
 国外脱出だと笑った父親の台詞の意味が、今更に判った。
「そっちかよ………」
 苦笑する。それでも、そう言えるだけ、成長したのだと判る。
「彼氏とも会えたし?ってか?」
 クツクツと笑うと、リョーマは心底嫌そうに顔を顰めた。
リョーマと並び立ちながら、その実半歩は後ろに下がっているクワセ者。並び立つ視界ではなく、半歩下がって更にリョーマの見ているであろう先を共に見ようと、敢えて半歩下がって視界を広げているクワセ者を、南次郎は知っている。
 隣に立つ程に簡単ではなく、敢えて半歩の距離を置いて、リョーマと同じ距離と時間と映る光景を、視ようとしているクワセ者。互いの関係を、可笑しい程慎重に扱っている事が判る。大切にされているのだろうリョーマに、南次郎は苦笑する。
「そいや、お前今日何処行くんだ?」
「彼氏が迎えに来て行く場所なんて、デートに決まってるよ」
 腕から愛猫を離すと、リョーマはヒラリと身を翻す。
「悪さしてくんじゃねぇぞ」
 未々華奢で幼い未成熟な躯。それでも、もう男を知っているのだと思えば、つくづくアメリカに在る当時の息子の取り巻きが哀れに思う。彼等は、完全にやり方を間違えたのだ。
 リョーマが欲しかったものは、称賛でも羨望でも、まして金品に置き換えてカタチにできるものではなかったのだから。
「流石クワセ者ってところか?」
 中学生らしくない中学生。その分、しなくていい苦労も多いのかもしれない。何せ小生意気な自分の息子が相手だ。それでも、半歩下がってリョーマと同じものを見ようとしている姿勢には、正直頭が下がる思いだ。普通は隣に立ちたいと、願うものだろう。
「まったくなぁ」
 遠ざかって行く笑い声に、南次郎は苦笑する。
「大事な息子はテニスに取られて、男に取られて、父親なんて、つまらないもんだなぁ」
 クツクツ笑う南次郎を、カルピンが不思議そうに見上げていた。



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